Side:R ①
時はアルジダが霧の街に到着した直後にまで遡る─―――。
貧民街が霧に包まれて二週間。徐々にその範囲を拡大させる霧について対処すべく、眠る心臓は調査隊を結成した。
薬学の専門家、レディバード。
工学の天才、クラップ。
情報のスペシャリスト、ランベルト。
更に補助要員として、なんでも屋のスズナを入れた四名が先遣調査隊として派遣されることになった。
「そうです。もう一度、封鎖してない箇所があるかどうか確認をお願いします」
霧の街一歩手前。そこでは眠る心臓の構成員たちが、これ以上の被害を防ぐべく包囲網を作っていた。簡易な鉄柵で霧の街の周りを囲み、一般人が入れないようにした。
ランベルトはそこで眠る心臓の構成員に、とある指示を出していた。何しろ、先ほど既に霧の街に入っているレディバードから封鎖をかいくぐって侵入した人間がいると報告を受けたのだ。彼によれば、その人間は一区の神官とその従者らしい。
「おーい、ランベルト。そろそろ時間だ」
「すみません、クラップさん。今行きます」
トラックの前にいるのはいつもの作業服を着たギアーズの社長クラップと、黄色と緑の袴に身を包んだスズナ。
二人にせかされるようにしてランベルトはトラックへと乗り込む。
調査隊の三人を乗せたトラックは、その役目を果たすため、ゆっくりと霧の街へと飲まれていった。
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Side:Ramvert
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「狭いですね」
車内での沈黙を最初に破ったのはランベルトのそんな言葉だった。
クラップのトラックには運転席と助手席しか用意しておらず、元々三人乗るのは想定されていない。スズナがやや小柄とはいえ、大の男が2人乗ってる時点で満席なのだ。
「申し訳ないでござる。私がやはり荷台に移りましょうか」
「やめとけ。荷台にだって機材が積んであるし、得体のしれないところで外に出るのはなるべく控えた方がいいだろ」
席の後ろの僅かなスペースにいるスズナが伏せ顔で進言するが、クラップがあっさりと否定する。
ランベルトも誰かに出ていけと言ったわけはない。なんとなくぼやいてしまった言葉であるため、反応してしまったスズナに一言謝った。
「それにしても、くるまとは馬より速い乗り物と聞き及んでましたが、とらっくはそうでもないようですな」
スズナの言う通り、トラックはのろのろと街道を進んでいた。歩いたほうが早い、とまでは思わないが、スズナやランベルトの足なら走った方が早いのは確かだ。
「仕方ねえだろ。この霧の濃さじゃ、ろくに前が見えない。急に人が飛び出してきても、スピードを出してたんじゃ止まれないからな」
「そうですね。俺らだけなら徒歩という手段もありますが、機材を持っていかなければならない以上、遅くともトラックで移動するのがベストです」
クラップの意見に同調し、論理的に語るランベルト。
しかし彼とて、ただ暇を持て余すのも退屈であった。もう作戦区域に入ってるというのに、緊張感のない欠伸をひとつする。
これではいけないと思い、瞼をこすりながら、ジャケットのポケットから手帳を取り出した。
「どうせ時間があるのなら、俺らがやるべきことの確認をしときましょう。いいですかね?」
「もちろんでござる。任務の細かな把握は成功への第一歩」
「そうだな。俺もアリアちゃんからあんまし細かく聞けてないんだわ。よろしく頼む」
ふたりの了承を得ると、ランベルトは手帳を開いて目を通していく。
そこには先に潜入しているレディからの報告や、霧から難を逃れた住人の証言などの情報がびっしりと書き込まれていた。いくつかページをめくると、先ほど言ったto doリストが見つかる。
「やることは大まかに言って三つ。まず一つ目は作戦区域内での拠点の確保。不幸にも俺の店Gasseがが既に霧に飲み込まれてます。店内の罠は解除しておきますので、到着したら好きに使ってください」
「お前、店の中に罠があるのかよ……。とりあえず中も霧だらけだろ。持ってきたスーパー換気装置で、すぐに綺麗にしてやるぜ」
クラップが自信満々で後ろを見やる。トラックの荷台にはランべルトでも分からないような、ギアーズオリジナルの機械が積んであった。
クラップやギアーズの面々の腕は確かだ。家一軒程度の霧なら瞬く間に排気してくれるだろう。
「二つ目にレディ君との合流。といっても、これは……」
「そういえばレディ殿との連絡がつかなくなってしまったんでござるな」
スズナの言う通りだ。今朝方にレディから霧の街に一区の人間が侵入したという報告以来、彼からの連絡は完全に途絶えてしまった。もちろんこちらからの連絡もつながらない。
「言っておくが、無線機の故障じゃねえぞ。あいつが貧民街に入る前に俺が点検したからな。期間からして電池切れということもない」
「とすると、彼は何かに巻き込まれた可能性が高いですね。合流どころか、最悪レディ君は死んでいます」
「そんな最悪なんて考えるな。気が滅入る。あいつは誰かに襲われて、無線機を落としただけだ。そうだろ?」
クラップの言葉にランベルトは神妙な面持ちでうなずいた。
レディについてこれ以上言及するのはやめておいたが、最悪のケースは常に頭の中に抑えている。戦闘に自信がある自分自身でさえ無事に出られる保証はないのだ。技術者であるレディが誰かに襲われて、無線機だけを落として逃げた、などという可能性は低い。誰かの手助けでもない限り助からない。
それにレディが頼りにならないのならば、解決できるのは自分たちだけだ。
「最後に三つ目。霧の調査、及び解決。本来ならば、先にレディ君と情報を共有して行いたいところですが、それはほぼ不可能になりました。だから俺たちだけで進めようと思います」
「具体的に何をするんだ」
「生きている貧民街の住人への聞き込み。そしてそれと同時に、レディ君から連絡が途絶える前に頼まれていたアレを、俺とスズナちゃんの二人で街中に設置します」
ランベルトが荷台に積んである棒状の器具を指さす。
霧濃度観測装置。30センチほどの黒いプラスチックの棒の先端に赤い球体がついたもの。これを起動すれば、その地域の霧の濃さが分かる。
レディによれば街の霧の濃度には偏りがあり、それが計測できれば事件の解決の糸口になるとのこと。残念ながら、何故そうなるかの理由は話してくれなかったが。
「最後に事前にレディ君から言われた霧の街で注意することを話しておきます」
ランベルトは手帳のページをめくり、話を続ける。
「霧の街では精神が汚染されていくようです。住人たちは幻覚症状を起こしており、それは外部の人間も例外ではないです。また症状が進んでいくと、他人に危害を加えだす錯乱状態や眠りについたまま起きない昏倒状態に陥るそうです。現地ではそうなってしまった人間を『堕ちた』と呼称してるとか」
「私たちも既に汚染され始めているかもしれないのでござるか……」
「症状の進行度は人によりますが、霧の中で気絶してしまうと一気に加速してしまうそうです。錯乱した人間と戦闘になっても意識を失うことだけは絶対に避けてください」
寝る時も霧のない建物に避難してからと、ランベルトは付け加えた。
更に注意事項に関して説明しようとする彼は少しだけ眉をひそませる。
「ここから先はレディ君からの伝言です。……今回の事態は身体よりも心的負担の方が大きい。幻覚症状も人々のトラウマから起因している。先遣調査隊のメンバーはトラウマがない者から選出すること」
「……」
ランベルトが言い終わると同時に、スズナも彼同様に曇った顔になる。恐らくはふたりとも、トラウマに対して何かしらの心当たりがあるのだろう。
そんな渋い顔をするふたりをよそに、クラップは苛立った口調で話し始めた。
「ったく。相変わらずあいつは人の気持ちが分からねえ奴だな。トラウマのない人間なんているわけないだろ」
意外そうな顔でスズナとランベルトが見つめる中、クラップは舌打ちを交えて語る。
「人はみんなトラウマ抱えてるもんさ。今日どんなに笑顔で過ごしている人間も、どんなに冷静な現実主義者も、みんながそれなりの過去を歩んで生きている。レディは人の表面と要素しか見てないから分からないだろうがな。……大事なのはトラウマに勝つ勇気だ。スズナ達がどんなトラウマを持ってるかは知らないが、そこだけは信じてるぜ」
「クラップ殿……」
「まあ、レディのことも許してやってくれ。あいつもきっと同じなんだろうよ。過去をなかったことにして、冷徹な眠る心臓の部下レディバードを演じ切りたいんだろうな」
そういえばレディは組織の首領アリアに拾われた孤児だった。一度だけ断片的に話してくれたが、基本的に彼はあまり拾われる前のことを語ってくれない。それはきっと思い出したくないものだからだろう。
「そうやって逃げ続ける奴が一番危ないんだって、ちゃんと教えてやらないとな」
ハンドルを握るクラップの手の力がほんの僅かに強まる。
それと同時にトラックのスピードが少しだけ早まっていった。




