Side:A ④
「そうか。お前の父親は酒場で働いてるんだな」
「うん。ママが死んじゃってから、ずっとひとりでお仕事してるの」
辛くもアルジダと少女は錯乱した三区住民から逃れることが出来た。必死になって走り、体力が尽きたところで、ようやくその足を止めた。
アルジダは怯える少女をなだめると、自分のことやこの街に来た経緯を話す。落ち着いた少女もゆっくりと自分の名前を名乗った。
少女の名前はララ。生まれてからずっと家族と一緒に貧民街に住み続けているそうだ。歳は10と、エディと同い年である。ララは異変が起きた初日から霧に飲まれてしまい、以来二週間もの間、ひとりでさまよっていたらしい。
「この通りの先に『明星』があるのか」
「そうだよ。パパも多分いると思う。パパはずっと自分のお店を大事にしてたから」
アルジダはフワフワした茶色の髪を揺らすララの後を歩いていく。
ララの父親は『明星』という酒場を経営しており、貧民街の中にあるということだ。手がかりを全て失ったアルジダはとりあえずララを明星まで送り届けることにした。
(それにしてもさっきのは……)
明星までの道中、アルジダは先ほど見えた人影について考えていた。
一瞬だけだったが、あの姿はニュナスそのものだった。だがしかしニュナスがここにいるわけがない。早朝に一区を出るときに、アルジダとエディは彼と会話を交わした。少なくともその時点ではニュナスは一区から離れる気はなかった。
(だがまあ例えこの街にいたとしても、ニュナス様なら心配は要らないだろう)
ニュナスは元々一区の天使隊の大幹部や四区の神堕としのトップとも互角に切り結べる人間。正気を失った住人などでは束になっても相手にならない。あの目隠しした男がどんな狂気を秘めていようと、彼以上のものは持ち合わせていないだろう。
つまりはニュナスの身を案じても杞憂に終わる。そうアルジダは分かっていても敬愛してる為、どうしても頭から離れない。
「あっ、見えてきたよ。あそこがパパが働いてる場所!」
ララは前方でボウッとにじんで光る方向を指さす。おそらくあそこに明星があるのだろう。照明がついているということは人がいるかもしれない。
「パパ!」
明かりを見て、いてもたってもいられなくなったララは一目散に駆け出した。
アルジダもその後に続いていく。途中、店の前の窓から中を覗いてみたが、何人かが既にいた。彼らの様子におかしなところはなく、錯乱はしていないようだった。
そのことに安心したアルジダは、ララと共に明星の扉を開いた。
「誰だ!」
店内に足を一歩踏み出すと同時に怒号と小さな悲鳴が聞こえた。扉に近い位置にいた若い男は、そばに掛けてあったモップを取ると、アルジダ達に対して構える。
「待ってくれ! 私もこの子もおかしくなってはない! この通り、普通に話せる。ただ明かりがついていたから、ここに避難してきただけだ」
「……」
店内に緊張が走る。それを解そうと、アルジダは必死に自分たちが正気であることを説明しようとする。
恐怖と困惑が店内にいる者たちを支配する中で、ひとりだけ冷静な口調でアルジダたちに歩み寄ってくる者がいた。
「……君はララちゃんかい?」
「ミントさん? ……ミントさん!」
アルジタたちに近づいてきた男の背は高く、顔は白い仮面で覆われていた。不気味ではあるが、彼の姿をみて笑顔で走っていくララの顔を見るに、危険な人物ではないのだろう。
「みんな、落ち着いてくれ。この子は明星の店主の娘さんだ。それにもう一人の方も呂律がちゃんと回ってるし、堕ちた人間ではない」
仮面の男がそう言うと、警戒していた人たちもホッとした表情でアルジダたちから顔をそらす。
ようやく身動きがとれるようになったアルジダは、すぐに扉を閉めると仮面の男に向かい直した。
「怖がらせてすまなかったね。何せ、店の外はおかしなことばかりでね……」
「いや、いいんだ。気持ちはわかる」
「それにしてもよくララちゃんを連れ戻してきてくれた。これであの娘のお父さんも安心できるよ」
男はその大きな手でララの頭をひと撫ですると、改めて名前を名乗った。
「僕の名前はミンストレル。みんなはミントって呼んでるよ」
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互いに自己紹介を終えると、アルジダ達は早速酒場の奥へと通された。
店のホールの奥は普段ララたちが暮らす私用の空間となっており、彼女の父親もそこにいるとのことだった。
「パパ!」
寝室の扉を開けてすぐにララはベッドの上に横たわる父親へ駆け寄った。散々怖い目に遭わされたからだろうか、目尻に水滴が今にも零れ落ちそうになっている。
「パパ! ララだよ! 帰ってきたんだよ!」
だが、心の底から喜ぶララに対し父親の方の瞼は閉じたまま。よほど眠りが深いのか、ララが両手で何度揺さぶっても起きようとしないのだ。
「パパ! パパ! パパ!」
「……ラ…ラ?」
幾度となく呼びかけ続けた結果、ようやくララの父はその目を開いた。視界に娘がいることが分かると、うっすらと微笑み彼女を抱く。娘の額と額を合わせて喜ぶ父親の姿はあまりにも弱々しい。
「彼は普段からあんな様子なのか? 何か持病とか……」
アルジダは隣に立つミンストレルにそう質問する。
「いや彼が寝たきりになってしまったのは、霧が発生してからだ。アルジダさんも聞いたことがあるんじゃないか。この霧の街に居続けるとどうなるかを」
「錯乱か、昏倒する……」
蟲屋でレディから聞いた話だ。この霧の街では、住人はやがて錯乱して狂人になるか、昏睡したまま目を覚まさないか。どうやらララの父親は後者らしい。
「狂ってしまったり眠ってしまうことを、僕らは『堕ちた』と言ってるんだけどね。僕が明星に来たときには、既に彼は堕ちかけていた。日が経つにつれて症状は悪くなる一方で、暴れないのだけが幸運だけど……」
ミンストレルは仮面越しに再会を喜ぶ親子に視線は投げかける。本来なら彼らの知り合いでもあるミンストレルも喜ぶべきなのだろうが、父親の方は完全に堕ちてしまう寸前だ。表情は読み取れなくとも、その口調は暗い。
(私がこんな風になったら、私の両親は抱きしめてくれるだろうか)
アルジダは急に痛み出した左足を強く抑えた。
自分が寝たきりになったら父と母は、もしくは父と母が寝たきりになったら自分は。この親子のように愛を持って抱きしめあうことが出来るのだろうか。
アルジダはそんなことをララ達を見ていると思ってしまう。答えは自分の中でも、なんとなくは出ているだろうに。
(でも本当は君も愛されたいんじゃないのかい)
「違う!」
突如として心の中から投げかけられた質問に強く否定してしまうアルジダ。いきなり隣で大声を出されたミンストレルはやや困惑している。
「どうかしたかい、アルジダさん」
「……すまない。発作のようなものだ」
「そ、そう……」
彼女の苦しい言い訳を軽く受け流したミンストレルは寝室の扉を開けた。
「とりあえず今はふたりきりにしておこう。僕は僕で、アルジダさんに聞いておきたいことがあるしね」
アルジダは頷くと、素直にそれに従った。扉を押さえているミンストレルの大きな腕と手の横を通り抜けて廊下へと出る。
「それで私に聞きたいこととは?」
中にいるふたりを邪魔しないよう静かに扉を閉めるミンストレルに問いかける。といっても、ここに来たばかりのアルジダに答えられることは少ないのだが。
「和風で長身の男を外で見なかったかい? 髪が長くて、煙管を持ち歩いてる」
「そいつはミントの知り合いか」
「うん。ちょうど霧に巻き込まれたときに、一緒に明星に避難した人でね。今朝がた、様子を見ると言って外に出たきり帰ってこなくて」
アルジダはこの霧の街に来たときから出会った人間を順に思い返していく。
目隠しをした青竜刀の男、蟲屋のレディバード、狂乱に堕ちてしまった三人の住人たち、ララ。
この中でレディだけが長髪の男だったが、彼は長身でも和風な感じでもない。つまりアルジダはミントの探している人物とは会っていない。
「そういった人間は見てないな。力になれなくてすまない」
「いいんだ。ありがとう」
申し訳なさそうに首を振るアルジダに優しく礼をいうミント。
「ところでミントはこのぐらいの背の子供は見なかった? 利発そうな顔の一区の子だ」
「いや、ララちゃんを除けば明星に避難してきた中に子供はいなかったかな。僕らは霧に飲まれてから外に出てないから、他の人たちも同じだと思う」
今度は逆にアルジダがはぐれたエディについて聞いてみたが、こっちも収穫はなさそうだった。しかしミントの言葉はまだ続く。
「だけど彼なら見ているかもしれない。彼は今日、この街に入ったばかりでね。さっきまで外で色々調査していたんだ」
「調査?」
「そう。この霧の事件を解決する為に派遣された眠る心臓の調査員。確か名前は――――ランベルト君、だっけか」




