Side:R ②
ランベルトたちは霧の街に到着すると、作戦通りに動き出した。
クラップはGasseで拠点づくり。ランベルトとスズナは濃度測定装置を設置しながらの情報収集。
特にランベルトは貧民街にある酒場、明星で有力な手がかりを掴むことが出来た。それをもとに、とある場所へと足を運んでいた。
「ここがトエンティが最後に訪れた場所……」
霧の街の端で、ひっそりと佇む二階建ての安宿。
そこは殺人鬼トエンティが狂気の事件を起こす前に泊った場所であった。トエンティは霧の元凶と考えられている人物であり、彼がいた宿ともなれば何か事態を解決するヒントがあるかもしれない。そう思って、ランベルトはこの宿に来ていた。
「すみません。失礼します」
挨拶と共に軽く玄関の扉のノブをひねる。予想に反してあっさりと回る。
誰もいないかと思ったが、室内に霧が入り込んでいなかった。ここまで訪れた建物では中に霧が無い場合、正気の住民が避難していることが多い。ここもその例に漏れず、ランベルトの声に反応してか、奥から中年の女性が出てくる。
「どなた様ですか」
「眠る心臓から派遣された者です。調査のためにお邪魔したいのですが、よろしいですか」
女性は不安な顔で頷くと、ランベルトを招き入れる。
中に入ると早速トエンティのことについて尋ねてみる。女性は特に隠すことなく証言してくれた。
トエンティは二週間ほど前に宿屋を訪れて、一階の奥の部屋に泊ったそうだ。霧のごたごたもあって、まだ部屋の掃除も済ませてないとのことだから、何らかの手がかりがあるかもしれない。
「あの子は貴女のご子息ですか?」
目的の部屋に案内される途中、廊下からとある部屋の様子が見えた。
そこには十歳ぐらいの少年がうなされながら、ベッドに横たわっていた。
「……いえ。数日前にここに逃げてきたのです」
「わざわざ孤児を匿ったと?」
「この状況ですし、子供を見捨てるわけにもいかなくて。眠る心臓の方からすれば意味が分からないでしょうが」
責められたのかと思ったのか、女性は弁解しつつランベルトから視線を逸らした。だが生憎と、ランベルトもそこまで血も涙もないわけではない。
「人として立派なことだと思いますよ」
「ありがとうございます。あの子も早く病気が治るといいのですが」
「病気?」
「ええ。高熱や咳、いわゆる風邪に近い症状ですね。今、あなたと同じ眠る心臓の方が熱に効く薬草を持ってきてくれるそうです」
一瞬、レディのことが頭をよぎる。しかし彼なら薬草ではなく独自の漢方か薬を渡すはず。とするなら、彼ではない調査隊のメンバーがここに訪れたことになる。
クラップは拠点から動かないはずだから、残るはひとりしかいない。
「では私はここで。何かありましたら、お呼びつけください」
女性は一度お辞儀をすると、部屋にランベルトをひとり残して立ち去った。
ランベルトとしても誰かに見られていない方がやりやすい。部屋の中を一通り見回すと、目ぼしいところを見つけて調査を始めた。
安宿の部屋はこじんまりとしていて、十分ぐらいで漁り終わった。
見つかった証拠は一つだけ。備え付けの机の中に残っていた、トエンティが書いたと思われる手記だけだった。
「やはり一区の人間か」
審判の時がきた、その口癖を何度も呟くことから宗教関係であることはおおよそ推理がついていた。まさか一度は司祭の位まで上り詰めた元神父とは思わなかったが。
手記には何故彼が凶行に至るまでの経緯が記されていた。
トエンティは元々敬虔な信徒で、ひとりでも多くの人間を救おうとしていた。しかし彼一人の力ではどうにもならないことが多すぎた。
餓える子供。病気に罹り死ぬ子供。いいように大人に利用された挙句、ゴミのように捨てられる子供。
そんな子供たちの今日を助けたところで、明日にはまた別の問題が彼らに立ちふさがる。そして明日の問題を乗り越えた子供さえ、今度は他者を利用する悪に染まっていく。そのことにトエンティは自身の無力さを痛感していた。
やがて彼は現実から目を背け始める。聖職を辞し、こうして手記をつける時以外は目を布で覆った。そうして隠匿生活を送っていると、とある狂気の答えに彼は至ってしまう。
最初から未来がないのならば、希望がないのならば、苦しみが彼らを襲う前に死をもって救う。悪に染まる前にゼウスの御前へと送るのが、この身に任された使命。殺すことが苦しみからの解放だと信じた彼は、特に神から見放された子供の多い貧民街での凶行を企て始めた。
「殺された側からすれば余計なお世話だろうに」
ランベルトは手記を読み終わると、忌々しげに呟いた。誰かに自身の運命を決められることほど嫌なものはない。まして、それが最期の瞬間なら尚更だ。
いつだって一区の狂信者どもは神の為なら他人を傷つけることに躊躇がない。しかもそれが善意から来ているのだから余計にタチが悪い。ああいう手合いは例え自身の娘でも容赦なく暴行を働くだろう。
「……落ち着こう。重要なのはそこじゃない」
先ほど出会った昔馴染みの神官を思い出して、つい感情的になってしまった。深呼吸をして、頭に上った血を体へと落としていく。
改めて手記を読み返す。確かに20番街での事件の経緯は事細かに書かれた。しかしそこには霧については一言も載っていなかったのだ。
てっきり、この霧はトエンティが発現した異能だと思っていた。だが手記を見る限り、彼が異能に目覚めた様子はない。
「とするならば、霧の異能の持ち主とトエンティは別人物か?」
真相に迫るどころか、謎が深まったことにランベルトは口元に手を当てて考え込む。
トエンティが起こした事件が一連の発端になっているのは確実だ。つまり、もし霧の異能の持ち主が事件を通して発現したとしたら、それは誰か。異能が発現する条件を考えれば、朧気ながら答えが見えてくる。
「でも、これを真実とするなら証拠不足だ」
そう呟いたランベルトは手記を自らの懐にしまうと部屋を出た。
決めつけるにしても、まずは情報収集。情報を取り扱う者としての鉄則だ。
宿屋の女性にも礼を言い終わり、この場所をあとにしようとする。ふと、先ほど孤児の少年がベッドに横たわっていた部屋を見ると、一緒に霧の街へと入ったスズナがいた。
「やっぱりスズナちゃんだったか」
「ランベルト殿……」
やや驚いた顔を見せるスズナ。部屋の机には彼女がとってきたと思われる薬草があった。先ほど女性が言っていた眠る心臓から派遣された人間というのは、スズナのことだったのだろう。
高熱にうなされてた少年の顔も薬草の効き目のお陰か、既に安らいでいる。
「測定装置を設置し終わったら、先に拠点に戻るよう決めてたはずでは?」
「ち、違うでござる!」
ランベルトに詰問されたスズナは必死の顔で反論をする。
「装置は全部設置しました! たまたま寄った場所に病人がいたから助けただけ……でござる」
「……」
彼女の話が本当なら驚くべきことである。いくら調査しつつだっとはいえ、近場を任されてたランベルトよりも街の外周を担当していたスズナの方が設置し終わるのが早かったことになる。流石、眠る心臓の本部から声がかかるほどの人物だ。その俊足には目を見張るものがある。
だが問題としているのは、そこじゃない。
「スズナちゃん。俺は誰かを助けるのを咎めたりしないよ。ちゃんと仕事も終わらせてるしね」
その言葉を聞いたスズナは明るい顔を浮かべる。年相応の笑顔からは彼女が暗殺すらも引き受ける人間には見えない。
それでもランベルトは心を鬼にして伝える。
「でもね、これだけは分かって欲しい。全員を助けるのは不可能だ」
「えっ……」
トエンティが見た現実。死が救いとは到底思えない。だが、ランベルトにとっても個人が全てを救うことが出来ないという結論は同じだった。
「貧民街では毎年多くの人間が死んでいる。誰かに愛されることもなく、誰に必要とされることもなく、産まれた意味すら分からないままね。そんな彼らを君だけでは全員を救うことなど出来ない」
「でも、目の前で死にそうな人間を助けることは……!」
「そう、悪なんかじゃない。だから俺は君を責めない。だけど心を許しちゃダメだ。憐憫の感情を抱きすぎれば、君まで彼らに引きずりこまれてしまう」
自分たちと彼らは別の人間だ。いくら憐れに思っても、運命まで共同する必要はない。
今回は特に大きな事件だ。住人の事情に振り回されたら、一向に解決には至らないだろう。
「……」
「ごめんね。とにかくクラップさんと合流しよう。ここは思った以上に危険だったことを、あの人にも伝えないと」
俯くスズナはコクリと頷くと素直に部屋を出ていった。ランベルトもその後に続く。
部屋の扉を閉める寸前、心地よく眠っている少年の顔が目に入る。彼の顔を見ていると、宿屋の女性やスズナが正しく、自分が間違ってるような気がしてくる。でも、何が正しいか間違ってるかなんて終わってみなきゃ分からない。
いつだって神は教えてくれないのだから。




