第三十五話 光明のグランドフィナーレ キューティクルズの深淵!(後篇)
ダークネスの渾身の猛攻。右足刀蹴り、左フック、反転左回し蹴り。
しかしその猛攻は全て、イソロクに操られているローズとアザラシに防ぎ切られていた。
あきらかにダークネスの攻撃力は落ち、反対に闇を身に纏ったキューティクルズの戦闘能力は数段グレードアップしている。
ダークネスの攻撃力が落ちたのは、ひとえに闇の供給が一斉に断たれたからだ。キューティクルズは半ば怪人化してしまい、キューティクルズのコアが生み出す闇は深淵に送られずに自己強化に向けられている。さらにはダークネスの力の大半を構成していた一万人の観衆の心の闇も、いまはブラックが口ずさむきれいな歌声のイントロに希望を見出して減衰していた。
ダークネスは攻撃する手を緩めないが、闇で強化されたキューティクルズとの実力差が如実に表れてくると苦しげな表情を見せた。
「クッ!」
ついにダークネスの右ストレートが、アザラシに片手で受け止められてしまった。
その様子をみたイソロクが驚く。
「どうしたダークネス!? その弱々しい拳……! そうか! 歌が希望の光を生み出しているのか! なんて愚かなのだダークネス! あの歌が観客の心に響けば響くほど、お前は弱っていくだろうに!」
イソロクは勝機を得てより表情を引き締める。軍服が翻るほど大きく軍刀を振り、立体図面上の駒をアクティブに再設定してみせた。
駒の動きと連動して、ショッピングモール屋外駐車場で糸の切れた人形のようだったキューティクルズ達も起き上がる。
「う、うう、お、おいしい、フレンチ……」
「立ち、たい……。病院を、出て……、ボクシングを……。あの、チャンピョン、ベルトを……」
キューティクルズは具合が悪そうに顔を青白くしている。まるでゾンビのような起き上がり方だった。
「軍律! 統帥権を行使し、政戦略を一致させる! いざ起立!」
だがイソロクが図面上の駒をピシリと整えると、キューティクルズは一斉に背筋を伸ばして起立した。
「我が闡明せしは闇の玉音! 耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ぶ必要などもはやない! 今こそ自由と平穏の為に戦う時! 心の闇を解き放ち、本当の自分を空け広げ、あの忌々しい光を打ち滅ぼすのだ!」
階下の駐車場のキューティクルズは一斉にブラックに向き直り、そして彼女らは憤怒・憎悪・享楽・羨望のさまざまな表情を浮かべて突撃していく。
「ブラック! 危ない!」
「きゃあっ!」
赤井がブラックを付き飛ばした。ブラックの歌声は止まり、それと同時にフクロウのキックが赤井のほほに当たって強く蹴とばされる。
「うぉぉぉぉ!」
さらに間髪いれずにブラックの上に警備員が覆いかぶさった。警備員の背中にトリガーハッピーの銃弾が雨のように降り注ぎ、まばゆいばかりの火花が散った。
「ぐぅぅぅぅ!?」
「警備員さん!?」
ブラックは驚きの表情で警備員を見る。抱きしめられたブラックに怪我は無いが、警備員の制服の背中が焼け弾け、火ぶくれを起こしていた。
「ブラック、行け! 走れぇぇぇ!」
警備員はその場からブラックを逃がそうと腕で腰を支えて押し出す。すると同時に弾丸の雨は止み、代わりに出刃包丁を逆手に握ったコック・キューティクルが飛びかかっていった。
「クッキーーングッ!」
「ぐあぁぁッ!?」
警備員の背中に包丁が突き刺さる。だが幸いなことに人体において背中の防御性能は高い。包丁は肋骨にぶつかり、深くは刺さらなかった。
「そんな!?」
ブラックはあわてて警備員に駆け寄ろうとする。だがその瞬間、強烈なライダーキックがブラックの頬を貫いた。
「がっ!?」
ブラックはコンクリートの上を二転三転して転がる。
「う、うう……」
うつぶせた姿勢で痛みにうめきながらも、ブラックは視線を攻撃者に向けた。
ブラックを蹴飛ばしたキューティクルズは、アカネだった。
「ア、アカネ、さん……」
ブラックは信じられないようにアカネを見る。
アカネこと、闇に侵されたルビー・キューティクルは、首を力無く横に曲げ、狂気をはらんだ笑顔でブラックを見ていた。
「あはははは! ブラック! ブラック! 楽しいよ! これすごく楽しいよ! すごく心がすっきりするんだよ! 全部の悩みが消え去ったみたい! もう人の目を気にしなくてもいい! 親も他人も関係ない! アイドルだったのも昔の話! 今の私は、“楽しい”だけを求めて生きていける! 私の白馬の王子様は、【狂気】だったんだよ!」
アカネは両手を広げ、まるでミュージカルのように回って踊る。その様子にかつての面影は無い。街灯の柱を掴んでくるりと回ると、快楽殺人鬼を連想させる表情筋の壊れてしまったような顔のアカネがいた。
「違う……。アカネさん、あなたはそんな笑顔の出来る人じゃない。みんなに愛されて、歌の才能があって、善意で人を助けることができる、そんな人だった」
「それは私の仮面! 善人気取りで取り繕っただけの私の笑顔! 本当の私はそんな女の子じゃない! 本当の私は、誰も知らない本当の私は! 誰よりもどす黒い、変態趣味の変な女子中学生! この姿こそ、本当の私なの!」
アカネは衣装からリボンを一つ抜き取ると、そのリボンで自分の首を思いっきり締め始めた。
「ぐえぇぇ!」
「アカネさん!? だめ!」
ブラックは駆け出し、アカネにタックルを仕掛けるとリボンを奪い取った。
アカネは大仰に転げまわり、酷い笑顔を当たりに巻き散らかした。
「あははは! 痛い! 苦しい! 気持ちいい! 分かる!? これが本当の私! 家のベッドで自分の首を絞めてみて、楽しんでいる変態が本当の私!」
「違う! 違います! アカネさん! 正気に戻ってください!」
ブラックはアカネに駆け寄ろうとする。だが、その瞬間アオバが二人の間に割って入り、強烈な右フックでブラックを殴り飛ばした。
「うっ!?」
「ブラック……。僕たちの事は放っておいてほしい。こうして闇に浸されると分かるんだ。キューティクルズをやめれるのは、今しかない」
「アオバさん……」
「僕たちは闇。今日たとえ光を取り戻しても、十年二十年すればまた闇を蓄積させて同じ事をやらかすんだ。もう、終わりにしようよ」
「そんな……。……そんなのは、違います!」
ブラックはキッと強い視線でアオバを睨み返した。その目には確かな希望の光が宿っていた。
「私たちが積み上げてきたもの、アオバさんだって忘れていないはず! 私たちの戦いは、辛いことばかりではなかった! アオバさんは闇に侵されて、忘れてしまっています!」
「……そんな、ことは」
「アカネさんも、アオバさんも、キューティクルズは憧れの存在だったはず! たしかにアイドル業は辛いことも多かった! でも、辛いレッスンや汗まみれになったコンサートの後でも、みなさんには笑顔があった! 私がずっと追い求めていた、あの充実そうな楽しげな笑顔! あの笑顔は、絶対に仮面なんかではなかった!」
ブラックは背筋を伸ばして立ち上がると、顔の爪跡に残った涙を腕で拭いとり、力を込めて言った。
「私は、私はだから今こそ! 闇の仮面を捨てて、なりたかった自分になります!」
ブラックは背後を振り返り、観客に向けて叫ぶ。
「観客の皆さん! どうか私を、応援してください! 私は歌を歌います! 今から歌う歌は、私たちスーパースター・キューティクルズの始まりの歌! 作詞も作曲も、三人へのレッスンも、全て私が行った私の歌です! どうか、私の歌を聴いてください!」
両手を胸の上に置き、キューティクルズに背を向け、ブラックはよく透き通る声で呟いた。
「No One’s Alone」
不思議な事にマイクもなしに声は広がり、障害物のない大空に反響してエコーがかかる。
ただ曲名をつぶやいただけなのに、その清涼な声は観客に鳥肌を立たせた。
「♪~」
伴奏も無いのに心地よく響くイントロダクション。その声は天性の才能、ノイズの無い整った音調は努力によって鍛え上げられた技術。
突然始まったそのライブに、観客は総立ちになって盛り上がった。
「ブラックー! がんばれ~!」
「ライトだ! 持ってきた懐中電灯でブラックを照らせ!」
「フュゥゥゥゥ!」
「やっぱり生の歌声は最高だ~!」
駐車場に集まった観客が我先にと懐中電灯をブラックに向ける。人身事故が起こりかねないほどの盛り上がり。
その様子に焦ったのはイソロクである。
「まずい! 総員! 銃剣突撃を敢行せよ!」
イソロクが屋上立体ステージの上で叫ぶ。
「させるかぁぁぁぁ!」
するとイソロクと対峙していたダークネスがその場から飛び出し、ブラックの手前に着地して突撃してくるキューティクルズを蹴り飛ばした。
「くっ! おのれ、ダークネス!」
「ブラック! お前の歌は、私が守る!」
そのダークネスの防衛により一層観客は盛り上がった。
さらにブラックへの追い風はそれだけではない。ショッピングモール屋上に大量に設置されたスポットライト。それらも一斉に点灯してブラックを照らし始めたのだ。
「なっ!?」
イソロクが驚いてショッピングモールを振り返る。
ショッピングモール屋上には、スポットライトを操作する野球服の青年、テニスウェアの少女、スモウ力士に、スーツ姿の教師などなど、ヒーロー戦隊・怪人の面々がいた。
「待たせた! 電源入れろ! 伴奏、響かせろー!」
野球服の青年が叫ぶ。すると、ショッピングモール屋上に設置されたスピーカーも一斉に起動し、まるでブラックのイントロに合わせたようなタイミングでキューティクルズの楽曲の再生が始まる。
歌の入っていない、本来ならばリハーサル用の曲がドラムを鳴らした瞬間、ブラックの歌も始まった。
「ッ! 泣いて笑って泣き叫んで♪ 誰にも助けてもらえなくて♪ ずっと誰かを待っていた♪」
観客から革命の如き歓声が響く。だが、そんな狂騒の声すらも乗り越えてブラックの歌声は清涼に響いた。
歓声が轟くのも当然。ブラックの歌声は、スーパースター・キューティクルズの三人よりもはるかに質が上回っていた。
「きっと未来は素敵な日々で♪ 優しい誰かが寄り添っていて♪ そんな綺麗な夢を信じていた♪」
遺伝子レベルで調整された声。少女時代を捨てて鍛え上げた喉。そしてなにより、生まれ持った天性の才能。
優生学(優生学:優秀な人間だけを交配させて優秀な子孫だけを残そうという学問)によって生みだされたことがコンプレックスになってブラック自身の目を曇らせていたが、遺伝子調整だけで優れた歌声は生み出せない。この観衆湧きたつほどの美声は、ブラックがアイドルを断念してからも続けていた歌の練習の賜物だ。
ブラックが未練タラタラに続けていた休日の一人カラオケは、無駄ではなかったのだ。
「くっ!? 駒が、動かせない!? 惑わされるなキューティクルズ! あの歌声は、私たちを苦しめてきた光だぞ!」
イソロクが屋上で声を張り上げる。
しかし駒を動かそうにも、キューティクルズはブラックの歌声に聞き惚れて棒立ちになっていた。イソロクがどれほど心をこめて叫ぼうと、その声ですら光に満ち満ちたブラックの声にかき消されてしまう。
「この歌声もいずれは朽ちる! この光も所詮一時のものだ! この光に騙されれば、また我々は苦しむことになる! そんなこと、させてたまるかぁぁぁぁ!」
イソロクは軍刀を振り払い、軍略図上の駒を一斉に切り落とした。それと同時にキューティクルズが一斉に膝を付く。そしてイソロクは即座に軍略図を再起動させ、再び駒が表示されるとキューティクルズはよろよろとなんとか立ち上がり始めた。
「今一度、立ち上がれ! 全霊の力を込めて必殺技を叩きこめ! 自由の為に!」
「待て! キューティクルズ!」
ダークネスが声を張り上げ、よろめくキューティクルズを制止した。
「お前たちの心は闇の中には無い! これを見て思い出せ!」
ダークネスはポケットの中から最後の一本のちくわを取り出して掲げて見せる。
「それは、ちくわ!?」
イソロクが驚愕した。
「ちくわだ……」
「ちくわ……?」
キューティクルズたちはぼんやりとダークネスが掲げるちくわを見上げた。
イソロクの指令よりも、なぜだかキューティクルズはちくわを見つめることを優先してしまう。
心が闇の中にあって正気を失い、精神をイソロクに誘導されてなお、食欲だけは別腹だ。キューティクルズは食いしん坊の集まりなのだ。
そんな欲求に素直なキューティクルズを見て、ダークネスは笑みを浮かべた。
「このちくわを見て、思い出した感情がお前たちの本当の心! おいしいものを食べて笑った。あの一瞬にお前たちの純真な心が現れていたんだ。光も、苦しみも、人は笑顔があれば乗り越えることが出来る! お前たちの今の顔を鏡で見てみろ! その沈んだ顔の先に幸せがあると思っているのか!? 笑顔で歪んだ光を乗り越えてみようとは思わないのか!」
ダークネスは本当の自分の心をこめて叫んだ。
キューティクルズが絶望の末に闇に堕ちたのならば、闇の住人として元の場所へ叩きだしてやらなければいけない。責任と使命を見出した今、ダークネスはよりはっきりとキューティクルズの心を感じられる。
キューティクルズが闇に捨てようとしたものは希望。そんなものを捨てさせるわけにはいかないと、ダークネスは動いた。
「私は影! お前たちの本当の心は影として確かに写し取った! 私がいま感じているこの熱い想いこそ、お前たちが捨てようとした本当の想い! いまこそ自分と向き合う時だ! 輝きの歌を、聞けぇぇぇぇ!」
ダークネスの声が心を通じて響いたのか、それともキューティクルズに残った僅かな光が自制しているのか。キューティクルズは武器を下ろしてブラックの歌を再び呆然と聞き始めた。
「一人で生きていけると思っていたんだ♪ 一人で死ねると思っていたんだ♪ 傷つけられたくなかったから♪ 幸せだけを求めていた♪」
ブラックの歌は熱を帯び、リズムは高揚し、聴衆の脳を弛緩させるほど大気を震わす。
その歌声を、イソロクは悲しそうに見つめていた。
「……そんな。やはりみな光に惹かれるのか。光の先に救いはないというのに……。キューティクルズは光に人生を焼かれ続けなければいけないというのか。泣き言をいう権利も、助けを求める権利も、普通を求める権利すら、許されないまま……」
「世界は不幸に満ちていて♪ 逃げることなんて出来なくて♪ ずっと一人で泣いていた♪」
ブラックの歌は最高潮のリズムを刻み始めた。ビートが高まり、声は張り、観客が飛び跳ねる。
「ヒーローなんていなかったんだ! 助けてくれる人なんていないんだ! だから私は立ち上がった! 勇気を出して声を出した!」
胸に手を置き、ブレスを吸い、瞳を閉じて、ブラックは心を込める。
「そして私は言えたんだ、友達になろうって」
その瞬間、屋上からきらめく紙吹雪が噴出した。屋上のスポーツレッドが本番用の機材を起動させたのだ。
金と銀の紙吹雪が周囲に舞い散り、スポットライトも全部点灯する。
観客と屋上、全方位からの光を浴びて、ブラックの衣装は光を吸って変化を始める。
「忘れないで、あなたは、一人じゃない」
ブラックの体がまばゆくきらめく。直視できないほどの光量だが、不思議とさほど眩しくはない。
「おおぉぉぉー! ブラックぅ~~~!」
「最高だぁぁぁ!」
「あんたの写真、はやくグッズ化させてくれ~~~!」
ブラックの歌声は僅かな時間で大勢を虜にした。顔に大きな爪跡があるという欠点も、このまばゆいばかりの光の中では霞んでしまう。
「どうか私に、光を!」
ブラックのその言葉と同時に、歓声と賞賛の声が湧きたった。
思い思いに叫ばれるブラックへの声援。湧きあがった感動と興奮をそのままに送り届けられる。
するとブラックの背中に光の翼が生えてきた。炎のように揺らめき、クリスタルのように透明で、僅かに七色の光を含む鳥類の翼だ。その翼は羽ばたくことなくブラックの体を持ち上げ、ブラックを空へと浮かばせた。
「ブラック、いや、違う。あれは……」
空を見上げるダークネスが、その美しさに息を飲みながらつぶやいた。
「ダイヤモンド」
ブラックはついに本来の姿を取り戻した。
ブラック・ダイアモンド。雪の結晶を組んで作ったかのように白麗なアイドルドレス。繊細なシルクの手袋にブーツ。髪の色も抜け落ちてガラス細工のように光を乱反射させる銀髪へ姿を変える。
圧倒的なまでの光。さらに光の翼は増えて六翼となり、それでもまだまだ翼は成長していた。
「また、負け戦か……」
イソロクはほとんどあきらめがついたような表情で、ブラック・ダイアモンド・キューティクルの神々しい姿を見つめた。
圧倒的なまでの光。反存在である闇が観客やダークネス、キューティクルズと多岐に広まったため、その反動も倍々で膨れ上がっていたのだ。
「イソロクさん、私は、心の闇を乗り越えました。どうかその刃を納めてもらえませんか」
「黙れっ! ……私もヒーローのはしくれだ。この闇も、覚悟を持って背負ったものだ。勝ち目がないからといって背中を向けるようなまねはしない」
イソロクは軍刀の峰を額に押し抱き、祈るように目を閉じた。
「責任は取るさ……。ゲンナイ、リキュウ、タダタカ、ゲンパク……。どうか私に勇気を分けてくれ」
軍刀を額から離すとイソロクは目を開き、精悍な視線をブラック・ダイアモンドに向けた。
「いざ参ろう! 我らは消耗品だろうが、されど差し伸べる優しさの一つ、どうか許してもらおうか!」
軍刀が風を切り音を鳴らす。胸を張って力強く立ち、宙に浮かぶブラック・ダイアモンドの姿を見上げた。
「我は命ずる! 全ての闇! 全ての歪んだ光! 私の受け入れられる限界まで、私に集まれ! これが最後の、光への反抗だ!」
イソロクは軍略図をに手を当て、盤面に表示された駒から闇と歪んだ七色の光を抜き取った。
するとそれに合わせて操られていたキューティクルズからも同様の光と闇が抜き取られ、その全てがイソロクに吸いこまれていく。
「やめてくださいイソロクさん!? みんなの精神汚染を一人で背負うつもりですか! そんな事をすれば、もう二度と正気に戻れなくなって……!」
「うるさい! 誰かを助けるために自分を犠牲に出来なくて何が正義の味方だ! 私は理想でなく、最後まで仲間の為に戦う! キューティクルズの汚点は全て道連れにしてやるが、そのかわり貴様には手痛い一撃をくれてやろう! 私の覚悟を、思い知れ!」
イソロクの背中に、闇の混じった彩度の低い七色の光の翼が展開する。
本来ならば最強状態ダークネス以上の力をイソロクは得たのだが、ブラック・ダイアモンドの翼と比べると三分の一ほどの大きさに過ぎない。
その翼の輝きの差は煌めく神鳥と街灯に集う蛾ほどもある。勝敗は始まる前から決していた。
だが、今のイソロクには勇気が溢れていた。舞台から飛び立つと宙に浮き、ショッピングモールを背にして、イソロクはブラック・ダイアモンドと対峙する。
勝てないと分かっていても、誰かを助けるために犠牲となり、かつ敵対者には屈しないという強い意志。皮肉なことに、正義を捨てる勇気が正義を見出した。
「たったの一撃! この一撃に、私は全てを賭ける! 十九枚落ち玉将特攻・零の一太刀!」
イソロクの軍刀から黒紫色の炎が噴出する。刀身を燃やすように闇は燃え上がり、ゆらりとした動きで大上段に構えられた
「イソロクさん……。分かりました。その闇の信念に私も光として応えます! 光よ降り注げ! 神の悪意を体現せよ! 灼光の大列柱! 極大殲滅魔法・リヒトーグランツ!」
ブラック・ダイアモンドが片手を空に掲げると、夜空にいくつもの白い太陽が生成されていった。LED照明のように白く輝くそれは、一瞬にしてショッピングモール周辺を白蝋を塗りたくったように明るく染め上げる。
そして光が太陽のように丸く見えたのは僅かな時間だけだった。
遠くから順々に着弾していった光は太槍のように地面に突き刺さり、無数の大列柱が防火壁のように一斉に落下していきはじめた。
「……寡は衆に敵わず、か」
イソロクがつぶやく。
軍刀の闇の炎がマッチ棒ならば、光の大列柱はダムの放水。勝ち目なんて言葉を使うことすらおこがましいほどの力量差だ。
「心を照らして! 希望の光よ!」
「闇よ燃え猛れ! たったの一太刀! たったの……! うおぉぉぉぉぉぉ!」
イソロクは構えを中段に落として前身をバネのように引いた。
「(リキュウ! ゲンナイ! タダタカ!! ゲンパク! どうか力を!)」
まるで自然災害と立ち向かうかのような力の差。すぐに飛び出してしまいたくなる気持ちをグッとこらえて、イソロクは最良のタイミングまで体を引いて構えた。
悲劇は、その瞬間に起こった。
イソロクの背後から、まさかの爆発。
「ぐうっ!!?」
ショッピングモールの窓ガラスを打ち砕き、ガソリンの炎を纏った破片手榴弾の鉄片がイソロクの背中に襲いかかる。
イソロクは炎と鉄とガラスと衝撃波を同時に受けてバランスを崩した。
「(運命すらも闇を見捨てるか! 僅かな反抗すらも許さないと言うのか!)」
イソロクはあわてて闇の翼を二度振るい、背中の炎をはたき落とした。
そして下唇を噛み締めて悔しそうな表情を見せて、背後のショッピングモール内に炎の中に座り込んだクロスと、それに襲いかかるジャスティスイエローの姿を見つけた。
今ばかりは偶然も運命としか思えなかった。信念すらも否定された気分だった。
再びブラック・ダイアモンドを振り返ると、もう光の柱はすぐ目の前まで迫っていた。勢いを付けることも出来ず、その光を突き進むことなど出来るわけがない。
「うっ、うぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
それでもイソロクは逃げない。逃げた先に誇りは無い。
まるで泣き声のようになってしまった鬨の声を上げて、イソロクは軍刀を振り抜いた。
ほんの一瞬、光と闇の接触が衝撃を生み出し、イソロクを中心に闇が膨れ上がった。
ささやかな抵抗。イソロクはその小さな闇を少しでも長く維持しようと努力することが精一杯だった。
「光なんかに、負けて、たまるかぁぁぁぁ!」
光が瀑布のように降り注ぐ。イソロクの特攻は、雪解けの鉄砲水に対して砂利の船で挑むかのように無謀だ。イソロク周囲の闇の領域は瞬く間に削り取られ、槍の穂先のように細くなっていく。
「ぐぅぅぅぅ! あぁぁぁぁぁぁ!」
イソロクは今にも押し潰されそうな闇を支え、光の奔流の中をゆっくりと押し進んだ。
最初のつまづきで勢いも付けられなくなった今、イソロクに出来ることはもがくことだけだ。とてもじゃないがブラック・ダイアモンドに一太刀浴びせることなど出来るわけがない。
イソロクは悔しさに涙をこぼしかけた。どれだけあがこうと弱兵は弱兵。敗北が大前提に突きつけられる悪の陣営であればなおのこと。勝利とは無縁の引き立て役になってしまう。
だが。
「せめてっ……、一太刀!」
イソロクの体が僅かばかり前に進んだ。本当に僅かばかり。
反抗と呼ぶにはあまりにもささやか過ぎる前進。本来ならばあっさり闇はかき消されて地面に叩きつけられるだけの力量差だ。イソロクは限界を超えても、僅かな時間だけ敗北を先延ばしすることしか出来ない。
とてもこの前進速度ではブラック・ダイアモンドには届かない。ひねり出せるような闇の力も残っていない。
だがこの意地が生み出した数秒の時間のおかげで、イソロクは声を聞くことが出来た。
「イソロクっ!」
「イソロク、イソロク!」
下の駐車場でイソロクを見上げるサムライ・キューティクルズの四人。その様子にかつての精神汚染は見られない。心配してイソロクだけを見上げる少女の姿だ。
イソロクが力として悪性の光を吸い出したため、彼女らはもう正常な思考を取り戻している。
その懐かしいとも言える本来の姿を見ていると、イソロクも反抗して良かったと思えた。
「リキュウ、ゲンナイ、タダタカ、ゲンパク」
イソロクはその言葉に続けて、すまない、と言おうとした。
結局、自分たちの本当の名前すら思い出すことは出来なかった。失ったものはどうあがいても取り戻せないようだ。
もっと強ければ、わがままを貫き通せるほど強ければ、イソロクが勝利できて怪人化したキューティクルズは平々凡々な少女生活も送れただろう。
今回イソロクが出来たことは全て一時しのぎだ。ゆがんだ光を抜き取ってもキューティクルズである限り精神汚染は何度でも溜まるし、正気に戻れたところで数年もすればきっと元通りだ。
そのくせ集めた歪んだ光と闇はイソロクを蝕む。この戦いの後イソロクを待っているのは脳神経外科の療養病棟での植物状態の生活。回復したとしても会話が出来ないほど鬱病が重度化することは間違いない。ともすれば後天的に発達障害を患うかもしれない。
だがイソロクは自分のその後の人生を捨ててでも、数年間だけでも普通の生活を取り戻してやりたかった。
そんな判断を下したイソロクに掛けられる言葉は一つだけ。
ありがとう、と、サムライ・キューティクルズの面々は涙ながらに叫んだ。
観衆の声援が滝のように響く中、その声は確かにイソロクの耳に届いた。
イソロクは、笑った。
「おぉぉぉぉぉぉぉ!」
かき消えんばかりの闇が僅かに膨れ上がり、光を少しずつ切り裂いて前に進む。
ゆっくりとだが確かに前に進み、ブラック・ダイアモンドと確実に距離を縮めていった。
だがもちろん、悪の側に奇跡なんて起こらない。粘るイソロクの姿を見ていたブラック・ダイアモンドは、ついに行動を起こした。
「闇よ! 私たちは今こそ決別します! 私たちはみんなの憧れ、キューティクルズ! この光は、永遠に不変です!」
ブラック・ダイアモンドは高く飛び上がると、光の流れに乗ってライダーキックの形でイソロク目掛けて降下する。
イソロクは迎え撃つ形で、刺突の構えをとった。
「はぁぁぁぁぁぁ!」
「おぉぉぉぉぉぉ!」
突き出されたイソロクの軍刀は先端から粉状になって吹き飛んでいく。
柄だけになった軍刀を握ったイソロクは、それでも笑顔を崩さなかった。
後悔の無い、良い笑顔だった。
ブラック・ダイアモンドの足先がイソロクの腹部に突き刺さると、爆発するかの様に閃光が走った。闇は一瞬にしてかき消え、イソロクは砲弾のように地面に蹴落とされる。
観客が眩しさに目を閉じている間に、イソロクの体はショッピングモールの一階の窓を突き破り、バックヤードにまで転がって消えていった。
観客が再び視線を上げた時、上空には大天使の翼をひるがえして振り返るブラック・ダイアモンドの姿だけがあった。
「観客の皆さん! 応援、ありがとうございました!」
ブラック・ダイアモンドの声に、観客が湧きたった。
周囲は神々しく光が満ち、夜とは思えないほどの熱狂で包まれている。
「私が光を取り戻せたのも、闇を追い払えたのも、全部皆さんのおかげです! 皆さんに一つお願いがあります! どうか私を、キューティクルズの一員として認めてもらえないでしょうか!」
「もちろんだとも~!」
「最初からそのつもり、っていうか、元々ファンクラブもあったし!」
「アイドルだと思ってなかったのブラックだけだと思うぜー!」
観客から暖かな声が響く。ブラックその声を全身に浴びて、周囲を見渡した。
すると観客に混じってローズやアザラシが拍手をしている姿が見えた。
その拍手に合わせてショッピングモールから出てきたキクチヨやトリガーハッピーも拍手をすると、駐車場の観客、屋上でスポットライトを操作していたスポーツレッドなども一斉に拍手を始める。
スタンディングオーべーション。オペラハウスでの拍手よりもはるかに響き渡る賞賛の声。
ブラックは最初から認められていたのだ。しょっちゅう舞台の上にアイドル衣装で登場していたのだから当然だ。プロデューサー職としてなど元々認知されていなかったようだ。
「ブラック!」
「ブラック、お待たせ! そしてありがとう!」
「アカネさん! アオバさん!」
アカネとアオバがショッピングモールの舞台の上に飛び乗り、ブラック・ダイアモンドと目線を合わせて話し始めた。ブラック・ダイアモンドも舞台の上に立つと、二人と抱き合った。
「ありがとうねブラック! おかげで正気に戻れたよ!」
「アカネさん! ようやく性癖が普通に戻ったのですね!」
「え! あ、うん、まあ、それは……」
「えっ!?」
アカネは視線を逸らしてはぐらかす。シャドウ云々関係なく、生来の性は変え難い。
「ブ、ブラック! どう! 一緒に歌わない! きっと観客のみんなもそれを望んでいるよ!」
「歌……、私の、歌」
ブラックが振り返ると、見下ろした先には無数の観客がブラックの歌を今か今かと待っていた。手に持ったライトを振って飛び跳ねたくてうずうずしている様子だった。
「みんな僕たちの歌を待っているんだ! あれ? そういえばミドリはどこに行っちゃったんだろう? そう言えばあれから一切見てないや」
「ミドリ? そういえばいないね。でも、この流れで探しにはいけないよね。だって見てよ! みんなブラックの歌を待っているよ!」
観客が耐えきれずに再び声援の声を高鳴らせる。これ以上待たせては暴動が起きかねないほどだ。
「私でいいんでしょうか……。私がしでかした事を考えれば、こんなこと」
「いいんだよ! 世の中善悪を気にする人間なんてびっくりするほど少ないんだからさ! 今日の戦いで私は思い知ったもん! いいとか悪いとか、曖昧すぎてどうでもよくなっちゃうんだ! 今はみんな、ブラックの歌が聞きたい! それだけだよ!」
アカネは熱く説得すると、ブラックの腕を掴んでセンターに立たせた。
ブラックが戸惑う間もなく、観客から鼓膜が破れんばかりの声援が届けられる。
「キューティクルズのみんな! 私たちも行きましょう!」
ローズが楽しげな笑顔を見せて周囲に声をかける。
「私は機関銃をばら撒きながら踊るが大丈夫か?」
「私もロボットダンスしか出来ないデス!」
「なんだっていいわよ! はしゃぎましょう! さあ! 屋上に飛び乗って!」
ローズの指示に合わせてサムライシリーズ以外のキューティクルズ達がショッピングモールの屋上に飛び乗っていく。
「おい! 音響班! 電源いけるか!」
「よくわかんないけど大丈夫! 適当にボタン押しとく! 照明任せた!」
「任せろ!」
屋上のスポーツレッドが指示を出してスピーカーの電源を入れた。照明はすでに溢れんばかりのスポットライトが輝いている。音楽が鳴り始めると盛り上がりはさらに増した。
その盛り上がりの中、最前線で一番テンション高々に飛び跳ねるのはあの警備員だ。
「ふぉぉぉ! ブラックぅぅぅ!」
「おいあんた、背中血まみれだけど大丈夫か!?」
「大丈夫だ! 問題無い! ブラックのファンクラブの創設メンバーとして、ここではしゃがないでいつはしゃぐ!」
警備員は警棒と懐中電灯を手に握り、ガンガン打ち鳴らしてジャンプしている。
そんな警備員を見つけたブラックは、多少気恥ずかしそうにしながらも、この戦いで一番心の支えになってくれた警備員に向けてウィンクして見せた。
「うっ! ぐはぁぁぁ!」
アイドルには厳禁であったはずの個人的サービスに警備員は胸を射抜かれ、警備員はそのまま仰け反って卒倒した。
そんな警備員からの声援もあると、もはやブラックには今からライブを始める以外の選択肢は無くなっていた。
ブラックは一歩前に踏み出してみると、観客は一斉に両手を挙げて歓喜する。
そんな熱狂の渦中にあって、ダークネスだけはライブの舞台から背中を向けた。
「ダークネス殿、行くでござるか?」
「ああ、明るい太陽が東から昇ってきたのだ。闇は西の空に消えねばならないさ」
駐車場の民衆の隙間を縫って、ダークネスとキクチヨが会話する。
「感謝する、剣道怪人。私は道を見つけられたようだ。次に彼女らと逢う時には、きっと何食わぬ顔で敵対しているだろう。相容れぬ闇の管理者としてな」
「それは重畳。では、さらばでござるよ」
「ああ、さらばだ」
ダークネスは飛び跳ねる観客の隙間を縫って進み、だれも知らない夜の奥へと消えていった。その顔には小さな笑みが浮かんでいた。
そしてついに、キューティクルズのライブが始まった。
「みなさん! 今日は新曲を用意してきましたが、その新曲を今日は即興で変更しちゃいます! 盛り上がりすぎて倒れないでくださいね! ペースメーカー付けてる人は死ぬから注意してください! 私の歌で、みんなを笑顔に! アカネさん! アオバさん! 準備は!」
「もちろん!」
「大丈夫!」
ブラックは後ろに並んだ二人に目配りをして、そしてスポーツレッドから投げ渡されたマイクを手に取ると、満面の笑顔をみせた。その笑顔はもう、顔の爪跡なんてどうでもよくなるほど可愛らしかった。
「それでは歌います! 聞いてください!」
ブラックは大きく息を吸い、そしてスーパースター・キューティクルズの三人同時に言った。
「「「ハッピー・エンド!」」」