30 .王都の殺人事件 side マルファ姉さん
前話に出てきたエデルの隣人、世話焼きな「マルファ姉さん」視点の回です。
※注 幼児虐待の描写、残酷な描写が出てきます。苦手な方はご注意下さい。
あたしたち家族はここのオンボロ建物から出ていくことになった。
だから「弟」同然のエデルにもそれを伝えに来た。引っ越しはもう少し先だけど、あの子には早めに伝えておきたい。
もう何年ここに暮らしたかしらねえ…あたしが10歳ぐらいからだから20年ぐらい?うわーそんなに長いことここに住んでたのね。ネズミだらけで朽ち果てそうなココに。我ながら凄い。うちにはもっとマシなところに住み替えるお金も無かったしね。
今年になって母さんの病気が、いよいよいけなくなって、職場の人の紹介で山のほうにある療養所に入れてもらえることになった。なんだか、戦争前よりマシな世の中になったのかしら?あたしもそこで住み込みで働けることになったから、母さんを看病しながらなんとかやっていけそう。
心配なのはエデルのこと。隣に住む男の子…あたしがもう30歳だから、エデルももう「男の子」って歳でもないわね。いくつだっけ、ここに越してきた時あたしは10歳、エデルは5歳って言ってたから25歳かー。いつの間にかあたしもあの子も、大きくなったもんだ。
ガリガリのエデルを、少しでも健康にしてあげたいっていうあたしの自己満足はついぞ満たされることはなかった。 大人になってからもエデルはヒョロヒョロのガリガリで、青白い顔をしてる。巻毛の茶色い髪は、いつもその緑の目の上を分厚く覆っている。
はじめてエデルと会ったのはあの子が5歳の時。
今でもよく覚えてる。……外は雪なのに裸足で共用玄関にいたこども。
服はボロボロの薄着、こんな幼い子がなぜ?って…考えるまでもないことだった。隣室の父子2人暮らしの様子は想像がついた。
越してきたばかりで音と声は聞こえるものの、まだそのこどもの顔を見たことはなかった私たち。
エデルは共用玄関の隅に、両足を抱えて座り顔を埋めていたの。寒さのせいか、小さな身体がガタガタ震えてた。
母さんがそっと自分のストールを外してエデルの肩にかけて包み込んだら、エデルはやっと顔を上げた。
口の端には、乾いた血がこびりついていた。青痣も。
母さんは安心させるようにエデルに向かって笑って言った。
「ーーーー坊、とりあえずうちにおいで。マルファ、この子を抱き上げてやりな」
あたしは10歳だったけど当時からタテにもヨコにも大きくてさ。もう働いてたんだけど仕事である程度重いものも持ち上げていたから母さんはそう言ったんだと思う。
横抱きにして持ち上げたエデルは、びっくりするほど軽かった。
「あんた、何歳なの?」思わず聞いてしまった。
「5才…ぐ…らい…」
5才?これで?個人差と片付けられない細さだった。驚きながらあたしたち家族はエデルを自分たちの住まいにつれていって食べさせて湯浴みをさせた。
それが、あたしたち家族とエデルの出会い。
エデルは、一緒に住む父親から、日常的に殴る蹴るの虐待を受けていた。
ここ貧民街では珍しくもない光景。
抵抗も出来ないこどもを殴るなんて…。
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ドアの前でエデルと会った昔のことを思い出していた。やっとドアが開いた。
なんかぼーーーっとしてるわね、寝てたのかしら?上半身は何も着ていない。寝る時は下着だけって言ってたっけ。あばらの浮いた、この細い身体を、あたしはふっくらさせることが出来なかったわねえ…と思いながら。
身長だけは伸びたわ、うん、元々そういう血筋だったのかしれないけれど。あたしの作る料理も少しはこの身長に足しになってるかも。
エデルが、酒浸りの父親の身長を超したころから顔の青アザは出来なくなったのよね。
背の高い、茶色い巻毛の可愛い子。いつまで経っても、あたしの中では玄関脇で泣いていたあの子が透けて見えちゃう。身勝手で失礼な思いよね。それ。エデルは今はしっかり生きてるのに。働いて、そのお給料であたしんちに食材の差し入れまでしてくれる。
この可愛い「弟」の顔をもっとよく見ようと前髪を持ち上げようとしたがふいっと拒否された。ごめんよ。「お姉ちゃん」はあんたが心配なのよ。余計なお世話だろうけど…。
弟も妹もいないあたしには、あんたは弟そのものだったわ。血が繋がってないけど20年も顔を見てきたんだもの。
エデルの緑の目は、びっくりするぐらい綺麗で、いつも「隠さないでいればいいのに」って思ってた。くるくるした柔らかそうな茶色い髪ととても合ってる。
あ、あたしたちの間には男女のどうのこうのなんてのは一切ナシ。こーーんな小さな頃から育てて?いいや、それは言い過ぎか…
エデルは時々暴れる。でもすぐ元のエデルに戻るの。
嗚呼、淋しいな…この「弟」と離れるのは。
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