第二十八話 決戦の幕開け 全身全霊のクレッシェンド
ショッピングモール。一階正面玄関前噴水広場。
床には無数の傷跡が残り、砕けたコンクリート材がそこかしこに転がっている。店内に一切の灯りはなく、天窓の向こうには月も星明かりもない。しかし人のざわめきは騒々しく、観客の持つ携帯端末の光が取り囲むように輝いていた。
そして突然の、黒い暴風の拡散。視界の一切を遮るその黒い風は、ショッピングモールのガラスというガラスを一斉に吹き飛ばした。
「きゃぁぁぁぁ!?」
「なんだぁぁぁ!?」
ショッピングモール周辺駐車場の観客がガラス片の雨を浴びて悲鳴を上げる。
これはイエローが、自分の獣大鎧のシャドウの眼球に斧を突き立てた次の瞬間の出来事だった。
四メートルの獣大鎧は即座に爆散。音にならない波動がすべてを揺らし、黒い風が衝撃波として広がった。広がった黒い霧のようなものは瞬く間に視界を覆い隠し、観衆にざわめきと悲鳴を響かせる。
だが、黒い風は間を置かずに晴れていった。霧はドライアイスの煙のように重く、冷気のように足の間を縫って流れていくと地面に吸い込まれていく。
ほんのわずかな時間だけ、真冬のような空気が周辺を包んだ。
星もなく、照明の無い本当の夜の暗さ。深淵の暗闇内部と遜色の無い漆黒である。それでもまだヒーローショーの舞台は明るい。すでに満身創痍とはいえ、キューティクルズの面々がほのかな光を放っていたからだ。
だがその光もおぼろげなものであった。噴水前広場の奥、専門店街の幅広い廊下はいまだ底知れぬ暗闇が占領している。キューティクルズの光だけはまるで足りない。
そんな暗闇の向こう側で突然、巨大な揺れ動く影があらわれた。
その怪物の横幅は回廊を陣取れるほどに大きく、高さは二階の手すりまである。
「あれは、一体……」
現れたのは怪人王イエローのシャドウ、ではない。
高さ5.5メートル、横幅4.5メートルの四足歩行獣。
鎧に覆われた雌獅子の頭部、猫科特有のしなりのある体、百獣の王にふさわしい太い両足、林業重機のような太い黒鋼の爪。怪人王のそれに似た獣鎧は重厚で刺々しい。しかし動きを阻害しないよう体躯に合わせて薄鋼板の重層甲を可動部に装着しているなど、ディティールにも凝っている。
そしてその全容が闇から現れた瞬間、鎧の隙間がカッと開いた。無数の黄金色の光球が鎧の隙間から現れ全身を黄金の文様で彩り、同時にその光球が体内で渦巻き始める。
その瞬間、ショッピングモールの観衆、キューティクルズ、ヒーロー戦隊と怪人、全てから驚きの声が湧き上がった。
「待たせたな! 腰抜けヒーローどもに、場末のアイドル、それと他大勢の馬の骨! お待ちかねのクライマックスがやってきたぞ!」
ジャスティスイエローが黒鎧の雌獅子の上で高々と声を張り上げる。ミリタリーコートをマントのようにひるがえし、片手に持った斧を大きく振って見栄を切ると、獅子の頭に足を乗せて叫んだ。
「こいつは深淵をひとまとめに練り固めた究極の獣! 一万人分の闇の鎧に、深淵の能力を持ち合わせ、さらに私の不屈の心を基準に生みだした! 歴代キューティクルズでもこれを超えるシャドウはいないぜ! さらには私の特殊装置の力でヒーロー戦隊は変身も能力も封印した! これほど完璧な勝機は見たことがない! 年貢の納め時だな、ジャスティスレッドォ!」
「くっ!」
ジャスティスレッドの変身が解けた赤井が、苦々しげにイエローを見上げる。
そんな中、周囲の観衆がその異様な状況に驚いていた。
「ねえ、これってどういうこと!」
「知らねえよ! なんでジャスティスイエローがジャスティスレッドと戦っているんだ!」
「それよりもなんで変身が溶けて、なんでイエローは怪人王を名乗っているんだ!?」
そんな疑問に観衆はどよめき、それに答えるべくイエローは観衆に視線を向けた。
「そうか! 先週のお話を見ていなかった視聴者様には解説が必要だよな! そう、見ての通り私は全てのヒーロー戦隊と敵対した! 何を隠そう、私の父は怪人王ゾシマだったのさ! 最初からすべてを裏切っていたスパイだった! そこまで言えば分かるだろ? 私は前回の戦いで正体を現したが破れた! 今回のこれはリベンジマッチ! 目的はヒーロー戦隊の全滅! ヒーロー戦隊をこの世から消して、世界を平和に導くのが私の使命だ!」
イエローは観客全員に視線を向けるように宣言し、最後に力強く斧を振り払って意気込みを見せる。
「やっぱり俺には信じられない! イエロー! お前はそんな歪んだ正義を掲げる人間じゃなかったはずだ!」
赤井が一歩前に出て、説得するように叫んだ。
だがイエローはそれを睨み返し、苛立ちを見せた。
「黙れぇレッド! やはりお前はダメな男だ! 真実を見る目もなく、自分の理想も分からず、知恵も覚悟すらもない! そんなお前に世界の平和は任せられない! だから私は私なりの手段で戦っているんだ! 覚えておけ! 未来と正義を担うのは、この私だ! 殺れ、深淵王ダークネス・イエロー!」
「グゥオオォォォォォ!」
黒き巨獣のダークネスイエローが前に跳躍する。柱ほどの太さのある前足を赤井目掛けて振り下ろし、頭から斬り裂こうと爪を立てた。
「避けろぉっ、レッド!」
スポーツレッドだった野球服の高校生が叫ぶ。
だが変身していない姿の赤井では動体視力も跳躍力も足りない、回避などとても間に合わないことは必然だった。
そんな瞬間。
「させない! アカネ!」
「うん! アオバ!」
二人のキューティクルズ、ルビーとサファイアが赤井の前に出た。
ドーム状の光の壁を作りだし、ダークネスイエローの爪を受け止める。
「うっ! 重っ!」
サファイア・キューティクルことアオバはその深淵王の質量に驚いていたが、怖気ずくことなく光の壁に力を込める。
「サファイア! ルビー!」
守られた赤井が叫ぶ。
赤井の正面に立つ二人のキューティクルズは赤井よりも背が低く、体格も中学生程度で華奢だが、両手を掲げて赤井を守る姿は神秘的に輝いており十二分に実力を感じさせる。
「分かってはいたが、やはり出しゃばってくるよな! キューティクルズ!」
「僕たちの目の前で、人殺しなんてさせるものか!」
「そう! 私たちはキューティクルズだよ! 別枠の悪役とはいえ、闇に呑まれてしまったのなら私たちはあなたを助ける義務がある!」
「すでにお前ら自身の内情が真っ黒な癖によく言うぜ! しかし情けねえなレッド! そんな小さなアイドルに守られてよ!」
「くっ!」
レッドは歯がみをしてイエローを睨み返す。
しかし巨大な獣の上にいるイエローに届く武器も跳躍力もなく、レッドはどうすることも出来なかった。
「少しはあいつを見習ったらどうだ! すでにもう私を倒す算段を整えているみたいだぞ! そら来たな! 今度こそぶっ殺してやる! クロォォォス!」
「ヴォォォォォォ!」
イエローが横を向いた瞬間、獣の上のジャスティスイエローに鎖が飛来していった。
鎖は咄嗟に撃ち払おうとしたイエローの斧の柄で一度反転して巻き付くと、まるでその迎撃を計算していたかのように慣性の付いた鎖がイエローの首に巻きついていく。
「(分かっていても避けれねえか! 本当にムカつく実力だぜ!)」
イエローは的確に武器を持つ手と首を鎖で拘束され、即座に引き寄せられると、バランスの悪い獣の上から引きずり落とされた。
「やはりてめえだけはぶっ殺すっ!」
イエローは落下したまま叫んだ。
高さ5.5メートルの高さから体を横にして落下し、イエローの頭部が噴水の縁にぶつかるように計算されている。つまりただ落下すれば頭蓋骨と頸椎に深刻なヒビが入り、一般人ならば死ぬ。たとえイエローでも気絶は免れ得ない。
だがイエローは咄嗟に目を黄金色に輝かせて、着地地点に三体の羊のシャドウを生み出し、羊毛の上に着地して衝撃を吸収した。
さらに着地と同時に狼のシャドウを地面から生み出し、三体をクロスめがけて襲わせる。
「オォォォォォ!」
クロスは手元にある溶接された鎖束を手放し、鉄球のように振りまわして薙ぎ払った。鎖の束は質量の助けを得て加速、三体を同時に消し飛ばす。
「気付くのが早いぜクロス! その通りだ! この戦いに置いて、この私が弱点だ! 私の腰の装置を破壊するか、私を気絶させるか殺せば、あいつらは再び変身出来て逆転も容易だろうな!」
イエローは首の鎖を解くと羊を押しのけて立ち上がった。そして真っすぐにクロスをにらみ、凶暴な笑顔を見せる。
「だが、そんなことくらい私だって分かっているんだよ! 今日だけはお前のようなイレギュラーを舞台の上に立たせるわけにはいかねえ! 私が敗北するとしたらお前の介入だけだ! さあ、場所を移して一対一で勝負だ! 深淵王! そいつらは任せたぞ!」
足元に大型の雌獅子のシャドウを生み出すとイエローはその背に飛び乗り、闇深いショッピングモールの奥に逃走していく。
「オォォォォォ!」
クロスはそんなイエローの後を迷わず追いかけた。黒いロングコートの後ろ姿はすぐに光の無い回廊の闇に溶け込んでいき、瞬く間に見えなくなっていく。
「まずい! イエローを逃がすな!」
レッドが慌てて叫ぶが、その瞬間。
「お前ノ相手は、この私だ!」
ダークネスイエローの前足がレッドの進行方向を塞いだ。
「なんだと!?」
「こいつ、喋れるの!?」
ダークネスイエローはその雌獅子の首をゆっくりと首を傾げさせ、足元の無数の人々を流し見た。獣でありながら落ち着きがあり、巨体ゆえに威風堂々としたその立ち振る舞いはまさに王であった。
「今日はいい夜だ。月もなければ星もない。皆が闇を受け入れる」
「私たちは闇を受け入れるつもりなんてない!」
アカネがリーダーらしく、力強く答えた。
だが、ダークネスイエローはそれをあざ笑うかのように見下ろし、自分がさも神獣でもあるかのように落ち着いた声色で言った。
「取引をしようか、キューティクルズ」
「取引!? あなたと!?」
意外な問いかけにアカネは驚く。
「そうだ。お前たちはただ正義の味方としての矜持だけでヒーロー戦隊を守ろうとしている。だが、そんなことは本来不要だ。ヒーロー戦隊の問題はヒーロー戦隊に解決させろ。……具体的に言うと、そこのヒーロー戦隊たちから、変身アイテムをお前たちが取り上げるんだ」
「ええ!?」
アカネは驚き、ダークネスイエローを見上げた。
ダークネスイエローは獅子の牙を見せるように笑い、敵対するつもりはないとでも言いたげに、穏やかに取引を持ちかける。
「そうすれば、私だって誰も殺さずに済む。この状況、今日の戦いは言うまでもなく私の勝利だ。一般人になり下がった相手を殺すだけの簡単な戦い。だがお前たちに配慮して、今日は平和的に解決しよう。お前たちがヒーロー戦隊から装備を奪えば、私もこいつらを殺す必要が無くなる。この深淵は私が管理して、お前たちにはヒーロー戦隊の装備一式と、その後永遠に続く栄光を約束しよう。この日を境にヒーロー戦隊はいなくなる。その代わりお前たちには今後ヒーロー戦隊の装備が必要になるはずだ。私が深淵を管理すれば、シャドウが怪人化するからな。その装備は私からのプレゼントだ」
「そんな取引、わたしたちが……」
「おっと! 決断するのはお前じゃない。レッドローズ・キューティクル! 貴様だ!」
「えっ!」
アカネは振り返り、少し離れた場所に立っていたローズを見た。
「わ、私!?」
赤いポーニーテールに、軽装甲のついたロングコート姿のレッドローズ・キューティクル。驚きに声を張り上げ、戸惑った様子を見せてその場で慌てていた。
「貴様は原点のキューティクルズにして、全キューティクルズのカリスマだ! お前の一声ならば全てのキューティクルズを納得するだろう? お前が未来を決めろ! 無意味な争いか、キューティクルズの栄光か! 答えは一つだ!」
「わ、私は……」
ローズは半歩後退し、うつむいた。
ダークネスイエローはそんなローズの戸惑いを獣の顔をゆがめて薄く笑い、目から僅かに黄金色に輝かせた。
ローズの心を傾かせるのは、ダークネスイエローからすればたやすかった。
長年の大手アパレル社長という重責、モデルとしての美への責任、キューティクルズの戦いと統括。ローズの心は闇に侵されるほど神経が摩耗している。何より十七年もの年月は、美徳の光沢を鈍らせるのには充分であった。
「私の、選ぶ、未来は……」
「ローズさん!」
アカネが叫ぶが、ローズの虚ろな目に、光が返ってくることはない。
そのローズの目は、100時間労働を終えたばかりの会社役員のそれとよく似ていた。
心に輝きがないのは、現実という冷たい世界に浸されて、熱を奪われてしまったからである。理想と幻想の力でも乗り越える事の出来なかった、現代の病理。積層するストレスを相手に、正気を保っていられなかったのだ。
キューティクルズの繁栄とは、現実の世界での約束された成功と、全盛期の美貌で戦えるストレス発散と、無数の拍手と賞賛がセットである。そんな栄光へ続く道への誘惑から、逃れることなど常人には出来はしない。
「……戦いは、私も、望まないわ」
ローズはぼんやりとヒーロー戦隊の集団を見た。
「うっ! まずい!」
「くそ!」
赤井が一歩後退する。
野球服の高校生、消防士、バーテンダーなどなど、変身の解けた諸々の戦士たちもどよめくように慌てて構えた。
「この戦いは、ヒーロー戦隊と怪人の問題から波及してきたもの……。ヒーロー戦隊の問題は、ヒーロー戦隊で解決してもらわないといけない……。何より疲弊した私たちに、この深淵の王は倒せない……。あなた達の装備は、しばらく私たちで預かることにして、今日はお互いに撤退すべきでしょう」
「ローズさん!」
アカネの声は届かない。
それはローズとしても願ったりかなったりの取引。ヒーロー戦隊の装備があれば、斜陽の古参キューティクルズも息を吹き返すことが出来る。その上、怪人化した特殊能力持ちシャドウに対抗も出来るようになる。もしかすれば今後ヒーロー戦隊と置き換わって、世界から必要とされるシリーズ物となれるかもしれない。
ダークネスイエローの思惑としても、ヒーロー戦隊を無力化でき、装備奪還のリスクもキューティクルズに擦りつけることができ、キューティクルズ・ヒーロー戦隊双方の決別も決定的なものとなって、共闘される事態が無くなる。
何よりイエローだけが知る情報として、ヒーロー戦隊装備は既存のものなので技術革新は起こらず、新シリーズも魔法少女系統で発生すればヒーロー戦隊装備は増えることない。
もしかすれば理想的な結末かもしれなかった。
ダークネスイエローは歩きだしたローズを見て、満足げな笑みを浮かべた。
だが、そんな瞬間だった・
「ロォォォォズ!」
「えっ!?」
誰かの怒声。
「お尻をこちらに向けなさい!」
地面を抉るように踏み抜く跳躍音。空気を切り裂く轟音。そして痛々しい打撃音。
「がっ!?」
それはアザラシ・キューティクルが砲弾のように突撃し、右ストレートをローズの顔面に叩きこむ音だった。
ローズは矢のように直線的な軌道で吹き飛んでいった。生活用品コーナーの棚を貫通し、掃除用具実演コーナーのベニヤ板に穴を空けてようやく停止する。その衝撃で清掃用小物や廉価掃除機の破片が勢いよく撒き散らかされた。
「うふふ……。目は、覚めた?」
アザラシはその一撃の後、前のめりの姿勢から体を支えられず、まるで布切れのように力無く地面に倒れていった。
アザラシの体にはいまだに微弱な放電が残っており、顔も髪も煤と石片だらけで、先ほどまで指一つ動かすことすら不可能な状態であったはずだった。だが僅かな力を右腕に注ぎ、手を付いて無理無理体を起こすと、うつ伏せの姿勢から顔だけを上げてローズを見た。
ローズはアザラシに睨まれ、たまらず呻いた。
「うっ……! ア、アザラシ」
「お姐さん、もう限界超えてるから、お尻ペンペンはこの一発だけよ? だから、これ以上わがままは禁止よ?」
アザラシは微笑むようにローズを見上げた。そして体が浮き上がるほど息を吸い込むと、空気を振るわせるほどに叫ぶ。
「ローズ! 大人が現実に染まってはいけない! あなたのキューティクルズとしての決め台詞、今ここで言って見せて!」
「!?」
ローズは思わず目を見開いた。
「私たちは女の子の理想! 誰もが私たちに、理想の姿を思い描いている! みんなの夢を、現実で押し潰したりなんてしちゃいけない! 人はね、夢を見ているから生きていけるの! 現実だけを見て生きていける人間なんていやしない! 夢と綺麗事だけが、現実という闇を押し返せる! さあ、ローズ! 答えて! 私たちの名前を!」
アザラシは信頼の眼光をローズに向けて、しかし口元にだけは微笑みを残して叫んだ。そこまで言えば分かるだろう、と、言わんばかりの大人の視線をローズに向けていた。
ローズはそれに応えた。
「私たちはキューティクルズ……。スタイリッシュなファッションで、希望を生み出す光の戦士……」
最初はつぶやくように話し始める。
「……さあみんな、新しい服に着替えて。私たちが、みんなと一緒に戦ってあげるから」
途端に、ローズの衣装の彩度が高まったように感じられた。ローズはゆっくり顔を上げる。すると、その表情に目に見えて変化があった。
「シャドウはあなたの心の闇。汚いけれど、あなた自身なのだから敵ではない。だから逃げずに、いっしょに戦いましょう……!」
ローズは立ち上がり背後を振り返ると、そこにはシャドウがいた。
突然そこに現れたかのような、鹿頭のシャドウ。電柱のように細い胴体、細い腕と指。その造形は悪魔崇拝の偶像を思わせる。
「キュルイァァァァ!」
シャドウは両手を広げて雄たけびを上げた。
しかしそんな存在に恐怖心を見せずに、ローズは真っすぐにシャドウを睨み返した。
「悲しいわね、本当の私。モデルとしての体型維持でやせ細り、会社運営でヒステリックになっていた、私のシャドウ」
ローズは赤い刀身のショートソードを目線と水平になるように刃を引くと、霞の構えで姿勢を整える。
「さあ! 暴れ出したシャドウ! 私が相手よ! 光はいつだって闇を切り裂く! 強い光で心を照らして! 勇気付ける真実の裁断!」
悪魔のシャドウは無抵抗のまま動こうとしない。そんなシャドウの頭に、赤い残光を描く刃が叩きこまれた。
「影よ! 私の足の裏へと帰りなさい!」
悪魔のシャドウは綺麗に両断されると爆散。その黒い粉末のような影は一瞬だけ拡散し、すぐにローズの足元に吸い込まれて消え去っていく。
「どうか背中を見守っていてね、私の影。私は、前に進んで、輝いてくるから!」
ローズはロングコートの襟を手でピッと整えると、素早く振り返って周りを見た。そしてすべてのキューティクルズを視界に入れるように立ち構える。
「待たせたわねみんな! さあ、ジャスミン! ドレスチェンジといきましょう!」
「ええ! ローズのその笑顔、私も待っていたわ! さあ、息を合わせて!」
ローズとジャスミンは互いの剣を頭上で重ね合わせた。
「「輝け、天衣無縫!」」
二人の剣からまばゆい光が放たれる。カメラのフラッシュより明るく、月の光のように優しく、暖かく白い光が服の隙間を縫って体に浸透する。
例外はダークネスイエローだけで、まるで風圧に耐えるかのように頭を下げて光を受け止めていた。
ほんの数秒間で光は消える。
だがその光は闇を切り払ったかのようにショッピングモールに光をもたらした。床や商品が光を吸い込んだかのように、蓄光塗料のようなほのかな光を放つようになったのだ。闇に切り取られたかのようだった空間が、一気にショッピングモール特有の広大な空間に早変わりしていた。
そして噴水前広場に至っては他と比べようもないほど輝いていた。
ファッショナブル・キューティクルズの光が、他のキューティクルズの輝きを呼び戻したのだ。
気絶して、満身創痍だったキューティクルズが一斉に起き上がる。
「力が、みなぎってくる!」
「みんな、見て! 私たちの服、グレードアップしているよ!」
「おニューの衣装だ! あ! 服と一緒に体の怪我が無くなってる!?」
「バッテリーが充電されたデス! いったい何が起こったのデスか!」
キューティクルズの衣装が新調されて、それに合わせて汚れと一緒に怪我も疲労も消え去っていた。
さらには細かな装飾が一部追加され、布地にはラメの輝きが増えて、光源となれるほど光を放っている。だれもが一目見て分かってしまうほど、すべてのキューティクルズがランクアップしていた。
「みんなの衣装を新調したわ! 人は着ている服に沿った人間になる! 新しい服を着て新しい一歩を踏み出し、キューティクルズはスタイリッシュに成長する! さあみんな、背後を振り返って、戦って!」
ローズがそう叫び、キューティクルズは一斉に背後を振り返った。
すると足元には黒く濃い影が出来ていた。キューティクルズ自身という光源の近くでありながら影が消えることはない。むしろ光を受けてより色濃くなり、各々のシルエットと寸分の狂いもない影が地面に描かれていた。
そしてローズと同じ古参のキューティクルズの影が突然、黄金色の瞳が見開せて脈動する。
その黄金の目に引き連れられるように影は地面から浮きあがり、独自の形を形成していき始めた。
「こいつぁっ!」
トリガーハッピー・キューティクルが叫ぶ。
「結婚なんてクソだ! 育児なんてクソだ! ああ、弾をハジきたい! あああ、暴れてぇよォォォ!」
重火器とナイフで羽を形作った機械のオオワシが、くちばしを大きく広げて絶叫する。
「味を味わってみたいデス! 夜には寝て休みたいデス! 恋をしてみたいデス! 人間になりたいデス!」
「こっちは、私のシャドウデスね!」
メタリック・キューティクル、ゼロワンの足元に、3Dポリゴンのように角々しいドブネズミが現れ、小さいながらも全力で声を上げていた。
「私はもう、ボクシングなんてできない。本当は、分かっている。奇跡なんて、起こらない」
「わ、私のシャドウ!? これが!?」
オーロラ・イエローの正面に、生命維持装置に繋がれた自分自身のシャドウが現れる。
「みんな、私たちの心の光を思い出して! 私たちは心の光を武器に戦うキューティクルズ! さあ、闇を切り払って!」
ローズが叫ぶと全員の衣装がさらに輝いた。その光は影をより色濃くさせたが、同時に自信と勇気を与えさせる。手に持った武器の輝きも強くなると、その光に導かれるように各自武器を持ち上げた。
「しゃあねえな! 死ねや、私のシャドウ! 私ももう、大人にならなきゃならねえ年頃だったようだ」
「私は人間にはなれないデス! 夢物語はやめるのデス! ロボットの私にできることは、少しずつアップグレードする事のみ!」
「立ってよ私! 寝てないでさ! ボクシングに必要なのは奇跡じゃない! 根性だ! 一度人生を始めたのならあとは一人! 生きているなら立ち上がれ! 人生の終わりにはまだまだ早いんだ! 弱い私なんて大嫌いだよ!」
トリガーハッピーが銃を乱射する。ゼロワンが雷球を発射する。オーロライエローが右のアッパースイングで病院のベッドごと打ち砕く。
他のキューティクルズも同様であった。オーロラの光でシャドウを焼き切り、暗殺用の鋼糸で首を絞め、毒の刃で両断する。
シャドウはいずれも無抵抗であった。本人の意思を尊重しているのか、残念そうな表情をしていながらも、消える間際に諦めに似た視線を本体に向けた。
「てめえらは本当に下らねえな! 自分のシャドウを切り捨てるか!」
ダークネスイエローが、キューティクルズを卑下するように言った。
「心の光を思い出したからには、私たちはもう逃げない! よくも私たちをおとしめようとしたわね、ダークネスイエロー! 私たちの輝きで、あなたの淀んだ心を浄化する!」
ローズは赤いショートソードの切っ先をダークネスイエローに向けて宣戦布告して見せた。
身長の三倍もある巨獣にひるむことなく、背筋をシャンと伸ばして言ってのけるその姿はまさに英雄。だれよりも強い光を放つ、原点のキューティクルズがここに復活した。
「ローズさん!」
「待たせたわねアカネちゃん。いえ、ルビー! さあ、隣に並んで! 一緒にあの深淵の暗闇を倒すわよ!」
「……はいっ!」
アカネはその真摯なローズの目に見つめられると、迷うことなく決断できた。
淀みの無い、完成されたローズのカリスマ性。その一言一句には正しさと正義があり、その背中には頼りがいと実績、そのファッションにはあこがれと格好良さがあった。
自然とその後ろを付いていきたくなる、原点にして頂点の力強さ。翳りの無いそのたたずまいは疑いようがなかった。正義の味方・キューティクルズそのものである。
「僕もいっしょに戦います! ローズさん!」
「私もデス、ローズさん! みんなで仲良く、敵を倒したいデス!」
「ヒャァァァッハァァァァ! たまんねえなぁ! 結局のところ、たくさん集まって暴れるのが一番楽しいってことか!」
キューティクルズが一斉にローズを中心に集まってくる。ダークネスイエローに注意しながらも各自広がっていき、取り囲むように戦闘態勢を整えていった。
「レッドローズ・キューティクル! あいつは俺たちの命を狙ってきた怪人王だ! 俺たちも戦うぞ!」
赤井がそこに加わるかのように声を張り上げた。
「下がっていてジャスティスレッド! それとヒーロー戦隊の皆さんも! 今日の戦いの責任は私たちにある! この戦いは、私たちの心の闇が引き起こしたものだから! 深淵の暗闇を打倒し、私たちは今日こそ、自分たちの闇にケジメをつける!」
ローズはヒーロー戦隊の参入を制止した。剣を振り払い、妥協を許さない徹底した信念の乗せられた言葉だった。
赤井もそんなローズの真っすぐな視線に射抜かれて、それ以上言い返すことはできなかった。
なにより変身も特殊能力も封じられたヒーロー戦隊に出来ることは少ない。
自然と誰もが悟ることになる。今日の主役はキューティクルズだったと。
「うふふ……。おかえりなさい、ローズ」
「アザラシ、ありがとう。あなたはやっぱりみんなのお姐さんね。あのお尻ペンペンという名の右ストレートは、さすがに効いたわ」
「ふふ、どういたしまして」
アザラシはローズに微笑みかけた。アザラシは傷も体力も完全回復し、アーミンのファーストールが追加されて胸から上のボリュームが倍加している。体格1.2倍増しでまるで戦車のような存在感のあるグレードアップ仕様だ。
「でも次からはきちんとお尻を狙ってね? あの右ストレートのせいで、なんだか奥歯がぐらぐらするのよ」
「あらあら、ごめんなさい。お口を見せてくれれば、私が指で指し直してあげるわよ?」
「それは下顎が外れそうだから遠慮するわね」
「うふふ、それもそうね。どうも今の私は力の加減が出来そうにない。あっちの大きなシャドウの下顎を狙うとするわ」
アザラシはその場で前傾に構えた。ダークネスイエローの下顎に照準を合わせて、キューティクルズ随一の突撃戦車が準備を完了させる。
「ハラショォォォ! お尻の痛みが引いたぞ!」
「がるるぁぁぁ! アザラシ! 私反省した! もう嘘付かない! いい子にするから、明日の焼き肉屋には連れて行って欲しいのだー!」
アザラシの両隣りに、四階から飛び降りてきたタイガー・キューティクルとヒグマ・キューティクルが着地する。猫科であるタイガーは背中を丸めて軽やかに着地し、ヒグマは両足で床材を踏み抜いて破砕音を響かせた。二人とも露出が増え、体に文様のペインティングが加筆されて蛮族感増し増しである。
「あらあら、元気いっぱいね」
「みんな最高のコンディションのはずよ。女の子を一番輝かせるのはファッションだもの。……ふふふ、負ける気がしないわね!」
ローズは宣戦布告するように剣を掲げてダークネスイエローをにらみつける。その表情には自信が溢れていて、敗北の要素など微塵も感じられなかった。
「くっだらねぇ! シャドウを切り払えば、私に勝てると思っているのか!?」
ダークネスイエローが姿勢を低くして黒鋼の牙を剥く。
「もう私たちが心の闇に支配されることはないわ! あなたの想い通りにはいかない! キューティクルズという光が、あなたという闇を消し去る!」
「いいや、お前らは何も分かってはいない! お前たちはただ現実から目をそむけて、やせ我慢して、メッキの光で輝いている振りをしているだけだ! そもそも心の闇を切り捨てようとしている時点で、お前たちは私に絶対に勝てない!」
「いいえ! いつだって光は闇をたやすく切り裂く! 闇は絶対に、光には勝てないのよ!」
「そこからすべてが間違っている! 光に満ちた永遠などあり得ない! 光はやがて落ち着いて暗くなっていく! 光はいつだって一時的で、世界の正常な姿は闇にある! 自分のシャドウを隠せば隠すほど、心の闇はいずれ淀んで溜まっていく。そして最後には溜まった闇が爆発する! それが現実だったはずだ! お前はそれを一度味わったのに、また繰り返そうとしている! シャドウを否定し続ける限り、キューティクルズに未来はない!」
ダークネスイエローが猛々しい一歩を踏み出した。重装甲に守られた前足が金属音を響かせ、刃のような鉤爪がコンクリートの地面に突き刺さる。
「さあ、みんな! ここが正念場よ! 自分の中の光を信じて、立ち向かって! 私たちの光はもう二度と曇ることはない! もし闇が心に潜り込んできたら、私たちの名前を思い出して! 私たちはみんなの憧れ、キューティクルズなのだと!」
「「「「「はいっ!」」」」」
「さあ、今一度、名乗りましょう!」
ローズとジャスミンがまず一歩前に踏み出し、魔法で生み出した光の奔流を背景に添えて、飛び切りに格好よく名乗りを上げる。
「「みんなの光! みんなの勇気! あなたのシャドウは私たちが切り裂く! スタイリッシュなファッションで希望を生み出す光の戦士! ニューヨーカー・ファッショナブル・キューティクルズ!」
ローズとジャスミンは剣と背中を重ね合わせてポージングを取る。
キューティクルズの黄金時代を知る観衆から絶叫にも似た声援が上がった。30代40代の女性に至っては懐かしさのあまり泣き出す者すらいた。その声量はキューティクルズ本来の輝きを充分に表していただろう。
声援は鳴り止むことなく、キューティクルズが名乗りを上げるたびに大きく高まる。
「轟け銃弾! 唸れ暴力!」
「この依頼、私たちがカタを付ける!」
「「弱い奴らは後ろに下がれ! シカゴ・ギャングスター・キューティクルズ!」」
トリガーハッピーとスマイルキラーの二人が、機関銃と鋼糸を持った手を交差させてポージングを取った。
地面が振動するほどの声援が絶え間なく響いている。
「人為的な悪意を確認」
「行くデスよゼロツー!」
「「人理プロテクション承認! リミッター20%制限解放、通常戦闘モード展開! トランスフォーメーション! デトロイト・メタリック・キューティクルズ!」
ゼロワン、ゼロツーの二人が、機械の体から兵装を展開し、武器を構えてポージングを取る。
「「「オーロラの輝き! 虹の煌めき! 夜空に願ったその願いは、私たちが叶えてあげる! 光輝く夜光の戦士! イエローナイフ・オーロラ・キューティクルズ!」
シアン、マゼンタ、イエローのオーロラ三人組が楽しげな笑顔を見せながらポージングを取った。
「がるるぁぁぁ! うがぁぁぁぁ!」
「ハラショォォ! ガウァァァァァ!」
「うふふ。それじゃあ、狩りを始めましょうか?」
「「狩りの時間だァァァァ!」」
タイガーとヒグマがその場で爪を振り回し、それをアザラシは温かく見守っていた。
彼女ら野性動物にポージングはない。好き勝手に暴れている。
「いざゆかん! スピリット・山本五十六、装着!」
「スピリット! 千利休、装着!」
「スピリット! 平賀源内! 装着装着!」
「スピリット・伊能忠敬! 測量!」
「フフ……。スピリット・杉田玄白。装着……」
「我ら、日本の魂なり! ジパング・サムライ・キューティクルズ!」
日本製ゆえに、どことなくヒーロー戦隊のようにも見えるポージングで五人が構えた。
「「「「フ~レンチ、クッキーング!」」」」
「料理はお任せ! コックさん!」
「デザートはお任せ! パティシエだよ!」
「ワインはお任せ! ソムリエだ!」
「コーヒーはお任せ! バリスタ!」
「「「「輝けフルコース! フレンチ・クッキング・キューティクルズ!」
ポージングと同時に背後で食材が撒き散る。十キロほどのイクラのシャワーを観客の女性が頭から浴びたりしたようで、背後の観衆の中から絶叫が響いた。
そして、観衆は誰一人として気付くことはない。ブゥードゥー・キューティクルズの存在なかったということに。忘れられていたのでも、知名度がなかったわけでもない。誰もが、知らなかった。
そんなことはいざ知らず、次はいよいよスーパースター・キューティクルズの名乗りだ。
アカネとアオバはローズの隣に立っている。現役今代のキューティクルズであり、その立ち位置も当然主人公ポジションだった。
だが……。
「よし! 次は私たち! って、あれ? ミドリは!?」
「えっ!? あれ!? いないの!? あ、ヤバい、流れが……! 僕たちだけでも名乗るよ!」
「う、うん!」
多少わたわたとあわてながらも、アカネとアオバも名乗りを上げた。
「輝くライト! 煌めくステージ! さあみんな、盛り上がって!」
「僕たちのライブ! 一緒に最高のものにしよう! その輝く瞳が僕たちの力になる!」
「「さあ始めよう、なんでもありの大舞台! ブロードウェイ・スーパースター・キューティクルズ!」」
アカネとアオバが即席でポージングを取る。
観客からの声援はスーパースター・キューティクルズの名乗りの瞬間が最も大きく轟いた。現役最前線のキューティクルズであり、もともとスーパースター・キューティクルズのゲリラライブ告知を見て集まってきた観客であるわけだから、当然ファンも一番多い。何より名乗りの大トリでもあったため、観客のボルテージを最大限に高める効果をになっていた。
「私と戦うならば容赦はしねぇ! 貴様らに覚悟の違いってやつを教えてやる!」
ダークネスイエローが牙を輝かせて、重層甲の体躯を低く構えて怒声を放つ。
「みんな! いくわよ!」
「「「「「「はいっ!」」」」」」
キューティクルズは一斉に跳躍し、空中に扇状に広がってダークネスイエロー目掛けて飛びかかる。
その極彩色の光の戦士が飛びあがった瞬間は、孔雀の尾羽のように煌めいていた。その戦いの結末は勝利以外にあり得ないと思わせるだけの流麗さである。
観客の応援が、積層の波動を生むかのように空気を震わす。その様相はまさに、正常なヒーローショーであった。
▼ ▼
「さて、ここらでいいか」
イエローは雌獅子の背中から飛び降りる。
そこはショッピングモールの奥の奥。三階専門店街の終着点。半球状の広い空間にベンチだけがある広場だ。右手にスポーツ用品店、左手にはゲームセンター、奥には映画館がある。まばらに配置された非常灯だけが唯一の明かりで、うす暗い空間には遠くの喧騒もほとんど届かず静かなものであった。
「おい、シャドウ。何か武器になりそうなものを取ってこい」
「グルォゥ!」
イエローの足元かから小型の雌獅子のシャドウが現れ、計六体が即座に地面に潜り込んで消えて行く。
「ぐっ!」
イエローは突然、頭を手で押さえた。
「(深淵王を出している状態で、自分の分身を作るってのは結構きついな。六……、いや、七体が限度か。作りすぎて自分の精神が摩耗したら元も子もない。もともとシャドウは一人一体なのだから贅沢は言えねえか……。こんなことなら怪人王の権限でズルなんかせず、精神の完全掌握という深淵の条件を満たすべきだったか? ……いや、無理だ。さすがにこの情熱と狂気を捨てることはできないだろうな)」
イエローは頭を振り払うと、広大なショッピングモールの回廊を見た。
ずらりと並んだ服屋と小物屋。天窓に吹き抜け。そして吹き抜けのど真ん中に掛けられた、数日後開催予定だったキューティクルズ公演の垂れ幕。
「ふっ、くっだらねぇ」
イエローはスーパースター・キューティクルズの笑顔あふれる垂れ幕を見て、それをバカにするように笑った。
「本当に下らねえ! そう思わねえか! クロス!」
視界に広がる暗闇に響くようイエローは叫んだ。クロスはまだ追いついて来ていない。
「全くを持って、私たちってのは一体何がしたいんだろうな!」
自嘲じみた言葉遣いで叫びながら、イエローは暗闇のどこかからクロスが現れないかと探した。
「この世の中に悪党はたくさんいるってのによ! 強盗、殺人、麻薬に、詐欺! それなのに私たちは、悪役を自作してまで戦わなくちゃいけないんだ! 悪役がいなけりゃ変身することも戦うこともない! おかしいよな! これで正義の味方を名乗るとは、本当に笑えてくる!」
イエローは近くの三人掛けベンチを蹴飛ばし、キューティクルズの垂れ幕にぶつけた。垂れ幕は左右に揺れ、ベンチは一階に落下して真っ二つに砕け散る。
「茶番劇もいいところだ! 今頃あっちじゃ、ダークネスイエローの登場でキューティクルズが組織として正常化してるはずだ! 全くを持ってなんであんな連中の面倒まで見てやらなきゃいけねえんだ! あいつらも正義の味方だろうに、どうして自分で自分の正義を腐らせることができる! まるで覚悟が足りてねえ! 正義の味方ってのは、自分の命も心も全部使い切って、それでも足りなきゃ名誉も名声も切り捨てて、最後に自分以外の何かを守れればそれでいいだろうってのによ! どうしてまだ普通の人間であろうと努力する! さっさと人生捨てる覚悟決めちまえよ!」
イエローは苛立ちに任せて手すりを蹴飛ばした。転落防止の手すりは大きくひしゃげ曲がり、外れたプラスチック板が落下していく。
「ジャスティスレッドのボケナスもきちんと戦えるんだろうな? あのバカ、能力が封じられたからってただ見学しているつもりか? 深淵王はキューティクルズだけで勝てる相手じゃない。まったく、不安だよ。クソッタレ!」
イエローは斧を意味の無く振り下ろし、振り返ってそこらを歩き始めた。
そうこうしていると、お使いにだしていた雌獅子のシャドウのうち五体が多少の時間差を経て帰ってくる。シャドウはイエローの足元に集まり、集めてきた獲物をそれぞれ転がした。
最初のシャドウが近くのスポーツショップから拾ってきたであろう、高校野球用の金属バット。次のシャドウが白刃の出刃包丁。その次に草刈鎌と高枝切り鋏といった二本の農具。次にホームセンターからの電動ハンドソー。最後に自家発電機の燃料用であろうガソリン携行缶(10L)。
これらは活用するかどうかまだ未定だ。だがとりあえず集めさせた。武器はたくさんあって困ることはない。
「クロス! お前はちがうよな!」
イエローはいるかどうかも分からない相手に対し、絶対に来ているという確信を持ってして叫んだ。
「お前を、信じてもいいか!」
とりあえず足元の金属バットを持ち上げ、斧とバットの二刀流で戦闘準備を整える。
「本当のヒーローなら死んだりなんてしねえよなぁ! 私は本気でお前を殺しに行くぞ! だからお前も本気で私を殺しに来い! 私が悪役で、お前が正義の味方役だ! あんな茶番劇の変身ヒーローたちに世界を任せられるかっ! こっちで世界の命運を決めよう! お前が勝てば私は引きさがる。あっちがどうなるか知らんが、きっと今日の結末はハッピーエンドになるだろう! 私が勝てばっ! そうだな、本格的に殺戮を検討するとしよう! お前が死んだら私に恐れるものは無い! 怪人王と深淵王の力を使い、ヒーロー戦隊を皆殺しにして世界を平和にする! 実に単純でわかりやすい! 私が悪役ってのだけが気に食わねえが、私はこういう未来を賭けた戦いをしたかったんだ! さあクロス! 私に決意を固めさせてくれ! この世にまだ、ヒーローがいるってことを教えてくれ!」
イエローは足を踏み鳴らし、両手の得物を振り払って意欲を見せた。
その瞬間だった。
「オォォォォ!」
イエローの背後。吹き抜けの方角から鎖が飛翔し、イエローの胴体に巻き付いた。
「(上の階から鎖か!? 油断した!)」
イエローが振り返ると、鎖は一つ上の四階から伸びていた。
「同じ手を二度も喰らうか! 逆にてめえを引きずり落としてやらぁ!」
無理に鎖をほどこうとはせず、逆に腕に鎖を巻きつけてイエローは勢いよく引っ張った。
すると一瞬だけ強い張力が働き、なにやら上の階でバキンッ、と、金属製品が壊れるような音が鳴った。
「なにっ!?」
イエローを縛っていた鎖が一瞬だけ緩み、それと同時に目の前のキューティクルズの垂れ幕が高速で落下していく。
「ぐっ! ばかな!? うおおおお!」
イエローは瞬く間に吹き抜けに引き寄せられていった。
鎖は垂れ幕のワイヤーと繋がれていた。
キューティクルズの垂れ幕は素材に厚手のターポリン材(ビニール系の布地。防水性防火性耐久性に優れるが、重い)を使用しており、しかも芯棒にスチールを採用している激重仕様。イエローの体を引き寄せるには十分な重さであった。
先ほどの破損音はワイヤーブレーキか滑車の故障した音だろう。イエローの体は踏ん張りも効かず手すりにぶつかってようやく止まり、金属バットを投げ捨てて手すりを掴むことでなんとか落下を押しとどめた。
「ぐっ! シャドウ! 私を引っ張れ!」
雌獅子のシャドウがイエローのミリタリーコートの端に喰らい付き、三階に引き戻そうと引き寄せた。
そのうち一体のシャドウが先ほど持ってきた電動ハンドソーをくわえて持ってくる。
充電式なのでパワーは期待できないが、セットされているノコギリ刃は対金属用だ。体に巻きついている鎖にも十分期待できる。
その電動ハンドソーをイエローが掴もうと片手を伸ばした、その瞬間だった。
「ヴォォォォッ!」
「ぐぁっ!?」
四階から三階へと飛び降りてきたクロスが、落下加速を乗せた右フックをイエローの顔面に叩きこんだ。
その一撃にはイエローの意識も消し飛びかけてしまう。
「オォォォォ!」
さらにクロスは着地すると同時にイエローの首根っこを掴み、吹き抜けに突き落とそうと力を込めてくる。
「ぐっ! ぐおぉぉぉ!」
「グッ!?」
イエローは即座に意識を整え、咄嗟にクロスを足で蹴飛ばした。
単純な前蹴りだが筋力が強化されており、クロスの巨体を押し上げて吹き飛ばすことに成功した。
あとほんの一秒、意識の混乱が残っていればイエローは三階から真っ逆さまだった。イエローの根性は僅かばかりクロスの計算を上回っていた。
「このクソぉぉ!」
イエローは懐から回転拳銃を取り出すと、よろめいているクロスは狙わず、頭上の鎖を目掛けて撃った。
ろくに照準も合わせず、使用している弾丸も小口径の9ミリルガー弾であったためほとんど賭けだったが、運よく三発目がクリーンヒットしたようで鎖が千切れ飛んだ。
イエローの背後でキューティクルズの垂れ幕が高速落下していく。
「死ねェ!」
「ヴォォォォォ!」
イエローは即座にクロスに銃口を向けるが、僅かばかりクロスの接近の方が早かった。
引き金を引くよりも早く、クロスがリボルバーのシリンダーを掴む。リボルバーは打つために弾倉を回転させなければならず、それを抑えられれば引き金は引けない。リボルバーはイエローの手からもぎ取られると、クロスの左フックがイエローの頬を穿った。
「ぐぅっ! ……っシャドウ!」
イエローは殴り飛ばされると同時に転がって距離を取る。ひとまず足元に転がっていた出刃包丁を拾い上げ、雌獅子のシャドウに命じた。
「グゴァァ!」
「ヴォォォォォォ!」
だが当然と言うべきか、シャドウは瞬く間に弾き返される。クロスの左の肘が刺さり、右のつま先が下顎を蹴飛ばし、飛びかかると同時に体を持ち上げられ階下に投げ落とされる。
殴られただけでは消失はしなかったが、落下したシャドウと、最後に金属バットでクロスにぶん殴られたシャドウは耐久限界を超えて消し飛んだ。
「ぐっ! この! おおおおぉ!」
ダメージのフィードバックがイエローを襲うが、そんな事を気にもせずにクロスに突撃していく。
出刃包丁の一薙ぎは当然の如くクロスに回避される。カウンターとして即死級の金属バットの振り抜きがイエローを襲うが、足元の愛用の薪割り斧を拾い上げそれをはじき返し、体制を整えるため地面を転がって距離を取った。
「ムゥ……」
クロスは奇襲の失敗に対して困ったような声を鳴らし、地面に手足を付いて構えるイエローを見た。
「楽しいなぁ、おい! 楽しすぎて狂っちまいそうだ! お前をぶっ殺せば、きっと私が正義の味方だ! さあ来いや、クロォォォォス!」
イエローは高枝切り鋏を拾い上げ、槍のように振りまわした。
その笑顔は純粋で楽しげであったが、溢れんばかりの狂気が多分に含んでいた。