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アビスミスト  作者: Ten10
Side:Algida
8/37

Side:A ⑧



 アルジダが朦朧とする意識から脱したのは、見覚えのある建物に辿り着いてからだ。


「蟲屋……」


 先ほど助けてくれたレディが経営している店。あてもなく逃げていたら、いつのまにか蟲屋の前に来ていたらしい。


「そういえば蟲屋は20番街の近くだったか」


 蟲屋の中は霧もなくて安全だった。アルジダは目の輝きを取り戻して、店の扉に近づいていく。

 幸いにも扉に鍵は掛かっておらず、店内に侵入者がいるわけでもないようだった。電気の点いている場所というだけで、不安がいくらか取り除かれる。

 ほっとしたアルジダは胸をなでおろす。


「あれは……」


 店内に入ってまずはじめに目についたのは、奥のカウンターに置かれたトランシーバーだった。

 トランシーバーがあれば外部と連絡が取れる。もしかしたら救助を呼べるかもしれない。その願望にすがるようにして、アルジダは必死にトランシーバーに向かって呼びかけた。


「誰か聞こえないか! こちらは蟲屋から呼びかけている!」


 誰に呼びかければいい。眠る(ドルミート)心臓(・カルディア)では曖昧すぎる。もっと具体的に名前を出さなければ無視されるかもしれない。

 そんなことを考えるいると、ふと、ランベルトの言葉を思い出す。

 調査員のレディやランベルト以外にも協力者がいたはずだ。なんでも屋ともう一人……。


「ギアーズ! ギアーズはいないのか!? 今、レディが大変なんだ!」

「……ああ、俺はギアーズ(・・・・・・)だ。どうかしたのか」


 トランシーバーから男の野太い声が聞こえてくる。思い出した単語が良い結果を招いてくれたみたいだ。

 喜びながらアルジダは更にトランシーバーに話しかける。


「今、20番街でレディと霧の原因と思われる人物が戦闘中だ。どうか力を」


 そこでぷっつりとアルジダは言葉を止めた。

 ギアーズは人の名前なのか。なんらかの固有名詞、もしくは組織名の可能性はないのか。何故、このトランシーバーの向こうにいる相手は何の疑問もなく、自分をギアーズと名乗ったのだ。

 それに何故使い方が分かりもしないのに、こうやって流暢に使えているのだ。こういう無線機があるのは知識として知っているが、使ったことはないはずだ。

 そもそもこれは壊れてる(・・・・)のではなかったのか。


「おい、どうした。何かあったのか」

「……」


 アルジダは無言でトランシーバーを裏返す。

 外れていてくれという願いとは裏腹に現実は残酷だった。無線機の裏側は、未だちぎれた配線が飛び出したままで、明らかに壊れていた。

 途端に、アルジダの脳内で様々な人の言葉がフラッシュバックする。



『厄介なのは区別がつかない時だ。なにしろ本人にすら自覚がない。いずれ現実と幻覚に矛盾が生じるだろうが、その時まで幻覚だと判断することができない』


『幻覚は個人の認識の具象化だ。つまり二人以上の人間があるモノを確認し同一だった場合、それは必ず正しい姿で見えているはずだ』


『君が気絶していた時にワガハイは再誕し、明星で再び目覚めた』



 よろめいたアルジダはカウンターに手を着いた。

 彼女の視界が歪んでいく。自分自身の現状に今、ようやく気付いたのだ。


「私は一体いつから――狂っていた」


 トランシーバーから聞こえるはずのない優しい声が漏れてくる。

 それはアルジダが心のどこかで求めていた声。


「アルジダ、平気なの。父も母も心配してます。どうか返事して」

「父親を頼りなさい、アルジダ。私がすぐに救い出してみせる。だからちゃんと私達の言うことを聞くんだ」


 居るはずもなければ、言うはずもない言葉。狂気を受け入れてはならない。狂気に飲み込まれてはならない。これは自分が抱いた都合の良い幻影なのだから。

 しかし、心身共に疲労したアルジダに、それを判断する能力は既になく。

 諦めと共に瞼を閉じた。




(……言っただろう。いずれワガハイが必要になる時がくると)



――――――――――――――――――――――


to be continued... → Side:Rambert


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