Turn Side ③
雪見蜜はホールの外からエントランスに入った。
「どうやら刀は抜かずに済みそうだな」
後方を確認しても、追いかけてきていたはずの堕ちた住人たちはいない。
戦闘技術が優れているとは殺し方だけてはなく戦い方にも秀でていることをいう。そういった意味では蜜と堕ちた住人の戦闘技術は大きな隔たりがあった。
住人たちの体は日々の肉体労働で多少鍛えられてはいる。力も速さもある。が、それまでだ。経験がまるでない。
彼らは後先顧みずに常に全力で襲いかかってくる。理性がないこともあってか、残りの体力などまるで考えていない。手を抜けるところでは手を抜き体力を温存する蜜と違って、無駄に消費していくばかりだ。
結果、ホールの外周を走っているだけで、堕ちた住人たちは体力切れを起こし脱落した。指一本触れずにほとんどを倒してしまったのだ。
「このまま上手くいけばいいのだが」
出来れば刀は抜かずに終えたい。
昨日は霧の化け物を相手にしたが故に、抜かずにはいられなかった。しかし本来ならあまり抜くべきではない。それは分かっているつもりだ。
更に言えば昨日の偽者、あいつのようにはなりたくなかった。自分の中にある人殺しを少しでも抑えたい。そんな気持ちもあった。
「ミントたちは無事だろうか。探すべき……ではないな」
堕ちた住人たちの大半を引き付ける際にミントたちとは別行動を取ってしまった。
と言っても、彼らも囮役を任された身。敵を対処できる術は持ち合わせているはずだ。ならば今は合流することではなく、囮として少しでも多く守りを削ることが重要だろう。
そう思いエントランスを見回すと、一人の少女が静かに立っていた。
「刀を抜かない……それは無理なようだ」
少女――スズナは凶暴な住人たちとは違い、冷静に蜜の動きを見計っている。距離はかなりあるが、一分の油断もない。
「正面から来るとは君らしくないな、スズナ」
「……」
「主以外とは会話する口も持たないか」
スズナは視線を蜜に固定したまま、愛用の短刀を抜く。流石の蜜も本気のスズナが相手となれば、戦わずに切り抜けるなんて芸当は出来ない。腰にかかる刀の柄をゆっくりと握った。
「お覚悟を」
その一言で戦いの火蓋は落とされた。
スズナは持ち前の脚力で間合いを詰めると、飛び上がり、その勢いのまま蜜の首筋を狙う。
蜜も当然反撃にでる。抜刀すると同時に、刀の軌道を読み、短刀だけを正確に打ち払う。空中で弾き飛ばされたスズナに追撃を仕掛けようと、蜜も走り出した。
「クッ……!」
何事もなかったように両足で着地したスズナは、蜜に詰められる前にエントランスの柱の陰に隠れてしまった。柱は大きすぎる上に、無理に斬ろうとすれば刀身はズタズタになってしまう。
スズナは小柄故に機動力と小回りは蜜より上だ。ぬるい戦いをすれば倒すどころか、近づくことさえ出来ないだろう。
「右から来るか、左から来るか」
柱を挟んで反対側にいるスズナの姿は見えない。完全な死角になっている。
もし先走ったり、虚勢に騙されたら大きな隙ができる。その隙を突かれるのは御免だ。冷静に、尚且つ素早く相手の出方を見極める必要があった。
蜜の顎から垂れた冷や汗が地面を打った時、柱の右から影が飛び出した。
「そこだッ!」
その影を蜜は見逃さなかった。今度は確実にスズナの短刀を打ち落とす。
得物を失った彼女に次の一手を防ぐ手立てはない。とどめを刺すべく蜜はスズナの首を狙う。
だが振り上げたところで一瞬、刀を止めてしまった。蜜の脳内に牡丹の悲しむ顔が浮かんだ。例え峰打ちとはいえど、もしスズナに刀を向けたことを知ればあの娘はどんな顔をするだろうか。そのことを想像するだけで、蜜は躊躇せずにいられなかった。
「もらった!」
そしてその一瞬を取り逃がすほど、スズナは甘くない。
彼女は蜜の振り上げる腕に両手両足、全身を使って絡みつく。そして腕が曲がる方とは逆の方向に力をかけてきたのだ。利き腕の骨を折ろうとしている。
慌てて蜜は彼女ごと、腕を柱に叩きつけた。たまらずスズナは腕から離れる。あと少し遅ければ骨は折れていただろう。そうなればいくら回復力の早い蜜といえど負けは必至だった。
スズナは落ちた短刀を拾うと、改めて蜜と向かい合う。
「……手加減する余裕はなさそうだ」
「手加減とはまた腑抜けたことをおっしゃるのですね。まるで空気の抜けた風船のようです」
「そうでもないさ。まだ空気は抜けきっていない」
蜜は刀を鞘に納めた。彼女に刀を向けることが枷となるなら、いっそ仕舞ってしまえばいい。
だからといって降参したわけではない。刀が使えない状況に置かれても、暗殺者は座して死を待たない。
蜜は何も持たない両手を肘を曲げて構える。
「君も暗殺者の端くれなら知っているだろう」
「無刀取り……」
無刀取り。昔、極東の国で生きながらにして剣聖と呼ばれた男が公案した流儀。
武士が戦いに赴いた以上、自分が無刀でも戦い抜く技である。そしてそれは暗殺者でも同じだ。いつだって準備十全の状態で任務を決行できるとは限らない。そんな時に役立つのは自分の五体だ。暗殺者たるもの、素手で標的を殺せるようになって然るべきだ。
無論、スズナを殺す気など毛ほどもない。殴りはしない。蹴りもしない。狙うはただ一つ、絞め落とすこと。傷一つつけることなく無力化させるのが目的だ。
問題はその機会があるかどうかだが、突破口は既に見えていた。
「君に、言いたいことがある」
「主以外の言葉は不要。言いたいのなら続けてください。風の音と同様に聞き流すだけですから」
「……主従ごっこは楽しいか?」
スズナの目尻がピクリと動く。聞き流すと口では言っても、琴線に触れるような物言いはやはり反応してくれるようだ。
なら、あとはそれを利用すればいい。
「ごっこですと……?」
「事実そうだろう。君がやっているのは単なるごっこ遊びだ」
「主の命に従い、従者が命を果たす。主の期待に応え、主に笑っていただく。それこそが我が誇り」
「そいつは傑作だな。つまり私を殺せば、主とやらは君を愛してくれるのか」
蜜は高笑いをする。蜜としても、こんな人を馬鹿にするような笑いをするのは初めてだった。
スズナの表情が段々と強張っていく。冷静だった彼女が苛立ちを覚え始めている。
「いや、すまない。主が愛してくれると思っている君が酷く滑稽なものでね」
「私が命を果たせば主殿は笑ってくれる! それの何が可笑しいというのですか!」
「君は本当に主に愛されると思っているのか、この人殺しめ」
人殺し、その単語が出た途端、スズナは一歩後ずさった。
スズナも蜜と似たような道を歩んできた者。暗殺者同士、彼女の後悔も理解できる。
「思い返して見ろ。君が殺した連中を、見殺しにした人たちを、見捨てた故郷の仲間たちを。彼らは笑っているか? 君が愛されていることを知って、笑っているか!」
「貴様……!」
そして次の蜜の一言で、堕ちたスズナを支えてきたものは完全に壊れてしまった。
「人殺し風情が誰かに愛されようなど思うな!」
「愛されることに資格など要るものかあッ!」
もう彼女の攻撃に技はなかった。ただ愚直に、ただ激情に任せて、目の前の男を斬ればこの悪夢が終わると信じて。もう一度、主が自分に微笑んでくれると信じて振るう全力の一撃。
しかしそれは蜜にとっては単純な一撃だ。もはや軌道を読むまでもない。勘を頼りに、手の甲で短刀の峰を払うと、スズナの背後に回る。腕を交差させて、か細い首を絞めつける。
しばし彼女は暴れるものの、脳への血流が止まったことですぐに失神してしまった。脱力したスズナを、蜜は優しく受け止める。
「……君が正しい。愛されることに資格なんて要るものか。……でも、それでも私は……」
続く言葉はなかった。それを言うには蜜にはまだ何か足りていない。足りていないのは罰か愛か、それとも他の欠片か。
蜜はそっとスズナの顔に流れる涙を拭ってあげた。




