第三十二話 地面に映りし影とのワルツ(後編)
視界いっぱいの燃え盛る炎。
屋上駐車場から落下してきたタンクローリーは、ダークネスを押し潰して大爆発を引き起こした。
その爆発は廊下含め二階三階四階の手すり、および天井に燃えたガソリンを張りつかせ、さらには天窓を超えて高く伸びる炎の柱を生み出した。
これが必殺技によるものだったらまだ威力の高い攻撃で済んだのだが、これは現物のタンクローリーの爆発、ようする話が大惨事である。
吹き飛ぶガラス片、燃え盛る衣料品、スプリンクラーは水道管の破損で機能せず、ショッピングモール全館の延焼を待逃れ得る術はもはやない。
ここぞというタイミングで現れたミドリのが引き起こしたものは、ショッピングモール全焼確定というまさに燃える展開だった。
被害総額はもはや考えない方がいいだろう。
「どあぁぁぁ! あっちぃ! 焼け死ぬ!」
「観客のみんな逃げてぇ~! これ危ない! ショッピングモール全部燃えるよ!」
ショッピングモール内部は電灯の一つも点いていなかったというのに、今は影一つ無いほど明るい。
轟炎を放つタンクローリーがキャンプファイヤーのように燃え盛り、あちこちに飛び火した炎が照明の代わりとなって輝いているのだ。
「ぐぉぉぉぉ!」
そんなタンクローリーの真下で暴れる人影があった。ダークネスである。
燃え盛るガソリンの中で体を押し潰す車体を押しのけようと暴れていた。
「やっぱり火遊びはやめられませんわぁ!」
エメラルド・キューティクルことミドリは、三階の手すりにつかまって燃えるタンクローリーを楽しそうに眺めていた。
ミドリは落下するタンクローリーから飛び降りて手すりにつかまるという、魔法少女らしからぬハリウッド的アクションを見せて登場して見せた。キューティクルズ随一のバットガールである。
そんなミドリは鈍器のように大きなスパナを片手に持ち、階下で燃やされているダークネスに向けて叫んだ。
「苦しいでしょう!? 苦しいはずですわ! その炎はキューティクルズの力とは無関係ですもの! あなたがキューティクルズの攻撃を一切受け付けない理由、わたくしは全部知っておりましてよ!」
「ミドリさん、今まで一体どこに!?」
ローズが尋ねる。しかしミドリは笑顔を見せるだけで答えない。舞台で一人演じるように、ダークネスが再び現れてくる瞬間を待った。
そして間髪いれず、燃え盛るタンクローリーの残骸を弾き飛ばして、ダークネスが這いだしてくる。
「ぐぅぅぅぅ!」
ダークネスの体には炎が張り付いていた。皮膚が炎症を起こすことはなく、衣服も燃えることはなかったが、炎に削り取られるように体から黒いオーラのようなものを蒸発させていた。
「今のは、効いた、な……」
ダークネスは立ち上がり、炎を纏いながらも燃えるガソリンの上を歩き出す。
「あれを喰らって無傷なの!?」
「むしろこれくらいでやられたら困りますわぁ!」
ミドリは飛び降り、燃え盛るダークネスの前に着地する。
「影を滅ぼすなど、不可能だ。炎だろうと、光だろうと」
「そうでもないですわぁ!」
ミドリは手に持った大きな鋼鉄製のスパナを振り抜いた。スパナはダークネスの頭部に当たり、頭蓋骨に響くような痛々しい音が響かせる。
「ぐぅ!?」
ダークネスはよろめいた。軽く受け止めてやろうと思ったスパナの一撃は、想像以上に強烈だった。
「ダークネス、気付いておりませんの? 自分が、何者なのか?」
ミドリはダークネスにスパナを突き付けて言った。
「私が、何者か? 私は、ダークネス。すべての心の闇を肯定する、深淵の王」
「勝手に役職作らないでくださいます? あなたはただの影ですらない」
「な、に?」
「あなたの本質は、キューティクルズなのですわ」
ミドリの言葉に、周囲が騒然とした。
「どういうことなの! ミドリさん!」
ローズが尋ねる。
ミドリはダークネスを警戒しつつも、キューティクルズ全員に聞こえるように叫んだ。
「ダークネスとは、ずっと光にさらされて狂ってしまったわたくしたちの分身。そもそも深淵とは心の集合体。その本質は《反転したキューティクルズ》ですわ!」
「ばかな……」
ダークネスは自分の燃える手を見た。炎は消えかけているとはいえ、その手から溶け出す黒いオーラはシャドウのものである。
「ダークネス、あなたはキューティクルズのシャドウ。私たちキューティクルズの集合体で、深淵の力を得た新しいキューティクルズ。だから光の力は効かないし、代わりに心の闇の力は効く!」
ミドリが再びスパナを振り上げると、ミドリの腕に黒い羽毛が翻った。
「なっ!?」
黒い羽を巻き散らかしながら振り下ろされたスパナはダークネスを大きくよろめかせる。
「ミドリ! それは!?」
ミドリの背後にいたのは、頭に鳥かごの兜を付けた、カラスの鳥人。
「みなさん、誤解してはいけませんわ? わたくしはシャドウに操られていませんことよ? 人が光の力を得た時、キューティクルズになる。闇の力が肉体を得た時、シャドウになる。では、いっそどっちも受け入れてしまえばよろしい」
「ええっ!?」
周囲が騒然とする。
ミドリの背後の鳥かご頭の鳥人はゆっくりとキューティクルズを振り返り、まるで執事がするような丁寧な一礼を見せて敵意がない事をアピールする。
「心の闇に支配されるなど惰弱ですわぁ! そもそも心に善悪も光も闇もあったものじゃありませんことよ! あるのは好きか嫌いかだけ! 理想の人格を光と呼び、否定したい自分を影と呼ぶ! ですがそんなもの、結局は自分の中の小さな世界でのささいなお話! 人生を一番輝かせている人間とは!? 夢をかなえた人間!? 誰からも称賛される人間!? いいえ! 光も影も備えた、自分に正直なキチガイ野郎こそが人生を輝かせているのですわ! さあ、みなさん! もっと自分に正直になりましょう!」
「いや、無理! シャドウと協力とか一番ヤバい方向性だよ!?」
「アカネさん、わがまま言わないでくださいませ! あのダークネスに効くのは光以外の力だけ!」
「問題はダークネスじゃないよ!? 放送倫理委員会だよ!?」
アカネが全力でシャドウとの合流を否定する。
それも当然、アカネのシャドウはSMボンテージラバースーツで乳首丸出しのアカン見た目をしている。
キューティクルズのシャドウとは、直視しがたい自分自身の姿をするものだ。叶えられなかった夢の姿や真面目に悲劇的な現実の姿ならよいが、秘め事や性癖を公衆の面前で暴露される場合もあるので安易に呼び出したりは出来ない。
「いずれにせよ、アカネさんにも本当の自分を受け入れていただきますわよ! ですがわたくしの作戦はそれだけでありませんわ! さあヒーロー戦隊の皆さん! 武器を投げて下さいませ!」
「はいよ! エメラルドの譲ちゃん!」
二階の手すりから現れたのは、スポーツレッドである野球服の青年である。さらにそれに引き続いてスーツの男性やテニスウェアの女性などが手にそれぞれ武器になりそうな商品を持ち、それを階下のキューティクルズめがけて投げ捨てる。
「そいつを使ってくれ!」
「うぉっ! あぶねえ!」
トリガーハッピーが顔面目掛けて落ちてくる釘バットを回避する。
次々と投げ入れられる凶器たち。金属バット、ゴルフクラブ、一升瓶、包丁、金槌、アイスピック、草刈り鎌、チェーンソー、電動丸ノコ、ハンディジグソー、安全装置の壊された釘打ち機、ライターとセットになった可燃性塗料スプレー缶、果ては陶器製の便器まであった。
「待った待った待った! 投げるのストップぅ!?」
「痛いデス!? ボウリング玉が後頭部に!?」
「あ! ごめんなさい!?」
テニスウェアの女性が謝る。
「みなさん! 武器を手にしてくださいませ! 魔法のかからない武器ならダークネスにも効きますわ!」
「無理だよ!? キューティクルズがシャドウ受け入れて釘バットで殴るとか、絵面が悪いとかってレベルじゃないよ!?」
アカネは手に取ってしまった一升瓶を片手に、一生懸命ミドリを説得しようとする。
「あらあら~。お姐さんはこの鉄パイプにしようかしら~?」
「それじゃあこの釘打ち機は私がいただくぜ! 早い者勝ちだ!」
「ちょ! 待って! 私の説得が終わってない!」
アカネ以外のキューティクルズが武器を拾い上げる。メキシカン・マフィア顔負けの物騒な獲物を持ち上げたキューティクルズ達は、もはや魔法少女と呼ぶにはいささか不健全すぎる見た目の戦闘集団となっていった。
釘バットをショートソードのように携えたローズが周囲を、見渡して言う。
「魔法の力は頼れないってわけね。それしかないならやるしかないわ! みんな! なるべく物騒なものを構えて!」
「ローズさん!?」
アカネが驚愕して目を見開く。
「それじゃあ私はコックだから包丁もらうね!」
「私は家電製品がいいデス! この電子レンジもらいます!」
「ふぇ……!? 待って、待って……! 私の武器が、あの……!? あ、あう、陶器の便器しかのこってないんですかぁ……!? やだぁ……!」
半泣きで陶器の便器を持ち上げたフクロウを最後に、キューティクルズは全員が武器を構え終えた。
「下らない。攻撃をする手段を得ただけで勝ったつもりか? 影は、永久だというのに……」
「影は永久でも、あなたは永久では無くてよ?」
「なに?」
「自分の事を何も知らないようですわね? あなたは誰ですの? ディアブロのシャドウ? キューティクルズのシャドウ? シャドウの王様? どれを選んでもかまいませんが、ずいぶんと影の薄い悪役ですわねぇ?」
「私を、挑発する気か?」
「ええ、悩みを抱えている人間ほど弱いものはない。人間でもシャドウでもキューティクルズでもない存在で、命すらないあなたなら、その悩みはきっとあなたを弱体化してくれますわぁ!」
「命すら、ない? 私が……?」
「うふふ! 苦しむがいいですわぁ! 命を得ようともがけば、あなたもきっと心の闇という病魔に侵される! あなたは所詮、都合よく生み出されたブリキの木こり! 脈動する心を求めて、不思議の国を永遠と彷徨うのがお似合いですわぁ!」
ミドリは愉悦に満ちた嗜虐的な微笑みを見せて、ダークネスを見下ろした。その笑顔は中世の拷問吏のような下卑たものであった。
ちなみに、ミドリのシャドウはそんなミドリの思考に一切無関係である。ミドリは正常なキューティクルズの状態でこれだ。ミドリの理想とした光の姿が、最初から精神まっくろくろすけのハードボイルドなのだ。
「ミドリ、それじゃあどっちが悪役か分からない台詞だよ!」
アカネが突っ込むが、ミドリの挑発的姿勢は変わらない。
だが悪役的でありながら、その精神的揺さぶりは確かにダークネスに響いていた。
「あなたはこの戦いの為だけに産み落とされた存在! この戦いの後の生き方すら決まっていない、やられる事が前提のやられ役! 悔しかったらあなたも自分の心を持つことですわね!」
「自分の、心……? 私は、生きて……?」
ダークネスは自分の胸に手を当ててみた。体温はある、心臓の鼓動も感じる。だが血は通っていない体。あくまで体温も脈動も全て人体の模倣だ。本体そっくりに動く影なのだから。
ダークネスは深淵そのものでもあるので、自分がどういう成り立ちで成立したかよく分かっている。
ダークネスという影を形作るのは、変身後のキューティクルズの精神だ。変身前の個々人のもつ心の闇ではない、キューティクルズという力が生み出した、歪んだ栄光の光そのものである。
厳密にはダークネスはシャドウではない。ジャスティスイエローも意図しなかった事態が起こってうまれたのだ。
そもそもキューティクルズは悪役方であるシャドウが出現することによって誕生する。だが今回は、光と栄光の存在である変身後のキューティクルズが悪役並みの精神汚染を溜めこんでいたことにより、逆転現象が起こった。
悪役が先に、光が後にという原則が崩れ、全キューティクルズの影を集約したキューティクルズが誕生させられた。
本来は深淵の管理者が逆流弁の仕事をしており、キューティクルズに精神汚染が溜まっても逆流することはなかったが、今回ディアブロという例外的なシャドウ・キューティクルが核となったがゆえに、純正の反転キューティクルズ誕生が成り立ってしまった。
全てのキューティクルズの影、アンチ・キューティクル。それがダークネスだ。
だが、影が折り重なっても影は影。すべてのキューティクルズの肉体を重ねて生まれた影であり、その精神もディアブロのものを軸に置いて重ねて厚みを持たせただけの他人の精神。キューティクルズと戦う理由も含めてダークネス独自のものなど何一つとして持っていない。
ともすれば、今思考しているこのダークネスの精神すらも誰かの心を模倣しているだけなのかもしれない。
ダークネスとは誰でもない精神集合体。ミドリの語ったように、この戦いで勝っても負けても自然と消えてしまう虚ろな影。
もともとジャスティスイエローが、キューティクルズ正常化の為に用意した使い捨ての悪役なのだから当然だ。最初から自我など持たせるつもりすらなかったのだ。
だが、ミドリの揺さぶりが、確かにダークネスの心を動かした。一度自我を意識してしまったらもう遅い、魂はなくとも心は芽吹いてしまう。
「(私の目的は……。いや、この体も、戦う目的も、与えられたもの。キューティクルズを全て打倒して、そのあと、私はどうするつもりだったのだ?)」
ダークネスは機械が止まったかのように胸に手を当てて動かなくなった。考えれば考えるほど自分の曖昧さに恐怖心が湧く。
「(私の目的は何だ? 私は何者だ? 創られた道具か? 筋書き通りの悪役か?)」
ダークネスはキューティクルズを見上げ、思考した。
「(いや、考えてはいけない。今は戦闘中だ。ダメージがないとはいえ、万が一のことがあっては……。私は、……死ぬ、のか?)」
ダークネスの思考はゾッとするような結論を想像させた。
ただ、死ぬだけという結末。誰にも悲しまれる事もなく、生きた証も残らない。それは心も魂も否定されるに等しい悲しい終わり方とも言える。なにも疑うことなく与えられた役目をこなそうとしていたが、勝利したとしてダークネスが得られるものなど何もない。むしろ勝利したところで再編したキューティクルズと永遠と続く闘争があるだけだ。それこそダークネスが敗北するまで終わらない。
一度の勝利なら可能だ。勝利できるだけの要素をダークネスイエローから預けられている。だが、悪役は滅びても正義の味方は滅びない。
ただ当たり前のようにダークネスはキューティクルズと戦うつもりでいた。だが、それだけではだめなのだ。
生き残るためには。
「さあ、行きますわぁ! みなさん、光を付けてくださいまし!」
ミドリが天井を見上げて叫ぶ。
「了解だ! 電源上げろ!」
すると、屋上駐車場でトミーが叫ぶと同時に、天窓から見下ろしてくる無数のスポットライトが点灯した。
「うおっ! まぶし!」
トリガーハッピーが言う。
燃え盛る炎以外の光がなかったショッピングモールが一機に輝き、強烈な陰影が周囲に落ちる。
降り注いできた光はキューティクルズイベント用の特に光量の多いスポットライトだ。トミーが引き連れた部隊がミドリの指示を受け天窓に設置し、さらにはそれでもあまりある無数の照明機器が夜空にいくつもの光の柱が打ち立てられている。
「ぐぅぅぅ!?」
ダークネスが光に押し込まれるように背を曲げ、その光の重さにこらえる。炎より明るい光はさらにダークネスの体から闇を削った。
「これは、キューティクルズの音楽イベント用のスポットライトか!?」
赤井が目を細めて頭上を見上げる。
「さあ! お待たせしましたわぁ! この光は輝くためにあらず! ブラックプロデューサー! まだ深淵を使役する権限は残っているのでしょう! この強い光の力で作りだした濃い影から、私たちのシャドウを呼びさましてくださいまし!」
ミドリがブラックを見て言う。
ブラックはアカネに抱えられてその状況を見ており、ミドリの提案に驚愕した。
「そ、そんなこと、出来ません。シャドウの力を取り入れるなど、輝きを失ってしまっては、キューティクルズは……」
「今はぐだぐだ言わずやってみるべきですわ! ダークネスの力の源はわたくしたちの闇! その闇を引っ張り出せればダークネスは弱体化してわたくしたちは強化される! わたくしはブラックプロデューサーがキューティクルズを知る前から心の闇と付き合っておりましたもの! 信じて下さいませ!」
ミドリは力強く説得する。
ブラックはそれでも戸惑い、自分の肩を支えてくれているアカネの顔を見上げた。
「ブラック、そんなこと、できるの?」
「……理にはかなっています、私がしでかしたことが、キューティクルズの汚染でしたから。ですが、それはあくまで心だけで、闇を武器にしていたわけではない。相反する闇をキューティクルズ自身が受け入れてしまったら、融合して、元に戻れる保証もなくなってしまう。光の戦士が闇を武器にするなど、前代未聞ですから」
「でも、ダークネスには勝てるかもしれないんだよね?」
「それは、……はい」
ブラックはあまり乗り気では無さそうにつぶやいた。
それを聞いたアカネは多少迷いを見せながらも、続けてブラックに言った。
「えっと、私のシャドウは表に出てきたりするの?」
「いえ、心の闇そのものですから、分離せずに自分自身の内側に現れるはずです。ただ、そうなれば精神の汚染も跳ね上がりますし、何より深淵の制御から切り離されますのでほとんど確実に暴走するかと……」
「私のシャドウは出てこないのか……。それなら、一度やってみた方がいいかな?」
「アカネさん!? もう戻れないかもしれないんですよ! 深淵の管理を外れた心の闇が、どんな行動を取るかなんて誰にもわからないんですよ!」
「でも、他にいい方法は思いつかない。私も、自分の闇に怯えているだけではいけないと思う。心の闇っていうのは、いつかは乗り越えなければいけない物だと思うから」
「ですが……」
「ブラック、私はもう逃げないよ。自分の闇も否定しない。必ず乗り越えて、折り合いを付けて見せる」
「……」
ブラックはうつむいて考え込んだ。アカネを信頼していないわけではない。だが、深淵の制御を失った心の闇はまず間違いなく暴走する。どうなるかなど見当もつかない。
「アカネさん、本当に大丈夫でしょうか。おそらくは想像以上の負担がかかると思いますが」
「私だってどうなるか分からない。でも、逃げない。私は戦うよ」
アカネは確固たる意志を示して見せた。その意志を見ては、ブラックも納得せざるを得なかったようだった。
「……分かりました。それでは、やってみましょう!」
ブラックは片腕をダークネスに向け、非常にまばゆい光の中で叫んだ。
「深淵よ! 煌々と輝く今こそ、心の闇に祝福を! 我ら光は闇を受け入れん! 弱き心より萌芽せよ! シャドウ・レヴォリューション!」
「ぐ、うぐぅぅぅ!」
ブラックがそう唱えるとダークネスの体から闇が噴出する。まばゆい光に照らされて、吹き出した闇は広がる前に消えていった。
ダークネスの深淵色の黒コートは色あせるように黒さを鈍らせていき、さらに光に対する耐性を弱らせて、ついには両手を地面に付けて倒れ伏してしまった。
「来たわね、私の、シャドウ……」
「キュルィァァァァ!」
ローズの背後から山羊頭の悪魔型シャドウが現れ、空気のように透き通る体がゆっくりとローズの体と重なっていく。
「うっ!」
悪魔型シャドウが完全にローズの中に入り込むと、ローズは胸を押さえてうつむいた。
「自分のシャドウとはあまりご対面したくなかったんだがなぁ」
「私は自分のシャドウは好きデス。自分に心があるっていう証デスから」
トリガーハッピーやゼロワンにも次々とシャドウが浸透していく。
「ぐっ!」
「胸が痛い! 新鮮デス!」
シャドウを受け入れたキューティクルズは例外なく胸を押さえて前かがみになる。
一部、フクロウやコックなど、年齢や純真さの関係で上手くシャドウが形作れないキューティクルズもいた。そんな彼女たちでもほんのりと霞み掛った闇が背後に現れ、体を包み込んで前方によろめかせる。
そして当然、アカネの背後にも。
「ブラックの嘘つき! 私のシャドウ出てくんじゃん!」
「いえ、それは、まあ、一瞬だけ……」
アカネの背後に、ラバーボンテージで乳首丸出しのアカネ・シャドウが現れ、アカネはあわてて自分のシャドウの胸部を手のひらで覆い隠した。そんなアカネ・シャドウも透き通るようにアカネの体内に入り込み、完全に同一化してしまう。
「う、ぐ? うぁぁぁぁぁ!?」
「アカネさん!?」
アカネもまた胸を押さえて膝を付いた。そんなアカネの肩をブラックは支える。
「一体、何をした?」
ダークネスがよろめきながらも尋ねた。
ダークネスはスポットライトの光に慣れたのか立ち上がれるまでに回復し、背後で必死に消火活動をしている消防隊員を横目に動かなくなったキューティクルズを流し見た。
「大丈夫か! レッド・ローズさん!」
赤井がローズに尋ねた。
「……どうやら、大丈夫では、ないみたい」
ローズはトーンの落ちたおどろおどろしい声で答える。
変化は目に見えてあった。ほんの数秒前まであった輝きが消え去り、衣装の彩度が落ちて錆びるように黒ずんでいく。
「は、え、あ、おい……」
赤井は後ずさるようにローズから距離を取った。
すると周辺のキューティクルズがうつむいたまま、バラバラの方角によろめきながら歩いていく。その動きは歩く死体のように揺らめき、輝きを失った衣装に黒いインク染みのようなものが浮き始めると、さらにキューティクルズは不気味な存在へと変化していった。
「な、何が起こったんだよ」
二階の手すりから見下ろしていた野球服の青年がつぶやく。
「あぁあぁぁぁあぁぁぁぁぁ!」
突然、オーロラ・キューティクルズのイエローが奇声を上げた。
その声に周囲が騒然としていると、今度は屋上からも大きな声が響いてきた。
「なっ!? ゼロツー・キューティクル!? 待て、やめろ!」
トミーの驚く声。するとそれと同時に、屋上からのスポットライトの光が一斉に消灯した。
ショッピングモール内は再び色濃い闇に覆われる。
「な、なんで電気を消したんだ?」
「勝つために決まっているわ、ジャスティス・レッドさん?」
色あせて錆びにまみれたローズがつぶやく。
ショッピングモールの中はまばらに燃える炎だけが周囲を照らしていた。
不思議な事に、轟々と燃えていたはずのタンクローリーの炎は光量が落ちて目に見えて熱量が減っていた。炎の大きさは減っていなくとも周囲の壁を照らす光すら放てない。
ともすればダークネスの誕生時よりも色濃い暗闇だ。
だが、異常なのは暗さだけではない。
光を失い、黒々と薄汚れていくキューティクルズの面々だ。
「愚かな、自分の心を顧みることなく闇ばかりを受け入れたところで、暴走するばかりだと言うのに。……貴様らは自分の心の闇を何だと思って――っ!?」
「はぁぁぁぁ!」
ローズが突然、ダークネス目掛けて突撃を仕掛けた。手に持った釘バットを振り上げ、ダークネスの頭蓋を目掛けて振り下ろす。
「くっ!」
ダークネスはそれをすんでのところで回避した。
「私たちはなにを恐れていたのかしらねっ! ファッション・アップ! ダーク・アーリマー!」
ローズが右手を頭頂部から滑るように落とすと、山羊の骸骨の仮面が装着された。すると同時にローズの軽装甲付きロングコートが黒く霧散し、代わりに黒く肉感的でグロテスクなマントが背中に翻った。
「バカな! その衣装は、深淵の尖兵のもの!?」
「ええ! かつて散々戦った、初代深淵王アーリマーの仮面とマント! 自分のファッションへのプライドを捨ててしまえば、私たちは何だって着こなせる!」
ローズの片手に握られていた釘バットに血管のような赤いすじのようなものが浮き出てくる。山羊の仮面の眼孔から見えるローズの目には光がなく、まるで人生が終わったかのような輝きの無さだった。
「あ、ありえない。ものには限度というものがあるはずだ! 何を考えている!?」
「なにも考えていなかったわ。私たちにここまで闇と親和性があるとは思っていなかった。理性が吹っ飛びそうだから会話できるのもここまでね。でも、最高にイイ気分よ? だって……、もう視線を気にしないでいいんだからぁあ!」
ローズはカッと目を見開き、ダークネスを威圧した。
「ぐぉおぉおおおお!」
するとアザラシが猛獣の如き勢いでダークネスに目掛けて突撃していった。
「ぐぅうっ!」
ダークネスは正面切ってアザラシの突撃を受け止めたが、今度は圧倒できるほどの力量差はなく、アザラシの推進力に押されてどんどん背後に滑っていく。
「くっ! ……四割ほど私から闇を抜き取ったようだな。だが、まだ私の方が強い!」
ダークネスはなんとかアザラシを押しとどめた。
だが次の瞬間、アザラシをも巻き込んでプラズマの砲弾が炸裂する。
「うぐぁっ!?」
ダークネスとアザラシは互いに弾かれるように吹き飛んでいった。ダークネスは観葉植物にぶつかって停止すると、片腕だけ伸ばして背中を逸らし、首を傾げたゼロワン・キューティクルの姿を見た。
「a2eb85c8ea101e1da19c43d8a847dcde156? 05a5c5de5597fcede10d1c01! デスデスデスデス! キキキキキキキキキッ!」
機械対応の高速言語でゼロワンは話し始める。頭部をカタカタと揺らし、人間らしさを無くしてランダムな方向へふらふらと歩いていった。
「これは、こんなことが、起こりうるのか? 心の汚染が、闇を狂気へと変えている?」
ダークネスはまとまりを無くしたキューティクルズを見て分析した。
「キューティクルズよ、お前たちはどれだけ自爆するのが好きなのだ……」
「自爆などしていない。ただ全力を出せるようになっただけ」
ダークネスの目の前にメタリック・キューティクルズのゼロツーが着地する。ゼロツーは間髪いれずに肘打ちを放ち、だがその攻撃は受け止められた。
「お前は、ゼロツー?」
「ようやく出番が来ました。倫理観というセーフティーが消し飛んだみたいです。今ならばきっと、何をしても許される。さて、自然毒と人工毒、どちらがお好き?」
「なに? うっ!?」
ゼロツーの前腕が傘のように開き、中から勢いよく黄色い霧が噴出した。
「眼つぶしか、っく」
「イペリット・ガス。……マスタードガスと言った方が有名ですかね? 細胞毒は効かないでしょうが、糜爛性ですから目は開けていられないはず。さて、私の初めての全力、喰らってみてください」
ゼロツーは両手をダークネスの胸に押し当てた。すると腕からパイルバンカーのように太い針が複数飛び出し、ダークネスの体を勢いよく吹き飛ばした。
「うぐ!」
ダークネスはさほど吹き飛ぶことなく着地できたが、その胸に空いた六つの穴から六色の液体が流れ出ていた。
「ニコチン、ボツリヌス・トキシン、シアン化ナトリウム、アコニチン、破傷風菌、それと伝説上の毒物カンタレラ。神経毒と呼吸毒を試してみて、それでもだめなら今度は溶解性物質を頭からかけてみましょう。あなたも猛毒を身に宿す苦しみを味わうがいい」
目から光の消えたゼロツーがつぶやくように言う。
「撤収ー! 撤収ー! 距離を取れー! ゼロツーが技を出しやがったぞ! 範囲が見えないからとにかく離れろー!」
二階で野球服の青年が叫ぶ。
その避難命令を皮切りに、心を無くしたかのように佇んでいたキューティクルズが一斉に動き出した。
「うあぁぁぁあぁぁぁぁぁぁ!」
「がるぁぁぁぁぁ!」
「あああぁ! あはははははは!」
「うぐごぉおおおお!」
狂乱したかのようにキューティクルズが散り散りに暴れまわる。柱を砕き、商品を巻き上げながら突撃していく。
赤井がその状況の危険さに気付いて全員に避難命令を出した時には、あちこちでキューティクルズの能力による危険物が飛来していく瞬間だった。