第六話 ジャスティスレンジャーを、殺せ
それは少し前の時間の話。
クロスは有象無象の観衆の最前列で、変身したユダがジャスティスレンジャーと戦っている姿を見ていた。
「チャンスだレッド! 必殺技をぶち込むぞ!」
「ま、まて! ブルー!」
ヒーロー戦隊たちは完全に無力化したユダにとどめを刺そうとしている。レッドはコイン怪人の正体がユダであると気が付き、とどめをさすことに逡巡してブルーを制止していた。
クロスは息をのみながら、その様子を見守っていた。
レッドはコイン怪人の中身が、あの悪意のかけらもない少女だと気付いている。レッドがもしユダは悪い怪人ではないと判断してくれれば、ユダだけは見逃してもらえるかもしれなかった。
「ちくしょう! 今日は最低の日だぜ! さあ死にやがれ! このくそったれ怪人野郎が!」
だがそれはクロスの楽観的な推論にすぎなかった。レッドはヒーロー戦隊としての強い自覚を持ち、無慈悲にも死刑宣告を下していた。
「ッ!」
レッドの殺人予告を聞いた瞬間、クロスの背筋に冷たい電流が流れた気がした。
ユダが死ぬ。それもほぼ確実に。骨どころか、塵一つ残させない凶悪な処刑方法で。
「怨みごとは無しだぜ怪人野郎! 怪人になんてならなければ、こんなことにはならなかったんだからな!」
レッドはもう完全にユダを殺す気だった。そのレッドの声色には確かな覚悟が籠っている。
クロスはもう、観衆ではいられなかった。
不思議とクロスは一切の思考をすることなく、迅速に具体的な行動を行っていた。ただ直情的な行動原理に身を任せ、クロスは走った。
クロスは群衆を押しのけながら進むと、近くのコーヒーショップに駆け寄った。そのメニューの書かれた黒板の下から、吹き飛び防止用のおもりとして置かれていた建築用空洞コンクリートブロックを抜き取る。
クロスはコンクリートブロックの穴を掴んで、再び群衆の中をかき分けて進んでいく。
「なんだかわからんが、やっといつもの調子に戻ったな……。よし、ホワイト、パープル! お前たちも必殺技に参加しろ!」
「オッケー!」
「はい、今向かいます!」
ホワイトとパープルがジャスティスアックスを必殺技対応の銃形態に変形させながら歩いていた。
時間はもうわずかたりともない。
クロスは観衆の中を押しのけて、ホワイトとパープルの背中を追った。観衆から飛び出すとすぐに両手でコンクリートブロックを強く握り、加速をつけて振り上げた。
「えっ?」
パープルが背後を振り返った。ヘルメットのミラーコーティングされたシールドに、目を赤々と光らせたクロスの姿が鮮明に映った。
「ガアァァァァァァァァァァァァァ!!」
クロスが叫ぶ。
そしてクロスはパープルの側頭部にコンクリートブロックを叩きつけた。
「あぐぅ!?」
パープルは頭部に激烈な衝撃を受けて弾き飛ばされた。
よろけて飲食店のショーウィンドウに背中から突っ込んでいき、展示品の食品サンプルを破壊して背中を持たれかける。一瞬目を回したかのように頭を揺らすと、パープルは糸が切れたかのように全身の力を落として気絶した。
そのガラスの砕ける派手な音に気付いて、観衆や他のジャスティスレンジャーもクロスに目を向けた。
「わっ!?」
特に近くにいたホワイトがクロスに驚く。ホワイトはとっさの反応が出来ず、中途半端に変形させた斧を構えて半歩ほど後ずさった。
「オォォォォォォォォォォ!」
クロスは一撃目の勢いを反転させてコンクリートブロックを再び高く振り上げると、間髪いれずにホワイトの頭部に叩きつけた。
「あがぁ!」
苛烈なまでの衝撃がホワイトのヘルメットに伝播する。その衝撃でコンクリートブロックが真っ二つに折れるほどだった。
ホワイトは弾き飛ばされ、車道手前のガードレールに後頭部をぶつけて倒れ込んだ。
ガードレール周辺にいた観衆はあわててホワイトから離れた。ホワイトは後頭部をガードレールに押し付けたまま動かなくなり、力無く手足を地面に伸ばしていた。
「うそ! パープルとホワイトがらやれちゃった!」
「四体目の怪人だ! 今度はすごく強そうだぞ!?」
「が、がんばれー! ジャスティスレンジャー! 負けるなー! がんばれー!」
観衆から熱烈な歓声が飛ぶ。当然、クロスが一般人であることに、誰一人として気付くものはいなかった。
「……フゥー! フゥー!」
クロスは荒い息をマフラーの下から押し出し、高鳴る心臓を落ち着かせた。
思考が荒々しくたかぶっている。脳が興奮ホルモンを溢れださせている感覚がする。アドレナリンが心臓の鼓動を速め、それをクロスはコントロール出来ない。頭の中は真っ白で、なんとか自分がいま呼吸をしていることだけがただ感じられた。
やがて、レッドとブルーが動き出した。
「ホワイト! パープル! 大丈夫か!」
「あ、あいつは昨日の怪人だ! 不意をつかれた! 武器を構えろレッド! 襲ってくるぞ!」
レッドとブルーが必殺技の構えを解き、両刃斧と双斧を手に持ってクロスに対峙する。二人はそれぞれ炎と氷を斧に纏わせ、中距離攻撃にも即座に対応できるようエネルギーを準備していた。
「フゥー………………………………」
クロスは息を落ち着かせた。
もはや後戻りはできない。半ばから折れて役に立たなくなったコンクリートブロックをそこらへんに投げ捨て、レッドとブルーを充血した赤い目でにらみつけた。
一瞬のうちにさまざまな考えが頭によぎったが、やるべきことも起こるべきことも一つしかない。思考をほとんど働かさせることもないままに、クロスはレッドたちに向かって、一歩ずつ踏み締めるように歩いていった。
「く、来るぞ!」
「レッド! 俺たちも行くぞ!」
レッドたちに向かってゆっくりと歩いてくるクロスは、圧倒的な威圧感を背負っていた。
身長も体格もコイン怪人よりも低いはずの男だが、不思議と重量が十倍にも二十倍にも感じられた。フードの闇に隠された顔の深淵に爛々と輝く赤い目がレッドとブルーを睨み、生物的な恐怖を二人に叩きつけている。
その恐怖をごまかすかのようにレッドとブルーはクロスに向かって駆け出した。そしてただ力任せに、いつも怪人に向けて攻撃するように斧を振り下ろす。
「……」
しかしクロスは、視界の中でゆっくりと振り下ろされてくるレッドの斧を半分恐怖しながらも、容易に半身を捻って回避しながら分析した。
炎をまとわせただけのシンプルなレッドの斧だ。重さはその大きさの割に軽そうみたいだったが、レッド自身に尋常ならざる筋力があるのか、大上段から振り下ろされた斧は舗装された地面を軽々と破砕した。
だが地面に突き刺さることによってレッド自身には大きな隙が出来ていた。レッドはわざわざ一動作を加えて刺さった斧を引き抜く。
クロスはレッドが地面から斧を引き抜いたその瞬間に、赤いヘルメットに膝蹴りを繰り出してみた。
「ぐわっ!」
膝蹴りは狙い通りレッドの頭に当たり、レッドは背後によろめき尻もちをついて倒れた。
クロスはその様子をスローモーションでも見るかのように感じられていた。神経のたかぶりが世界をゆっくりと見せているかのようだった。
クロスがレッドをいなした次の瞬間に、ブルーが両手の斧を同時に斜めに振り下ろしてくる。それもあまりにも大雑把かつ、回避してくださいと言わんばかりの隙だらけの攻撃だった。
そう言えば昨日の埠頭の戦いでも、ヒーローたちは同じように大雑把な戦い方をしていた。埠頭では命の恐怖ゆえにクロスは情けなく逃げるようにしていたので気付けなかったが、ヒーロー戦隊たちの動きは力任せの大ぶり以外に技がないようであった。
クロスはほんのわずかに身を横にずらし、ブルーの双撃を回避した。ブルーは空振りの反動を反転させてニの太刀を放とうとするが、その二撃目が来るまでにもあくびが出るほどの隙があった。
もちろん二撃目が振り抜かれればクロスの腹から臓物が飛び出す攻撃ではあったが、気がつけばクロスの中の死の恐怖は大きく薄れていた。
クロスはスッと手を伸ばし、ブルーの首根っこを掴んだ。
ブルーは驚きで後ろにのけぞる。
「うっ!」
ブルーがうめく。クロスはそのままブルーの首を押しつけるように力を込めた。
指先にブルーの気道と動脈をきつく締めつける感覚がする。クロスが片手で押すと、ブルーは簡単に後ずさるようによろめいて背後に進んでいった。
どうやら変身してもヒーローの体重は普段と特に変わらないらしい。むしろ、少し軽くなっているようにも感じる。クロスがブルーを押し出すのに、さほどの力もいらなかった。
やがてブルーはずいぶんと押し出され、道路沿いの電柱に背中を叩きつけられた。
「うぐっ!」
ブルーは電柱に押しつけられて、さらにきつく気道を抑え込まれた。
どうやらヒーロー戦隊の全身タイツは衝撃力の無い攻撃には防御力を発揮しない作りのようで、クロスの指は深々とブルーの首に食い込み、ブルーの呼吸を完全に制限していた。
「あ、あが!」
ブルーはあわてて双斧を手放し、クロスの腕を掴んで握りしめた。
「グゥッ!?」
クロスの腕がメキメキと音を立てて締め付けられる。ブルーの手は常人の倍以上ある握力を込め、クロスの下腕の筋肉を半分の厚みになるまで圧縮した。
このまま掴まれてはクロスの腕などアルミ缶をつぶすように折られてしまう。クロスはあわててブルーの喉から手を離すと、ブルーもまたその手を離して自分の首をおさえて呼吸を吐きだした。
「か、かはっ! かはっ! は~、は~!」
ブルーは頭を下げてうずくまった。どうやら呼吸をすることに精一杯のようだった。
目の前にクロスがいるのに悠長なものである。クロスは手を振るって痛みを振り払うと、握りこぶしを作り、背後に腕を大きく引いて構えた。
「ヴオォォォォォォォォォォォ!」
クロスの火傷で変形した声帯から、デスボイスじみた濁った叫び声が吐き出された。
その濁った叫びと同時に放たれた渾身のアッパーカットが、ブルーのヘルメットに叩き付けられた。
「ぐあ!」
ブルーの頭が衝撃で跳ねあがり、後頭部をコンクリートの柱に打ち付ける。
「グオォォォォォォォォォォォ!」
さらにクロスは、電柱に打ち付けて戻ってきたブルーの頭部に肘鉄を叩きこみ、電柱に今一度ブルーの後頭部を叩きつけた。
「あ、がっ!」
くりかえされる衝撃にブルーの脳はシェイクされた。三半規官が平静を保てなくなり、ブルーは力なく膝を折って倒れ込んでいく。
さらに倒れゆくブルーに、クロスはやや勢いをつけた膝蹴りを頭部に叩きこんだ。ブルーは今一度、電柱にヘルメットを叩き付けた。
「がっ!」
ブルーは膝立ちの状態からゆっくり前に崩れ落ちていき、重力に沿って前傾に倒れようとする。
「オォア!」
さらにクロスは頭上で両手を組み合わせると、体重を乗せたアームハンマーを振り下ろした。ゆっくりと倒れていったブルーの後頭部にさらなる衝撃が付与され、ブルーの頭部は石タイルの地面に弾むほど叩きつけられた。
ブルーはついにうつ伏せに倒れ伏し、力無く横たわって完全に動かなくなった。
「ブ、ブルー!」
レッドが信じられないというように叫んだ。レッドの声にもブルーは応じず、ブルーは完全に気絶したのだとすぐに分かった。
「よくも! このおおおおおおお!」
ブルーを見下ろすクロスの背後から、斧を掲げたレッドが叫びながら走ってきた。
だがそのレッドの動きも、これから袈裟懸けに切ります、と言わんばかりの単調な動きだった。おまけに走るスピードも一般人程度に遅い。
むしろこれはフェイントで、実は何か隠し技があるのではないかとすら思えてしまったほどだった。
だがそのような高度な技術があればとっくに使用していなければおかしいものだ。ついそんなことを考えてしまうほど、レッドの動きは遅かった。
「…………」
クロスはのんびりと流れる時間の中、レッドの斧が振り下ろされるのを待った。
やっと振り下ろされてきた斧を、クロスは半歩身をひねってかわすと、レッドは自分の攻撃の慣性を抑えきれずによろめいてクロスの隣を通り過ぎていった。
「こ、このぉ!」
レッドは再び斧を振り上げた。だがその斧が振り下ろされる前に、クロスは右フックパンチをレッドのヘルメットに叩きつけた。
「ぐっ!」
レッドは大仰によろめき、隙だらけな体をさらにクロスの前にさらす。クロスはそこに追撃の前蹴りを叩きこんだ。
「うおっ、と!」
レッドは蹴られた腹部を抑えてよろめく。
その押し出される衝撃でレッドは車道に飛び出しそうになりかけていた。あわててレッドは足首のスナップを利かせて方向転換をして、くるりと振り返るようにクロスの方を向き直り、バランスを整えると再び斧を構え直した。
「な、なんなんだ、おまえは!」
レッドは恐怖するように言った。一切の痛みをレッドは感じていなかったが、身体的なダメージよりも大きな精神的ダメージを受けていたようだった。
まるで赤子の手をひねるようにレッドの攻撃は避けられている。大抵の怪人なら避けることも出来ない攻撃だったが、それがまるでかすりもしない。そのことがレッドに大きな焦りを生んだ。
「貴様の能力はなんだ! なぜ黙っている! 自分の名前くらい名乗ったらどうだ!」
これほどの異常事態はレッドのとって初めての事で、何かトリックがあるのだとレッドは考えた。怪人はたいてい自分の能力を説明したりするので、レッドはクロスが言葉を話すのを待っていた。
おそらく心を読む能力か未来予知能力辺りだと、レッドは予測していた。
「…………」
だがクロスは何もしゃべらない。ただじっと立って、レッドの動きを待っていた。
レッドにはそれが、まるでレッドを見下しているようにも感じられた。
「くそっ! うおおおおおおおおおおおおおおおお!」
レッドは早くも痺れを切らせて、破れかぶれの攻撃を放った。
だが、レッドが高く斧を振り上げた瞬間、それよりも早い突き刺すようなクロスの前蹴りが、レッドの腹部に深くめり込んでいた。
「ぐっ!?」
レッドは腹部をおさえて、押し出されるように背後によろめいた。痛みはない、だが、崩れたバランスが整えられない。
やがてレッドは歩道の縁石に足を引っ掛けて、バランスを崩し背中から車道に転がり落ちた。
「しまっ――!?」
車のクラクションの野太い重低音が、大音量で駅前に響いた。
重々しい衝突音。黄色信号を時速八十キロで駆け抜けようとした大型トラックが、レッドの体を一瞬で消し飛ばしていった。
鋼鉄のバンパーがひしゃげる音が鈍く空気を震わす。レッドの姿は誰の視界からも消え去り、少し時間が立ってから二十メートル離れた歩道の上にレッドは突然現れ、力無く何度も跳ね上がって転がっていった。
交通事故を起こしたトラックは僅かにブレーキ音を鳴らして減速したが、再びゆっくりと加速していくと、無情にもその場から消え去った。
その後、静寂が辺りを包み、遠くで鳴るその他の車の走行音だけが駅前の広場に聞こえていた。
静寂は時間にすれば短いが、誰もが永遠のように感じられた。
「「「「「「……………………………………………………………………………………」」」」」」
さっきまで熱烈な歓声を送っていた観衆が黙りこくっている。誰も何の感想を語ろうとはしない。
「え、終わり?」と、誰かがつぶやいた瞬間に、チラチラと話し声が聞こえ始めてきた。
「…………は。……え、おい、……うそだろ?」
「……え、……え?」
周囲の観衆がざわつき始める。誰もがこのような事態は初めてであったようだ。どのようにすればいいのか分からず、人々はきょろきょろと首を右往左往し始める。
ショーウィンドウに突っ込んだパープルが動かない。ガードレールに横たわったホワイトも動かない。仰向けに倒れたブルーも動かない。遠くで全身をぐにゃぐにゃに曲げたレッドも動かない。
だが一人だけ、車道のそばに立っている黒いレザーコートの怪人だけは、真っすぐに立って観衆たちに体を向けて、不気味な威圧感を放っていた。
観衆の誰かが怯えて、声を上げ始める。
「ヒ、ヒーロー戦隊たちがやられたのか!?」
「やばくないか、それ!」
「おい、それはまずいって!?」
「に、逃げろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
観衆たちは蜘蛛の子を散らすように走りだしていった。互いの体を押し付け合いながら、我先にと暴徒のように逃げ出す。
強引な逃走が子供を転ばせて泣かせた。転んだ子供はその母親らしき女性に抱きかかえられ、すぐに離れた場所まで連れられて行く。
多くの観衆は駅の中へ、他は国道の歩道沿いに街中へと逃げだしていった。
瞬く間に悲鳴と共に観衆はなくなり、駅前の広場にはクロスと動かなくなったジャスティスレンジャーだけが残っていた。
ガランとした駅前に、国道を走る車の音だけがやかましく響いた。
いや、もう一人だけ駅前の広場にポツンと残っている人物がいた。
変身を解いたユダだった。ユダはふらつきながらもクロスの近くまで歩いてくると、吸い寄せられるようにクロスの腹部に抱きついて、顔を押し付けた。
「うっ……、うっうっ…………、ううう……」
ユダは嗚咽を吐きながら強くクロスの体を締め付ける。涙がクロスの腹部を僅かに湿らせる。
クロスはそのユダに対してただ両手を浮かせて戸惑うしかなかった。涙をすりつけてくる少女にどうすればいいのか分からず、抱き返すことも出来なければ、指で涙をぬぐってやることも出来なかった。
ただ体を預けるままに、好き勝手泣かせておくことだけがクロスの精一杯だった。
その時だった。電柱下に横たわっていたブルーが、ピクリと指を動かした。
「うぐっ、あ、頭が……! 怪人は、どこだ……!?」
「っ!!?」
人気のなくなった広場に声が鳴る。うつ伏せに倒れていたブルーが気絶から回復したのだ。
クロスはあわててユダをコートのの中に隠し、その場から駆け足で離れた。
駅ビルと駅ビルの間にある非常に狭い裏路地に飛び込むように逃げる。人一人がやっと通れるような狭い階段を下り、エアコンの室外機が乱立するうす暗い路地を進んだ。
灰色のコンクリートの壁には隙間なくグラフィティアートが描かれ、金網のフェンスの向こうには鉄パイプで武装した浮浪者がドラム缶の焚き火を囲んでいる裏路地だ。本来ならば一般的な市民は通行止めに逢うような区画であったが、自然とクロスはその裏社会に溶け込んでいた。
地面に寝そべっていた刺青だらけの男も、クロスを見ると道をあける。裏路地のだれもがクロスを第一印象でそっち系の人間だと認識したようだった。クロスがちらりと目を向けただけで足元のホームレスが縮こまって道をあけ、スキンヘッドで筋肉質の男が無言でフェンスのカギをあけて逃げ道を作ってくれた。
クロスは焦ってこの裏路地に迷い込んだだけだったが、結果的に最良の逃げ道を選んでいたようで、抜け出た先はクロスのマンションに近い埠頭に続く街道だった。下から吹き上げる潮風がクロスのマフラーを僅かに揺らしている。後ろからヒーローたちが追いかけてくる様子はない。
コートの中のユダはクロスに喰いつくようにはりついていた。安全な場所まで出たのでコートの中からユダを出してあげようとも思ったが、ユダはクロスの腰から離れないので、しかたなくクロスはユダをコートに隠したまま、とりあえず自分のマンションに向かって進んでいった。
▼ ▼
「…………う、うう………………。モリス、トミー、君…………」
ユダはクロスのマンションで涙を流していた。顔を下にうつむけて、クロスの渡したタオルをギュッと握ってずっと動かない。
「…………」
クロスは泣きやまないユダを黙って見ていた。かけてあげられる言葉も見つからず、部屋に戻ってからは一度もメモ帳を触ってはいない。ただ、ユダが自身の力で立ち直ることだけをじっと待った。
「わたし、一人になっちゃった……。これから、どうすればいいのかな……。このままじゃきっと私も、近いうちに殺されちゃうよ……」
ユダは涙をにじませながら、握りしめたタオルに口をつけて言った。再びこぼれ落ちてくる涙をタオルで吸い取り、さらに強くタオルを目に押し付ける。
「もう、もうやだ! どうして、こんなひどいことにしかならないの! 私たちは確かに悪の怪人かもしれないけど、悪いことするかもしれないってだけで、どうして殺されなくちゃいけないの!? 私たちはなんにもしてない! なんにもしていないのに! モリスも、トミー君も、なにも悪いことなんてしていなかったのに! どうして、私たちは、決めつけられちゃうの……」
尻すぼみになっていく言葉をタオルの中に吐き出していく。再びあふれ出した涙を留めることはできず、ユダは顔全体をタオルで覆った。
「いやだよ……。死にたくないよ……」
ユダのつぶやきがタオルの中からぐぐもって聞こえてくる。その対角に座るクロスは、何とかユダを慰めてあげられないかと思案していた。
クロスはテーブルの上のメモ帳を手にとった。
上手い言葉も見つからなかったが、ただとにかく丁寧に文字を綴った。
クロスはメモを書くとユダの肩を指で二回つつく。するとユダはタオルから顔を上げ、クロスの提示したメモ紙の文字を見た。
『この建物の中は安全だ 好きなだけこの部屋に隠れているといい』
「でも、ヒーローたちのレーダーは明日にも性能が上がっているかもしれない。ずっとなんて無理だよ。いつかはきっと、見つかっちゃう……。見つかって、モリスやトミー君みたいに、封印されておしまいだよ」
この時、クロスは少しばかりの違和感を覚えた。殺されたというのに、なぜ、ユダは“封印”と呼ぶのか。駅前の戦闘でもヒーロー戦隊の武器は《魂を“封印”しました》と機械音声で知らせていた。死んだや殺されただの言う割には、やや不自然な表現だ。
死んだ人間が生き返るとは思えないが、クロスはまだ、二人の死体を見たわけではない。もともと怪人やヒーロー戦隊は超常的な存在である。“封印”されたのならば“解放”もできるのではないかと、クロスは考えた。
『封印されたのなら、助けることはできないのか?』
「え? さあ、どう、かな……? 私たちの中では、死ぬ事と、ほとんど同じ意味だから。……一度チップに封印されたのなら、もう元に戻ることはできないと思う」
『モリスやトミーを、助け出すことはできないだろうか?』
「わ、わからないよ……。だって、ヒーロー戦隊たちからチップを奪い返した話なんて、聞いたことがないもの。……で、でも、もしかすれば、チップを秘密基地にまで持っていけば、生き返らせることは、できるかもしれないけど……、でも、やっぱりわからないよ……」
ユダはところどころ尻すぼみになりながらも少しばかりの希望を持つ。
その希望に賭けるように、クロスはさらにメモに文字をつづった。
『試してみる価値はある どうだろうか?』
「そんなの、出来るの? ヒーローたちの居場所だって分からないよ?」
『グリーンマイルという店はどこにある?』
「グリーンマイル? それって、赤井君が言っていたお店だね。……あっ、そっか! 赤井君がジャスティスレンジャーだって、モリス言ってたものね。じゃあ、今夜赤井君が行くお店にジャスティスレンジャーが集まるんだ! ……あ、で、でも」
ユダはやや勢いのある口調になっていた。落ち込んだ様子は薄れていたが、だがまだ不安そうな雰囲気はぬぐい切れていないようだった。
「でも、待ってクロスさん。今度は、五人集まったジャスティスレンジャーを相手にしなければいけなくなるんだよ? ヒーロー戦隊は五人そろった時が一番強くなるから、私たち二人だけでは、とてもじゃないけど勝てっこないよ」
クロスは首を左右に振った。手早く次のメモ帳に文章を書き、ユダに見せた。
『自分一人だけで行く ユダはここで待っていればいい』
「一人で!? そんなの、危険すぎるよ!」
『おそらく問題ない 弱点は分かった』
「弱点? ヒーロー戦隊に、弱点なんてあるの?」
クロスはこくりとうなずきを返した。そして、確信を持ってメモを書く。
『ヒーロー戦隊は 一般人には勝てない』