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2、麗しき人魚姫の中の人と海の魔女 1

 

 

 

 だがしかし。

 現実は甘く無いようだ。

 いや、これが強制力というやつなのだろうか。


「ぐふっ!ま、魔女殿・・・」

「ウィッチです。ウィッチ。その「まじょ」というのは止めていただけませんか?」


 語尾にクエスチョンマークがついているにもかかわらず、絶対的な命令感を出し、ついでに手元を凝視したままこちらへ視線を向ける素振りさえ無い彼女こそが、かの有名な「海の魔女ウィッチ」殿である。

 残念ながらそんな放置プレイに快感を覚える性癖を持ち合わせてはいないので、私は彼女の家の玄関へ這いつくばったまま、さっさと本題を切り出した。


「こ、これと「宮廷内で即戦力・現場力が身に付く会話本 決定版!」の・・・交換を・・・」


 血まみれの手で交換品を差し出せば、その品へ興味を惹かれたらしい魔女殿が、やっとこちらを向いてくれた。そして瞬時に彼女の形いい眉が跳ね上がった。

 明らかに怒りを現している表情の彼女が、珍しい事に薬の調合を中断して、こちらへドカドカと走り寄って来る。


 調合の中断も、音を立てて、さらに走ってくることも。普段の根暗―――いや、オタク―――いやいや、上品・・・そう!上品で大人しく、研究熱心な彼女ならばありえないことだ。きっと玄関を私の血で汚したことに、腹を立てているのだろう。

 そこかしこに物が溢れている彼女の家だが、彼女が言うにはきちんと整理されているうえに、まじないにより清潔に保たれているのだそうな。薬の調合を行うには必須なのだと。


 確かに素人考えでも、不潔な場所で薬を調合するなど有り得ないな。何か余計なものが混じって、効能へ影響が出てしまう気がする。


 走り寄って来てすぐ私の側へしゃがみ込んだ魔女殿は、私が捧げ持っていた物を取り上げて、作業台へ向かって無造作に放り投げた。そして問答無用で私の全身を改め始めた。


「いっ!ま、魔女殿!少し力を抜いていただけないか?」

「貴女!馬鹿ですか?!確かに私はサメの尾びれが欲しいと言いましたよ!でも、そこらにいる小型のものでよかったのに!これ!ホオジロザメの尾びれじゃないですか!しかもまた!王族の!しかも第1王位継承者がなんでまた、狩に参加した挙句に怪我までしているんですか?!」


 魔女殿は人間だ。だから彼女の家はドーム状の泡の中に建てられている。つまり陸地と同じ条件であり、もちろん水中では無いのだから浮力なんてない。

 人魚の女性としてはやや全長が長い方である私は、当然ながらそれなりの重量がある。そんな私を魔女殿は引きこもり女子とは思えない力で仰向けにし、胸元に走る傷に一瞬怯みはしたものの、すぐに立ち直って私の尾びれまでを視診した。


 しまった。

 ここを訪れる時は、ショール等で胸元を覆うように言われていたのだった。対価を手に入れたことに舞い上がって、普段のまま・・・つまり全裸で来てしまったよ。


 今更ではあるが、しないよりはマシかと手ブラ状態にして、人族青少年健全育成的にモザイク推奨部位を隠してみる。柔らかい部分が手のひらからはみ出ているのは目をつむって欲しい。

 これで問題なかろうと言う意味を込めて魔女殿をキリッと真顔で見つめてみたら、なんとも微妙な顔をされた。そして私の手を邪魔そうにしながら、それでも退かす事無くのぞき込むようにして傷を診察し始めたので、即座にバンザイをして手ブラを解除した。

 全裸が標準デフォの人魚に、人間たちのような胸を晒す羞恥心など皆無なのだ。それに診察を恥ずかしがる患者など、治療しごとをする側にとっては邪魔なだけだ。


「大丈夫。心配ない。人魚は丈夫なんだ。こんな傷くらい、すぐに治ってしまうよ」


 人魚の体は人と比べると、かなり頑丈に出来ている。

 それをいいことに、シアの秘密基地であった沈没船へ住み着いたサメを単独かつ物理で仕留めてきたわけなのだが、ここは黙っておいた方がよさそうだ。「宮廷内で即戦力・現場力が身に付く会話本 決定版!」の対価として彼女が欲したサメの尾びれを手入れつつ、ホオジロザメに怯えることなく金貨を回収できるようになるのなら、一石二鳥だと思ったのだ。

 難なく奴を戦闘不能にできたことに油断して、最期の悪あがきの際に鋭い歯が胸元をかすめて切り傷を作ってしまったのは、手痛い失態だった。主に目立つ位置に傷があるという意味で。

 だって3日もすれば跡形もなくなるのだ。そう心配する必要は無い。


 信じられない事に、人魚の体は例え千切れてしまったとしても、本体が無事でさえあれば傷が治ってしまう。海の神ポセイドーンの眷族ではないかという説も、あながち嘘ではないのかもしれない。

 ただし痛みがない訳では無いし、病気はまた別ものである。


 魔女殿はその痛みを和らげたり、病気を治す薬を調合してくれる存在として、人魚たちの間でも親しまれている。

 童話にありがちな悪い魔女を想像していた私としては、拍子抜けだ。謎の粉と液体を混ぜた上で、毒々しい色のそれを味見して、「うまい!」とか言いそうな感じでもなかった。


 なんと!

 魔女殿は!

 ただそこで息をしているだけなのに、その吐息が桃色に見える程の色気全開な妖艶美女だったのだ!


 長いまつ毛に縁取られたタレ目がちで大きな瞳は、果てなく深い海溝より黒く、澄んでいて、その上を飾る眉が細く美しい三日月のようなカーブを描き。すっと通った鼻梁、その下の小ぶりで紅い唇はぽってりと色気を強調。ややシャープなラインの小顔を取り巻く黒髪は軽くうねり、星が煌めく夜の波間の様に艶やかで。

 がっつりエロエロオーラ標準装備な魔女殿が着れば、いつも纏っている体の線が不明瞭なぼさっとした黒のローブでさえも、洗練されたドレスに見えてしまう。


 そんな妖艶な魔女殿は非常にもったいないのだが、いつも美貌を隠すように目深にフードを被り、日がな1日研究に没頭している。噂では、陸地のしがらみに飽きた人間であると聞いた。

 今年、20歳になった私が興味を持つ前から街の外れ、海藻が群生する日中でも薄暗い海底に、いつの間にか住んでいたというけれど。見た目アラサーな彼女は本当のところ、何歳いくつなのだろうか。


 そこを動かないように、と陸地では身軽に動けない私へ言い放った魔女殿が、ガシャガシャと乱暴に作業台の上のものを端へ寄せ、何やら調合を始めた。これも普段は神経質―――いや、繊細な彼女にしては珍しい動作なのだが、指摘してもやぶ蛇にしかならないので沈黙を保つ。


 今でこそ感情豊かであるが、初めて会った時の彼女は目深にフードを被り、目を合わせるどころか顔を上げることもなく、ぼそぼそとささやくような声で最低限の事しか話さない、前世の言葉で言うところの「コミュ障」というのがふさわしい態度だった。

 他の人魚たちへは今もそうだというのだから、徐々に打ち解けられているのだと思いたい。


 一体、何が他の人魚たちと違ったのかというとやはり、2度目に会った時が原因なのだろうな。

 私は今、珊瑚も恥じらう20歳。デメテレーシアは成人まで1年を切った14歳であるから、もう5年も前になるのか。


 その時の私は、5歳のデメテレーシアがいだいてしまった人間への興味を、淡いうちに捨てさせよう!と思いついたままに計画し、それに従ってデメテレーシアへ人間世界での常識や宮廷作法をみっちり、4年間かけて教え込んだところだった。

 心を鬼にして、まるで新人をいびるお局様の様に可愛いデメテレーシアへ接してきたのだ。

 だだし、洞窟内に限る。


 前世の記憶を掘り起こしたテーブルマナー等の作法をデメテレーシアへ叩き込み、「ほらほら、その程度かい?!」的な挑発をして彼女のやる気を砕こうとし、それでもがっちり食いついてきてしまった結果。


 陸地で芸をするアシカの様に、尾びれで立ち上がる訓練なんてものもしてみたのだ。ついでにスクワットを楽にこなせるレベルに至るまで。

 これが意外につらく厳しいもので、デメテレーシアどころか教える側であるはずの私も習得に至るまで苦労した。


 だって陸地というものは、重力の影響があって当たり前の場所なのだ。海中の浮力に頼り切って生活している人魚が、容易に抗えるはずもない。とはいえ、普段から水流に逆らって泳いだりしているのだから筋肉が無いわけではないよ。ただ、立ち上がるにあたって必要な部分の、必要なだけの筋肉と、筋力が足りなかっただけだ。

 前世の記憶のまま、岩の上でおもむろに立ち上がろうとした初日の、あの刺すような痛みを私は忘れない。もちろん立つどころか、しゃがんでいるだけでも辛かった。

 体重を支えるには、尾の筋力が全く足りなかったのだ。


 そんなわけで海中での筋トレ、半身海中での筋トレを経て、ついに立ち上がった時の感動といったら、もう!

 クラ―――違った。ディアドラが立った!と自画自賛しながら、真珠の涙を流す程のものだった。

 

 しかしデメテレーシアはそんなツライ起立訓練にも、100スクワットにも。しっかり、一度も音を上げることなく付いてきてしまったのだ。


 困り果てた私は考えて、考えて、考えた果てに思いついた。


「そうだ。読み書きを教えてみよう」


 実は、人魚には文字が無い。

 だってそもそも海中で生活しているのだから、筆記用具なんてものが存在しないのだよ。

 その代わりというか、彫り物は得意なので、歴史上の重要な事なんかは彫刻画として残されている。とはいえ人魚は長命な上にのんびりした種族なので、争いごとが少なく、彫刻がとして残されている国の歴史も、これ神話だよねレベルの物がほとんどである。


 だがしかし(再)。

 決めたはいいが、すぐに計画が暗礁に乗り上げた。


 私たちが住むのは海中。先程も言ったが、筆記用具なんて存在しないし、陸上の物を使おうにも紙どころか羊皮紙でさえふやけてしまう。インクなんて論外だ。

 以上の理由で本なんて物も存在できない。

 困った。前世の知識に言語もある。しかしこの世界の言語が同じだとも限らない。

 悩んだ私は、第1王位継承者という職権を乱用して教師や学者なんかにも聞いて回ったが、人間が使う文字に興味を持った者自体がいなかった。本も手紙も海中では溶けてしまうし、インクもにじんでしまって読めたものではないのだから、当然と言えば当然か。


 そんな時、ふと「海の魔女」の存在を思い出したのだ。

 そして思いついたが吉日と、魔女殿の家を訪ねた。


「4日後、地上・・・買い出しに・・・そのついで・・・仕入れて・・・対価・・・棘のある白い巻貝・・・用意・・・日後・・・受け取り・・・」

「承知した」


 魔女殿との取引は通常、窓から行う。何故なら唯一、そこだけが海中に直接、接しているからだ。陸地では上手く動けない人魚が、魔女殿の家を覆う空気のドーム内にわざわざ入り込むことはしない。

 初対面の時は私もその例にもれず、窓をノックし、現れた魔女殿と交渉したわけだ。


 5日後。

 実は魔女殿の言った受け取り指定日が聞き取れなかったのだが、早く欲しいし、買い出し翌日で構わないだろう、と。私は「初めての読み聞かせに適した本」の対価である、棘のある白い巻貝を持参し、再び魔女殿の家を訪れた。

 しかしいくら窓をノックすれども反応が無い。人の気配はあるというのに。


 途方に暮れた私は魔女殿の家の周りをぐるりと1周泳ぎ、そして玄関扉に呼び鈴が付いているのを見つけた。人が訪れることのできない海底の家に玄関がついているのはとても奇妙だったが、すぐにここから家主である魔女殿が出入りしているのだろうと思い立った。まあ、私が住んでいるわけでもないので、理由なんてどうだっていいし、な。

 そんなことを何と無く考えながら早速、空気のドーム内へ侵入し、呼び鈴へと手を伸ばす。

 しかし何度鳴らそうとも反応が無かった。


 どうしたものかと、何気なく玄関横の窓から中を覗き見た私は、床に倒れ伏す魔女殿を発見!反射的に扉を押し開けようとした。

 鍵、または魔法で封印されていると思われた扉は、予想に反してすんなり開き。多少唖然としながらも、私は不用心にも鍵が開いていた扉から家の中へ侵入し、魔女殿へ飛びついた。


「おい!大丈夫か?!」


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