母は強し
それでも、なんとなくハルトムートが弱っていそうな気配を感じ、ミナは両手を彼の背中に回す。
(まあ、仕方ない。ハルトムートは、まだ十一歳なんやもんな)
そう思いヨシヨシと撫でてやった。
「…………ここまでやっても、まったく意識されないのは、どうなんだ?」
ハルトムートが低い声で恨めしげに呟く。
「ああ、まあそこは同情するけれど……くっつきすぎだから!!」
近寄ってきたアウレリウスが、ペリッ! と、ミナからハルトムートを引き離した。
「お兄さま?」
「いろいろ思いはあるだろうけれど、まずはこの招待状だ。――――受けるの? 受けないの?」
ムスッとするハルトムートと、コテンと首を傾げたミナに、アウレリウスは聞いてくる。
「…………断るという選択肢はあるんですか?」
頭の隅に、有名な某落語家のCMを思い出しながらミナは質問する。
アウレリウスは「困ったな」と言って、苦笑した。
「もちろんそんなものはないよ。ただ、“断る”ことはできなくとも“行かない”という選択肢を選ぶことはできるからね。……いくら陛下でも、高熱で伏せっている子供をムリヤリ参加させることなんてできないだろう?」
要は仮病を使うということだ。
兄の提案に、ミナはポン!と両手を打ち合わせる。
「そうか! その手がありましたね。――――どうしますハルトムート。行く? 行かない?」
ミナは、楽しそうにそう聞いた。
ミナとしては、正直どちらでもかまわない。
図々しい招待など無いものとしてしまってもかまわないし、しおらしく従うふりをして厚顔無恥な顔を見に行ってやるのも一興だ。
(そういえば、あたしって実際に国王陛下に会ったことってなかったのよね)
王妃の方は、母が従妹であるため、何度か私的なお茶会に招かれて会ったことがある。ハルトムートが闇属性だとわかる前の、要はお見合い目的のお茶会で、肝心のハルトムートからは逃げまくられていたものだ。
(綺麗で優しそうな方だったけど)
王妃は、歴史のある侯爵家の出身で、教養も高く魔力も水属性でかなり強いと聞いている。
(これぞ貴婦人! って感じの女性やったんよね。……まあ、お見合いが嫌で逃げ回るハルトムートを諫めきれんかったところで、母親としてどうなんや? って思ったことはあったんやけど)
王家に普通の家族関係を求めるのは間違っているのかもしれない。
帝王学の名の下に、知識や礼儀作法をハルトムートに教えるのは専門の教育者の仕事で、王妃の責ではない。ハルトムートがわがままに育ったからといって、王妃を非難するのはお門違いなのだろう。
(でも、親は子の鏡って言うやないか? 少なくともまったく責任ないってわけにはいかんやろ?)
ハルトムートが闇属性とわかり、王宮から離れることになったときも、王妃はただ泣くばかりだったと、ヴィルヘルミナの母は言っていた。気持ちはわからなくもないのだが、泣き暮らすくらいなら、自分もハルトムートと一緒に城を出るくらいの気概を見せろ! とミナは言いたい。
(……っていうか、あたしやったら絶対そうする!)
たしかに、王妃はショックだっただろう。しかし、ハルトムートは、もっとショックだったのだ。王妃としての義務を背負う母が、我が子と一緒に城を出ることなどできるはずもないのだろうが、数日――――いや、せめて数時間でも一緒に来ることは可能だったはず。
(自分の子、よそさんの家に預けて、頭を下げにこんなんて、ありえんやろう!?)
聖奈の母なら、間違いなくそう言って怒鳴りつける案件だ。正真正銘、大阪の“おかん”な母は、王妃だろうがなんだろうが遠慮なんてしないに違いない。
(こんこんと説教して、そんで最後に――――「世の中そういうもんなんやで! 知らんけど!」――――って、言うんやろうな)
前世の母を思い出したミナは、心の中でフフッと笑う。
さすがに、今のミナがそんなことを言えるはずもないが、多少の意趣返しなら許されるのではないだろうか?
(そうそう。あたしみたいな小さな子供が、王妃さまや国王さまの御前で緊張のあまりうっかり“失礼”しちゃうとか――――うんうん。十分ありえるし、許される範囲やわ)
ミナは、心の中でクツクツと笑う。
「ミナ…………また顔が魔王になっているよ」
アウレリウスが呆れたように注意してきた。
ミナは、慌てて顔に手を当てようとして――――思いとどまる。
「…………普通の顔のはずですわ」
ツンとして答えれば、ハルトムートが大きなため息をついた。
「――――招待を受けます」
やがてハルトムートは、そう返事する。
「いいのかい?」
「逃げてばかりでは、暴走されそうですからね」
「…………ああ。たしかに」
アウレリウスとハルトムートは、二人だけの会話でわかりあう。
ミナは、ちょっぴり面白くなかった。
(きっと暴走するっちゅうんは、あたしのことやろうし)
それでもハルトムートが行くと言うのなら、ミナも返事も決まっている。
「私も受けます」
聞いたアウレリウスとハルトムートは、顔を見合わせ苦笑した。
そこへ、違う声が聞こえてくる。
「ああ。よかった! きっとそうするだろうと思っていたのよ。デザイナーを呼んでおいて正解だったわ!」
うきうきと弾むような声は、ヴィルヘルミナの母のものだった。




