村の神様と白雪姫
__どうしてこんなことになってしまったんだろうか。
ここ数百年ぶりの青空を仰ぎ見ながらふと思う。
いつ見ても憎いほどに高く、地上に縛り付けられた自分には手が届かないものである。
事の発端は、つい数日前のこと。
*
いつだったか、とにかく気が遠くなるくらいだいぶ昔、俺はとある村の神として祀られていた。
森の奥深くの、決して大きいとは言えない祠のようなものの中で。
ハデス、と俺のことを、村人たちはそう呼んでいたが、それが本当の自分の名前であるかどうかなんて分からない。
村に来る前のことは覚えていないし、自分がどんな神であるかも知らない。
ただ、村人たちは俺を崇める一方で、どこか怯えてもいた。
だから、数年に一度、決まった日に『生贄』が捧げされるようになったのだろう。
『生贄』は、いつも若い少女だった。
それは食べる用としてなのか、それとも俺の情欲を吐き出させるためなのか、けれど決まって美しい娘が差し出された。
もちろん、人間を食べる趣味はないし、別に女に困っていたわけでもそういうことがしたいと思っていたわけでもない。
そのため、元々、彼女達に手を出す気はさらさら無かったのである。
だが、その娘たちは殺されるか、性欲の捌け口にされるとでも思ったのだろう。
果敢にも俺に刃物を向け、側に潜んでいた村人の奴らに殺された者も、自殺した者もいた。
いつだって、生贄に選ばれた娘たちは死んでいったのである。
どれだけ顔が美しくとも、その死に際だけは美しくない、といつも思わされた。
彼女たちを殺しているのは、村人だけじゃない。自分だって、そうなのに。
そして今回も、また、とある娘が生贄としてやって来たのだ。
けれど今回の娘は、これまでのどの娘たちより美しく見えた。
綺麗な衣装に飾られて、眩しいほど、純粋な目をした少女だった。
緩くウェーブのかかった白髪も、白く小さな手も、なによりもまずキラキラとした目でこちらを見つめてくる少女に、なんてまっさらな存在なんだろう、と思ったのを覚えている。
全てが白く染められた、そんな少女だった。
名前は、と問うと、少女は「ミシェル」と小さく答えた。
儚そうな見た目を裏切らない、可愛らしい声。けれど、しっかりと芯がある。
その時は、何と返したんだっけ。
いい名前だな、とかそんなふうに言った気がする。
その時だ。その少女、ミシェルが、花が咲いたような可憐な笑みを見せたのは。
不覚にも、神ともあろう俺が、こんな小さな少女に見とれてしまうなんて。
しかしそれほど、嘘も汚れもない、純粋な笑顔だったのだ。いままで生きてきた中で、一度も見たことがないような。
「帰りたいんじゃないのか」
その問いかけに、ミシェルは静かに首を横に振った。
「帰っても......誰もいない」
「お前、孤児なの?」
それにも首を横に振る。
「......髪が真っ白だから、人の子じゃないって」
それで全てを察した。
要は、彼女は実の親に捨てられたのだ。
容姿が、明らかに自分たちと違うから。たった、それだけの理由で。
いつだって人間の親は自分勝手だ。
これまで長い間見てきたが、その考えを変えることはこれから先もきっとないだろう。
ミシェルの母親だって、自分が腹を痛めて産んだ子供を、自分の子供でないなんて本気で思っていたわけではないはずだ。
ただ、“周りの目”を気にしたんだろう。
自分たちがミシェルを受け入れても、村人たちが同じように振る舞ってくれるとは限らない。
自分可愛さに、自分の子供を捨てたのである。
他の村人たちからも同じような扱いを受けていたのだろう。彼女をここに連れてきた村人たちは、今までの娘たちとは違い、すぐに帰っていったようだ。
彼女以外の人間の気配はない。
そう。
ミシェルは、れっきとした人間である。
誰が何と言おうと、俺には分かる。間違いない、と。そう言い切ってもいい。
「......なぁ、お前、俺と一緒に来ないか」
気づけば、そんな言葉を口にしていた。
この村から出ることは以前から考えていたことだ。そう難しい事でもないし、いままではそれすらも面倒だった、というだけで。
だから、ちょうど良かったのかもしれない。潮時、というやつだろうか。
この少女と、旅に出よう、とその時決めたのだ。
それは同情だったのか、それとも、彼女に何かを感じたのか。もしかしたらやっぱり、ただ都合が良かっただけかもしれない。
けれど、自分ですら理解できない俺の言葉の意味を、いまいちよく分かっていないだろうに、ミシェルは迷いなく、確かに頷いたのだった。
*
そうして、話は今に戻る。
あの後、ミシェルを連れて無事村を出た俺は、ふらふらと宛のない旅を彼女と二人で続けている。
今は、また違う街に向かっている途中だ。見渡す限り草原の広がる、緑豊かな場所を歩いている。
考え事をしていたのを体調が悪いと思ったのか、ミシェルがこっちを向いた。
心配そうな彼女の目と目が合う。
「......にいや、疲れた?」
何故かミシェルは俺のことを「にいや」と呼ぶ。
別に俺はお前の兄貴じゃないんだが、と言ったのだが、「にいや」だと言って聞かないのでもうそれでいいかと諦めた。
「疲れたのはお前の方だろ?......顔が青いぞ。ちょっとそこの木陰に座れ」
顔をのぞき込んできていたミシェルの手を引き、木の下に連れていく。
こっちの心配はするくせに、自分のことは何一つ言わないミシェルは見ていてとてもはらはらする。
そうさせたのは、周りの大人たちだったのだろうけど。
地面に座り込んだミシェルの隣に座ると、ミシェルが肩に頭を乗っけてきた。
軽いには軽いのだが、確かな重みに少し焦る。
「お、おい」
少し揺さぶってみたが、スー、と寝息を立てて眠るミシェルは一向に起きる気配がない。
疲れが溜まっていたのだろう。気づけなかった自分も自分だが。
思わずため息が漏れる。
「......仕方ねぇな」
__けど、こんな日々も悪くないか。
そっと瞼を閉じると、穏やかな風が頬を撫でていった。