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アビスミスト  作者: Ten10
Turn Side:Nihitsu
34/37

Turn Side ⑦



「邪魔なんかさせない」

「僕たちの邪魔はさせない」

「やっちゃってよ! 母柱(マザー)!」


 姿の見えない子供たちが口ぐちに叫ぶ。それに呼応して母柱は無数の手をニヒツに向かって伸ばしてきた。

 だが、ニヒツは眉ひとつ動かさずに言い放つ。


「もう遅いのだよ」


 ニヒツの目の前で手は止まった。それどころか、霧に還り始めている。すぐに伸びてきた手の全てが消えてしまった。

 見れば、柱は先ほどと比べて小さくなっていた。天井を突き破るほどの高さを誇っていたのに、今は劇場内に収まる程度しかない。


「どうしちゃったの、母柱(マザー)!?」


 困惑する声が聞こえる。

 あれほど外敵を排除しようとする巨大な柱が見る影がない。もう自分の存在を保つのが精いっぱいといった感じだ。

 その理由をニヒツは知っていた。


「目覚めてしまったのだよ、堕ちた人々がな」


 ホールの外、貧民街では今もレディバードとカワードが感染した住人を懸命に治している。それが功を奏したのだ。

 霧の異能が凶悪なのは他の人間を巻き込むところにある。しかしこうして解放され現実に戻った人が多くなれば強さは鳴りを潜めるだろう。現実を正しく認識し、愛する人がいないことが分かれば母柱も弱体化していくだけだ。


「どうしたの。なんで返事をしてくれないの」

「戦ってよ!」

「愛してよ!」

母柱(マザー)!」


 子供たちの叫びはもう届かない。母柱は物言わぬ存在になってしまった。

 悲鳴と泣き声、絶望に堕ちていく子供たちの声が場を支配する。


「もう諦めろ。ワガハイたちの勝ちだ」

「……勝ち負けなんてどうでもいいよ。僕らは愛されたかっただけなんだ。誰かに生きてていいって認めて欲しかっただけなんだ」


 彼らが霧を産みだした理由は単純だった。愛されたい。ただそれだけだった。

 ゴミのように産まれ、ゴミのように死んでいく。生きようが死のうが誰も目にもかけてくれない。必要とされることもなく、生きることに意味を見いだせず、誰とも分からないような殺人鬼に命を奪われた。

 そして最後の瞬間になっても何も思い出せなかった。誰の顔も頭に浮かんでこない。思い残すことが何もなかった。


「誰にも必要とされない子供の最期なんてこんなものよ。最初から分かってたはずなのに。それなのに望んでしまった。願ってしまった。私たちが誰かに愛されることを。でも、無駄だった。だって、私たちに生きる意味なんてなかったんだから」

「それは違うぞ」


 臆することなく否定するニヒツに子供たちの注目が集まる。彼らに伝える言葉はもう決まっていた。


「生きるというのは大切なものを探す旅だ。君たちのように見つける前に終わってしまう者や見つけられずに終わってしまう者もいる。でもその旅路は決して間違いなんかじゃない。旅に出なければ、そもそも探すこともできないのだから」


 大切なものを探す。それは愛してくれる人、必要としてくれる人かもしれない。あるいは平穏な生活、自分なりの仕事なのかもしれない。どれにしてもそれは生きていかないと見つからないものだ。

 ならば生きる意味はあった。例え結果は伴わなくても、それを探そうとする努力と旅路に価値はあった。

 たまたま彼らは見つからずに終えただけで、もっと生きていればきっと見つけたはずだ。もしその時を迎えていたのなら、昔の自分にすら意味を見出していたはずだ。


「それに君たちのことはアルジダたちが記憶している。記憶したアルジダがまた誰かと出会い、その誰かがまた記憶に刻むだろう。そうやって世界ができているとしたら、君たちは誰かと出会った時に既に世界に必要とされていたのだ」

「……でも」


 子供たちは頭では分かっている。目の前にいる女の人が正しいことを言っていて、もう何も言い返す必要がないということは理解しているつもりだった。

 だけどやりきれない想いがあるのも確かだった。


「それでもまだ足りないというのなら、ワガハイが愛そう」


 冗談でもなんでもない。ニヒツは温かな笑顔ではっきりとそう言ったのだ。

 霧が白い人型をいくつも作ってニヒツの周りに集まってくる。顔のついてない頭で見つめてくる。


「本当? 本当に愛してくれるの?」

「本当だとも。その代わり君らもワガハイを愛してくれ」

「……! 愛してあげる。私たちでよければずっと愛してあげるよ」


 それは愛を受けることのなかった者同士の傷の舐めあいかもしれない。それでも、この時だけは幸せだった。

 ニヒツは霧で出来た子供たちに囲まれながら、ランベルトに視線を送る。


「やってくれ、ランベルト。今ならみんな大丈夫だ」

「……いいんですか」

「ああ。ワガハイは満足だ」


 ニヒツは天井の穴から空を見つめる。もう霧が薄くなって青空が見えつつあった。

 満足したように目を瞑ると、足元にランベルトが投げた冷凍弾が転がる。次の瞬間、ニヒツと周りにいた彼らは冷気に包まれた。


「――ありがとう、教授。ワガハイの生命いのちに意味はあったのだな」


 さよなら、霧の街。さよなら、本当のワガハイ(アルジダ)

 例え夢が覚めても、(アルジダ)(ニヒツ)が生きていたことを決して忘れない。

 


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