Side:A ⑧
アルジダが朦朧とする意識から脱したのは、見覚えのある建物に辿り着いてからだ。
「蟲屋……」
先ほど助けてくれたレディが経営している店。あてもなく逃げていたら、いつのまにか蟲屋の前に来ていたらしい。
「そういえば蟲屋は20番街の近くだったか」
蟲屋の中は霧もなくて安全だった。アルジダは目の輝きを取り戻して、店の扉に近づいていく。
幸いにも扉に鍵は掛かっておらず、店内に侵入者がいるわけでもないようだった。電気の点いている場所というだけで、不安がいくらか取り除かれる。
ほっとしたアルジダは胸をなでおろす。
「あれは……」
店内に入ってまずはじめに目についたのは、奥のカウンターに置かれたトランシーバーだった。
トランシーバーがあれば外部と連絡が取れる。もしかしたら救助を呼べるかもしれない。その願望にすがるようにして、アルジダは必死にトランシーバーに向かって呼びかけた。
「誰か聞こえないか! こちらは蟲屋から呼びかけている!」
誰に呼びかければいい。眠る心臓では曖昧すぎる。もっと具体的に名前を出さなければ無視されるかもしれない。
そんなことを考えるいると、ふと、ランベルトの言葉を思い出す。
調査員のレディやランベルト以外にも協力者がいたはずだ。なんでも屋ともう一人……。
「ギアーズ! ギアーズはいないのか!? 今、レディが大変なんだ!」
「……ああ、俺はギアーズだ。どうかしたのか」
トランシーバーから男の野太い声が聞こえてくる。思い出した単語が良い結果を招いてくれたみたいだ。
喜びながらアルジダは更にトランシーバーに話しかける。
「今、20番街でレディと霧の原因と思われる人物が戦闘中だ。どうか力を」
そこでぷっつりとアルジダは言葉を止めた。
ギアーズは人の名前なのか。なんらかの固有名詞、もしくは組織名の可能性はないのか。何故、このトランシーバーの向こうにいる相手は何の疑問もなく、自分をギアーズと名乗ったのだ。
それに何故使い方が分かりもしないのに、こうやって流暢に使えているのだ。こういう無線機があるのは知識として知っているが、使ったことはないはずだ。
そもそもこれは壊れてるのではなかったのか。
「おい、どうした。何かあったのか」
「……」
アルジダは無言でトランシーバーを裏返す。
外れていてくれという願いとは裏腹に現実は残酷だった。無線機の裏側は、未だちぎれた配線が飛び出したままで、明らかに壊れていた。
途端に、アルジダの脳内で様々な人の言葉がフラッシュバックする。
『厄介なのは区別がつかない時だ。なにしろ本人にすら自覚がない。いずれ現実と幻覚に矛盾が生じるだろうが、その時まで幻覚だと判断することができない』
『幻覚は個人の認識の具象化だ。つまり二人以上の人間があるモノを確認し同一だった場合、それは必ず正しい姿で見えているはずだ』
『君が気絶していた時にワガハイは再誕し、明星で再び目覚めた』
よろめいたアルジダはカウンターに手を着いた。
彼女の視界が歪んでいく。自分自身の現状に今、ようやく気付いたのだ。
「私は一体いつから――狂っていた」
トランシーバーから聞こえるはずのない優しい声が漏れてくる。
それはアルジダが心のどこかで求めていた声。
「アルジダ、平気なの。父も母も心配してます。どうか返事して」
「父親を頼りなさい、アルジダ。私がすぐに救い出してみせる。だからちゃんと私達の言うことを聞くんだ」
居るはずもなければ、言うはずもない言葉。狂気を受け入れてはならない。狂気に飲み込まれてはならない。これは自分が抱いた都合の良い幻影なのだから。
しかし、心身共に疲労したアルジダに、それを判断する能力は既になく。
諦めと共に瞼を閉じた。
(……言っただろう。いずれワガハイが必要になる時がくると)
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to be continued... → Side:Rambert
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