挨拶をやりとげました!
このミナの作戦が功を奏し、ハルトムートとミナは無事新入生代表の挨拶をやり遂げた。
(途中一か所だけつっかえたけど、十歳やし、まああんなもんやろう)
もちろんつっかえたのはハルトムートだ。ミナへの怒りと対抗心に凝り固まり、挨拶を無事に言い終えることだけに集中したハルトムートは、一瞬つっかえたことでますます残りの挨拶を完璧にすることに集中し、観客なんてろくに気にもしなかった。
(終わった時のドヤ顔、可愛かったなぁ)
その場で捕まえてワシワシと頭を撫でくり回したかったが、なんとか堪えたミナだ。
挨拶は良かったのだが――――他の新入生や在校生、教職員の態度は、ミナが危惧した通りだった。
ハルトムートの姿を見た途端、顔をしかめる大人たち。
彼の隣に座った生徒は、椅子から落ちそうなほど端に腰かけハルトムートから距離を取る。
ひそひそと広がる声の中の「闇属性」「不吉」「穢れる」という言葉。
新入生代表としてハルトムートの名を呼ぶ際、教師は一瞬ためらった。
その後固い声で呼ばれた名に、講堂は不自然に静まりかえる。
息を潜めたような沈黙は、まるでハルトムートの名を皆が拒絶したかのよう――――
(子供は仕方ない。でも、なんや!? あの保護者と教職員の態度! あれがいい大人のすることか!)
全ての出来事にミナのはらわたは煮えくり返っていた。
今なら熱くなったはらわたでこのまま“もつ煮”ができるのではないかと思ってしまうほどだ。
(フム。それほどに気に入らぬのなら、いっそ全てを殲滅するか?)
(……グルルルル)
ミナの怒りに呼応して、胸のペンダントと足元の影から物騒な声が頭に直接聞こえてきた。
もちろん、レヴィアとナハトだ。
心情的には頷きたいミナだが、まさかそんなわけにもいかない。
彼女は深呼吸して心を落ち着けた。
さすがにこの場で騒動を起こすつもりはない。
憤懣やるかたないミナ。
しかし、彼女とは対照的に、渦中の人物であるハルトムートは今日の式に満足そうに見えた。
ミナからは少し遠い位置にいる彼は、迎えの侍従を待っているのか一人で立っている。
他の人々に距離を取られ周りに空間ができていたが、凛として立つ姿は堂々としていた。
彼が、あれほどピンと背筋を伸ばしていられるのは、新入生代表の挨拶がうまくできたからかもしれない。
自分を蔑む他の人間の態度には、一切目を向けていなかった。
あえて見ないのか、それとも周囲のそんな態度に慣れてしまったのかは、わからない。
(後者だったら切ないな)
ミナはギュッと唇を噛む。
入学式が終わり後は帰るだけ。
友達同士でまとまったり家族と合流したりと、新入生は三々五々に散らばっていく。
この中にいるはずのルーノやルージュと挨拶したい気持ちもあったのだが、ハルトムートの姿を見たミナは、その場を動くこともできずに立ちつくす。
なかなかやって来ないミナを探してくれたのだろう。兄のアウレリウスと両親がやってきた。
急用で遅れた両親も、式のはじまる寸前にはなんとか間に合って参列できたらしい。
「おめでとうヴィルヘルミナ。新入生代表の挨拶、立派だったわよ」
「さすが私のミナだ」
手放しで褒めてくれる両親は、美男美女のオシドリ夫婦だ。
エストマン伯爵は三十八歳。夫人は三十歳。
二人とも若々しくとても子持ちには見えない。
特に夫人はアウレリウスとミナと同じ金髪で女神のごとき美貌を誇っていた。結婚した今も社交界には、多くの信望者がいるという。
ミナの近くに寄った両親は、代わる代わるミナを抱きしめてくれた。
アウレリウスも嬉しそうに抱きしめてくる。
「頑張ったね。ミナ」
「ありがとうございます。お兄さま」
両親と兄の温かな愛に包まれ、ミナの心は喜びに満たされた。
同時にとてつもなく悲しくなってくる。
周囲にはミナ同様家族に囲まれ祝福を受けている新入生が大勢いた。
幸せな光景の中で、ロイヤルボックスとその周辺だけが空っぽだ。
最初から最後まで封鎖されたままのロイヤルボックスは、豪華であればあるほど寒々しく見える。
泣き出しそうになってしまいミナは慌ててうつむいた。
(せっかく祝ってくれているっちゅうに、こんな顔、絶対見せられへん)
そんなミナの頭を……伯爵がポンポンと撫でてくる。
「……お父さま?」
優しい父の手は、まるでミナの悲しみが、全てわかっているかのよう。
「本当にミナは優しい子だね。――――アウレリウスに聞いたよ。ハルトムートさまをわざと怒らせて、挨拶の練習をさせたんだって?」
ミナは驚いてアウレリウスの方を見た。
そういえば彼は一部始終を見ていたのだ。
優秀な伯爵家の長男はミナの意図に気づいていたらしい。
妹の視線を受けたアウレリウスは、小さく肩をすくめた。
「うまい方法だったよね。感心したよ。……ただ、あんまりミナが一生懸命になっているから、ちょっとハルトムートさまに嫉妬してしまったけど」
あの状況のどこに嫉妬できる要素があったのだろう?
(まさか、罵られて嬉しいとかいう性癖なん?)
いやいやアウレリウスに限ってそんなはずはないはずだ。違う違うとミナは心の中で首を横に振る。
そんなミナの顔をエストマン伯爵が覗き込んできた。麗しのご尊顔が間近に迫る。
「さあ、迎えに行こう」
ミナは「え?」と首を傾げた。
「迎えに?」
いったい誰を?
「そう。……王子さまをね」
伯爵はパチンと片目をつぶった。