最終話 ダークヒーローが僕らを守ってくれている!
ショッピングモールの冷たい床、周囲には弱々しく延焼するささやかな炎、そして割れた窓からのまばゆい光。
ブラック・ダイアモンドの生き生きとした歌が響き渡り、その音色がクロスの目を覚まさせた。
ショッピングモール四階・スポーツショップ。商品は爆発で端に追いやられ、広々となった通路でクロスは大の字に寝そべっていた。光につられて派手に窓の割れた外を見ると、月の無い夜空に無数のスポットライトが降り注いでいる。
「……ムゥ」
「気付いたか、クロス」
イエローもまた、クロスの近くで仰向けになって倒れていた。その状態は酷く、左肩左足の銃創から血を流し、顔にはガラス片が突き刺さって、さらには顔の右半分が焼け焦げている。右手の指も二本骨折、ガソリンの付着した左足は現在進行形で火が揺らめいている。
「外を見ろ、終わったみたいだぜ。あったけぇ光だ。こんな光、ぬるま湯にいるヒーローにしか出せない。全くを持って嘆かわしい」
イエローは笑った。笑うだけでも痛そうな重傷だが、まるで痛みを感じていないかのようだった。
「……ンム」
クロスは横たわったままうなずいた。
クロスももちろん重傷だ。自分で自分の症状を確認してみる。
左半身にめり込んだ散弾銃の弾、そのうち一つは足の関節に入り込んでいた。両肩三カ所の刺創からはゆっくりと血が流れ、手榴弾の爆発で肋骨もヒビが入っている。顔の火傷にも火傷が上書きされた状態だ。主要臓器や大動静脈を避けていたとはいえ、それが言い訳にならないほどの怪我の数々である。
「……死に掛け、って、感じでもねえな。笑っているのか、クロス?」
「ム?」
クロスは無意識的に自分の顔を確認しようとしてしまった。しかし周囲に鏡になるようなものはない。
「楽しかったのか、殺し合い。もしそうなら私も嬉しいぜ。なんたって、正義と悪をかけた本当のヒーローショーだったんだからな」
イエローは小さな笑い声を上げた。痛がる様子も見せず、ずいぶんと心地よさげな笑みだった。
「正義は私の全てだ。暴力的な正義はいつだって必要だ。だからクロス、お前にとっては迷惑だろうが、もし正しい事を貫こうとするなら死ぬ気で私と戦ってくれ。今日みたいにな。おかげで私は安心して全力が出せる」
イエローはクロスに向かって期待するような視線を向けた。
「だがまあ、結局のところ、私は今日の戦いで悪と戦えたのか? なんか物足りねえよな? 世の中はもっと、正義と悪できちんと二分割しておいてほしいものだ。どいつもこいつも正義を名乗りやがって。私としても正義が一つじゃないことくらい分かっているが、私を含めて正義を名乗る連中が多すぎる。どうしてこう、正義ってのは厄介なんだろうな?」
イエローは薄暗いショッピングモールの天井を見て、つぶやくように言った。
「たとえば私の正義は、悪を処刑する正義。レッドのは、どうも正義と善行を勘違いしている節があるが、平和を目指す正義と言ったところか。クロス、お前は、弱いものを守るという正義、らへんか? じゃあ、悪ってのは何だ? 今回の場合は悪役として立ち回った私か? 計画を立てたプロフェッサーか? それとも欲にまみれたキューティクルズか? クロス、お前頭いいんだろ? 答えを言ってみろよ? いったいなにを悪にすれば正義の味方ってのは正義の味方らしくなれるんだ?」
イエローは視線だけクロスを向けて尋ねた。
クロスはそれに答えようと重くなった腕を持ち上げ、痛みを無視して胸ポケットからメモ帳を取り出す。ボールペンは予備も含めて武器として使ってしまったので、いたしかたなくガラス片に血を滴らせて文字を書き始めた。
『悪とは マイナスの要素全てのことだ』
クロスはメモをイエローに投げるように手渡した。イエローは空中でメモをキャッチしてさっと文章を読む。
「辞書見てぇな答えだな。……だがまあ、これも間違ってはいないか。百人の為の一人の犠牲、兵役、政権批判、誰かにとってマイナスの要素となればなんだって悪呼ばわり。私の行動も、ついでに言えばお前の顔も全部悪だ」
「ム……」
クロスは不細工顔を指摘されて困ったように手を頭に乗せ、視線だけをイエローに向ける。
「もうちょっとこう、ロマンのある答えは無かったのか? 悪とは俺自身の事だー! とか、名言っぽいことつぶやいてもいいんだぜ? 世の中格好つけた方がお得だぞ?」
「ンムゥ……」
クロスは困ったような表情になってどう答えたものかと思案する。しかし格好付けた名言など思いつく訳もなく、仕方なくイエローの次の言葉を待った。
「それじゃあ、正義ってのはなんだ? 個人的な正義じゃなく、絶対不変で文句のつけようがない本当の正義だ。誰もが考えるような、共通した正義の概念。いわゆる究極の正義。私の正義を論破できる正義はこの世にあるのか? あるのなら教えてくれ、私の正義を倒せるのは正義だけだからな」
イエローはまるで自分に問いかけるかのように、そんな疑問をつぶやいた。
クロスはその問いかけに対してすぐにメモをつづると、二つ折りにして指にはさみ、今度は投げずにイエローに直接手渡した。
メモを受け取ったイエローは期待しているかのように笑みを浮かべて、興味心身にメモを開く。
すると開かれたメモには、イエローの想像をはるかに超えた答えがあった。
「ぶっふォ!」
イエローは笑って唾を吹いた。
「ふふふ……、くくくく、あっはっはっはっは!
大爆笑。イエローは腹を抱えて笑い転げる。体を丸めると床にはイエローの体の形の血の跡があった。
「バカ野郎! 全身痛いのに笑わせんじゃねえよ!」
イエローはメモを握りつぶしてクロスめがけて投げつけた。
メモはクロスの頭に当たり、ささやかな夜風に押されて床を転がっていく。
「ムゥ……」
クロスはさらに困ったような表情になってしまっていた。文句のつけようの無い正義を書いたつもりだったが、爆笑されるとは予想外だ。
だがクロスの困り顔をよそに、イエローの大笑いは止まらない。
「はっはっはっはっは! ああちくしょう! 笑いが止まらねえ! 全くを持ってその通りだ! それは確かに本当の正義だろうよ! そりゃあもう疑いようがねえ! 勝てるわけがねえ正義だ! あっはっはっはっは!」
イエローはしばらく笑っていた。笑いすぎて呼吸困難を起こすんじゃないかとクロスが心配になるほど、イエローは笑っていた。
そうしてひとしきり笑ってイエローは落ち着くと、ようやく再び話し始めた。
「ああ、笑った。笑った笑った。なるほどなぁ、本当の正義って確かにあったんだな。その正義からすればたしかに私は子供だ。あれなら私は足元にも及ばない正義だった。……安心したぜ、お前がその正義を掲げるのなら、私はやるべきことをやれる。私は今日から、正式に怪人王を名乗ることにしよう。悪の首領として、その役目をまっとうすることにするぜ」
「ム……?」
クロスは怪訝な声を上げてイエローを見やった。
「今回の戦いは私の意識不足が原因の一つだ。ヒーロー戦隊の為には悪役の座を一秒たりとも空白にはできない。もちろん正義を捨てるつもりはないが、正義の味方を名乗るのはやめるとしよう。怪人王として、ヒーロー戦隊と怪人が仲良くなれるよう、暴力装置としての悪役を演じる。あの深淵の管理者をもうわらえねえな、私も茶番劇を立てるわけだからな。悪役が日本にいない以上やるしかない。あんまり気乗りはしねえが……」
『それはやめておけ』
クロスがメモを握ってイエローの視界の端にチラ付かせる。
イエローはそのメモに気付くと、不思議そうな表情を見せた。
「なぜだ? お前ならこの茶番の合理性も理解できるだろ?」
『言い訳をするな 正義の味方が悪を名乗る理由はない』
クロスにしては珍しい強い文面。
イエローはそのメモを見ると思わず笑みをこぼした。
「おいおい、それは無理な相談だぜ。ヒーロー戦隊には必ず悪役が必要だ。その役に私以上の適任はいない。じゃなきゃ、また今回みたいな厄介な問題がいくらでも湧いて出てくるぜ? 本場の悪役であるリチャード副大統領から、新ヒーロー戦隊シリーズの技術利権狙いの技術屋戦争屋に新興企業までピン切りでな。付け入る隙は一切与えられない」
『未来を怖がる必要はない 私がいる』
クロスはさも当然であるかのようにそのメモを見せた。
するとそのメモをみたイエローは大声で笑った。
「ははははは! そうか! その手があったか! それなら負ける気がしない! いや、実際負けようがねえ! ……おい、まさか私と本当に協力するつもりか!?」
クロスは無言でうなずいた。
「今回のこれは氷山の一角だぞ! どれだけ厄介な問題が多いかわかっているのか!」
『協力すれば 出来ないことなどなにもない』
「ははは! そうか! じゃあいっそ二人で世界征服でもするか!?」
『必要とあれば』
「あっはっは! ……はっはっはっはっは! 本気か!?」
クロスはやはり無言でうなずく。
「そうか。……ふふふ、はははは! あっはっはっはっは! そうかそうか! 私は無意識に敵を恐れていたようだ! まさかお前に勇気を教えられるとはな! ははは! もう私は恐れねぇ! この日本が焼け野原になってもかまわねえよ! 並み居る敵を一緒になぎ倒すか! あっはっはっはっは!」
イエローはひとしきり笑った後、その楽しげな笑みを崩さずに答えた。
「そうと決まれば私は私らしく生きる。気に入らねえこの世界の不条理は力づくで解決するのが正義の味方らしいからな! おっと! とはいえ私は正義の味方はもう名乗れねえぜ? もし正義の味方としてジャスティスイエローに戻ってしまえば、怪人王の力を受け継いだヒーローとして進化し、インフレと技術革新で一瞬で世界崩壊だからな。だから結局は悪役の名目で行動しなければならない。その一点だけは気に入らねえがな」
「ムゥ……」
本日何度目かのクロスの困ったような声。クロスは急いでメモをつづった。
『正義の味方に悪は名乗って欲しくない 正義の味方が無理なら、ダークヒーローとでも名乗ればいい』
「ぶっふぉっ!?」
イエローはまたも激しく吹きだした。
「中二病ォっ!」
「オォ!?」
「いくらなんでもダークヒーローはねえだろっ! ダークヒーローは! ダークヒーローを名乗るとか、いくらなんでも恥ずかしすぎる! それはいわゆる罰ゲームだよ! くくく、ふははははは、あっはっはっは!」
自称正義の味方が自分の事を棚に上げて、イエローは肩を震わせて笑う。
クロスはそんな爆笑するイエローを怪訝そうに見た。
「いや、そんな不思議そうに私を見るんじゃねえ! 笑わせたお前が悪いんだろ! まったく、最低のアイディアだ! ダークヒーローとか、正気の人間なら名乗れねえよ! あはははは!」
イエローはひとしきり笑うと、今度はすっかり悩みの無くなったさわやかな笑顔になっていた。まるで憑き物が落ちたかのように肩の力が抜け、自縄自縛の責任から解放されたかのような穏やかさだった。
少ししてイエローは一息入れると、笑いすぎからくる痛みにやや表情を歪ませながらも体を起こした。
「はは。しかし助かったぜクロス。おかげで楽しくなりそうだ。あいつらにも宣言してやらねぇとな。四次元・時間」
イエローが腰の強制変身解除装置の電源を切った。すると体が一瞬にして、傷一つ無い状態にまで回復していく。
能力によって記憶以外の全ての状態が戦闘前まで完全に復元されたようで、クロスとの戦闘の痕跡は服の皺ひとつ残っていない。
「……」
「おい、そんな物欲しそうに見るなよ。セーフティーのせいでお前は治せないんだ。その怪我は自分で治してくれ。……今回の件、貸し二つでいいか? これはそのうち返すから、まあ待っていてくれよ」
イエローはまるで日常的な会話でもするかのように気軽な口調で言った。その表情にはいまだ笑顔が残っている。
その時、ショッピングモールの外から響いていた音楽が鳴り終わり、同時に盛大な歓声と拍手が鳴り響いた。
「ちょうど外も一曲終わって区切りがついたみたいだな。よし、いっちょあいつらをビビらせに行ってくるか!」
イエローは割れた窓ガラスに向かって走り出し、煌々と光輝く外の駐車場へと勢いよく飛び出した。
「おい、テメェらぁ! なにハッピーエンドを気取ってやがる!」
空中で怪人王の証である黒い紫電を身に纏い、地面のコンクリートを粉砕して格好良く三点着地を決めた。
クロスの位置から外の様子は見えないが、それでもイエローの登場に騒然とどよめく様子はありありと聞きとることが出来た。
「イエロー!? そうだ、忘れていた!?」
赤井、ジャスティスレッドの声だ。
おそらく赤井も普通にブラック・キューティクルのライブを楽しんでいたのだろう。クロスには容易に赤井の驚く顔が想像できてしまった。
「何が忘れていただ! ふざけんな! この事件の黒幕と大ボスはこの私だ! お前たちはまだ、何一つとして解決できていない!」
クロスはそんなイエローの声を聞きながら、胸ポケットにメモ帳を入れて帰り仕度を始める。
だがすぐに起き上がろうとはせず、仰向けのままイエローの叫びに耳を傾けた。
「いいか、今回はなんとか事態を収拾できたようだが、それもいつまで続くか分かったもんじゃねぇ! お前たちがまた問題を起こした時、いや起こさなくても、私はお前たちヒーロー戦隊を殺しに行く! それもこれも全て世界平和の為! なあ観客ども! そうは思わねえか! 世の中にヒーロー戦隊なんていらねぇ。ヒーロー戦隊なんているから世の中に悪が湧いて出てくる。半端な正義の味方なんているだけ邪魔だろ! 結局のところ正義の味方は暴力装置、私のような全部を皆殺しにする覚悟が必要だ!」
「イエロー! それは違う! 正義は暴力じゃない! 正義は平和目指して進む勇気のことだ!」
「うるせえよ! そもそもお前、今回は一般人よりも役立たずだったじゃねえか!?」
「うっ!? い、いや、そんなことは……!」
「だから私が立ち上がったんだ! お前のようなタマナシ野郎に正義の味方は名乗れない! 私からすれば半端な正義こそ悪そのもの! この私に殺されたくなきゃ一般人に戻ることだな!」
イエローは駐車場で大仰に手を振り体を大きく見せ、無駄に紫電を巻き散らかして演出する。黒色がかった電流はまさに怪人王の力を感じさせる堂々としたものだった。
「これで分かっただろう! 悪の怪人王である私だけが正義を名乗る覚悟がある! いや、正義の味方が悪の怪人王を名乗るのはおかしいな。じゃあこれからはこう名乗ることにしよう! 悪であり正義! 私の名は、ダークヒーロー、イエローだ!」
「ブボフォァ!」
世にも珍しいクロスの笑い声。クロスもまさか本当にダークヒーローを自称するとは思っていなかった。
イエローは一瞬だけ怪訝な表情でショッピングモールの四階の窓を睨むが、すぐに視線を赤井と観客に戻した。
「ダークヒーローだと!?」
赤井は真剣に驚き声を上げる。
「ああ、そうだ! 善悪関係ない本物の暴力装置! お前のような不抜けた正義だけでは世界の平和は守れない! これからはこの私、ダークヒーローがお前たちを守ってやる!」
イエローは表情を戻し、再び自信に溢れた声で観客に向けて宣言した。
腕に電流を渦巻かせ、瞳に黄色い輝きを宿し、不動の力強さで立ち構える。そのあまりにも堂々とした宣言は、観客にはむしろかっこいいと思わせるほどの勇猛さを見せつけた。
「じゃあな間抜けども! いずれまた逢おう! いずれどこかで起こりうる、ドンパチ賑やかな戦場でな!」
イエローは電流を巻き上げて消失する。その過剰な演出に観客の騒然とした声が響き渡る。
慌てて周囲の仲間と相談する赤井、屋上の舞台から観客に冷静さを保つよう勇気付けるブラックの声。
そんな言葉が聞こえてくるとクロスもようやく行動を起こした。
「……ム」
クロスももうクランクアップする時間だ。
上半身を起こすと床とクロスの背中の間にいくつか血の糸が伸びる。
急所を外しているとはいえ充分な出血だ。動くたびに激痛が走る。
だがもうクロスが痛みにうめくことはない。すっかり痛みに慣れてしまった。
体力はもうどこにも残っていないが、気力や精神力はすり減ってはいない。回復したイエローがもう一戦仕掛けてくるのを懸念して隠し持っていたガラス片をそこらに投げ捨てると、床に手を付けて立ち上がる。
「……」
血液を吸って重くなったロングコートがずしりと肩にかかる。筋肉の中に残留した散弾が動くたびに激痛をもたらす。無数の切り傷に火傷、失血、銃創、普通の人間ならばのたうちまわって死を覚悟する状態だ。
だが今だけはゴム質に変質して血のめぐりの悪くなった皮膚に感謝せねばならない。急所を外せば収縮した皮膚は失血死しない程度に出血を減らしてくれる。あくまで気休め程度かもしれないが、もし第三者が見れば傷口がふさがっているかのように見えるだろう。
クロスは歩きだした。散弾が食い込んだ足は歩くたびに激痛と出血が襲うが、今だけは体の不調など無視してもいいと思えた。
いつの間にかは分からないが、今回の一戦でクロスの限界装置は本格的に壊れてしまったようだ。命の危険を知らせる人体の信号を意図的に無視できてしまう。
ややよろめいてショッピングモールの柱に手を付くと、そこにはべったりと自分の血の手形が残っていた。死に体の肉体を精神力だけで操っているかのようだった。気力だけならイエローともう一戦できるほど有り余っている。
「きゃぁぁぁ!」
「うぉぉぉぉ!?」
意識がもうろうとして、気が付くと観客の悲鳴がした。
ショッピングモール裏までクロスは歩いて来ていた。どうもクロスの記憶が飛んでいる。ここまで来る過程が思い出せない。
周囲にはクロスの姿に怯える観客が距離を取っていた。クロスの姿が相当恐ろしいようだ。
「……」
クロスが視線を向けると人の波はすごい勢いで道が開いた。ブラックがライブをやっている会場の反対側とはいえ、メインの会場から溢れた観客は相当数に上る。
クロスはフードで顔を隠すのを忘れていたので、焼け焦げた血まみれの顔を晒している。よく見ると歩いてきた道は筆で塗ったかのように血で道が描かれていた。黒革の手袋からも血が滴っており、全身からは焼死体のような香りがする。とにかく血なまぐさい。
そんな見た目を差し引いても観客が怯えるのも当然だ。観客はクロスが何者なのかまるでわからないのだから。
先々週くらいに突然現れ、駅前で法律戦隊ジャスティスレンジャーを滅多打ちにして消えていき。ショッピングモールでも突然現れるとキューティクルズに暴行を加えたあげく、怪人王を名乗ったジャスティスイエローにも襲いかかっていった謎の人物。怖くないわけがない。
状況はよくないが、だがクロスにとって正体が知られていないのは好都合。クロスが何者か知られれば最終的に過去を探られ、今は記憶を消して田舎で平和に過ごすことが出来ている母親にも迷惑がかかることだろう。
「ム……」
クロスはふと振り返り、ショッピングモール内に一つ痕跡を残してきてしまったことに気付いた。
イエローを爆笑させて、くしゃくしゃに丸められた、クロスの正義の書かれたあの一枚のメモ紙だ。
もっとも見つかっても問題ない内容である。さらに言えばもう取りに戻る体力も時間もない。
「フゥ……」
クロスは深く考えることを止めた。もうあまり思考に使えるほどの血流がない。
眠気がクロスを襲うが、激痛を目覚まし代わりにもう少し歩いた。徒歩で家まで帰ることはもう不可能そうである。仕方ないので、近くにあった手頃なバイクを拝借した。
「お、おい! 俺のバイク!?」
「やめろ! 近付くな!」
持ち主が慌てている。しかしクロスは緊急手当が必要な急病人だ。緊急事態ゆえに許してもらいたい。
クロスがエンジンをかけてみると存外に大きな爆音が響いた。
乗った時は気付かなかったが、バイクはブラックメタリックの車体にファイアーペイント塗装のされた改造大型二輪。もちろんエンジンからなにから全てが改造されている。違法な改造もされているようで警察に被害届も出しにくいのだろう。持ち主は相当慌てている。
クロスは思考の中だけで、後々ナンバープレートから彼の住所を探して十倍の金額を返却することを約束した。
これ以上騒ぎになる前にさっさと帰るしかない。クロスはそう考えるとすぐにバイクのアクセルを回す。
「……」
「うわっ! 離れろ!」
観客たちが我先にと逃げて道を空ける。
クロスはそんな悲鳴に見送られて帰路についた。
影の功労者でありながらねぎらいの言葉など一つもない。賞賛も癒しも報酬もクロスには一切ない。希望の一つすらクロスは求めない。だがそれでも構わないと、クロスは思った。
イエローに爆笑されたあのメモの正義に近付けたのなら、それはきっと、クロスの夢がかなったとも言えるだろう。そう考えれば自然と笑みすら浮かんだ。
「グッグッグッグッグ」
ゴリゴリと低い重低音の効いた笑い声。その笑い声を聞いた観客は恐怖に目を見開いた。
血しぶきを巻き上げながら闇夜を走る殺人鬼顔。
観客はまず、遠目で見える赤い眼光に驚き、近付いてくる火傷でただれた笑顔に悲鳴を上げ、すれ違いざまに血のしずくを顔に浴びて絶叫する。これは怖い。
クロスは朦朧とする意識をなんとか繋ぎ止め、時折観客を引き殺しかけながらもショッピングモールの敷地から撤収した。
正体を知られることなく平和を呼び寄せた者の名は、決して知られる事はなかったという。
▼ ▼
「ユダっち待って待って! 封印解放されたばかりで走るのキツイって!」
「急がなきゃモリス! イエローが無傷で出てきたんだよ! クロスさん殺されたかもしれないんだよ!」
「死なないから! クロスさん見た目的にも死なない体だから!」
ユダとモリスがショッピングモール内の停止したエスカレーターを駆け上がる。
外ではブラックの観客を安心させる台詞と共に歓声が響き、二曲目の歌が始まったところだった。
ショッピングモールの内部はいまだ薄暗いが、外のライブの光が窓から差し込んで充分な明るさがあった。大分離れたところで燃えるタンクローリーの炎がいまだに光を放っていたが、一人で消火活動をしていた消防士が消火器怪人に変身できるようになったのでもうすぐ炎は消えるだろう。
ユダとモリスが駆け上がるのはそんな光とは離れた場所にあるエスカレーターだ。
「きゃっ!?」
「ユダっち!?」
ユダが転んだ。ちょうどイエローとクロスの戦っていた四階に到達した途端だった。
「大丈夫? って、わっ!? 血まみれ!?」
「えっ!? えっ!?」
ユダは床の血だまりに足を滑らせて転んだのだ。膝や胸にべったりと赤い血が張り付いている。
「な、なにこれ!?」
モリスが驚く。
四階の広場のあちこちに血痕があった。派手に燃え広がる破裂したガソリン缶。床に転がっているのは血の付いた斧、血の付いたナイフ、血の付いた高枝切り鋏、電動ジグソー、漏電しているスタンガン、打ち尽くされたリボルバーに、ショットガン。爆発物がいくつか爆発した痕跡も黒く残っている。
凄惨な殺人現場でもここまでひどくはならない。一体どれほど強烈な殺し合いをすればこうなるのか、想像も付かなかった。
「クロスさん、ここで戦ったんだ!」
「見ればわかるって!? いや、でも、クロスさんの姿がない?」
「あっちかな?」
ユダが指差したのは奥のスポーツショップだ。四階の広場から血の道がスポーツショップに続いていた。
スポーツショップでは床に張り付いたガソリンがちらほらと燃えている。ちょうどブラックのライブ会場の真下のようで、窓からの光に押されて消火されかかっていた。セーフティーがかかった必殺技は生命体には影響を与えないが、炎などを多少消火する程度には物理的な影響力を持つので、窓の広いスポーツショップ内部の炎は光に押し潰されて消えてしまったようだ。
「クロスさーん! いるの!」
ユダは起き上がってスポーツショップに向かって走っていった。
ブラックの必殺技の余波で商品は押しのけられ、店舗の中央に大きな血だまりが二つあるのがわかった。
「ユダっち、ここにはいないみたいだよ」
「待って! あそこにメモがある!」
ユダは血だまりと血だまりの間に落ちていた丸められたメモ紙を見つけた。ユダには見覚えのある、クロスが筆談にいつも使っているメモの一ページだ。
ユダは駆け寄って拾い上げ、メモを開き、書かれている内容に困惑する。
「このメモ! クロスさんの字だ! 血で書いてある!」
「血!? ダイイングメッセージ!?」
「そうかもしれない! ……けど、意味がさっぱり分からない」
「ええ!?」
ユダはモリスにもメモを見せた。するとモリスもメモを見て首をかしげてしまう。
「なにこれ……。暗号、じゃないね。どういう意味だろ?」
「わかんない」
ユダとモリスは二人揃って顔を見合わせてキツネに包まれたような表情になる。
それはイエローを爆笑させた、クロスの正義が書かれたメモだ。その意味は二人に知る由もない。
メモにはこう書かれていた。
『アンパンマン』と。
《ダークヒーローが僕らを守ってくれている!》ようやく完結いたしました。書きたいことは全部書けたので満足です。これも皆様のご声援のおかげです。本当にありがとうございました。
第三章の構想はありますが、元々この作品はキューティクルズ編を合わせて二部完結する予定でしたので、クロスさんとキューティクルズのささやかな短編を執筆した後、塩漬けとなります。
どうぞ次回作にもご期待ください。