Side:R ④
明星でのランベルトの嫌な予感はすぐに的中することとなった。
「おう。いいところにいた! ちょっと手伝ってくれ!」
Gasseに帰る途中、霧の路地に現れたのはクラップ。そしてその背後からは巨大な茶色の物体がかすかに見えた。
「なんでござるか、あれ……」
スズナが唖然としたのも無理はない。ランベルトもその姿に絶句するばかりだ。
霧から露見した大きな茶色の物体。それはここに乗ってきたトラックよりも遥かに大きいゴキブリだったのだ。
「いや確かにゴキブリ程度であって欲しいと思いましたけど……」
流石にあんな大きさの個体は想定していない。目の前の光景に思わず苦笑いしてしまう。
あの巨大生物にはランベルトの持つ拳銃やスズナの小刀では到底歯が立たないだろう。機関銃や大砲の類が必要だ。
「ありゃ地下東区にいた人喰い虫だ。なんでこんなところにいるのかはさっぱりだが、困ったもんだぜ」
クラップがそう二人に説明する。なるほど、彼が想像した恐怖の具現だということは間違いなさそうだ。
ゴキブリはこちらを睨んで動かない。だが、あのサイズだから分かる。ただ動かないのではなく力を溜めているのだ。
「突っ込んでくるぞ! この鉄パイプを支えろ!」
クラップが持っていた2メートルはあるだろう長い鉄パイプ。彼はそれを斜め45度に地面に突き刺すと、ふたりにもそれを支えるよう指示を出した。
ランベルトもスズナも察しがいい方だ。クラップの意図を理解すると、すぐさま鉄パイプを両手で掴む。
瞬間、とてつもない衝撃が手から腕にかけて走った。顔を上げてみると、鉄パイプに深々とゴキブリの巨大な体が突き刺さってる。
「ふう。少しは学習しろよ、虫野郎」
ゴキブリは人のサイズに換算すると時速300キロにも至ると言われている。トラックよりも大きなサイズともなれば、その速さは計り知れない。
しかし今回はその速さが仇となった。その時速何百キロというスピードで杭に自分から突き刺さったようなものだ。もちろん体の半分も貫かれれば、ゴキブリとて命はあるまい。
「……怖くなかったんですか?」
「そりゃ最初はビビったさ。初見だとあれだけ苦戦した相手が出てきたもんだからな。だけど、ああいったトラウマの手合いは全部克服してきたもんでね。自ずと攻略法も繰り返せる」
大した人だ。クラップは気軽に言うが、誰だって恐怖するものが前に出てきたら竦むし慄く。それを実践できる人はなかなかにいない。
「うお!? なんだ、こりゃ」
鉄パイプに刺さっていたゴキブリが霧と化して消えていく。それを見てクラップは驚きの声を上げて後ずさった。
やはりスケルトンと同じく、このゴキブリも霧で構成されていたらしい。霧の化け物は倒せるし、倒すと霧に還る。これは間違いないようだ。
ランベルトとスズナはここまでの経緯をかいつまんでクラップに説明することにした。
二人から説明を受けて尚、クラップは怪訝な顔をしていた。
まあ当然だ。ランベルトだって理解はしたが、納得はしてない。
「……霧が濃くなってきてるでござる」
とりあえず拠点に帰ろうとした時、スズナがそう呟いた。ランベルトとクラップも互いに目を合わせて、周りを確認する。
確かに霧は先ほどと比べて、相当に濃くなっていた。
完全に白い世界。至近距離にいる三人の姿しかはっきりと見えない程。
「それになんか囲まれてねえか」
クラップの言う通り、姿こそ見えないが人の気配がする。荒々しい息遣い、隠そうともしない足音。一人や二人のものではない。数にして十はいる。
今すぐに逃げよう、そうランベルトが合図をする前に霧の中から人が飛び出してきた。
「くたばれぇ!」
胡乱な目をしたその人物は金槌を持って襲いかかってきた。明らかに堕ちてしまった住人だ。
咄嗟に動いたスズナが堕ちた住人の腹に蹴りを入れる。住人は小さなうめき声をひとつあげると、よろよろと後ろの濃霧に消えていった。
「位置がばれてしまったようでござるな……」
スズナが落胆の声を漏らす。それと同時に幾人が飛び掛かってきた。
だが、所詮は暴れるだけの狂人。強靭な肉体を持つクラップはもちろん、対人戦闘経験のあるスズナとランベルトも易々と対処していく。
そのほとんどを気絶させ地面に横倒せると、住人たちとは違う異様な雰囲気をまとった男が姿を見せた。
「審判の時がきたのだッ!」
「こいつは!」
布で目隠しをした二刀流の男。特徴が一致することから間違いない。噂で聞いていたトエンティだ。
ランベルトもクラップも反応が遅れてしまったが、トエンティの青竜刀の不意の一撃はなんとかスズナが捌いてくれた。すかさずスズナも反撃に転じようとするが、バックステップで背後の濃霧に雲隠れしてしまう。
「あいつはなんだ!? 動きが他の奴と違うぞ!」
「ランベルト殿、もしやあやつが……」
「ええ。この霧の事件の元凶トエンティです。既に何人も殺している相手、奴だけには手加減は無用です」
濃い霧の中、どこから襲ってくるか分からない。三人は自然と背中合わせになって、お互いの死角をカバーし合うような位置につく。
「来たぞ!」
トエンティはまずランベルトに狙いをつけて攻撃してきた。持ち前の動体視力をもって一撃目を躱し、拳銃を構える。しかし狙いをつけるよりもはやく、再び霧の中に戻ってしまう。
完全なるヒットアンドウェイ。目が見えずとも、霧の濃度を肌で感じ取っているのだろう。あくまで自分の優位性を崩さないつもりだ。
クラップ、スズナ、ランベルト。次々にランダムでトエンティは強襲を仕掛けてくる。三人とも不意の一撃を防ぐことで手一杯で攻勢に出れない。深追いすれば逆に相手の思うつぼだ。
「クソ! 相手は本当にひとりかよ!?」
右フックを空振りさせながらクラップが叫ぶ。
そうなのだ。いくらなんでもトエンティの攻撃が早すぎる。ランベルトを襲ったと思った次の瞬間にはスズナが既に攻撃を受けている。いくら相手の足が早く機動力が高いとしても、こうも素早く回りこめるものなのか。
まるでトエンティが何人もいるかのようだ。少なくともランベルトはそう感じた。
「……私が残ります。お二人は先に逃げてくだされ」
スズナの進言は正しい。勝ち筋がないのなら逃げるのが得策だ。誰かがしんがりを務めて囮になるのなら尚更良い。
ランベルトはあえて口を噤んだが、人情深いクラップが黙っているはずもない。
「ふざけるなよ。スズナを見捨てて逃げるなんて出来ねえし、残るなら俺だろ」
「では失礼を承知で聞きますが、屋根の上を走った経験はお有りで? もしくは下水道を迷わず進んだことは?」
「……」
「私ならこの街全てが逃走経路。心配せずともあっという間に撒いてみせるでござるよ。それに技術者を護衛するのが今回の私のお役目。そこから背くわけにはいかぬでござる」
安心させるかのような自信に溢れた笑顔。
実際、囮になった場合、一番逃げ切れる可能性が高いのはスズナだ。そこを理解できないクラップではない。苦々しい顔を浮かべているものの、一応は了承してくれたようだ。
何回目かのトエンティの攻撃を弾き飛ばしたランベルトは目でクラップに合図する。二人は一瞬の隙をついて同じ方向へと走り出した。
「……無線機で連絡。必ず合流しろよ」
トエンティとスズナの剣戟が街に響き渡る。
彼女ならきっと逃げられる。そう信じてランベルトとクラップは濃霧を離脱した。




