第二十七話 正義にして悪 真実にして嘘 ジャスティスイエローのオペレッタ
「きゃぁぁぁぁ!?」
ブラック・キューティクルは驚愕し、目を見開いた。
「ヴォォォォォ!」
ブラックが両手を突き刺している深淵の闇の表面から、黒くて大きなレザーグローブが飛び出してきたのだ。
その大きな男の手はブラックの首を掴むと問答無用で締め付けてくる。
ブラックの両手は深淵の暗闇に突き刺したまま、なにかに手を掴まれているかのように引き抜けなかった。凶悪なまでの握力で首を締め付けられてブラックは焦るが、どれほど力を込めようと深淵から手が引き抜けない。
「あっ、がっ!?」
ブラックは抵抗も出来ずに呼吸を制限される。男の指は深く気道に食い込み、細くやわらかなブラックの首の皮膚を突き破りかねないほどねじ込まれていっていた。
ブラックがどうにか逃げようと体を引く。すると、それに合わせたかのよう男の腕が深淵の中から引っ張り出されてきた。
上腕部、肩へとそれは繋がっていき、ついに黒く焼け焦げた顔がブラックの正面に現れてくる。
「ああぁぁっ! い、いゃぁぁぁあぁぁぁぁぁぁ!」
引き絞られた喉から全力の絶叫が響く。至近距離で見るその素顔はあまりにも恐ろしい。
潰瘍だらけで凹凸がある顔。筋張った表情筋がむき出しになっており、怒りの意思表示なのか険しい表情を見せていた。格子状に穴のあいた頬からは骨と歯が見え隠れしていて、まるで骸骨に悪魔の血肉を張り付けたかのようである。何よりブラックを真っすぐに見据える赤い双眸は、まさに異形にして凶悪。その視線からは血肉に対する飢えすら感じさせる。
ブラックは一目で、クロスが人の肉を食べる怪物であると理解した。
そんなクロスの顔は刻一刻と近付いてきていた。
ブラックの首を引き寄せて、その鼻を噛みちぎろうとしているのだとすぐにわかった。牙を剥いて近付いてくるクロスの顔は、あと二十センチの距離だ。
「やめっ……! やめっ、でぇぇぇぇ!」
ブラックの絶叫。
だが、必死の抵抗も次第に弱まっていく。
急な力の消失にブラックは戸惑った。
元の筋力が常人の何倍もあろうと、酸素欠乏状態では本領を発揮できない。クロスの親指は的確に大動脈を締め付けている。動脈血が受け取れない脳はすぐに機能を弱めていった。
「グゥゥゥゥ!」
クロスはさらに指に力を込め、ブラックの失神を狙った。
クロスは考えた。ブラックが敗北すれば問題が先送りになる可能性があったが、今は深淵内部に協力者ができた。つまり僅かながらも希望的な未来が予測できる。
理想としては、気絶したブラックが他のキューティクルズに諭されて改心する展開。
深淵の暗闇は独立してこの場から消え去り、周囲の観衆のシャドウが消え去る展開。
アオバによってヒーロー戦隊への誤解が解ける展開。
あわよくば同じくクロス自身の誤解も解ける展開。
そんな流れで話しが進んでくれればハッピーエンドだ。
その展開に誘導することがクロスに出来ない事が口惜しい。コミュニケーションが取れないことはまさに悲劇だ。だが他の選択肢よりは可能性がある。
しかもあくまで希望的観測である。ブラックは改心しないかもしれないし、ヒーロー戦隊と戦いたがっているキューティクルズはまだいるから現況は変わらないかもしれない。
このままクロスがキューティクルズを全滅させれば問題は未解決で終わる。チラリとクロスはジャスティスレッドを横目に見るも、レッドは戸惑った様子で武器を構えているだけだった。期待は出来ない。
そうこうしているとブラックが涙をこぼしながら白目を剥き始めた。涙がブラックの目の爪跡に沿って流れていく。完全に失神するまであと数秒だろう。
そんな瞬間だった。クロスの頭上の天窓が砕け散った。
「私と遊ぼうぜぇ! クロォォォォスッ!」
キラキラと輝くガラスと共に六階の高さから落ちてきたのは、ジャスティスイエローだ。
ミリタリーコートをひるがえし、右手に握った薪割り斧を振り上げて、満面の笑顔でクロスの頭蓋を叩き割ろうと斧を振り下ろす。
「オォオッ!?」
クロスは咄嗟に、ブラックを盾にした。
「がヴぉハッ!?」
ブラックの頭頂部に薪割り斧が叩きつけられ、変な叫び声を上げる。
「ハッハァ!」
イエローは攻撃と同時に床に足をめり込ませ、床材を派手に巻き上げる三点着地を決めた。
硬質な床に無数のひびが入ったが、イエローの手足にはすり傷一つない。黒い電流をバチバチと散らすイエローのその肉体は、すでに怪人王としての力に満ち満ちていた。
「そこをどけっ! クロォス!」
イエローの右腕に獣大鎧の装甲がまとわりついた。間髪いれずに振り払われた斧は盾にされたブラックの背中に叩きつけられ、そのまままとめて押し出すようにクロスの体ごと大きく弾き飛ばした。
「うがぁっ!?」
「グゥッ!」
ブラックの体ごとクロスを狙ったのはセーフティー対策だ。クロスのような一般人を相手にするとイエローの怪人王の力は激減する。だが同じヒーロー側に分類されるブラックの体ならば、強化された膂力が半減されずにクロスに最大の力が叩きこめる。
怪人王としてのイエローの力は、大柄なクロスをブラックともども八メートルも吹き飛ばした。
「うそだろ! イエロー!? なんでお前が出てくるんだ!?」
ジャスティスレッドが驚き声をあげる。
「ぎゃあぁぁぁぁ! ジャスティスイエロー!? なんでだ!?」
「どういうことだレッド! クロスオーバーが怖くて絶対に出てこないって言ってたじゃねえか!」
ヒーロー戦隊も、怪人も、一斉に驚愕してイエローを見た。
だがイエローはそんな混乱に乗じて、迅速に鎧で刺々しく変貌した右腕を深淵の暗闇に突き入れる。
「この深淵は、私が貰ったァ!」
「なんだと!?」
ジャスティスレッドが驚く。
ジャスティスイエローは深淵の中で握りこぶしを作り、怒声と共に力を込めた。
現在直径二メートルほどの深淵の半球体の表面に黒い稲妻が走っていき、深淵は痙攣するように震えながら、見る見るうちに縮小していく。
「怪人王ジャスティスイエローがここに命ずるッ! わが身に宿れ深淵の暗闇!」
深淵は稲妻の網に追いやられるかのように吸い寄せられ、イエローの体にねじ込まれていく。
ほんの数秒で深淵はイエローの腕に吸い取られて跡形もなく消え去った。
そして当然のように、イエローの体から深淵のものによく似た薄紫色の闇のオーラが立ち上がってくる。
「そんな……、深淵が……! 私の深淵が……!」
倒れたままのブラックが信じられなさそうに悲痛な叫びを上げた。
イエローは自分の体から漏れてくる闇色のオーラを見て、それを試すかのように拳を握りしめる。
「ふふ、ふははは! はーはっはっは! 最高だ! 最高の力だ! これが闇の力か! この力はまさにっ……! …………意外としょぼいな。怪人王のコアの七割くらいか? まあ、昔の怪人王の欠片だし、仕方ないか」
イエローは目に見えてがっくりと肩を落とすが、すぐに機嫌を取り戻し、笑顔でジャスティスレッドの方角に向き直る。
「さて、久しぶりだなジャスティスレッド。驚いたか?」
「どういうつもりだイエロー! なにが目的だ!?」
「目的? 決まっているだろ? お前たちを、ぶっ殺すために来たっ!」
イエローは跳躍し、二階の渡り廊下に着地する。ミリタリーコートをマントのようにひるがえし、その廊下が舞台であるかのように両手を広げてみせた。
「ふははは! すべては私の計画通りに事は進んだ! この瞬間を待っていたんだ! お前たちはキューティクルズと戦って疲弊し、キューティクルズもクロスと戦って半数が気絶! その上で私は、数万ものシャドウを操る力を手に入れた! これ以上の機会がどこにある!」
「この状況を狙って!? 一体どういうことだ!?」
「ここまで言ってどうゆうこともねえだろう! すべての黒幕は、この私だったのさ!」
「なっ!? なんだって!?」
ジャスティスレッドは目を見開いた。ヒーロースーツ着用なので表情は分からないが、驚愕していることは誰にだって理解できた。
「どうして深淵の暗闇に私がこだわっていたのか、その答えを教えてやる! 強制変身解除装置、起動だ!」
イエローは腰の小さなジュークボックスのような機械を掴むと電源を入れた。
するとその機械を中心に白い波動が拡散する。衝撃波のように円形に広がっていくその空間の津波は小さな風圧と共に広がり、ヒーロー戦隊と怪人の変身を一瞬にしてかき消した。
「なんだ! 変身が!?」
「うっ! 俺たちの能力が封印された! 完全に生身だ!」
「なぜでござるか!? あの機械、小型化できてたのでござるか!」
「待て! あの機械を使えばジャスティスイエローも能力を封印される! この空間ではお互い不利にしかならないはずだ!」
怪人とヒーロー戦隊は各々生身の肉体に戻り、手足を触るなどしてこの状況に驚愕していた。
「ちょっと待て! どういうことだ! キューティクルズの変身は解けていない!?」
トミーが叫んだ。
怪人やヒーロー戦隊、イエローの怪人王の手甲などは消失したが、キューティクルズの変身は解けていなかった。
キューティクルズはヒーロー戦隊たちの変身が急に解けたことに驚いている。
だがそんな状況にイエローは当然だとばかりに解説を始めた。
「やっと気付いたかバカ共! そうだ、この強制変身解除装置は怪人王のコアを動力に発動している! 闇を核としているキューティクルズにこの装置は影響しない! つまり、私だけがこの場で有利になった!」
イエローは右手を前に突きだし、闇色のオーラを手のひらに集中させた。
「深淵! 貴様へ命ずる! すべての闇をかき集め、真実の心の化身となれ! いでよ、私のシャドウ!」
その言葉と同時にショッピングモール中に蔓延していたシャドウが溶けて地面に吸い込まれていく。その影は一階の床を這うように集約していき、折り重なってゆくと闇の渦へと変貌した。
「うおっ!? 一万近いシャドウを全部吸収するつもりだ!?」
「まずい! みんな離れろ!」
レッドが両手を広げて全員に後退を促す。
巨大な闇の渦は地面を抉るように深みを増していくと、その渦の中心から這いだすように、巨大な腕が現れてきた。
それは異様なまでに刺々しい手甲、肩当て。たてがみの無い雌獅子の兜。その姿は怪人王として変身した後のジャスティスイエローの姿そのままであった。その違いは鎧の隙間から黄色いネオンの光を吐き出さない、黒一色の姿であるということだけである。
「な、なんだこいつ! で、でかい!」
サファイア・キューティクル姿のアオバが地面から這い出てきた獣大鎧のシャドウを見上げる。
シャドウ・イエローの全長は四メートルもあった。本来の怪人王イエローの身長よりも一メートルほど大きくなっており、当然シャドウというには規格外のサイズである。
「俺たちは能力を封じられているのに、イエローだけはシャドウを操れるのか!?」
「その通りだレッド! シャドウは怪人と同じで、一般人にもダメージが通る! 無力化したお前たちを、こいつで切り裂いてやるのさ! その次はキューティクルズだ!」
「グゥオォォォォォ!」
シャドウ・イエローは雄たけびを上げると、腕を振り払い巨大な両刃斧を顕現させた。デザインは怪人王イエローと同一だが、やはり黄色いネオンの光を放たない黒一色の代物である。
「ふはははは! いい気味だな! すべては私の陰謀通り! キューティクルズも私に騙されたと知らずに御苦労さまだ!」
「騙されたって何! いったいどういうこと!?」
「ローズ! おまえらファッショナブル・キューティクルズを騙すのは骨が折れたぜ! だがカリスマのあるお前らを騙せたことで、芋づる式に他の連中も騙せたんだ! それもこれも全部、そこのブラックのおかげだ!」
「ブラック!?」
周囲の視線がブラックに集まる。ブラックは傷だらけになった体を四つん這いで支えており、動揺と困惑で揺れる目に恐怖を重ねていた。
「どういう……。どういうこと……?」
「全部嘘だったのさ! あの悪名高い副大統領が、アイドル興行に金を出すわけがねえだろうがっ! あのノートパソコンは私の小道具で! お前が契約を交わした相手は私の雇った役者だった!」
「そんな……! でも、副大統領は証明を……」
「全部偽造だよバカ野郎! ミリオンアイズとか言う、あの滅茶苦茶怪しいフリーランスが仲介に来てる時点でおかしいと気付くべきだったな! あいつも私が金で雇っただけのアメリカ人! 最初から最後まで、全部、大嘘だ!」
「嘘……! 嘘……!」
ブラックは四つん這いの姿勢のまま呼吸を粗くし、動悸を高めて表情に絶望を重ねると、目に涙を溜めていった。
「そんな。それじゃあ……、私がキューティクルズを裏切ったのも、栄光の未来も、キューティクルズの衰退を防ぐ希望も、全部……」
「全部嘘だった! 全部私の仕業だった! お前は私に、騙されていたのさ! この間抜けな悪党め!」
「う……。あり得ない、あり得ない、あり得ない! あり得ないあり得ないあり得ないあり得ない!」
ブラックはうずくまり、両手で頭頂部の髪を鷲掴みにして背中を丸める。
「う、うう、うあ、うあぁぁぁぁぁぁぁ!」
ブラックは絶叫した。
完全にすべてを失った。深淵の力という唯一の優位をイエローに奪われ、仲間からの信用も失い、キューティクルズの名前すら汚した。
自分を犠牲にしてまで進めてきた計画がすべて詐欺だった。いいように利用されたあげく、キューティクルズを分断し、さらには一部の仲間を闇に穢したのだ。いまさら言い訳のしようがない。
ブラックには敗者相応の重圧がのしかかる。口を引き裂いてでも叫びたいと思えるほどの精神的損害。泣こうが喚こうが、ブラックの理想と人生は崩壊したのだ。
「はっはっは! いい様だなブラック! 正義の味方の癖に金と栄光に目がくらむからそんなことになるんだ! アイドルはおとなしく舞台で歌って踊っていればいいんだよ! ここから先は私の花道! 一般人に戻ったヒーロー戦隊どもを蹂躙する、私の無双するヒーローショーだ! さあ、やっちまえシャドウ!」
イエローはシャドウ・イエローに命じた。
しかし、シャドウ・イエローは命令を受けつけることはなく、振り返って黄金色の瞳でイエローを見返した。
「ん? どうした、シャドウ?」
「ガァァァァァ! ……サセヌ!」
シャドウは体を大きくうねらせ、イエローを目掛けて両刃斧を振り落とした。
「うおっ!?」
イエローは素早くサイドステップを踏んで回避する。シャドウの両刃斧は二階の渡り廊下を切り裂き、一階の床に深く突き刺さった。
「なんだ! 暴走か!?」
ジャスティスレッドの変身が解けた赤井が叫ぶ。
ジャスティスイエローは自分のシャドウの目を睨み返した。その目には黄金色のぼやけた光ではなく、不気味な事に実体化した黄金の眼球がはまっていた。
「(違う、私の意思ではない。何者かが、シャドウの中に残っている?)」
イエローはそう冷静に分析すると、にやりと笑った。
「簡単に力は渡さないってか! いいぜ! 怪人王の力なしでも、心だけで貴様を掌握してやるよ! うぉらぁぁぁぁ!」
イエローは真っすぐにシャドウ・イエロー目掛けて駆け出した。手すりを踏み台にして高く跳躍し、シャドウ・イエローが地面に刺さった両刃斧を抜く隙を付いて、黄金の目に薪割り斧の刃を叩きこんだ。
「ガァァァアァァァ!?」
「はっはぁっ!」
イエローは上機嫌な笑い声を上げながら突き刺した斧を支えに顔に張り付く。黄金の目から噴出する闇を浴びて黒く染まりながら、もう片方の黄金の瞳を覗き返した。
「深みを見せてみろ! 深淵!」
▼ ▼
暗闇。完全な闇。しかし、数秒もすると足場が。やがて視界が復活してくる。
場所は採石場だった。
いつものヒーロー戦隊たちの決戦の場所。何かと理由を付けてステージとなる砂利の荒野。空も大地も黒いが、視界は鮮明で遠くの丘や林の輪郭もくっきりと見える。
「ここか……。鬼が出るか蛇が出るか」
イエローはそんな闇の世界で悠然と立っていた。夢の中にいるような感覚で違和感を感じているが、それは想定の範囲なので動揺は微塵もない。
ここが精神世界であることなどすぐにわかる。物理的な攻撃など無意味なので、手に握っていた薪割り斧は杖にしてどっしりと構えた。
すると、イエローの背後から少女がすすり泣く声が聞こえてきた。
「うえぇぇぇん! お父さーん! お父さん、どこー!?」
小柄な体。長く伸ばした髪。柄の無い漆黒のワンピース。全身が黒く、影を滴らせるほど濃密な闇の肉体。しかし両手で涙をこする姿は純粋で弱々しい。視線をさまよわせて父親を探す姿はただの迷子である。
だが、その両目と涙はやはり薄く輝く黄金色だ。シャドウであることは疑いようがなかった。
「そうか、私の心の闇は、お前か」
「うぇぇん……。お姉ちゃん、お父さん知らない?」
シャドウの少女はイエローに近付くと、丸くて大きな瞳でイエローを見上げた。小さな手でイエローのミリタリーロングコートの裾を掴み、助けを求めるように瞳を潤す。
「お父さんは死んだ。お前が殺した」
イエローは冷たい声で答えた。
「違う! 違う、違う! お父さんは死んだりなんてしない! 殺してなんてない!」
ショックを受けた少女はイエローから手を離すと、よろめくように後退していく。
「逃げるな! ここが犯行現場だ」
イエローは手を広げて採石場の荒野を指し示した。その表情には少女に対する怒りがあった。
少女のシャドウは怯えたように大声で返答を返す。
「そんなつもりはなかった! 私は、お父さんを殺すつもりなんてなかった! 正義の味方じゃなかったら、私はお父さんを殺したりなんてしなかった!」
「いいやお前は正義の味方で、お父さんを殺した! 現実から逃げることは私が許さん! お前は正義の味方としての道を選び、重荷を背負う覚悟をしたんだ!」
「正義なんて知らない! 覚悟なんて知らない! 私は普通でいい! 正しい事して、みんな平和になって、お父さんに褒めてもらえれば、それでよかった! お父さんは生きていて、悪い怪人を倒せばみんな褒めてくれて、それが私の理想で……」
「現実を見ろ! いい事をしたら褒めてくれた、あのお父さんは私が殺したんだ! 倒すべき怪人もどこにもいない! わがままを言う時間は終わった。さあ立ち上がれ未熟なシャドウ! 現実は待ってくれないぞ! 今も悪党がヒーロー戦隊とキューティクルズに戦争をさせようとしているんだからな! 正義の味方として私はそれを解決する!」
「お父さん助けて! がんばりたくない! 正義の味方なんてやりたくない!」
「思い出せ、お前は正義の味方ジャスティスイエローだ! 」
「違う! 違う! 違う!」
「この正義の為にお前はお父さんを殺した! しっかり自分の責任と向き合えバカ野郎!」
「違う違う違うちがぅゥゥゥゥゥゥ!」
少女のシャドウはうずくまって叫ぶと、変貌した。
爪が鋭く長く伸び、髪はささくれ立って、巨大化した眼球でイエローをギョロリと睨むと、裂けた口に牙を生やして襲いかかってくる。
「この甘えん坊の間抜けがぁぁぁ!」
イエローはシャドウに前蹴りを叩きこむ。
「うぁッ!?」
シャドウは体をくの字に折り曲げて弾き飛ばされ、背中を床に叩きつけて倒れ込んだ。
イエローは跳躍し、そんな少女のシャドウの腹部に斧の先を突き落とす。
「あぐぅ!」
「私の覚悟をなんだと思ってやがる! まるで私が正義をイヤがっているみたいな口ぶりしやがって! 私は正義だ! そのあり方はどうであれ、私はいつどんな時でもジャスティスイエロー! そのお父さんにもらった名前すら忘れるほど、私はジャスティスイエローなんだ! その正義の名前を忘れるな!」
イエローは暴れる少女のシャドウを斧の先で抑え込み、腹部を踏み抜く。
「あっぐぅ! う、うぅぅ!」
少女はしばらく暴れていたが、しかしやがて観念したのか力無く胸の上の斧の柄を掴み、涙ながらに訴えかけるようにイエローを見上げた。
「お願い、やめて……。お父さんを殺した責任を、正義に置き代えて、逃げないで。正義に押し潰されちゃ、だめ……」
「へえ、私のメンタルケアでもするつもりか?」
「……お願い。私と、一緒に、やり直そう? 普通に戻ろう? 戦いだけの人生に、幸せなんて、ないから……」
「戦いだけの人生? 結構! もともとヒーロー稼業は無償無休のボランティア! 幸せが欲しくてやってられるか! 私の人生はとっくに捨てた! 正義の権化に理由や常識なんて不要なんだ! 感謝の言葉だって必要ねぇ! あの日お前は変身を解いて逃げたかったのかもしれないが、正義の味方は辛いことがあっても逃げないのさ! それがヒーロー! どうせ人類はまだたくさんいるんだ、私一人くらい家庭を持たず子供を生まなくても問題はないだろう!? だったらこの人生は世界平和の為に切り捨てる! 孫に囲まれて老衰で死ぬより有意義な人生だ! 気遣ってくれてうれしいが、お前みたいな弱い心がいると私の安眠妨害だからやっぱり死ね!」
イエローは斧を持ち上げると少女の胸を足蹴にして、振り上げた斧をゴルフクラブのように構えた。
「やめて! 心を、捨てないで……!」
「捨てないさ! ゴルフボールのように吹っ飛ばすだけだ、300ヤードくらいな! さあ消し飛べ!」
イエローは無慈悲にも薪割り斧を振り抜く。
「そこまでだ!」
だがその斧は途中で何者かに受け止められた。
「誰だ!」
イエローは斧から片手を離すと、胸ポケットから小型の回転拳銃を引き抜き、警告もなしに即座に発砲する。
「ぐっ!?」
イエローの手を掴んでいた人物は銃弾に打ち抜かれて後退していった。
その人物は霞みがかった人型のシャドウだった。輪郭が見えない程度のガス状の体を持ち、頭部にむき出しの黄金の眼球が浮かんでいる。弾丸は腹部を通り抜けたようで、腹部のガスに風穴が空いていた。
「クロス? いいや、違うな。誰だお前は?」
「私は闇の王。この深淵の主。お前の好き勝手にはさせぬ」
「王? ……ああ、かつてこの深淵の不安定化の原因となった精神体か? オーパーツレッドに無力化されたと聞いていたが、……まあいい。何の用だ?」
イエローが深淵の王に振り返ると、足元のイエローのシャドウは靄となって消え去った。
「私はこの深淵を管理するもの。キューティクルズに危害を加え、私欲と復讐の為にこの深淵を利用することは、許可できない」
「怪人王の欠片だったお前の許可が、怪人王である私に必要か? ……それに見たところ、お前は王じゃないな? この深淵を掌握しきれていない。そのぼやけた肉体を手に入れたのも最近のようだ。裏方が表舞台に出しゃばるつもりかよ?」
「私はある人物に諭された。私はこの深淵の管理者として、キューティクルズという文化を守るという使命に目覚めたのだ!」
「ちっ! クロスめ、余計なやつに余計なこと吹き込みやがって。おとなしく深淵の力を受け取っていれば私と同じく悪役側で戦わせてやったっていうのに。……この深淵が誰のものでもないというなら仕方ない。おい、お前。キューティクルズを助けたいのならば私に協力しろ。さもなくばこの深淵を私によこせ」
「なに? どういうことだ? あなたはヒーロー戦隊と一緒にキューティクルズも倒すと……」
「あんなの全部嘘に決まっているじゃねえか。お前は知らんだろうが、今回キューティクルズを陥れた本当の悪党と戦っていたんだ。すでにそいつは排除できたから、あとの目的はキューティクルズの正常化だけだ」
「キューティクルズの正常化?」
「ようする話がブラックとうという悪を徹底的に打ちのめし、シャドウに汚染されたキューティクルズを洗浄するんだ。深淵の暗闇という力を手に入れればさすがにあいつらも団結せざるを得ないだろ? 深淵の主となれば体にシャドウを宿しているやつらはある程度操れるからな。心の闇を強制的に乗り越えさせるのさ」
「ではキューティクルズに危害を加えるつもりはないと?」
「いいや、私はそれほど優しくない。乗り越えられなかったら遠慮なくぶっ潰す。殺して死ぬような半端者を正義の味方として扱うつもりはない」
「キューティクルズが死ねば多くの人々が悲しむ。もしキューティクルズを殺してしまうようなことがあれば……」
深淵の主が態度を軟化させると、それを見たイエローは怒りだした。
「お前なぁ! 私はお前のしりぬぐいをしに来てるんだよ! 管理者の癖に心の闇を混ぜ込みやがって。グレーゾーンな精神が好きなのは分かるが、この業界は白黒キッチリ分けなければいけない勧善懲悪の世界だ! 裏方やってる素人は引っ込んでろ!」
イエローは怒りの形相で深淵の主に襲いかかる。
「キューティクルズを守りたければ覚悟を見せてみろ!」
「うっ!?」
「覚悟が足りない半端者だったら、お前の深淵の権利は私がいただく!」
イエローは深淵の主の首を掴んだ。不思議な事にイエローの腕には黒い電流が流れ、掴めなさそうなガス状の首を握りしめることができていた。
「う、ぐぅぅぅ!?」
「近頃はどいつもこいつも半端者ばっかりだ! お前もそうだろう!? 理想はあっても行動がしょぼい! 深淵を手に入れて何をするつもりだった!? 折衷案でも探すつもりだったのか!? 違うだろ! お前も覚悟があるのなら、力づくでも解決に導くべきだ! お前にその覚悟があるのなら、私の腕をふりほどいて自分の足で立って見せろ! 自分の体を犠牲にするだけの覚悟を見せてみろ!」
「な、なんだ、この力は!? ぐっ!? 硬い! ぐぁぁぁぁ!?」
深淵の主はイエローの腕を掴み全力で振りほどこうとするも、イエローの腕は鋼鉄のように硬くまるでびくともしなかった。
「どうした!? 深淵の主の癖に深淵の中で私の腕すら振りほどけないのか! そりゃ当然だ、ここは心の世界だからな! 私に鋼の覚悟がある限り、私の体は鋼になる! お前は覚悟が出来ていないから、そんなぼやけた体のままなんだ! そんなふにゃチン野郎を舞台に立たせるわけにはいかねえな! ここで死ね!」
イエローは深淵の主を放り投げた。ガス状の肉体は重力に沿って弧を描いて飛び、背中を地面に叩きつける。
「ぐっ! うぐぐ!」
「出てこい私のシャドウ!」
イエローが手のひらをひるがえすと、深淵の主の頭上に少女のシャドウが現れた。
「さあ、喰い殺せ!」
「ああァァァあァ! おトうざァァぁァァん!」
少女は牙を剥き、長く伸びた爪で深淵の主の頭と腹を鷲掴みにすると、喉元に勢いよく喰らいついていく。
「やめろっ! やめっ!? ぐあぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
ゾンビ映画さながらの捕食。深淵の主の抵抗も空しく、喉から黒い煙を噴出させていく。
「この深淵は私が頂いた! 王の力は我にあり! いでよ! すべての闇の獣たち!」
イエローが両手を広げて命じると、広大な闇の採石場の空に無数の黄金色の瞳が浮かび上がった。まるで星空のように光がまたたくが、一つ一つに瞳孔のある目であることに気付くと、吐き気がするほど気色が悪く感じられる。
「怪人王イエローが命じる! ここにいる10128の闇の心たちよ、いまこそ悪の本質を解放せよ! 鎧の無いヒーロー戦隊を滅ぼせ! 疲れ切ったキューティクルズを切り刻め! 究極の悪として君臨し、あいつらに正義のなんたるかを教えてやれ! さあ、融合だ! 堕ちてこい!」
黄金色の星空が一斉に降り注ぐ。それは狼だったりフクロウだったりクジラだったりもするが、落下の途中で一つの黄金色の球体となり、少女のシャドウに突き刺さっていく。
「ああァァァァァあぁっァァ!」
少女のシャドウが暴れ狂いながらみるみる肥大化していく。闇の肉体は瞬く間に黒深くなり、刺々しく鋼のように成長しながら、獣大鎧の衣装へと変容していった。
「いでよ! 深淵王・ダークネスイエロー!」
雌獅子の兜、重厚な装甲、巨大な両刃斧。ゆっくりと立ち上がると鎧の隙間から見え隠れする、黄金色の眼球たち。
「グゥオォォォォォォォ!」
怪人王イエローより一回り大きく、内部に黄金をため込んで膨らんだ巨躯は筋力に優れていた。巨大な両刃斧を棒きれでも振り回すように振り抜き、野太い獣の声で怒号を上げる。
「ふははははっ! 悪かねぇパワーだ! さあ、お前の目的を言ってみろ!」
「グゥゥ! ヒーロー戦隊を殺す! キューティクルズを殺す!」
「そうだ! 手加減するんじゃねえぞ! あいつらにはとびきり凶悪な悪役が必要だ!」
「わかっデいるっ! 私に指図をするナ!」
「そうか! そいつはなお良し! 私がする命令はただ一つ、敗北か勝利の結果をもってこい!」
「当然だ! この殺意に生死以外の結果はない! グゥオォォォォォォォ!」
ダークネスイエローは両刃斧を振り下ろし、空間を叩き切った。縦に裂けた空間に刺々しい手甲を突っ込み、無理やり両手で押し広げて深淵の闇の中から脱出する。
「さあジャスティスレッド! 変身できない状況で、あの深淵王を食い止めてみせろ! キューティクルズと共闘できるカリスマがなければこの難局は乗り切れないぞ! 私が納得できるだけのカリスマがなければ、お前にはここで死んでもらうからな!」
イエローは薪割り斧を振り下ろし、同じく空間を切り裂いて深淵を脱出する。
「私は私の戦いをさせてもらうとしようじゃないか! この正義の戦いにイレギュラーは不要だ! さあクロス! リベンジマッチと行こうか! 最終演目の幕開けだ! はっはっはぁ!」
イエローは楽しげに笑いながら闇の中に飛び込んだ。広大な闇の採石場にイエローの高笑いが響き渡り、空間の消滅と同時に消え去っていった。