後輩と幼なじみ 其の一
「や、いらっしゃい」
玄関の扉を開くと、目の前に可愛らしい少女がいた。
体の前には両手で大きめの鞄を抱え、表情は僅かにひきつっている。借りてきた猫のような、という表現が正しいようにも思えたが、本来後輩ちゃんは慣れていない人の前ではこんな感じだったのを思い出す。
というか、ほんのりと紅潮している頬を見るに、こんな微妙な表情を浮かべているのは、昨日の夜のことを思い出してなのではないか。あの、トイレで数十分間二人きりだった時間を。
だとしたら、俺も同じ感情を抱いているので、気持ちは分かるが。さすがにあれは恥ずかしすぎた。
それを表にだしてしまえば後輩ちゃんはさらに委縮してしまうだろうから、俺は必死に隠してできるだけの笑顔を浮かべる。
「お、お邪魔します……」
緊張に塗り固まった表情で、後輩ちゃんは扉をくぐった。
日曜日の昼頃。昨日本屋で交わした約束を果たすために、後輩ちゃんに俺の家まで来てもらったのだ。
後輩ちゃんは玄関の一段高くなっているところを登ろうと、片足を上げた。
が、もう片方の足が引っ掛かり、前のめりになる。小さく「あっ……」と声が漏れるのを聞く前に、俺は声に負けじと小さい肩を支え、後輩ちゃんをしっかりと立たせた。
「大丈夫?」
「は、はい……すみません……」
蚊の鳴くような声で後輩ちゃんはつぶやいた。顔を少し下に向けるその様子がなんとも可愛らしくて、悪戯心がくすぐられる。
「この家、何かと段差多いし、ずっと支えておこうか?」
返事を待たずに俺は鞄を握る後輩ちゃんの右手を手に取り、歩き出す。
後輩ちゃんははじめこそ「え?」「ちょっと先輩さん?」などと言っていたが、長い廊下を半分ほど来た頃には、従順に俺に手を引かれるがまま、ついてくる。その顔は相変わらず俯いていたし、振り向いた時に雪のような色の髪からは、わずかにだが真っ赤になった耳を覗かせていた。
後輩ちゃんの反応を楽しみながら、廊下を突き当りまで歩く。俺が立ち止まったと同時に、後輩ちゃんはようやく顔をあげた。
「ここが書斎だよ」
無駄に大きい木製の扉を開く。その重厚そうな見た目に見合う、重苦しい音を立てながら徐々にあらわになっていく、中の景色に吸い込まれていく後輩ちゃんの表情を楽しみながら。
「わぁ……」
多分、無意識のうちに発せられた言葉なのだろう。後輩ちゃんはきらきらと目の奥を輝かせ、他の何も意識の外という様子で、俺の手を振りほどくと、少しずつ、少しずつ、書斎の中へ踏み出していく。
俺もそれに続き、書斎の中へ。
俺にとっては、物心ついた時から一緒に生きてきた景色だ。妹の裸に興奮する兄はいないように(俺には妹がいないので真実は定かではないが)、慣れ親しんだ景色に今更なにか特別な感情を抱くということはない。
だが、後輩ちゃんはまるでブラックホールに吸い寄せられる光のように、本棚に視線を奪われていた。
四面全てを覆う、巨大な本棚に。
それに加え、扉の右側の階段から上がれる、吹き抜けになっている二階にも本がぎっしりと詰められている。
「一階は専門書とか、文学に分類される本が置かれてて、後輩ちゃんが好きそうなミステリとか、ライトノベルとかは二階だよ」
言いながら、俺は二階へと上がっていく。後輩ちゃんもついてきて、俺の横に並んだ。
二人が並んで歩いているにも関わらず、少し暗い色の木製階段にはまだまだ端に余裕があった。学校の階段よりも少し広く、多分あと五、六人で並んで歩いても大丈夫だろう。緩くカーブを描く階段は、それくらい広い。
長い階段を上りきり、右に曲がる。確か、このあたりだったはずだ。
上を見る。いくつも並んだ本の中で、それだけがまるで発光しているかのように光って見え、すぐに目的の本は見つかった。
だがそれは無駄に高いところにあり、俺の身長でも届きそうにない。
一応手を伸ばしてみるが、やはり徒労に終わった。どこかに梯子があった気もするが……滅多に使わないため、どこにあるのかが分からなかった。
ちらりと横を見ると、後輩ちゃんが先ほど俺が見ていたのとまったく同じ方向に視線を向けていた。
「また肩車でもしようか?」
「残念ですが今日はパンツを見ることはできませんよ」
「え? 履いてないの?」
「なぜ真っ先にその発想に至るんですか。……今日の私の服装を見てください」
言われて、視線を落とす。
今日の後輩ちゃんは、少し暑くなってきたこの時期にぴったしなゆったりした白いシャツに、七部丈のデニムパンツ。少しだぼっとした印象だが、足の細さが強調される服装だ。
つまり、パンツルックだった。
「なんてことだっ! これではピンクの布地に白の糸で花柄の刺繍が施されていて上部の真ん中にリボンの付けられたパンツが見れないじゃないか!」
「なんでそんな細かく覚えてるんですか!?」
「いや待て……デニムパンツという言葉の中には『パンツ』という文字が含まれている……つまりこれは、常時パンツを見せてもらっているのと変わらないのでは?」
「なに言ってるんでしょうこの人」
後輩ちゃんはじとっとした目を向けてきた。
そしてその、まるでブタを蹴り飛ばす悪女のような瞳が、何やってんだ愚図さっさとしろと言わんばかりに、床と俺の顔を行ったり来たりした。
え、なに、もしかして頭を地面に擦りつけろってこと? それくらいなら喜んでするけども。
俺が何を言うべきか考えていると、
「しないんですか? 肩車」
「あ、ああ、そういうことね」
どうやら床を見ていたのは、さっさとしゃがめということだったらしい。
膝を曲げると、後輩ちゃんは俺の首を足ではさみこむように上に乗ってきた。
万全の状態であることを確認し、ゆっくりと立ち上がっていく。
後輩ちゃんはかなり小柄なはずだが、人ひとり乗せると熱がある日のように体が重くなり、思うように動かない。二、三度バランスを崩しそうになりながらも、なんとか直立した。
「先輩さん、もうちょっと右にお願いします」
その時ちょうど、本の壁に反射した声が聞こえてきて、右にずれる。
上を向くが、後輩ちゃんの顔は確認できなかった。その手前にある、丸みを帯びたMのような形をしている陰に遮られて。
後輩ちゃんの制服は小さな体躯に似合わずかなり大きい。
どうやら身長が小さいのを気にしていたらしく「三年間での自分の成長に期待して」と後輩ちゃんは言っていたが、大きすぎてスカートの必要性を感じないくらいに大きいものだ。そんなシャツを着ていると、たとえシャツ裾をスカートの中にインしていても、体のラインはあまり浮き出ない。
故に、今まで後輩ちゃんの胸の大きさを気にしたことはほとんどなかったのだが、今日の後輩ちゃんは私服だ。自分の大きさに見合った服を着ている。するとどうなるか。当然、体に反比例するように育った胸部は、不自然に強調される。見上げるかたちになれば、特に。
掃除機……いや、それこそブラックホールのように俺の視線を吸い取っていく二つの富士山を発情期かと自分でつっこみたくなるほどに眺めていると、目当ての本を取り出した後輩ちゃんを下ろした後に死ぬほど怒られた。