(6)シゲルのトラブル
フィロメナとミカエラがアドルフ王と対面していたその頃、シゲルは少し困った事態と直面していた。
シゲルは、二人と別れた後で、折角なので王都の市場を見ていた。
そこで、やはり調味料に関しては大したものが無いとわかったシゲルは、少しだけ肩を落としながら宿へと戻った。
すると、そこには、その困った事態を引き起こす原因となる馬車が停まっていたのだ。
その馬車は、人目で貴族が使っている物だとわかるほどに、豪華だった。
それを遠目で確認した時に、何となく嫌な予感がしていたのだが、シゲルが宿に近付いて馬車の近くにいる人が歩み寄って来たのを見て、ますますそれは強くなっていた。
そして現在、その馬車を連れて来た人物とシゲルが、話をしているというわけだ。
その話の内容は、事前にシゲルが予想していた通りに、馬車の持ち主である主と会ってほしいというものだった。
どう考えてもトラブルの予感しかしなかったシゲルは、すぐに断ることになる。
「――知らない人に付いて行っては駄目だと親からも教えられているので、やはり遠慮しておきます」
「いえいえ、そうおっしゃらずに」
先ほどからこれと似たような会話を繰り返していて、まったく話が進まない。
ちなみに、その断り文句はないだろうと、シゲルは自分自身でわかっているのだが、もうすでに丁寧な対応が面倒になった末に出て来た言葉だ。
それでも、まったく顔色を変えずに、さらにはめげずに同じ調子で続けてくる相手は、ある意味でなかなかの心臓の持ち主だった。
……シゲルにとっては嬉しくないのだが。
いい加減に人の往来の邪魔になってきているよなあと思いつつ、諦めかけてきたシゲルだったが、そこで救いの手が現れた。
「――こんな場所で、長々と何をされているのでしょう?」
そう言ってきたのは、旅装用ではない神官服に身を包んだマリーナだった。
口調こそ丁寧だが、その顔は明らかに怒りに包まれている。
そして、その顔を見た使者は、一瞬だけしまったという顔をしていた。
「いえ。こちらの方が、わが主の誘いを受けてくださらなくて困っていたところです。折角ですから、マリーナ殿も説得していただけませんか?」
なにをどうすれば「折角ですから」ということになるのかわからないが、とにかく使者にとってはそうなるらしい。
それはとにかく、はっきりと怒りを示しているマリーナに、これだけのことを言い返せるのは、やはり強心臓の持ち主といえるだろう。
そんな使者に対して、マリーナは呆れた表情を見せながら言った。
「あのですね。貴族の招待と言いながら、自分の名前すら呼ばない相手に付いていくほど、彼が愚かだと言いたいのでしょうか?」
使者は、先ほどからシゲルの名前を一度も呼んでいない。
そこからも、あくまで「勇者の同行者」を呼びたいのだということが分かる。
「そ、それは……」
それをはっきりと指摘したマリーナを見て、使者は動揺したような視線をシゲルに向けた。
その顔を見れば、使者がシゲルのことを舐めていたことが、丸わかりだった。
その額に脂汗が出てきそうなほど困惑した表情を浮かべる使者に、マリーナはきっぱりと言い切った。
「もう下がりなさい。貴方の主には、私の名前を出せばいいでしょう」
使者に対して逃げ道を用意しながらこの場を終わらせることをマリーナは提案した。
それを受けて、使者はしばらく悩む様子を見せながらも、最後には頷くのであった。
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使者が馬車と共に去るのを見送ったシゲルは、宿の部屋に入ってホッとため息をついた。
「助かったよ、マリーナ」
「それくらいはいいのよ。それよりも、なぜ一人で外をうろついていたのかしら? フィーとミカエラは、まだ城よね?」
マリーナから突っ込みが入って、シゲルはしまったという顔になった。
実は、フィロメナとミカエラからは、一人で町を歩き回ったら駄目だと言われていたのだ。
完全に油断してしまったシゲルのミスなので、言い訳の余地もない。
「…………ごめんなさい。まさか、こんなことになるとは思わず、つい市場を見てました」
両手を上げながらそう白状したシゲルに、マリーナは大きくため息をついた。
「貴族という存在を舐めては駄目よ? 自分の目的のためには、いくらでも手間暇を掛けてもおかしくはないのだから」
「うん。今回のことで身に沁みたよ」
そう言って反省の色を見せるシゲルに、マリーナは小さく頷いた。
これがもし、フィロメナやミカエラであれば、まだまだ説教は続いていただろう。
この場で、わざわざ名前を調べていなかった片手落ちなのに、手間暇を掛ける場所を間違っているのではないかということは言わない。
そもそも貴族が相手なので、ただのフィロメナの同行者であるとわかっていればいいとだけ考えていてもおかしくないからだ。
それに、シゲルがあそこまで強気で、貴族からの誘いを断ると考えていなかった可能性もある。
今回はたまたまマリーナが来てくれたので何事もなく終わったが、これがシゲルの油断だったことは間違えようのない事実である。
もし今いる場所が王都でなければ、フィロメナたちもここまで過保護なことは言わなかっただろう。
現に、他の町や村では、一人で出歩いては駄目だということは言っていなかった。
それほどまでに、王都という場所は、やっかいだということだ。
もう一度マリーナに頭を下げたシゲルは、ふと思い出したような顔になって言った。
「ところで、来てくれたのはとても助かったんだけれど、マリーナはここへ何しに来たのかな? 確か今日は神殿に泊まるんじゃなかったっけ?」
「ああ、そうだったわね。すっかり忘れていたわ」
シゲルの言葉で、マリーナは自分が宿に来た目的を思い出した。
別にシゲルが窮地に陥っていることがわかっていて来たわけではない。
「以前見せてもらったポーション、いくつかもらえないかしら?」
「それはいいけれど、何に使うの?」
『精霊の宿屋』からポーションを取り出すには精霊力がかかるので、せめて目的くらいは聞いておきたい。
金銭を要求するつもりは、まったくない。
「折角の機会だから、シゲルに対する認識を改めようと思ってね」
マリーナは、シゲルがポーションを用意できる(作れるとは言わない)人物だとして、ある程度教会内で認知させるつもりだった。
現在のポーションの市場は、ちょうどつり合いが取れている状態とはいえ、物が物だけに値段が下がってほしいという認識はあるのだ。
勿論、市場が荒らされて一気に値段が下がったりするのは駄目だが、四桁単位で出さない限りは、そんなことは起こらない。
それだけ、ポーションの需要はあるのだ。
シゲルとしても、ポーションを出すことで自分の身を守れることに繋がるのであれば、いくらでも用意する。
「そういう事なら喜んで出すけれど……本当にいいの?」
以前にポーションの話をしたときは、マリーナもそんな話はしていなかった。
「いいのよ。前に話したときは、シゲルの名前を売るつもりはなかったから。今となっては、ちょっと目論見が甘かったと反省しているわ」
「あー、そういうことか」
先ほどの貴族からの使者のことを含めて、シゲルに対する注目度をフィロメナたちは甘く見ていた。
王都に入ってそれに気づいたからこそ、フィロメナとミカエラは、シゲルに忠告をしていたのだ。
先ほどの件で、それが実感として理解できたシゲルは、『精霊の宿屋』からポーションを出した。
これで精霊力がまた減ってしまったが、まずは身を守ることが優先なので、必要経費だと割り切る。
どうにも、何かあるたびに方針がコロコロと変わってしまっている気もするシゲルだったが、これはその場しのぎではなく必要なことだと、誰にするでもなく心の中で言い訳をしていた。
そんなことを考えていたシゲルからポーションを受け取ったマリーナは、
「ありがとう。これで後ろ盾……とまでは行かないけれど、少なくとも教会の関係者だとは思われるようになると思うわ」
まだ何も確定していないのだが、マリーナはそう言い切った。
それくらいのことは、このポーションがあればできると考えているのだ。
「それは良かった。でも、自分たちはこれから旅に出るのだけれど、その辺はいいの?」
「いいのよ。というよりも、だからこそ教会関係者なのよ」
フツ教は、大陸内でも三本指に入るほどの大きな宗教である。
その神殿は、どの国に行っても大抵は存在しているからこそ、旅に出るシゲルにとっては丁度いいのである。
勿論、下手にシゲルが使える存在だとわかると、教会内での駆け引きが激化する可能性があるが、その辺りは聖女であるマリーナが後ろ盾になって行くつもりだった。
そのくらいのことは、フィロメナの為にも自分が動こうと考えているマリーナなのであった。
流石にそろそろ王都を脱出したいと思う今日この頃。
でも、その前に、一旦『精霊の宿屋』と精霊について触れます。
その後で、王都脱出、でしょうか。




