Side:L ②
「――アルジダ!」
レディたちが追いついた時、既にエディの姿はなくアルジダがひとりでトエンティと対峙していた。
霧纏う路地で凶悪な殺人鬼と遭遇するのは危険すぎる。思わず彼女の名前を叫んでしまったが、それがまずかった。
レディに気を取られたアルジダはトエンティの一撃を受けて倒れてしまったのだ。
「レディ、待って。今、近づくのは良くない」
駆け寄ろうとするレディの前に手を出して制止するカワード。それでもレディは振り切って近づこうとする。
幸いにもアルジダはトエンティの刀の柄の部分で殴打を受けただけ。血は流れていないし、今なら助けられる。そう思っての判断だった。
「審判の時が来たのだッ!」
しかし走ってくるレディをトエンティが切り裂く。寸でのところで止まったお陰で斬られたのはガスマスクと衣服の一部だけだったが、結果的にそれは最悪だった。
破れたポケットから無線機が落ちる。ガシャンという音を立てて落下したそれは配線が飛び出しており、どう見ても壊れていた。恐らく服と一緒に奴に斬られてしまったのだろう。
クラップから渡された無線機はあれひとつ。これで外部と連絡を取ることが不可能になってしまった。
「クソ! ならアルジダだけでも……!」
「やめた方が、いい。アルジダは気絶した。その意味はレディが一番よく分かってる、はず」
気を失った人間は症状が加速して一気に堕ちる。完全に堕ちてしまえば霧の化け物にも狂った住人にも狙われることはない。
気絶したばかりのアルジダは堕ちきってはいないだろうが、誰かに襲われることもない。目の前にはトエンティが立ちふさがっており危険を冒してまで助けることは出来ない。
「それにトエンティは、僕らに狙いを移したみたいだ」
カワードの言う通りだった。トエンティは今にもレディたちを攻撃しようとしている。倒れているアルジダを気にも留めてない。
カワードだって本当は助けたいはず。それは声からして分かる。彼女の我慢をレディは汲み取るべきだ。
苦々しい顔で気持ちを噛み殺すと、踵を返し脱兎の如く逃げ出した。カワードもレディの後に続く。
「逃げ切れない……」
一目散に来た方向に走るレディたちを、トエンティは執拗に追いかけてきた。アルジダから脅威を引き離せたのはいいが、今度はふたりが危険に晒されてしまった。
姿や音を消せる異能を持っているカワードひとりなら逃げるのは容易い。しかしレディにはそんな能力はない。逃げ足には自信があった方だが、リミッターが外れている狂人の方が僅かながらに早いようだ。このまま追いつかれてしまうのなら戦うことも視野に入れなくてはならない。
懐から虫のフェロモン入りのボールを取り出したその時、目の前にひとつの人影がゆっくりと現れた。
「伏せろ」
その言葉に従うように、レディとカワードは半ば転ぶように人影の両脇をすり抜けた。同時に何かが頭上を通る音が聞こえる。
それは人影の持っていた刀だった。腰から引き抜かれた刀は、地面と平行に半円を描くようにして振り払われる。
伏せなかったトエンティだけが刀の攻撃を受けて吹き飛ばされた。返り血が舞ってないところを見ると峰打ちだったらしいが、それでもトエンティは悶え苦しみながらのたうち回っている。あれではしばらく立つこともままならない。
「無事か、ふたりとも」
レディは役に立たなくなったガスマスクを脱ぎ捨てて、直に人影の姿を確認する。
水色の長髪、切れ長の凛々しい目、そしてコンコルディアでは珍しい着物。
その容姿にはレディもカワードも見覚えがあった。ふたりは安堵しつつも喜びながら人影の名前を呼ぶ。
「蜜!」
雪見蜜。カワードと同じ四区の住人だ。
何故彼がこんな場所にいるのかは分からないが助けてくれたのは事実。まだ堕ちてはいないし、まともなようだ。
「なるほど、レディだったか。では隣にいるのはカワードか。……ちょうど良かった。私もレディを探していたところでな」
「ボクを探していた?」
レディはきょとんとした顔で蜜を見つめる。霧のせいでよく分からなかったが、彼の顔はだいぶ赤かった。恥ずかしいとか飲酒とかのせいじゃない。これは発熱によるものだ。
ここに来るまでが限界だったのか、蜜はふらっと足を縺れさすと眠るようにして地面に倒れた。
慌ててカワードが上半身を受け止めてくれて頭部は無事だが、目を開ける様子はない。
「蜜! 蜜!?」
声をかけても蜜の意識は戻らない。
もしかして彼も堕ちてしまったのか。そんな焦燥がレディの心臓の音を早まらして止まなかった。




