後輩と図書委員 其の一
教室は俺にとって、小説を書く場所である。
たった十分間の休み時間、俺は毎度毎度ノートパソコンを開いては小説を書いている。教室のこの喧噪が集中するのにちょうど良いらしく、俺は完全に自分の世界に閉じこもって、今は昨日後輩ちゃんに頼まれたエロ小説に向き合っている。
俺の席が窓際でよかった。もしも席が教室のド真ん中だったとしたら、クラスメイトに画面を見られて学校から退場になるところだった。集中してると誰かが近づいても気づけないし。
しかし、エロという慣れない題材を扱っているからか、今日はあまり筆のノリが良くない。先ほどから何度も指が止まり、頭も真っ白になってしまう。
……ここで主人公は何を思って、ヒロインの肩に振れたのか。なぜヒロインは主人公に抱かれたのか。
性行為はおろか、男女交際の経験すらない俺には何もかもが奇怪なものに思えて、想像で書こうにも想像しきれず、なんだか自分の紡ぐソレがとてもチープに見えてしまって、ついには筆がぴたりと止まってしまった。
引き受けるべきではなかったのかもしれない。今さらのようにそうまで思い始めた。
俺のような、趣味で小説を書いているだけのやつが、出来もしないことを受け入れるのは愚行だったのかもしれない。
両親のような才能のない俺には、無理だったのかもしれない。
けれど書いていて、すごくムラムラはする。
だってヒロイン可愛いんだもん。可愛い子が迫ってくるんだもん。付き合ってもないのに。男の夢をそのまま映し出したかのようなヒロインが可愛くないわけないじゃない。
しかも主人公はヒロインに対してだけめちゃくちゃ紳士だし。自然と道路側を歩いてるし気がついたら荷物持ってくれてるし。時々見せる優しさが胸にズキュンと矢をさしてくる。俺は異性愛者だが、それでもキュンキュンしてしまうくらいには、良い主人公が書けている気がする。
描写は拙いし(特に濡れ場)、ストーリー展開も強引だが(特に序盤)、キャラクターだけはそこそこのものが書けている。気がする。多分。恐らく。きっと。
それを思うと、自信はないが、確信は持てないが、けれど少しだけ、自分にでも出来る気がしてきた。
「ふ~づ~き~!」
一人パソコンに向かってうむうむ唸っていると、突然自分の名前が叫ばれ、その瞬間に後ろから思い切り肩を叩かれた。
「……今、めちゃくちゃ集中できてたんだけど。それを途切れさせるだけの理由があるんだろうな、?」
振り返り、唐突な暴力に半分ほど嘘を交えて訴えると、校則に触れない範囲で髪を明るくした、見るからに陽キャな女が俺を見下ろしていた。
「話しかけただけって言ったら、怒る?」
クラスメイトの一人――佐島 夏未は手をぷらぷらと振りながらへらへらと笑う。
「怒りまではしないが、俺の中でのお前の好感度が百下がる」
「……ちなみに元の好感度は?」
「十くらい?」
「下がり方が酷くない!?」
「それくらい俺の邪魔をした罪は重いってことだ」
夏未は呆れたようにため息を吐いた。
「てかあんた、何時まで小説書いてんのよ」
「何時までって、そりゃ休み時間が終わるまでだけど」
夏未はもう一度ため息を吐く。今度は明らかに、呆れながら。
「次、移動教室だけど?」
「あ……」
完全に忘れていた。
「あたしに感謝した方がいいんじゃない?」
「……何が」
「あたしがわざわざ声をかけてあげなかったら、あんた絶対に授業遅れてたじゃん」
「……アリガトウゴザイマシタ」
「気持ちがこもってないなー」
「ありがとうございました!」
いちいち恩着せがましいやつだ……助かったのはその通りなので素直にお礼は言っておくが。
夏未のおかげでなんとか移動教室には間に合いそうだ。とは言っても、教室での無駄なやり取りのせいで時間はさらに圧迫されているので、早歩きをしなければならないのだが。まあ走るとかいう無駄に疲れる人類史上最も愚かな行為をしなくていいというだけ良しとしよう。
と、適当な話をしながら歩いていると、廊下の角を曲がったところで、見慣れた銀髪とぶつかりそうになった。
「っお」
「あっ」
ぱちくりと一度、瞬きをする。
再び光の戻った先にいたのは、やはり後輩ちゃんだった。
「移動教室ですか?」
「ああ。後輩ちゃんも?」
後輩ちゃんはこくりと首を縦に振った。胸元に抱えているPCがなんたらと書かれている教科書を見たところ、情報の授業だろうか。
きょろきょろとあたりを見渡しても、後輩ちゃんのクラスメイトらしき姿はどこにもない。聞いてはいたが、どうやら本当に後輩ちゃんはクラスに友人と呼べる存在がいないらしい。
後輩ちゃんに視線を戻し、初めて、その姿に違和感を抱く。
「後輩ちゃん、角とかどうしたの?」
隣にいる夏未に聞こえないように耳打ちでそう聞いた。
今までこの姿を見慣れていたのですぐには気づかなかったが、昨日の放課後、図書室でにょきにょきと生えてきた角が、どこにも見当たらなかった。
俺のノートパソコンには後輩ちゃんに頼まれたエロい小説のデータが入っているし、よもや昨日のことが丸々夢だったということはないだろう。
「ああ、お母さんにお薬をもらったんですよ」
「薬?」
「なんでも、サキュバスが人間に馴染んで生きていけるように開発された、角とか尻尾とかの、外見的特徴を消せる薬なんだとか」
「へえ、そりゃ便利だ」
「でも、12時間しか持ちませんし、一定量を超えるを感じると効果が切れてしまうらしいんですよね」
「へぇ、そりゃ大変だ……」
後輩ちゃんのような整った容姿から『性欲』とかの単語が出てくると、とても心臓に悪い。昨日はもっと激しかったけれども。何度聞いても、慣れないものは慣れない。
後輩ちゃんから顔を離すと、隣から変な視線を感じた。
「ねえ文月……あんたその子と知り合いなの……?」
「ん? ああ、そうだけど?」
夏未はすぅと息を吸いこんで。
「なにこの子めちゃくちゃ可愛いんですけど!!」
鼓膜が破れるんじゃないかというほどの声で、夏未は叫んだ。
「おいどうした急に……」
「だって! こんな全人類の理想をそのまま映したようなウルトラ美少女がいたら誰でもこうなるでしょ!」
「ならねぇよ……」
気持ちは分からんでもないが。後輩ちゃんの容姿が人間離れしたレベルで整っているというのは否定のしようがない事実だし。
夏未はじりじりと後輩ちゃんに詰め寄っていき、後輩ちゃんはそれに合わせて一歩一歩後ずさりしていくが、ついには壁際まで追い詰められてしまい、手をがしっと掴まれた。
「ひっ!」
後輩ちゃんは黒板を爪で引っ掻いた時のような声を出したが、夏未は気にする様子もなくさらに距離を詰めていく。顔を赤くし、息も荒い夏未に、後輩ちゃんは恐怖に顔をゆがめている。けれど夏未はそれに気づかず、さらに迫っていき――
「そこまでにしとけ、バカ」
さすがに止めた方がいいかと思い、抱えていた教科書で夏未の頭を引っぱたいた。
「いったぁ~……」
夏未は俺が叩いた後頭部を抑えながら睨んでくるが、俺は無視して後輩ちゃんに向き直った。
「悪いな、迷惑かけて」
後輩ちゃんに近づこうとする夏未の襟を掴み、暴れ牛ならぬ暴れJKを食い止めていると、鐘の音が聞こえてきた。
「…………」
冷淡な音が廊下に響いて、俺は思わずため息をこぼした。
結局、走らなきゃなのな……。