(12)精霊育成師からの情報(前)
ザナンド王国第一騎士団長ゲレオンは、座っていた椅子から立ち上がって大きく伸びをした。
そして、さりげなく机から離れて出口へと向か――――おうとしたところで、氷のように冷たい声に遮られた。
「団長、どちらに向かうのですか?」
「ああ、いや、その……。ほら、そろそろ団の訓練が終わるから挨拶を……」
「それは後程で結構です。今は、書類に目を通してください。それとも、もう終わられたのですか?」
「い、いや、それは、ほら……」
しどろもどろになって何かを言おうと知るゲレオンに、氷の声の主であるベニートがわざとらしくため息をついた。
「今日はそちらの書類の処理が終わるまでは、部屋の外に出ることはまかりなりません」
「そ、それは……あ、ああ、ほら、トイレだトイレ」
「つい先ほど元気に昼食を召し上がったばかりで、腹の調子が悪いとは思えませんが?」
言い訳になっていない言い訳の全てを封じられて、ゲレオンはわざとらしくそっぽを向いた。
書類仕事から逃げようとしているゲレオンに対して、副官であるベニートがそれを防いでいるという構図に、同じ部屋にいる別の者たちは、興味を示そうともしていなかった。
彼らにとっては見慣れた風景で、止めるべき問題ではないということが共通認識として統一されているのだ。
それに、ゲレオンをかばえば、本気でこの場から逃げ去って仕事が滞ることが目に見えている。
そうなれば、巡り巡って自分自身の仕事が増える可能性があるので、今のやり取りだけでゲレオンに味方をする者はいない。
自業自得とはいえ、自分の味方をしてくれる者が一人もいないという状況に、ゲレオンはどうにかこの場から逃げ出すための理由をひねり出そうと頑張って頭を回転させていた。
そんな中で、ゲレオンにとっては救いの神となる一言が、部屋の外からやってきたものによってもたらされた。
「団長、よろしいですか?」
「なんだ? なにかあったのか?」
「団長を訪ねてお客様がいらしています」
「――客?」
そう言いながら首をひねったゲレオンは、先ほどまで自分を追及していたベニートを見た。
ベニートはゲレオンのスケジュールも把握しているので、念のため確認をしたのだ。
そのベニートが首を振って面会予定がないという自分の記憶が正しいことを再確認したゲレオンは、改めて報告者の顔を見た。
「そんな予定はなかったかと思うが、一体誰だ?」
騎士団長という立場にあるゲレオンを、アポもなしに訪ねて来る者はほとんどいない。
当然名前くらいは確認しているのだろうと聞いたゲレオンに、報告者は少し硬い表情になって告げた。
「それが……その面会者様は勇者殿です」
その言葉を聞いたゲレオンは、ピクリと右眉を上げてから無言のままベニートを見た。
一緒に着いて来いというゲレオンからのその視線の意味を正確に理解したベニートは、先ほどまでの追及などなかったかのように真面目な表情になって、すぐに立ち上がった。
♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦
勇者が通されているという部屋に入ったゲレオンは、ドアを開けて一行が揃っていることに内心で警戒を強めた。
事前に揃って来ていたことは聞いていたのだが、その全員の雰囲気で単に話をしに来ただけではないと察したのだ。
一応彼らの表情は緊迫しているというものではなかったが、ゲレオンのこれまでの経験から何事かが起こったと直感が働いたのである。
勿論、そんな頭の中の考えはおくびにも見せずに、ゲレオンは笑顔を見せながら客人たちに座るように促した。
「お座りください。――――それで、皆さんお揃いで何事かございましたかな?」
「騎士団を相手に駆け引きをしても意味がないので、単刀直入に言わせてもらう」
前置きもなしにいきなりそう切り出したフィロメナに、ゲレオンは真顔になって頷いた。
彼女の表情が、以前とは違って戦闘に関わるような雰囲気に感じたのだ。
そんなゲレオンに、フィロメナは重々しい表情のまま続けて言った。
「そなたたちは、北の異変についてどの程度把握している?」
そう言ってきたフィロメナを見て、ゲレオンは表情を引き締めた。
王国の北側で起こっている異変は第一騎士団の担当ではないが、これまでにない異変が起こっているという話は耳に入っている。
ただ、その話をフィロメナの口から聞くことになるとは考えていなかったのだ。
何故なら、彼女たちが王都の傍に例の船を泊めて以来、大きく動いたという報告を受けていない。
そんな彼女たちが、北の異変についての話を持ってきた理由が分からなかった。
あるいは冒険者たちの間で噂にはなっているだろうが、その程度の話をするためだけに、わざわざここまで来たとは思えなかったのである。
そんなことを考えたゲレオンは、わざとらしく右手で顎をさすりながら答えた。
「さて。私の耳に入っているのは、国の北の方で異変があるということと、二度目の調査でも具体的な理由は分かっていないということくらいですぞ。あとは、その調査が継続中だということくらいか……」
「そうか」
ゲレオンの言葉に、フィロメナはそう言いながら頷いた。
正直なところゲレオンが今言ったことは、王都の冒険者の間でも伝えられている情報でしかないのだ。
その程度の情報を知りたいがために、フィロメナたちがこの場に来たわけでは、勿論ない。
とはいえ、何の手土産もなしに、それ以上の情報を得られるとは考えてもいなかった。
「では、単刀直入に言うが、その北の異変についての原因が分かったと言ったら?」
続けてそう言ったフィロメナに、今度こそゲレオンは鋭い視線を向けた。
「……どういうことかな?」
「どうもこうもないんだがな。まあ、ここから先は私が話すよりも、シゲルに頼んだ方がいいだろうな」
肩を竦めながらそう言ったフィロメナは、視線をシゲルへと向けた。
フィロメナと同じように視線をシゲルへと向けたゲレオンは、一度だけ頷いていた。
それを確認したシゲルは、同じように頷き返してから話し始めた。
「最初に気付いたのは、私が契約している精霊たちでした」
「精霊が……?」
シゲルが精霊育成師を名乗っていることは、勿論ゲレオンも把握している。
だが、その精霊育成師の精霊が、今回の話にどうつながるのかが分からなかった。
首を傾げているゲレオンに、シゲルはもう一度頷いてからさらに続けた。
「はい。具体的には、北にあるカイネ山で精霊喰いが発生しているというものです」
「なっ!?」
その思ってもみなかった情報に、ゲレオンは驚きで腰を浮かしかけた。
感情を隠すことに長けている軍人にしては失態といってもいいだろう。
だが、ゲレオンだけではなく、一緒に着いて来ていたベニートも同じように驚きの表情を隠せていなかった。
それは、北の異変が精霊喰いによるものだという情報が、彼らにとってはそれほど予想外で、衝撃的だったということを示している。
自分の状態にすぐに気付いたゲレオンは、はっとした表情をしてすぐに頭を下げた。
「取り乱して済まなかった。……だが、にわかには信じられないのだが、本当のことですかな?」
「ええ。ほぼ間違いないことだと私は確信しています。……一応付け加えますと、このことは大精霊にも確認を取っております」
さらに付け加えられたその情報に、この青年(?)は、どれほど自分を驚かせれば済むのかと、ゲレオンは思わず内心で悪態をついてしまうのであった。




