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後輩とデート 其の四

 ドクンドクン、と心臓の音がうるさいくらいに聞こえてくる。


「せんぱいさん……」


 後輩ちゃんは俺の首の後ろに手を回し、胡乱げな瞳で見つめてきた。

 甘い香りが、鼻の前を通り過ぎる。

 後輩ちゃんはふふっと可愛らしく笑って、尻尾をゆらゆらと左右に振っているまっすぐ伸ばし、先の方だけをくねくねと動かした。

 どうやら、またサキュバス化してしまったらしい……それも、こんなにも人が多いショッピングモールの中で。

 さすがに見られたらまずいので、早々にどこかに隠れねば、と近くにあったトイレに、それも男子トイレに逃げ込んだのだが、完全に失敗だった。

 個室という名の通り、一人で入ることを前提に作られた部屋は、二人で入るには無理がある広さで、先ほどから胸とかお腹とか胸とか足とか胸とかがくっついててそろそろやばい。何がやばいかって言うと理性がほんとやばい。あやうくここで大人の階段を登ってしまいそうになるくらいにはやばい。

 耐えねば……この間もギリッギリ耐えたのだから今回も耐えねば……耐えねばならぬ……。

 必死に言い聞かせ、可能な限り後輩ちゃんのことを頭から外そうとする。


「後輩ちゃん、もうちょっと離れて……」


 彼女の後ろにはもう少しスペースがあるので言ってみるが、まだなんとかギリギリ保っている俺とは違って、サキュバス化して正常な判断が出来ていない後輩ちゃんには届くはずもなく「えー?」と蠱惑に耳元でささやき、


「本当は、もっと近づきたいんじゃないですか……?」


 煽るような生暖かい吐息が首筋を撫で、心臓の音が一段と大きくなった。

 もう諦めて楽になってしまえばいいのではないかという気持ちと、体こそ後輩ちゃんのものだがまったく別人のように思える目の前の少女に流されてしまっていいのか、という思いに悩みに悩み、その末に後輩ちゃんに向けて一歩近づきかけた、その時、


「──でさ~」


 もう半歩で距離がゼロになるという距離まで来たところで聞こえてきた声に、引きずり込まれかけていた意識が再び俺のもとへ戻ってきた。

 話し声が聞こえてくることから、多分二人組の男だろう。

 ……いやこれ普通にやばくね?男子トイレに女の子と二人でいるって、バレたらかなりやばくね?……なによりやばいのが、後輩ちゃんが何をしでかすか分からないということだ。もちろんこのまま二人が出ていくまで静かにしていてくれる可能性もあるが、もしかしたら今ここで大声で叫びだすこともあるかもしれない。今の彼女に理性なんてものは存在しない。欲のままに、性欲ままに生きているだけの存在だ。その行動を読むことなんてできるはずがなかった。

 どころか、後輩ちゃんがサキュバスであることを考えると──より多くの性欲を吸収することを目的としているのだとすると、外の二人にわざと気づかれるような行動を取るというのは、十分にあり得ることだ。むしろかなりの高確率と言える。

 もしそうなったら。なってしまったら。

 想像するだけで、吐き気がした。

 例えそれが、サキュバス化した後輩ちゃんが望んだことでも。

 俺は後輩ちゃんの口に手をあて、声を漏らせないように塞ぐ。

 後輩ちゃんは少し驚いたような表情をして、軽く腕をばたばたさせたが、次第に動きを止め、うっとりとした表情で俺を見ていた。その恍惚とした表情と、手が口に密着しているという状況、手の平に感じる生暖かい液体、吐息に俺の心臓は早鐘を打つようにばくばくと唸った。

 二人の声が聞こえなくなるまでそのままやり過ごし、トイレ内が無音になってから数秒待って、俺は後輩ちゃんの口から手を離す。

 どうやら少し息が苦しかったようで、後輩ちゃんは

「ぷはっ」と息を吸い、俺を緩く睨んできた。


「……いきなり何するんですか」

「あれ? いつもの後輩ちゃんに戻ってる?」


 角は生えたままだし、尻尾だってついている。見た目はサキュバスのままだったが、今の口調は間違いなく後輩ちゃんのものだった。明らかに先ほどとは雰囲気が違う。


「さっきまでのアレ……性欲爆発っていうんですけど、一時的なものでしばらくしたらちゃんと元に戻ります」


 あまり思い出したくない過去なのか、後輩ちゃんは恥ずかしそうに目線を逸らした。

「性欲爆発ってなんなの?」

 だがあえて俺は切り込んでいく。だって可愛いから。照れてるの。


「……サキュバスって性欲がないと生きていけないんですけど、性欲がありすぎてもだめなんですよね。魅力的な体でないといけないとかで、必要以上の性欲は自然と発散されていくんです。それで、急激に性欲がたまりすぎて、すぐにでも発散しないといけなくなった時に起こるのが性欲爆発ってことですね」

「なるほどな……ん?急激に性欲がたまって?」


 後輩ちゃんの首筋に、たらりと汗が光った。


「わ、私の場合はサキュバスになりたてで、体が順応してないとかそんなんですよ、多分!」

「お、おう、そうか……」


 視線を左腕につけた腕時計へと落とし、時刻を確認する。午後七時四十分。


「後輩ちゃん、朝の何時に薬飲んだんだっけ?」

「えっと、八時ごろですね」

「あと二十分か……」


 この狭い空間に、もうしばらく美少女と二人っきり。

 幸せなような、苦しいような、無限に近い時間だった。

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