天気予報
少しだけ期待していた、天気予報の晴マーク。前日のテレビの天気予報は、70%の降水確率出していた。100%ではない、残り少ない確率で晴れてくれないかと、淡い期待を抱いていた。だが結果は大方予想通りの天気が空を包む。大粒の雨が叩きつけるように地面に降り注ぎ、窓から見える道路にはいくつもの水溜りが完成している。
雨という天気は嫌いではない。むしろ雨が降る音を聴くのは好きだ。だがそれは自室でのんびり本を読んでいる時であって、外に出掛けるときは晴れた日に限るものだ。
透明のビニール傘を傘立てから引き出し、踵部分を踏んだ靴をしっかりと履く。玄関の扉を開けると、小学校低学年くらいの子ども逹がキラキラのランドセルを背負い、しっかり履いた長靴のおかげで水溜りもなんのそので駆けていく。
平日であるのに向かう先は学校ではない。別に自分が引きこもりである訳ではない。学校にはちゃんと行っているし、交友関係も良好・・・な筈だ。
今日は創立記念日であり、そもそも学校にいく必要がないのだ。
隣町へ向かうバスに乗り込むと、通勤、通学の為に乗車する人がチラホラいるが全ての座席が埋まるほど多くはない。なんとなく一番後ろから2番目の一人席に座る。一つ二つと交差点を抜けていき、目的地に近づく。座り心地がいいわけではないが、静かなバス内と、程よい五月蠅さを演出する外の雨音と車が通る音で眠気を誘われる。
少し目を瞑っていたらいつの間にか寝てしまっていたようだ。時計の針は15分ほど進んでおり、目的地まであと少しの場所まで近づいていた。
降車ボタンを押そうとするが既にボタンは点滅していた。自分以外の誰かも降りる様だった。バス停に止まり、バスを降りようとすると、前の方の座席に座っていた、自分より少し年齢が低いであろう女の子が立ち上がり、運賃を払ってバスを降りていく。自分もポケットに入れていた220円を料金箱に入れ、バスを降りる。
そこは少し山肌に近い場所で、周囲には木々が生い茂っている。再びビニール傘を開き、少し弱まったであろう雨を防ぐ。先に降りた女の子は、自分が向かう場所と同じ方向へと歩いていた。同じ目的で来たのだろうか。それは分からないが、後を追うように自分も足を踏み出す。
数百メートル歩道を歩き、右手に見える石の階段を登っていく。あまり段差のない階段を登りきると、眼前に数十の墓が並び立つ墓地が現れる。
今日ここに訪れた目的は祖父母の墓参りだ。普段は1か月に1回程、土日のどちらかに来て、お供えと墓の掃除に訪れる。学校が休みな事もあり平日ではあるが今月のお参りは今日に決めたというわけだ。
墓をたわしで磨き、お供え物を置いて、線香を立てる。自分は宗教や神というものを特段信じているわけではないが、この行為はしっかりとしていた方がいい、というより、していたいという思いがある。
死後骨を墓に入れ、参り、祈る。これは死者の為にすると言われているが、実際は違う。これは生きている人が、死者を忘れない為に。死者を思い続ける為の行為だ。その人を失った悲しみや苦しみという思いを鎮めるための儀式だ。
少なくとも自分はそう思う。
両手を合わせ合掌を行う。死後の世界、天国があるのかは分からないが、もしあるなら安らかに過ごしてくださいと祈る。一通りの所作を終え、帰ろうとする。すると視界の端に墓の色とは違った白い色の物体が動くのが見える。先ほど一緒にバスを降りた少女だ。
あの子も誰かの墓参りをしているのだろうか。それにしてもあんな小さな子が1人で墓参りをするのも珍しい。よっぽど大切で大好きだった人なのだろうか。
遠くから見える彼女の瞳はとても悲しそうな目をしていた。彼女もお参りが終わったらしく、墓地の出口であるこちらの方へ歩いてくる。
出口の階段でばったり向かい合ってしまう。
「こんにちは。一緒にバスを降りた方ですよね」
恐らく小学生高学年か中学生低学年か、それほど小さい子でありながら、とてもしっかりとした言葉遣いで、落ち着いた雰囲気で話しかけてきた。
「こんにちは。そうだね、さっきのバスで君がおりるのが見えたよ」
可愛い花柄の傘を差した少女は、先程の悲しそうな顔とは裏腹に、靡かせた長い黒髪の隙間から笑顔を見せながら対応してくれた。
「せっかくのお墓参りなのにこの雨は嫌ですね。あなたは誰のお参りに?」
「祖父母だよ。俺が小学生の時に亡くなったんだ。とっても優しくていろんな話をしてくれたから大好きだったんだ。今もこうして来れるときには来てるくらいにね」
階段を降りながら会話を続ける。
「君は誰のお参りに?」
別に返事を期待したわけでもない。自分も聞かれたから相手にも聞き返しただけだ。それでも聞いた事を少し後悔してしまう。彼女は今まで見せていた笑顔を少し崩して、再び悲しそうな目で前を向きながら口を開く。
「あのお墓・・・私のお兄ちゃんのお墓なんです」
驚き、その次には後悔と、少女の感情に共鳴するように悲しい気持ちが湧き出る。
あくまで笑顔のまま少女は話し続けてくれる。
「1年前、学校帰りの下校道に交通事故で亡くなったんです。とっても明るく、私にも優しく接してくれて、大好きだったお兄ちゃんでした。とっても好きだったから。死んでしまってからしばらくはずっと泣き続けてしまいました。塞ぎこんでしまってご飯も喉を通らなかったです」
淡々と辛い思い出を語ってくれる。それでも笑顔を完全に崩すことはない。
「でも、お兄ちゃんが生きてた時、いつも言ってたんです。辛いことがあっても負けるなって・・・。今でもお兄ちゃんが亡くなったことは悲しいですし、泣いてしまう事もあります。でもずっと悲しんでいたら天国にいるお兄ちゃんも悲しんでしまうって思うと泣いてばかりもいられないなって」
階段を降りきって、そこで立ち止まって話を続けていた少女は自分の顔の方に振り向いて、思いっきりの笑顔で呟く。
「だから私は負けないです」
強く。とても眩しい笑顔を向けてくる。悲しい思い出でも話したのは。誰の墓だと話を持ち出したのは、ひょっとしたらこの子が話したかったからかもしれない。自分が悲しいけど負けないという強さを見てほしかったからなのかもしれない。
それでも、そんな彼女を尊敬してしまう。自分より一回り歳の小さな女の子がここまで強い思いを持っている。
「もしお兄さんも、お兄さんのおじいさんやおばあさんが亡くなった事を悔やんでいたとしても、頑張って、無理やりにでも笑いましょう。最初は空元気でも、だんだん本当に元気が出てくるはずです」
「うん、ありがとう」
自分よりも年下の子に勇気をもらえた。悲しんでいるだけでは何も生まない。学校が休みだからと適当に決めた予定ではあったが、今日お墓参りに来てよかった。
いい出会いはどこであるのかも分からない。
バス停で帰りのバスを女の子と待つ。とりとめのない話をしながらバスを待つ。バスが来て、バスの中でも話を続ける。自分の降りるバス停について降りようとする。
「今日はありがとう」
少女の方を向きそう言い放つ。すると少女は
「こちらこそ、ありがとうございます」
と、またも笑顔で返してきた。
家に帰ってきてお供え物であった林檎をカバンからとりだす。真っ赤に熟れた林檎は夕食後にデザートとして食べることにしよう。
少しだけ期待していた、天気予報の晴マーク。それでも、雨でも心は晴れた気分だ。