01話 ナルキッスは勇者に捨てられる
お目汚し失礼いたします。
楽しんで、でも頑張って書いてみます!
ぜひ、ご一読よろしくお願いいたします!!
「勇者様の言うことはー? \ぜったーい!/ 」
そりゃそうよね?
だって【魔王】と双璧をなす存在は【勇者】だけなんだもの。
世界の守手、民衆のヒーロー、世界に数えるほどしかいない存在。
まぁ<<数えるほど>>ってことは、逆にいえば、何人かいるってことでもあるんだけどね。
私?
私はただのヒューマンよ。
17歳の可憐な乙女……見て分かるでしょう?
そんな乙女が、どうして5日間連続で、酒場でくだをまいているかって?
それはね、勇者様を待っているからよ。
まぁ、そうよね。
私みたいな小娘が<<勇者様を待っている>>なんて、疑問を持っても当然かもしれないわ。
でも、いいこと?
よく聞きないさい。私はね……
「これでも勇者様のパーティーの一員な・の・よ!」
え?
なんで笑うよの!
ホントよ!!
ホントなの!!!
私、ナルキッス・ミウィ・ナルヒェンは勇者様の仲間なの!
信じてよ!!
ホントに勇者様と一緒に、10年間、冒険してきたんだからぁ!!!
そうよ?
10年間よ。
勇者様に拾ってもらったとき、私は7歳だったの。
どうしってって、そりゃ【口減らし】で、親に捨てられたからねぇ……
とりあえず、冒険者にでもなろうと思って、ギルドに登録したらさ。
偶然そこに居合わせた勇者様に、拾ってもらったのよね。
ホント、運が良かったって、そう思うわ。
そこから数年間、確かに私は、パーティーの味噌っカスだったわね。
子供が、凶悪なモンスターを倒せるわけないもの。
でもね、勇者様は本当に優しかったの。
私をいつも守るように、他のメンバーに言ってくれたりして……。
職業ポイントが貯まると、次に就く職業をいつも指示してくれたっけ……。
なぜか、変な職業ばっかりだったけど。
あれ?
あなた【職業】について知らないの?
まぁ、そっか、たしかに冒険者ならではの仕組みだもんね。
えっとね、モンスターの討伐をすると、職業ポイントってのが貯まるのね。
これはね、実際に敵にトドメをささなくても、バトルに参加していれば貰えるの。
で、このポイントが貯まると、ギルドで転職が行えるようになるってわけ。
例えば【戦士】とか、【魔法使い】とか、【僧侶】とか、そういったやつね。
その職業で経験を積むと、それに見合った【スキル】を獲得することが出来るのよ。
勇者様と一緒にいたんだから、そりゃもう、どんどん職業ポイントは貯まったわ。
普通は、その職業をある程度極めるまでは、転職ってしないのが通例なんだけどね。
勇者様は、積極的に私を転職させたわ。
だから、私が経験した職業は、正直思い出せないくらいあるわ。
なんでそんな転職を繰り返したかって?
そんなのわかんないわよ。
<<勇者様の言うことは、絶対>>なんだもん。
***
「で、結局のところよ。お前さんは、なんでこう何日も、酒場でくだまいてんだい?」
「だ・か・ら、勇者様を待っているの! さっきも言ったじゃない」
酒場の常連客のオッサンが、赤ら顔で絡んでくる。
というか、毎日私を見かけたってことは、コイツも毎日酒場に来ているってことよね。
お前こそ、一体なにやってんだ! って突っ込みたくなるわ。
「勇者様の仲間だってことはわかったけどよ。その勇者様はどこに行ったんさ?」
「さぁ? そんなことは知らないわ」
「知らないってお前。 知らないってお前。 知らないってお前」
「うるさいなぁ!」
3回はうざいよ。
だって、勇者様が『ここで待っていろ』って、そう言ったんだもん。
だから、私はここで勇者様を待つの。
なにか悪い?
<<勇者様の言うことは、絶対>>なのよ?
呆れ顔で、オッサンは酒場のカウンターの方へ去っていく。
はいはい。
酒場の美人主人とお話がしたいのね?
どうぞどうぞ、行ってくださいな。
別に私は、寂しくなんて……ないんだから!
ま、たしかにね。
ちょっとだけ、遅いなぁ…とは思うのよ。
実際のところは。
『小遣いだ』って言って、しばらく悠々自適に暮らせるくらいのお金を貰っているけどさ。
5日間も放置されたら、心配にもなるってものよ。
酒場には、もちろん冒険者もやって来る。
宴の話題はもちろん、自分の冒険譚や、英雄たちの快進撃の話が中心。
話題にのぼる英雄の中には、私が仕える勇者様の話も、もちろんあった。
だから、勇者様の身に<<よくないこと>>が起こってはいないのだろう、って思う。
それじゃあ、もしかして……。
もしかして、私のこと……忘れちゃった?
***
そして、勇者様から放置されて10日目。
「あら、いらっしゃい」
通い慣れた酒場のスイングドアを開けると、女主人が声をかけてくれた
「おはよぉーーー!」
「もう、お昼すぎよ? とりあえず、何か食べる?」
「ん。きょうはパンとミルクだけでいいや……」
「あら、どうしたの? いつもはもっと沢山食べるのに」
「べつにぃ……ちょっとね」
ちょっと懐が心配になってきたのだ。
いつも通りに、豪勢な飲み食いしたとしても、お金はあと20日はもつと思う。
でも、すぐに帰ってくると思っていた勇者様が、中々戻ってこないのだ。
その報せすらも、全く届いてこない。
あと20日以内に戻ってくる保証はないのだから、少し節約しよう。
そう思ったのだ。
パンとミルクを平らげると、もうすることがない。
今の私なら、街の周辺のモンスターくらいなら、一人で片付けることができるだろう。
だから、ちょっと暇つぶしにモンスター狩り!
ってのも考えたんだけれどね。
いつ勇者様が帰ってくるのか分からない以上、ここで待つしか無いのですよ。
「うぅぅぅ……。お酒、ちょうだい」
「今日も昼間からお酒? 働きにでも出たらどうなの?」
「私は、冒険者だもん! 働くってことは、街の外に出るってことじゃない」
「いや、そこは出ればいいじゃない」
「だ・め・な・の!」
「どうしてかしら?」
「だって、だって、勇者様が『ここで待ってろ』って言ったんだもん!!」
酒場の女主人が、キョトーンとした目で私を見つめてくる。
<<勇者様の言うことは、絶対>>
これは、世界の不文律といっていいくらいのルールだけれどさ。
もしかしたら、一般の人々にはピンと来ないのかもしれないわね。
私の所属していたパーティーでは、もちろんこれは、絶対のルール。
勇者様が『ここで待ってろ』と言ったんだから、私は絶対にここで待つ。
まぁ、夜は宿屋に引っ込むんだけどねぇ。
そこはそれ、これはこれ、よ。
ドヤ顔で、無い胸を反らす私を、女主人が見下ろしている。
どうして、そんなに憐れむような目で、私を見るのだろう?
勇者様の仲間として、その言い付けを守っているのよ?
そんな名誉なことは、そうそう無いっていうのにさ。
「今日は、私も一緒に飲んじゃおっかなぁ」
女主人は、ジョッキ2つになみなみと酒を満たすと、それを持って、私の横に座った
「わわわ。珍しいね? フィーロさんがお酒を飲むなんて」
「ま、たまにはね」
酒場の女主人、フィーロ・コラゥ・グラナートは、紛うことなき美人である。
30代半ばであるというのに、その肌は白く瑞々しい。
蒼銀の長い髪は艶やかで、揺れると薄いベールみたいで、いっそ神々しく思えるほど。
冒険者をはじめ、常連客から豪奢な衣服やアクセサリーを、いつも貢がれている。
それを嫌味なく着こなす姿は、この街の男だけでなく、女性さえも魅了していると聞いた。
エルフか何かの血が混じっているんじゃないか?
と、尋ねてみたことがあるけれど、小さな笑みを浮かべて、綺麗に躱されてしまった。
その答えはまだ聞けていないのだ。
酒場に通い詰めることで、私はフィーロさんと、結構仲良くなっている。
お客さんがいない時間帯などは、よく私の相手をしてくれてるのだから、自然と懐いてしまった。
ただ、今まで彼女とお酒を飲み交わしたことは、一度もなかった。
というか、酒場の営業中に、彼女が酒を飲んでいるところを見たことがない。
どんなポリシーかは分からないのだけれど、客と酒は飲まない人なんだと思っていた。
「はぁ……。美味しいわぁ」
「フィーロさん、お酒飲めたんだね?」
「そりゃね。下戸じゃ酒場の主人なんてつとまらないわ」
「でも、いつもは飲まないよね?」
「昔は飲んでたんだけどね。色んな人が私と飲みたがるもんだから、お店に手が回らなくなっちゃってねぇ。だから、営業中は飲まないことにしているの」
ッく! 格好いい。
自分がモテることを、さりげなく主張しながら、それが嫌味じゃないなんて……!
しかも【仕事優先】のこの姿勢、憧れるわ!
「ふーん。でも、今はいいの?」
「だって、今はナルちゃんしかいないもの」
フィーロさんは、私のことを【ナルちゃん】って呼ぶのだ。
「えーーー? でも、私だって、フィーロさんと飲むことにハマっちゃうかもよ?」
「うふふ……。そうだったら嬉しいわね」
そう言って、フィーロさんが、私の頬を撫でてくる。
ひんやりとした手の平に、なぜかエロスを感じてしまう。
生来のものなのか、水仕事で冷えたのかは分からないけれど、彼女の手は冷たかった。
「なぁに? もしかして、私のこと誘惑しているわけ?」
「うふふ……。そんなことはしないわ。アナタのことは、可愛い妹みたいに思っているもの」
「え? マジで!? それは嬉しいなぁ。エヘヘヘ」
これは……嬉しいぞ!
もともと家族に捨てられた私だから、家族ってのに飢えている感じはあるんだよね。
勇者様のパーティーでも、もちろん仲良くしてもらってはいたんだけれど……。
実力不足からかな?
なんだか少し、埋められない【距離】を感じていたんだよね。
「そんじゃさ、そんじゃさ、姉さん……って呼んでもいい?」
「あら? もちろん良いわよ」
ニッコリ笑うフィーロさんに、思わず赤面。
姉どころか、嫁にしたくなってしまうぜ!
「でね、ナルちゃん」
「なぁに?」
「あのね、あれから勇者様からの連絡はあったの?」
「んーーー。全然ないよ!」
「全然?」
「うん! 全然!!」
フィーロさんが、少し悲しそうな顔をしている。
もしかして、勇者様に何かあったのかな……?
「もしかして、勇者様に何かあったことを……聞いたとか?」
そう尋ねると、フィーロさんは、ブンブンと首を振る。
細くて綺麗な髪揺らいて、陽光にきらめくのが、凄く綺麗だ。
「あのね、ナルちゃん。怒らないで聞いてね?」
「うん。私は怒らないよ!」
「多分だけどね? 多分だけど……」
「うん?」
「多分だけど、ナルちゃん。勇者様に捨てられちゃったんじゃないのかな?」
***
姉妹契約解消!
なんじゃい!
あの……行かず後家BBA!
私が、勇者様に捨てられた?
なに言ってんのよ!
そんなわけないじゃない!!
私が一体、何年……勇者様のパーティーにいると思っているのよ!!
酒場を飛び出した私は、長期契約している宿屋の、自室の寝台の上。
そこで、ひたすらに枕を殴っていた。
(だって、もう10日も……なんの報せもないんでしょう?)
ボス! ボス!
でも、最初から、そういう予定だったかもしれないじゃない!
冒険先で、ちょっとだけ、トラブルがあったのかも知れないじゃない!!
(私ね……。あなたがギルドで勇者様に拾われた時ね、そこで働いていたのよ)
(勇者様は、こう言っていたわ……)
(「有用な職業スキルを調査するために、実験台がほしいな……」って)
ボス! ボス! ボス!
実験台?
上等よ!
それでもパーティメンバーじゃない!!
仲間であることに、変わりはじゃない!!!
(ナルちゃん、アナタ……色々な職業に転職させられたんでしょう?)
ボス! ボス! ボス! ボス!
ええ、そうですが、なにか?
勇者様がそう命じたんだもん!
パーティメンバーである私に、そう命じてくれたんだもん!!
(普通は、そんな無茶な転職しないわよね? させないわよね?)
(職業選択は、その人自身が、自分で決めることなのよ?)
ボス! ボス! ボス! ボス! ボス!
うるせぇBBA!
<<勇者様の言うことは、絶対>>なんだよ!
(そうだとしても、大切な仲間に……そんなことは命じないはずでしょう?)
ボス! ボス! ボス! ボス! ボス!
そんなの、わからないじゃない!
それに、私は嫌じゃなかったもん!!
嫌々従っていたわけじゃないもん!!!
(それにね。勇者様がこの店で、こんなことを言っていたこともあるのよ)
(「ナルキッスを使ってのスキル検証実験も、そろそろ終わりの頃合いだな」)
(「普通の奴じゃめったに就かない、レアな職業のスキルも実験できた」)
(「あの【お荷物】とも、そろそろお別れだな」って)
ボス! ボス! ボス! ボス! ボス! ボス!
う、うそやん……。
(あ、そうだ!)
(あとね。勇者様がナルちゃんを、ここに置いて出ていったときね)
(勇者様、こうも言っていたわ)
(「今まで、世話になったな、フィーロ」)
(「俺はもう、この町に戻ることは無いと思う……」)
(「お前を<<落とせなかった>>ことだけが、心残りだぜ……! アバヨ!」って)
ボスン!
詰んでますやーーーん!!
マジで捨てられてますやん、私!!!
つーか、フィーロ!
知ってたんだったら最初から言えよな!!
つーか「お前を落とせなかったことだけが、心残りだぜ(キリっ!)」のくだりいるか?
今、私にそれを伝える必要ってあるの??
「戻らない」って部分だけで十分だっての!
それで十分、ショックで死にそうだっての!!
なんで、もっと早く教えてくれなかったの?
って聞いたら、なんて答えたと思う……?
(え? ごめんね。言い辛くて……)
普通か!!!
思わず顔面に酒ぶっかけて、お店、飛び出しちゃったけど
(もし、ナルちゃんさえよかったら、ウチで働く?)
とも、言ってくれてたっけ……。
ちょっとやりすぎたかもなぁ。
あーあー。
あとでちゃんと謝ろう。
そうしよう。
そもそもフィーロさんが悪いわけじゃないもんね。
勝手に、勇者様の【仲間】だって思ってた、私が……ピエロなだけだもんね。
ピエロ?
そういや、そんな職業にも転職したなぁ。
勇者様が珍しく「この職業だけは【極み】まで到達するように」って言ったっけ。
ピエロの【極み】に到達して得たスキルは、確か……。
【デア=カプリース】だったかな?
せっかく憶えたのに、勇者様ったら
「絶対に許可なく使うな!」
って言うから、結局一度も使わなかったけど。
えっと、確か効果は……
【なんだか奇跡的な何かが起こる。その者の人生において、1度のみ行使可能】
だったかな?
意味不明なスキルだよねぇ。
冒険者に【ピエロ】をマスターする奴なんかまずいないからさ。
実際、謎スキルなんだよね。
それに、1回使ったら、もう2度と使えない特殊スキル。
世界中でも、効果検証がされた例はほとんどないって、聞いたことがある。
うん。
そうだ。
勇者様との決別の証に、このスキル使っちゃおうか!
うん、それがいい!
そうしよう!!
そう決心して、私は街を出て、夜の平原にやってきましたよっと。
広々とした平原。
街の明かりも届かない距離だけど、月が明るくて、視界はある程度保たれている。
見渡す限りに、人影も、モンスターの気配もない。
ひとりぼっちだなぁ。
今の私に、とてもマッチした場所だと、そう思う。
せっかく憶えたけど、使ったことがないスキル。
勇者様に使うことを禁じられていたスキル。
どんな効果がが生じるか、誰にも分からないスキル。
1度使ったら、2度と使えなくなるスキル。
勇者様からの【卒業の証】に、いっちょ、発動するよぉぉぉーーーー!
「……デア=カプリース!!!」
刹那に視界が奪われた。
漆黒の闇、なんて言葉が陳腐に聞こえるくらいの【真っ黒】が私の目を覆う。
……何も視えない……。
草の擦れる音、風が耳に当たって鳴らす音。
平原で聴こえていた音たちが、全ていなくなってしまう。
……何も聞こえない。
空気の流れの感触。
足裏に感じていた地面の柔らかさ。
風になびいた髪が、頬を撫でるくすぐったさ。
それらが全て感じられなくなっていく。
まるで、完璧に【なにもない】空間に放り出されたような?
……何も触れることができない。
平原の緑を撫でた空気を吸うとき、ほのかに感じる草の香り、その味。
口を潤す唾液の味。
息は苦しくないのだけれど、空気を吸っている感触がない。
私の【時】が止まったように、体も動かないし、唾液の分泌もないようだ。
……何も嗅ぐことができない
……何の味もしない
そして、徐々に思考すらも奪われていった。
あ、そうか、これで勇者様のこと、忘れられるのかなぁ……。
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豪という音が耳を襲って、脳が激しく刺激される。
雨に濡れた岩肌のような匂いが、無遠慮に鼻孔に届いて、思わず顔をしかめた。
ひどく固い地面に横たわっているようで、ザラザラと冷たい感触が、頬に痛い。
私ってば、どこかに<<落ちた>>のかな?
口の中が切れていて、血の味がする。
目を開けると、そこは細い路地のようだった。
石畳と思しき道の上に、私は横たわっているみたいだ。
ゆっくりと体を起こしてみる。
大きな怪我は無いようで、少し安心した。
ところどころ、打撲のような傷と、痛みはあるのだけれど……。
上を見上げれば、星も月も見えないが、明らかに【夜】だと思えた。
それでも、しっかりと視界が保たれているのは、きっと道の端にある【光】のせい。
ランプみたいなものだろうか?
灰色の真っ直ぐな棒の上に、ランプのようなものが光っている。
いや、ランプにしては<<明るすぎる>>かな。
もしかしたら、魔法の光を、硝子の中に閉じ込める技術があるのかもしれない。
まぁ、私はそんなの知らないけどさ。
もともと私は、それほど博識な方ではないのよね。
あ、ごめん、嘘。
むしろお馬鹿さんです!
「ってか、一体ここはどこなのよ?」
周りを見渡すと、道の両端には、小規模な建物が連なっているのが分かった。
街にあった【露店通り】に、よく似ている。
道の両脇に、露店商の店が連なっているそこは、庶民の御用達だったのだ。
それと違うのは、店構え。
露店商は、地面に布やら、獣の皮などを敷いて商品を並べるもの。
建物などは存在しなくて、あったとしても、簡易的な屋根ぐらいなものだ。
でも、この場所では、しっかりとした建物、それも2階建ての建物が連なっている。
それぞれの建物の入口には、これまた謎の【光】が設置されていた。
そして、光に照らされた看板に、文字が浮かんでいる。
「なんて書いてあるんだろう?」
文字……であるんだろうことは、なんとなく分かっる。
だけど、少なくとも、私が知っている文字でないことは確かだった。
「そんな時は……これ。ヴェルタレイト!」
唱えたのは、職業【翻訳者】が最初にして、最後に覚えるスキル。
これを唱えると、どんな文字でも読むことがでるのだ。
そして、どんな言葉でも理解し、喋ることができるようになる。
このスキルも【極み】に達して、はじめて得られるものだ。
だから、私が【翻訳者】であった期間は結構長かった。
【翻訳者】なんて職業は、冒険にほとんど役に立たないのよね。
だから、その間のお荷物っぷりときたら酷いものだった。
正直、思い出すだけで鬱になる……。
まぁ、たまーにこうやって役に立つから、結構使えるスキルではあるんだけれどね。
(ガヤガヤガヤ)
男たちが笑い合う声が聴こえる。
コレは知っているぞ。
酒場でよく聞いた、働き終えた男たちの、喜びの声だ。
ってことは、ここは飲食街ってことだろうか?
そういえば、美味しそうな匂いが流れてくることがある。
全体的には胸がムカムカするような、濁った空気なんだけど……その中に少しだけ。
それは、今まで嗅いだことがない匂いだった。
看板の、見たことも無い文字の事も考えれば
「ここは私が知らない場所なんだ」
と、私は思うに至る。
多分、謎スキル【デア=カプリース】が、空間転移効果を発動したんだと思う。
空間転移なんて、かなり上位の【魔法系職業】じゃないと使えないスキルだ。
まぁ『なるようになれ』で使ったとはいえさ。
【デア=カプリース】は結構使えるスキルだったのかも知れないね。
ちょっとだけ後悔だ。
起きちゃったことは仕方がない。
来ちゃったものは仕方がない。
ここが何処だかわからないけれど、まずは、それを知ることが先決よね。
でも、うーん。
どうしようか?
酒場と思しきお店に入れば、誰か居るだろうことは確実なんだけれど……。
正直、ちょっと恐い。
酒の入った男ってのは、やっかいなものって聞くしさ。
私は、お店の並びから
【BAR NOOK】
と書かれた、店舗をチョイスしてみた。
頭の中で<<隅っこの簡易食堂>>と、翻訳がなされる。
要するに、こじんまりとした酒場なんだろうと理解した。
確かに、他の店舗の喧騒とは違って、この店は静かだった。
店の扉に耳を寄せると、小さな音楽が聴こえてくるだけで、喧騒はない。
思い切って、ドアのノブを回して、扉を開けてみる。
中は、大人5人が並べる位の幅しかない、いかにも縦長の空間であった。
半分は厨房。
カウンターを挟んだもう半分に、丸椅子が並んでいる。
厨房には、男が一人。
見慣れぬ白と黒の服を着ている。
どうやら、ここの店主みたいだ。
そして、丸椅子にも男が一人。
その男は、白いシャツの上に、灰色のジャケットを来ている。
ズボンもジャケットと同じ色だ。
店主と同じく、それは、私にとって、見慣れない服装であった。
(カラン)
と、扉にくくりつけられた鈴が鳴った。
「いらっしゃい」
店主は、こちらを見ることなく、そう言った。
なにやら料理に集中しているようだ。
「珍しいね、お客さんだ」
「菊池さん、珍しいはないだろうよ?」
「ヒヒヒ。いつも閑古鳥が鳴いてんじゃんか? この店は」
「そんなこと言っていると、ツマミ……作ってやらんぞ?」
「わりぃわりぃ。そんじゃぁ、俺がお客さんの案内しちゃるかね」
そう笑いながら、丸椅子に座った、客と思しき男が、私のほうに体を向けた。
「何だお前……子供じゃねぇか! つーか【レイヤー】かよ?」
子供じゃないし!
そんで、レイヤーってなによ?
でも、それより……。
そんなことより……。
「ええ!? 勇者様!!!???」