手は抜きません!
午後の最初の授業は、体育だった。
ラキセラ学園の体育は、単純な体力作りだけが目的ではなく、魔法剣士となるための訓練も兼ねている。
このため、進級して騎士学科に進むことを目指す者にとっては、どんな授業より気を抜けない大切な授業でもある。
(っちゅうても、あたしらは新入生やしな。剣術なんてまだまだ習わないんやけど)
今日の授業は、準備体操と体力測定のための持久走。
「これから三十分、各自、自分のペースで走ってもらう。早さや走った距離はそれほど気にすることはないぞ。どれだけ自分の力を把握しているか、そしてそれを上手く出せるかを今日は見させてもらうだけだからな。頑張りすぎる必要はないが、手を抜きすぎた奴は減点する」
大声で説明するのは、体育教師のノーランだ。
背が高く筋肉質な若い男性で、現役の魔法剣士だと自己紹介した。
(たしか、数年おきに騎士団から教師として派遣されてくるんよね。ノーランは二年目のはずやけど。……爽やか系なんに、案外えげつない技を使う教師で、稽古をつけてもらって、勝てると技が獲得できるんやなかったやろか?)
もちろんゲームの話である。
この世界のノーランがえげつない技を使うかどうかは、まだわからない。
そんなことを考えながらノーランを見ていると、何故か視線がバッチリ合ってしまった。
体育教師の派遣騎士は、胡散臭いほどに爽やかな笑顔を浮かべる。
ミナはギクリとしてしまった。
(え? まさか、えげつないとか考えていたことがわかったんか?)
「ヴィルヘルミナ、ちょっとこっちに来い」
そんなはずはないと思うのだが、何故かミナは呼ばれてしまう。
「……はい」
仕方ないので前に出た。
「お前はこれを着けて走るように」
そう言って渡されたのは、黒いアンクレットだ。
布製のもので、よくよく見れば同じ黒糸で複雑な文様が刺繍してある。
そして――――それは、何よりズシリと重かった!
ヒョイッと渡されたのだが、受け取った瞬間思わず落としそうになったくらいだ。
(ただの布がこんなに重いわけがないわよね? レヴィア、この文様に何かあるの?)
(ふむ。加重の魔法が描いてあるな。……あとは、魔法の抑制か。我やナハトの魔力を抑えきれるほどの力はないようだが)
確認すれば、優秀な妖精騎士は直ぐに教えてくれる。
「エストマン伯爵家の家庭教師は俺の昔の同僚でな。今度令嬢を教えることになったと言ったら、このくらいのものを着けさせないとクラス全体に“迷惑”がかかると忠告を受けたんだ」
爽やかな笑顔でノーランは「迷惑」と、はっきり言った。
――――そう言われれば、ミナは、家庭教師から『剣術の授業では、絶対本気をお出しにならないように!』と言われていたような気がする。
(あまりよく聞いていなかったんやけど――――『普通の青少年のやる気を著しく削ぐ』とか言っていたような?)
それで、ミナが実力を発揮できないように、こんな手段をノーランに勧めたのだろうか?
このアンクレットでハンデを与え、ミナの動きを鈍くする計画なのか?
しかし――――
「あれって、体力補強のアンクレットじゃないか?」
「エストマン伯爵令嬢は、儚げな風情でいらっしゃるからな」
「光属性で魔力が膨大でも、体は俺たちより小さな少女だものな」
ノーランの発言を聞いたクラスメートは、事実とはまるっきり逆の予想をコソコソと話していた。
(まあ、どうでもええけど)
とりあえず、教師から着けろと言われたものは着けないわけにはいかない。
そう思ったミナは、仕方なくアンクレットを足に着ける。
途端、体がズン! と重くなった。
(あまりダサくないのが、せめてもの救いよね)
(その程度の文様、我が力を持ってすれば一瞬で効果無効にできるぞ?)
(ニャー!)
内心ため息をつくミナに、レヴィアとナハトが言ってくる。
(止めて。そこまでしなくても、そんなに気にならないわ。……これで本気を出さないで普通に走ればいいんでしょう?)
とはいえ、普通の加減は難しい。
(どの程度が“普通”なのかしら?)
ミナは、内心首を傾げていた。
そんな彼女を、ハルトムートがすごい目で睨んでくる。
彼の視線は、他のクラスメートたちのような同情や羨むようなものではなく、心底悔しそうだ。
(……なんとなくだけど、ハルトムートは、このアンクレットの本当の目的をわかっていそうよね? ……それで、あたしだけハンデを課せられているのが面白くないみたい?)
負けず嫌いのハルトムートなら、そう思うのも十分ありそうだ。
ハルトムートの隣にいるルーノは、呆れ顔でミナを見ている。
そしてもう一人。
ハルトムートと同じ顔をして、ミナを睨んでくる生徒がいた。
――――言わずと知れたルージュである。
赤い髪の少女は、ギュッと唇を噛みしめて、本当に悔しそうだ。
(ルージュは、昨日の魔法の授業でも、私の魔力に驚いていたみたいだけど――――でも、昨日はここまで悔しそうじゃなかったわよね?)
そんな彼女の態度を、ミナは不思議に思う。
(魔法の才は、努力はもちろん必要だが、それよりも持って生まれた魔力に大きく左右されるからな。どんなに頑張っても強くなれない者がいる反面、大して努力しなくても強大な力を発揮できる者もいる)
ミナの疑問に、レヴィアが答えてくれた。
――――つまり、昨日のミナの力を、ルージュは努力よりも生まれつきのものだと思っていたのだろう。
だから、驚きはしてもそれを悔しく思うことがなかったのだ。
しかし、持久走は才能よりも努力がものを言う競技。
(もちろん持って生まれた才能が、“走る”という能力に違いをもたらすこともあるにはあるが――――それは努力を超えるほどのものではないからな。持久走にハンデを課せられるのならば、その者には努力の結果身につけた実力があると、普通は思うだろう)
ルージュは、ミナの努力と実力を認めたのだ。
そして、それに及ばない自分自身を悔しいと思っている。
(……だとすれば、ハンデはハンデとして受けるとして――――それ以外でわざと手を抜くわけにはいかないわよね?)
それは、あまりに相手に対し失礼というものだ。
そう思ったミナは、心の中で家庭教師に頭を下げる。
(――――全力で走ったる!)
ミナは、ギュッと拳を握った。
(当たり前だろう。そなたは我らの主なのだからな。たかが人間の子供風情にわざと負けるなど認めんぞ)
(ニャー)
レヴィアとナハトにもそう言われて、ミナは覚悟を決める。
頭を上げて、前を見た。
――――三十分後、ミナが学園始まって以来のぶっちぎりの結果を出したことは、言うまでもないことだった。




