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アビスミスト  作者: Ten10
Side:Algida
7/37

Side:A ⑦



 人には誰しもトラウマというものがある。それはミンストレルも例外ではない。


 今は独りで酒場を経営するミントだが、彼にも以前は大切な恩人がいた。彼を地獄の底から救い出してくれた人。

 その人はもういない。このコンコルディアの激動する波に飲み込まれてしまった。

 最後にミントが見た恩人の姿は、傷一つない綺麗な身体だった。今にも起き出して、いつものようにミントに挨拶をしてくれそうな、そんな姿であった。

 それ以来、ミンストレルの脳には恩人の最期の姿が刻み込まれている。思い出すたびに頭の中が真っ暗になってしまうほどの、過去の、二度と味わいたくない記憶。


「……」


 ミントはアパートのベランダから細道を見下ろしていた。アルジダのいう作戦が成功し、道には沢山の家具が散らばっている。

 そして、それに埋もれるようにしてトエンティが倒れていた。血こそ出てないが、打ち所が悪かったのか、身動き一つせずに。

 恐らくは死んでいる。傷一つない(・・・・・)状態で。

 その光景はミントの恩人の最期の姿を想起させるには、十分であった。


「違う。あれはトエンティだ」


 自分に言い聞かせるように呟くが、意思と反して記憶は勝手に蘇ってしまう。

 心が何かに侵されていくのを感じる。頭が、身体が、足が、指の爪先に至るまで、その何かに支配されていく。

 やがて聞こえ始める懐かしい声。その声の一言で彼を堕ちていく。視界が暗くなり、聴覚も鈍り始める。


「ミントさん……?」


 ララの心配する声ももう遅い。遠すぎてミントの耳には届かない。

 ミントの意識はとても深い闇の中に溶けてしまった。



――――――――――――――――――――



 アルジダがアパートの階段を上がると同時に聞こえたのは一発の銃声。そしてララと思われる少女の悲鳴だった。


(急げ、アルジダ!)

「分かっている!」


 アルジダは消耗した体力を回復する間もなく駆け上がっていく。

 トエンティは倒した。ならば、あの銃声はなんだ。錯乱した、堕ちた住人たちだろうか。とにかくミントとララが危ない。

 残った力を振り絞りながら先を急いだ。


「ミント! ララ! 何があった!?」

「アルジダさん、ダメ! 逃げて!」


 ミントたちがいる三階に辿り着いた瞬間、アルジダは叫んだ。それと同時にララの警告も飛び交う。


「ララ、どこだ? ミントは無事なのか?」


 今度は声量を抑えて尋ねてみる。しかし聞こえなかったようで、返事が返ってくることはない。

 顎先に溜まった冷や汗が一粒零れ落ちる。仕方がないので、最後に彼らがいた部屋に向かうことにした。


(気をつけろよ。嫌な予感がする)

「ああ。ニヒツも何か気付いたら言ってくれ」


 部屋の扉をゆっくり開ける。隙間から覗き込むとミントの後ろ姿が見えた。怪我をしている様子もない。

 安堵したアルジダは彼の背中から声をかける。


「良かった、無事だったんだな──」


 アルジダの声を聴いたミントが振り返る。彼の傍らにはララもいた。ミントの大きな身体に隠れてしまっていたのだろう。どうあれ、二人ともこうして合流することが出来た。

 そう思った瞬間である。


(アルジダ! 下がれ!)


 ニヒツの直感的に危機を呼び起こさせる内なる叫び。反射的に部屋の扉から廊下へと隠れる。

 刹那、発砲音と共に扉が小さく丸く抉られた。


「ミント!? どういうことだ!?」

(ミンストレルの手には拳銃が握られていた。もう片方の手は叫ばれないようララの口元を押さえていた。そしてなによりワガハイたちに向かって撃ってきている。まあ正気ではないな)

「それじゃあ、まさか……」

(ああ。彼は堕ちている)


 ニヒツの結論を後押しするかのように、ミントは再び発砲する。命中した扉の蝶番が吹っ飛んで行った。


「ああ、分かってるよ、オーナー。ララちゃんを連れて行けばいいんだね」


 部屋の中からミントの話し声が聞こえる。小さな声量からしてアルジダに向けられたものではない。だが、その内容からしてララに発せられたものでもないだろう。

 

(ワガハイのような人格がミンストレルの中にもいるのか?)

「馬鹿な。そんなはずがない。お前と私は特例中の特例だ。幻覚でも見ているのだろう」


 ミントは既に堕ちている。幻覚を見ているのは不思議ではない。

 しかしそれでは彼の口ぶりはまるで、幻覚に命令(・・・・・)されているようではないか。


(それでどうする、アルジダ。彼の目的はララのようだが、逃げるか?)

「背後から撃たれる可能性がある。何しろ錯乱してるからな。行動は読めない」

(了承した。今、ミンストレルは片手で撃っている。何しろもう片方の手でララを抑えつける必要があるからな。あとは分かるな)

「そこまで言ってくれれば十分だ。幸運にも扉からミントまでの距離は遠くない」


 アルジダは廊下に転がっていた木片を手にすると、身体を隠したまま部屋の中に投げ入れた。

 それに反応したミントが発砲する。その発砲音をスタートの合図にして、アルジダが部屋の中に突入した。

 ミントの拳銃を持つ腕は未だ上に持ち上がったままだ。それもそのはず。ミントは片腕で撃っており、また彼は戦闘のプロでもない。当然、一発撃つたびに反動で腕ごと大きく上に反らしてしまう。

 そしてアルジダはその隙をついてミントに体当たりをすればいい。


「アルジダさん!」


 肩から思い切りミントにぶつかる。強い衝撃が走るが、構わず押していく。

 ミントの手がララから離れた時、突進したアルジダとよろめいたミントは共にベランダから落ちていった。


「そんなはずは……!」


 アルジダから思わず声が漏れる。

 ベランダから落ちてしまったことではない。それは予測していた。道に敷き詰められている家具をクッション代わりにすれば、いくらか痛みが走るだろうが耐えられるだろう。

 空を落ちていくアルジダが驚いたのはトエンティのことだ。家具に埋もれているはずのトエンティの死体が消えていたのだ。間違いなく死んでいたはずなのに。

 

「グッ……! 覚悟はしてたとはいえ、流石にキツいな」


 二つの落下音、それと棚などが壊れる音。

 アルジダは木材で出来ている本棚の上に落ちた。随分と固いクッションだったが、少しは役に立ったようだ。身体のあちこちが痛むが、骨が折れてるといった感じはない。


「アルジダさん! 大丈夫!?」

「私にかまうな! ララ、君は早く逃げろ!」


 上に見えるベランダからララの心配する声が聞こえ、それに反応して逃げるよう促す。

 そう、今はトエンティの死体が消えたことなど気にしている余裕はない。まずは目の前の堕ちた男から逃げなくては。

 少し離れた場所で音が聞こえる。アルジダがこうして無事なのだから、ミントも当然動ける状態であろう。

 危機を素早く感知したアルジダはすぐさま立ち上がり、家具の海をかき分け、路地裏から飛び出し、通りを駆けていく。


(一体ミンストレルに何があったのだ。明星にいた店主や若者のような予兆すらなかったぞ……)


 ニヒツの考察を聞きながらアルジダは全速力で走る。

 トエンティとミントと連続して戦い、とうに体力は尽きているはずだった。あるいは連続して戦ったのが功を奏したのか。緊張がずっと続くことでアドレナリンが分泌し、一種のランナーズハイのような状態になっているのかもしれない。


「……血生臭い」

(20番街の中心に近づいてきたからな)


 鼻腔を刺激する血の臭い。吐き気を催しそうになるほどの、多量の血の臭い。

 ここに来る前にララが言っていた通りなら、確かにアルジダは20番街の中心の方向に走っている。

 トエンティによる孤児たちの大量虐殺。すぐに霧に包まれたことから死体の処理など行われるはずもなく、道の端々で腐乱した小さな人間の身体が無造作に置かれているのが見えた。そもそも正常にこの街が稼働していても、彼らには入るべき墓も、悲しんでくれる人もいないのだろう。

 そのことを思うと、まだ残っている良心がチクリと痛む。


(気にしては駄目だ。彼らには役目がない。今のワガハイと同じだ。生きても死んでも誰も気には留めない。生も死も、彼らにとっては単なる事象に過ぎない)

「ニヒツ……」


 ニヒツの独白はとても暗い口調で、自分自身に言い聞かせてるように感じられた。

 数分ほど道を走っていたアルジダは広場に辿り着いた。霧のせいでどの程度広いか分からないが、すぐに対面の道に辿り着かないことからそれなりに大きいようだ。

 背後を確認してミントが来てないことが分かると、走るのを止めた。視界の悪さから慎重に歩いていると、何かを踏んでしまった。とても柔らかく、グチュという音が立つ。強い血の臭いからして、先ほどと同じような子供の死体だろうか。

 恐る恐る足元を見るアルジダは目を見開いて驚く。


「なんでコイツが……!?」


 踏んだ死体はトエンティであった。20番街の細道で死んだはずのトエンティが、何故か広場で再び死体となって現れたのだ。

 しかも死因が明らかに違う。トエンティは落下してきた家具に頭や体を打ち付け死んだはず。しかし今ここにあるトエンティの腹部にはいくつもの鋭利な刃物による傷があった。

 思わず口元を押さえる。とてもじゃないが、正気の沙汰じゃない。頭の中に渦巻く混乱と強烈な死臭から気絶しそうになるのをグッとこらえる。


「審判の時が来たのだッ!」


 もう頭がどうにかなってしまいそうなアルジダに更なる恐怖が襲いかかる。

 あの狂気のフレーズと共に、霧の中からもうひとり(・・・・・)トエンティが現れたのだ。目隠しをして、二本の刀を携え、全身に刺青を刻んだ、あのトエンティが。

 完全に意味不明だ。生きたトエンティと死んだトエンティが同時に同じ場にいるのだ。


「ははっ、はははははは」


 思わず笑いがこみ上げてくる。もはや逃げる力もなく、崩れるようにしてその場にへたり込んでしまった。

 目の前のことが信じられない。全て幻覚だと言ってくれた方がまだマシだ。トエンティがこちらへゆっくり歩いてくるが、反撃も逃亡する気も起きない。ニヒツが何か喚いていているが、力が出ない。

 生きているトエンティが凶器を振り上げ、アルジダの首を落とす──その時だった。


「逃げて!」


 金属と金属がぶつかりあう音。トエンティの凶行を阻止しよう立ちふさがったのは、長剣を持った青い髪の少年。明星に来る前にはぐれてしまったレディバードだった。


「レディ……?」

「早く逃げてください! こいつは僕が止めますから!」


 レディは長剣を構えながらトエンティに立ち向かっていく。

 色々と違和感のある姿だったが、気にしている余裕はない。レディの喝につられて、ふらふらと立ち上がると、背を向けて歩き出す。


「これだから制御のきかない幻影は嫌いなんだ」


 背中越しにレディの悪態づいた台詞、そして激しく剣と刀が打ち合う音が聞こえる。

 意識がぼんやりする。何も考えられない。アルジダはただひたすらに、足をもたれつかさせながらも広場を後にした。



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