(7)フィロメナのところへ
テクラがヤコミナ研究室に来たのは、お昼を少しだけ過ぎた時間だった。
それから数時間後、いつものようにフィロメナがシゲルを迎えに研究室へと来た。
そのときはたまたまシゲルの作業が中途半端で、フィロメナは研究室に入って終わるのを待つことになった。
そして、シンディーから出された飲み物を受け取ったフィロメナが、ふと思い出したように言った。
「そういえば、少し前になかなか面白い者が私のところに来たのだが?」
「面白い者? ……あっ」
少しだけ首を傾げたシンディーだったが、すぐに誰のことかを理解して少し慌てた様子になった。
勿論、フィロメナが言っているのは、テクラのことだ。
どう答えたものかとうろたえるシンディーに代わって、きちんとフィロメナの言葉を聞いていたシゲルが答えた。
「へー。今日中に、ちゃんとフィロメナのところまでたどり着けたんだ。ファンが多くいるって、本当みたいだね」
「うむ。シゲルがそう言うということは、あやつが言っていたことは間違いではないということか」
頷きながらそう言ったフィロメナに、シゲルは少しだけ笑みを浮かべた。
「テクラ姫はなんて言っていたの?」
「シゲルから私のことを聞いて、ファンに調べさせたと言っていたな。それにしても、姫とは?」
フィロメナが首を傾げながらそう聞いてきたので、シゲルは視線をシンディーに向けた。
自分が説明するよりも、より詳しいシンディーに任せたほうがいいと考えたのだ。
シゲルのその意図をきちんと読み取ったシンディーは、一度だけ頷いてから説明をした。
「それは、テクラに付けられている通称ね。実際に姫の身分にいるわけではないけれど、実力とその態度のお陰でいつの間にかそう呼ばれるようになっていたの」
「うん? それはいいのか?」
姫ではないのにそれを名乗るということは、本来であれば身分詐称ということになりかねない。
封建国家が多いこの世界では、身分を偽るというのはシゲルが考えている以上に重罪なのだ。
フィロメナの疑問に、シンディーは苦笑しながら答えた。
「あくまでも通称ということで、特にお咎めはないみたいね。それに、自分から言っているわけではなく、周りが勝手にそう言っているだけだから」
さらに付け加えれば、あくまでも学園内だけで通用する名前なので、そもそも偽証していることにはならない。
そもそも身分というものがないという建前で運用されている学園だからこそ通じる理論である。
「なるほど、通称か。それならありだな」
シンディーの説明に、フィロメナは納得の表情で頷いた。
通称であれば、例えば冒険者などにつけられる二つ名のようなものにも『姫』などの身分を表すような言葉が使われることがある。
フィロメナは、それと同じようなものだと理解したのだ。
ここで少し間が空いたためか、それまで黙って話を聞いていたイヴァーノが話に混じってきた。
「テクラ姫がここに来たのか?」
「ええ。シゲルの噂を聞いて、ね」
渋い顔になってシンディーがそう答えたのを見て、イヴァーノはすべてを察したような表情になった。
「……なるほど。発生源は、あそこか?」
「わざわざ言うまでもなく、ね」
シンディーの答えを聞いて、部屋の中にいたシゲルとフィロメナを除いたほかの面々も渋面になった。
大体なにが起こったのかを察したのだ。
その雰囲気を見て、フィロメナが首を傾げながら聞いた。
「なんだ。面倒なことでもあるのか?」
「いや。むしろ面倒なことが起こった後、なんだけれどね」
フィロメナの問いに、シゲルが苦笑しながら答えた。
ついでに、フィロメナのところに突進する前に、テクラがヤコミナ研究室でやったことを追加で話す。
そして、シゲルの話を聞き終えたフィロメナは、なんとも言えない表情で頷いた。
「なるほど。確かに、猪突猛進なところがありそうだとは思ったが、そこまでとはな」
「本人からの謝罪はきちんと受け取ったから、フィロメナがなにかをする必要はないからね」
そう釘を刺してきたシゲルに、フィロメナはすぐに頷き返した。
「ああ、分かっている。私から蒸し返すつもりはない」
フィロメナがそう断言すると、当事者の一人であるシンディーがホッと安堵のため息をついた。
そのシンディーの顔を見ながら、フィロメナは腕を組んで難しい顔になった。
「しかし、アーダムだったか。そっちのほうは、本当になにもしなくてもいいのか?」
元はといえば、テクラがヤコミナ研究室に来たのはアーダムからシゲルの噂を聞いたためだ。
一応誤解は解けたとはいえ、根本が解決されたわけではない。
「いいんじゃない? 一々訂正して回るのも面倒だし。それに、テクラは姫と呼ばれているだけあって、影響力もあるみたいだしね」
シゲルがアーダムの件に関して消極的なのは、面倒だからの一言に尽きる。
アーダムの思い込みを正すために、大精霊を呼ぶのもばかばかしいと考えているのだ。
テクラ云々というのは、一応反省している様子も見せていたことから噂を耳にするたびに訂正をしてくれるだろうと期待をしてのことだ。
彼女の性格であれば、それくらいのことはするだろうとシゲルは考えている。
そのシゲルの考えをきちんと見抜いたうえで、フィロメナが納得の表情で頷いた。
「まあ、シゲルがそう言うのであれば構わないがな」
「それに、自分は大精霊を見世物にするつもりはないよ」
「ああ。それは確かに」
噂を訂正するためだけに大精霊を呼ぶとなれば、シゲルが言ったように見世物になる可能性のほうが高い。
テクラの時のようにラグかリグ辺りを見せればいい気もするが、シゲルとしてはそれも避けたいと考えている。
大精霊だろうとラグたちだろうと、見世物になりかねないというのは変わりがない。
シゲルの言葉に頷いたフィロメナだったが、すぐに腕を組んで苦笑をしながら付け加えた。
「だが、多少もどかしいと思わなくはないな」
フィロメナは、基本的に自ら動いて解決をしてしまうという性格である。
そのため、シゲルのように待ち(防御)の状態でいるともどかしく感じることもある。
ついでに、ヤコミナ研究室の面々もシゲルと似たような性格の者が揃っているので、今のような状態が続いているのではないかと思ってしまうのだ。
フィロメナの言葉に、シゲルは一度だけ小さく頷いた。
「気持ちはわからなくはないけれどね。単に噂を消すだけじゃ解決しないから、変につつかない方がいいかと考えたんだ」
「そうか。まあ、そこはシゲルの好きにすればいいだろう」
直接自分に関わっていることであればフィロメナ自身が動いただろうが、今回はあくまでもシゲルに関係することだ。
シゲルが放置をすると決めたのであれば、フィロメナはそれに従うだけである。
勿論、シゲルが助けてくれと言ってきたならば、手を貸すことをためらうことはない。
「こっちはそれでいいんだけれど、突進したテクラの様子はどうだったの? さっきの言い方だと特に迷惑をかけたとかはなさそうだけれど」
シゲルの言い方に、フィロメナはもう一度苦笑を返した。
「まあな。大人しかった……とは言い難いが、迷惑になるようなことはしなかったぞ。私には懐いてくる子犬のように見えたな」
「ああ~」
フィロメナのたとえに、シゲルは納得した様子で頷いた。
テクラがフィロメナのことを特別視していることはあの時点で分かっていたので、なんとなくその光景が目に浮かんだのであった。
フィロメナとテクラの対面シーンはカット。




