Side:L ④
蟲屋の周辺はさきほどとは状況が一変していた。
一帯は濃い霧が支配していたのだ。当然その原因は堕ちた住人達にあり、彼らに付随して具現化された恐怖たちが平然と闊歩していた。
「走れ、レディ! 追いつかれるぞ!」
「分かってる! 分かってるけど……!」
急かされるレディは蜜とカワードの一歩後ろを走っていた。二人に対して体力の劣るレディはついていくので精一杯。すぐにでも立ち止まって息を整えたいところだ。
しかしそんな甘えたことを言っている余裕はない。彼らの背後には古今東西の魑魅魍魎たちが迫ってきている。
「クッ。仕方ないな」
逃げ切れないことを確信した蜜が反転して、レディの背中に迫る化け物たちに刀を抜いた。瞬間、刹那のような早業で化け物たちは真っ二つになっていく。食屍鬼は正中線に沿って半分に別れ、骸骨は首と胴体を離され、鬼は心臓を正確に一突きされた。
レディは思わず逃げるのも忘れて見惚れてしまう。剣技については全く無知だが、一分の無駄もない完璧な軌跡は素人でも美しいと感じさせるほどだった。
「止まるのは、よくない。走ろう、レディ」
「あ、ああ」
今度はカワードに急かされて、レディは再び走り出した。
蜜の剣技は美しいとも思えたが、同時に恐怖も感じた。斬っている時の彼の目付きがいつもの優しいものではなく、喜びと哀しみの両方を抱えたものになっていたからだ。あの技がもし霧の化け物ではなく生身の人間に向けられたと思うとゾッとしない話だ。
「まるで百鬼夜行だな」
足の速い個体を全部倒すと、蜜も再び逃走を開始した。まだまだ具現化された恐怖は多く、更に堕ちた住人達も追いかけてきている。不殺を信条としている蜜にとっては、いくら狂っているとはいえ生きている人間を相手するのは苦労するはず。
あっという間に先にいたレディ達の背中につく。
「お次は幽霊の群れか」
三人が逃げる先に現れたのは足のない長髪の女性たち。一般的な幽霊の想像そのものだ。
動きこそ鈍いが、今いる道は一本道。後ろには化け物たちが来ている為、突破する他ない。
「通り抜ける隙間はないな。仕方ない、斬るか」
「駄目だ、蜜! ここは何もしないで直進するんだ」
「……? 何もしなければ囲まれるだけだぞ」
「レディが正しい。ただ目だけは、合わせないで」
レディとカワードの言うことに納得はいってなかったが、二人は本気で何もせず突っ込むようだ。溜息を吐くと、刀の柄から手を離し彼らと同じように蜜も突き進むことを選んだ。
すぐに幽霊の姿が彼らの眼前に迫る。顔と顔がぶつかる寸前に目を瞑って覚悟を決めた。
だがいくら経ってもぶつかる衝撃は訪れなかった。瞼を開くと三人とも走り続けられている。幽霊の中をすり抜けながら。
「具現化されたトラウマは所詮人間の認識から成り立っている。幽霊っていうのは触れないし触ってこないイメージが一般的だからな」
「目が合うと、金縛りとかにあう、けど」
そう、霧の化け物たちは人の記憶の中にある恐怖の現身だ。だから現実にいない荒唐無稽のモンスターの方が逆に対処しやすい。吸血鬼なら日光に弱いし、悪魔なら十字架でも見せてやればいい。
空想の物語に出てくる敵は基本的に弱点があり、主人公に打倒されてる連中だ。冷静に敵の姿を見極めれば恐れることはない。
「まあこういうのはどうすればいいか、ボクにも分からないんだけどね……」
冷や汗を垂らしながらレディは弱音を吐いた。
幽霊の群れを抜けた彼らの前に現れたのは、一つ目大巨人。そいつはのっそりと二階建ての建物から顔を出した。大きい地響きを立てながらレディたちに近づいてくる。
「安心するといい、レディ。弱点なら見えている。……合わせてくれ、カワード」
「……! 任せて、蜜」
立ちすくむレディを置いて二人はサイクロプスに攻撃を仕掛けんと飛び出した。
先行する蜜は体を一回転させると、勢いをつけて右足首に斬りかかる。皮も肉も骨も、バターのようにするりと切断してしまった。まるで蜜には最初から切断面が見えてるかのように。
バランスを失ったサイクロプスはあえなく右ひざを地面につける。それをカワードは見逃さなかった。
地面から跳躍した彼女は、次にサイクロプスの右ひざを蹴り顔へと一直線に飛び上がる。
「目が大きすぎるのも、考え物、だね」
カワードはナイフを腰から抜くと、サイクロプスの巨大な目に突き刺した。悲鳴と唸り声を上げながら巨人は地に伏せる。霧に還らないところを見ると倒し切ってはいないが、逃げるには十分だ。
蜜とカワードは立ち止まっているレディを呼び寄せて、街の裏路地に入っていく。大通り以外の貧民街の道は入り組んでいる。追撃してくる敵とは既にだいぶ距離が開いており、追いつかれることはもうないであろう。
「ここまで来ればもう安心だ。助かったよ」
三人は壁にもたれかかりながら荒くなった息を整える。ずっと走りっぱなしだった顔には疲労が浮かんでいた。
巨大な敵も対処できることが分かったのは大きな収穫だ。やはり想像上の化け物は弱い。人が想像出来る以上の動きはしてこない。
問題は恐怖が想像上ではなく、経験上から生まれた場合だ。単なる虫とかではあれば良いが、自身を超える相手などは対処に負えない。特にそれが強者から生まれたのなら。
そんな不安を抱いたレディは蜜をそれとなく見つめる。視線を感じ取った彼は顔を背けつつ、レディに質問をぶつけてみる。
「本当に彼らに殺意や害意はなかったのか? ごく当たり前のように私達を殺しに来ているぞ」
「うん、そうだよ。殺意はない……ないはずなんだ」
今まで堕ちた住人たちには過剰なまでの攻撃は仕掛けてくる様子はなかった。何しろ彼らの目的は堕ちた仲間を増やすこと。死んでしまったら仲間には出来ない。しかし三人を追い掛け回す狂人たちは本気で殺しにかかっている。何が彼らをそうまでさせるのかの理由も不明だ。
更にかれこれ数時間ほど蟲屋の周辺を三人は彷徨っている。どの経路も堕ちた住人と霧の化け物でふさがれていた。それはまるで蟲屋を守っているかのようだ。
だとすれば奴らは個人で勝手に動いてるのではなく、集団として命令系統があることになる。もしかすると殺そうとしてくる訳もそのあたりにあるのかもしれない。病気を特定したことに気付いたのか、それともレディが蟲屋に近づくこと自体が不都合なのか。
とにかくこのままでは蟲屋に辿り着くことが出来ない。数は圧倒的に向こうの方が多いのだ。力任せのごり押しでは不可能だ。
「……ん? そうか、これなら」
頭を抱えて地面を見ていたレディはあるものを発見する。
マンホール。下水道へとつながる穴の蓋にレディは手を乗せた。




