第二十五話 秋の夜風と小粋なジョーク 悪逆のオラトリオ
「へえ、ブラックとやら、なかなかやるじゃねえか。小粒な悪役と思いきや、観客を人質にクロスを封じ込めるとはな」
ジャスティスイエローが感心したように言う。
イエローは屋上駐車場の天窓の上に立ち、夜風に髪を揺らしながらショッピングモールを見下ろしていた。
半径二十メートルの円形の天窓の上。そこは弱い傾斜のついたドーム状で、二メートル平方のマス目状に支えの金型が交差しているごく一般的な窓である。
そんなガラスの上にイエローは立ち、薪割り斧を肩に担ぎ、スポーツサングラスの奥に黄色い光を輝かせて、階下を面白そうに見学していた。
天窓からは一階の様子が詳細に見て取れた。真下に噴水があり、視界も広く、観客もヒーロー戦隊も深淵の暗闇の球体もよく見える。
「なかなか面白いことになっているようだね。これを詳細観測できないとは無念に過ぎる」
同じく天窓の上に置かれたノートパソコンから、プロフェッサーの言葉が流れた。
ノートパソコンは開かれた状態で天窓に置かれ、画面はイエローを向いていた。閉じられていても映像が撮れるよう底にもカメラが取り付けられている代物のようで、プロフェッサーの目は時折イエローから外れて画面端のミニウィンドウに移っている。
「感謝するよイエロー。この戦いを見せてくれてね。この戦いの結末は、おそらく未来にとって重要な要素となる」
「取引だから感謝は不要だ。約束は守れよ」
「もちろんだとも。いまさらキューティクルズに価値はない。それよりも今後重要なのは、彼の存在だ」
「そんなにあいつが気にいったか?」
「個人評価の問題ではない。君は私をどうも過小評価していないか? 私のコンピューターをクラッキング出来ることが、どれだけ異常か?」
「いいや、よーく分かってるぜ? つまりあいつはオンライン回線につながっている全てのコンピューターに侵入できるってことだろ? ホワイトハウスはもちろん、ウォール街に侵入すれば国際金融市場も操れるし、インターポールのコンピューターから犯罪者履歴を消去することだってできる。悪党からすれば夢が広がる話だよな。だが、おそらくあいつはそんなことに手を貸さないぜ?」
「ほう? なぜ?」
「私は絶望の王の力を持っている。そして、あいつの絶望を見た。だから分かる、あいつの精神は異常なんだ」
「異常?」
「あれは見た目以上に気が狂っているんだよ。おかしいと思わないのか? なんでもできるのに、なにもしないで生きてきた。私がその理由を考えたとき、本気で背筋が凍っちまったよ」
「それは一体どんな理由だね?」
「本人に聞いてみろ。きっとお前も笑いが止まらなくなるぜ?」
イエローはプロフェッサーに微笑みかけると、再び視線を天窓に戻した。
階下ではヒーロー戦隊やキューティクルズが行動を再開し、巨大な深淵の暗闇に手を突っ込んだブラックがシャドウに全面戦争を命じているところだった。
無数にひしめくシャドウが一斉に攻撃に転じ、ヒーロー戦隊、闇に侵食されていないキューティクルズが入り混じって大混戦を引き起こす。
「地獄絵図だな。キューティクルズもヒーロー戦隊もまとまりがない。全く、あのバカにもオーパーツレッドくらいのカリスマがあればすぐに終わる事件だっていうのにな」
「地獄絵図? ふむ、確かに下はごたついているが、地獄というほどでもないだろう。君は本当の地獄を見たことがあるかね?」
イエローは視線を落とすと、(変なとこに食い付いたな、うぜぇ)と言わんばかりに顔をしかめた。
「お前こそ本当の地獄なんて見たことあるのか? ……どの地獄だ? 地獄なんていっぱいあるぞ。どの地獄について聞きたい?」
「おや、若い割に経験が多いのかね?」
プロフェッサーはイエローに向けて微笑みかけた。ヒーロー戦隊やキューティクルズの動向はいまさらどうでもいいのか、雑談を持ちかけるような気軽さだ。画面端に表示されているはずの階下の映像は今や見向きもしていない。
そしてイエローも階下でまとまりない戦闘状態のまま双方拮抗していることを見ると、興味を無くしたようにノートパソコンの画面を見た。
「そうだな。それじゃあ取っておきの地獄の話を教えてやろうか?」
「ぜひ聞かせていただきたい。ベトナムかね? それともナチスドイツの収容所? ロシア戦線? 私は全部経験済みだが、どれも素晴らしい経験だった。そんな世界の真実に目がなくてね」
「いいや、もっと下らない話だよ。……そうだな、お前は自分が生まれた前のこと覚えているか?」
「生まれる前? いいや、生んだ親はおろか生まれた年すら忘れてしまった」
「それは残念だ。私はよーく覚えているぜ。母親の胎の中にいた時の話だ」
「ほう?」
「胎の中は暖かくて、全体的に輝いていてな。重力もなく、飢えることもなく、僅かな揺らぎと心臓の鼓動が響くだけの穏やかな世界だった。だがそんな世界もいずれ追い出されるようになる。そして、いざ私が生まれる瞬間に、はっきりと私は見たんだ。産道の出口付近にな『この門をくぐる者、一切の希望を捨てよ』って看板をな」
「ふっ」
プロフェッサーは軽くほほ笑んだ。
「いいジョークだ。その看板なら私も確かに見た気がするよ。ダンテは私も好きだし、この世が地獄そのものであることに異存はない。……少々悲観しすぎた見解に思えるがね」
「そうでもないさ。だって、赤ん坊は生まれた瞬間に泣き叫ぶんだぜ? 天国で生まれた赤ん坊は、生まれた瞬間には笑うそうだ」
「ふっ! 確かにその通りだ。これは一本取られた」
「そういうお前こそ、少しは自分語りくらいしてもいいんじゃないか? 悪役ならもっと自分の弱点になりそうな情報をベラベラ喋るものだぜ? 今のジョークで笑ったのなら、対価として何か喋れよ」
イエローは肩をすくめてノートパソコンを見下ろした。
「……ふむ、繊細な腹の探り合いはお嫌いかね? ではジョークの礼に、私も取っておきのジョークをお返ししよう」
「いらん。代わりに本当の目的くらい話せ。お前に関係するデータベースを洗ってみたが、目的だけが不鮮明だ。相当長生きなことも、悪事が大好きなことも分かったが、どうにも行動に一貫性がない。金や権力を犠牲にしてでも悪事を働きたがるお前の行動理由は何だ。その崇高な目的とやらを教えてくれ」
「なるほど。……その情報はジョークだけでは採算が取れない。追加料金を頂こう」
「っち! がめつい野郎だ。私だけが知りえたクロスに関する過去の情報のすべて。これでどうだ?」
「おや、ずいぶんといいカードを切ってくれたね?」
「いずれ切る予定のカードだった。あいつも首を突っ込むようならこれくらいのリスク負ってもらうつもりだったからな。まあ本音を言えば、お前はいずれクロスと接触するであろうから、その際決別するにしても協力するにしても互いに深く喰いあって欲しいのさ。交渉が決別するならお前とクロスの頭脳戦が見れるし、協力するならクロスの倫理観がお前の日本で行動を制限する足かせになる」
「ふむ、私としては接触しない理由がないのでその情報はメリットののみだ。ありがたく頂くとしよう」
プロフェッサーは画面の向こう側で、骸骨のように痩せた頬を笑顔に歪めた。
「では説明しようか。私の目的は神のいない理想世界を築くことにある。その理想世界の最初の土地が、アメリカだ」
「神のいない世界? むしろ神様がいた時代があったのか?」
「あったさ。君の知らない時代にね」
プロフェッサーは画面の向こうで腕を組み、フードの中に深い影を落とした。
「私はずっと神を否定してきた。ローマを焼き払い、十字軍を破滅へと導き、贖宥状を焼いた。だがいずれも神にはあと一歩届かない。そして私はより大きな波を起こすべく、アメリカの開拓と同時にこの国にやって来た。そしてこの国を導こうと決めた。アメリカはやがて、人間がもっとも人間らしく生きられる国となる」
画面の奥でプロフェッサーがさらに深く笑うと映像にチラつきが生まれた。その些細なノイズは不自然に画質を劣化させていった。
「私はかつてこう説いた。人類のもっとも愛すべき隣人は悪魔であると。人は邪悪な世界でこそ愛を知り、友を作り、笑く事が出来るのだとね。酒を飲み、争いを選び、同性愛に真実の愛を見つけることは、人の自由の範疇にある。盗みに殺人、詐欺、裏切り。正義に他者愛、自己犠牲。すべては自由の先にしかない。善だけを信じ、それ以外を否定することは盲目であることと同じ。悪を知らねば善も存在しえぬ。豊かであるためには貧困でなければならない。アメリカは世界で最も富み、もっとも貧しい国となるのだ。アメリカは世界が羨む地獄であり続ける。善悪入り混じった、邪悪と人が評する真の理想世界。目的はほぼほぼ達しているが、それでもまだ物足りない。信仰を持つ者が少数派となり、かつては悪と評された者が無数に入り混じる混沌とした世界こそが、私の理想だ。いずれ悪は、概念としてうやむやになっていくだろう。それが人として楽しい生き方であると気付くからな」
プロフェッサーはにこやかにそう語った。
そんなプロフェッサーを見ていたイエローは、呆れたように腕を組んでノートパソコンを見下ろす。
「……思った以上に下らねえ理想だな? ようするに悪の栄える世界を作りたいのか? 実績を見るとバカにはできないだろうが、だったら悪役らしく世界征服くらい宣言して見せろよ。手っ取り早いし、その方がロマンがあるだろうに」
「私はただ悪行が好きなだけだ。かつて友と賭けをしてね。その賭けに勝ちたいのさ」
「賭け?」
イエローは興味なさげに見下ろすと、無いあごひげを撫でる仕草をする。
「大昔、私には羊飼いの友人がいてね。彼は神様が大好きだった。私は神が嫌いだったが、善人の彼は神様が好きだった。だがやはり、ある日その友人と口論になってね、私は彼に向けて神の不在を証明して見せるといったのさ。その日その時の賭けには、私が勝った。その友人は無実の罪でむごたらしく処刑され、『神よ、なぜ私を見捨てたのですか!』と呪詛まで吐いて死んでいった。もちろん奇跡が起きて復活することはなく、神様はその出来事に見向きもしなかった。私はそれが嬉しくてね、友人を売った金で浴びるほどに酒を飲んだよ。そんな金で飲む酒が本当においしかった事を今でもはっきりと覚えている。……だが、民衆がそれを認めなかった。嘘に嘘を塗り固めて真実をでっち上げ、都合のいい神を勝手に作り上げてしまった。友人の説いた善と愛は忘れ去られ、神だけが残って偽善と不自由な愛の教えだけが新しく生まれた。私はそれが許せなかった。ハリボテの神に嘘だらけの善。そこにあの友人の面影すら残っていない。だが、真実を伝えるには善の塊であった友人の真似事は私にはできなかった。だから私は、私なりに真実を広めるのさ。神の不在は自由から見出され、自由は悪を内包し、やがてそれは一つの真理にたどり着く。善の真実とはまた別の真実だ。あの友人の教えを世界が歪めてしまったからには、人々はもはや善の真実には向かえない。ならば、私が悪の真実に人々を導かねばならない」
そこまで聞いてイエローはプロフェッサーの正体に気付いた。それと同時に、思わず顔を苦々しくゆがめてしまう。
「……なるほど。お前は思った以上の極悪人で有名人だったんだな。危うく舐めてかかるところだったよ」
イエローは眉根をひそめて画面を睨んだ。その眼光に油断はない。もしその昔話が本当の話ならば、相手は大悪魔に匹敵する伝説上の人物である。油断していい理由がない。
「そんな純粋悪だったのならもっと早く言ってくれ。こうやって無駄な会話なんてせず、さっさと処刑して世界を平和にしてやったのによ」
「ありがとう。もしそれが出来たのなら世界は間違いなく平和に一歩近づくだろう。……もっとも、どれほどの英雄でもそれはなしえなかった。ましてや君のような正義の味方気取りでは不可能だ」
「私が正義の味方気取り、だと?」
イエローはより強く画面を睨みつけた。
だが、今にもパソコンを踏みつぶされそうなその怒りを無視して、プロフェッサーはさらにイエローを煽っていく。
「そう、君は面白いほど中途半端な人間さ。正義でも悪でもない。いいや、正義も知らず、悪すらも知らない。君は若いからね。答えられないだろう? 正義とは何か、悪とは何か?」
プロフェッサーは値踏みするような視線をイエローに向けた。
イエローはそんな視線に心底嫌そうな表情を浮かべて話し始める。
「それはどんな答えを望んでいるんだ? そんな曖昧な質問で私の精神を観察でもするつもりか? 正義の意味が一つだったら戦争は起こらないし、個人の考え方次第で悪はいくらでも答えが増える」
「いいや、君の答えが聞きたいのだ。君にとっての真実の正義とは何か」
「そうかよ、それなら……」
イエローはほんの僅かに考え込み、しかし即座に答えた。
「ならば私にとっての正義と悪とは、ただの都合のいい言葉に過ぎない。私は利己的な理性絶対主義だ。はっきり言って善悪の基準は適当でな。その場その場で善悪の答えを出している」
「ほう? それはずいぶんと……啓蒙学的な考え方をしているということかな? しかし、それでは……」
「おっと、いい加減とか言うなよ? たしかに否定する要素は多いし完璧とも言い難い考え方だ。だが、私はそれでいいと思っている」
イエローは僅かに笑うと、斧を肩に担ぎ直してプロフェッサーを見下ろした。
・解説《啓蒙とは:人間の正しい理性こそが未来を切り開く手段であるという考え方。合理的、批判的、革命的な思想であり、十七世紀末頃、宗教など旧来の考え方を理性によって否定しようとする活動から生まれた。理性による未来の選択。しかしあらゆる人々が共通の理性を持っているという仮定がある》
「不思議なことだ。私が言えたことではないが、そんな合理性に欠けた考えで戦っているのかね? それでは君の理性次第で好き勝手に悪も正義も決めているということではないか?」
「いいんだよ。あえて正義とか悪とか深く考えないようにしてるんだ。そう言うことは世の中の暇な哲学者どもに任せておけばいい。絶対不変の正義とか、もしそんな定義が見つかればぜひ教えてくれ。どうせ見つからないんだ。はっきり言って正義に意味なんて不要なんだよ。盗人が現れたらさっさと処罰すればいいし、大災害が起こったらボランティアに行くとかすればいいんだ。原因とか動機とかぐだぐだ考えてテレビの前で何もしないより、行動する方が正しいに決まっている。間違っていたらごめんなさいって謝って、さっさと次の正しい行動を取る。正義は哲学じゃない。とはいえ、善行でもない。だから世界平和のために殺戮が正しいならば私は殺戮だってする。平和を勝ち取ることが正義の味方の仕事だ。結局のところ大切なのは、結果だからな」
「ふむ、そのような曖昧な正義でなぜ平和を欲しがる? 誰も君のような正義の味方を呼んだ覚えはないだろう? 世界を平和にする義務などないはずだ」
「知ったことか。私は正義の味方だ。お前は倫理で私を説き伏せたいみたいだが、正義の味方にそんな難しい考えなんて不要なんだよ。私を誰だと思ってやがる。キチガイ舐めんな。正義の味方は平和のための暴力の執行人だ。矛盾があろうが損害があろうが、問題事はパワーで解決する。解決できなかったらさらなるパワーで解決する。正義に出来る唯一の手段は暴力だけ。そんな古き良き正義の権化が私だ。私が正義の味方でなかったら、誰が正義の味方だ? まさか下の階のレッドとか思っていないよな? あんな力もない理想論者はテレビの前の思想家と同類だ。未来のための犠牲は私こそがふさわしい。覚悟も勇気も狂気も全部そろっている。これ以上の正義の味方がどこにいる?」
「……驚いた。君はもう少し理知的な人物だと思っていた。……いや、違う。君は本来知的で、そんな野蛮な考えを持つ人間ではないはずだ。善悪の概念への思考という、無限の坩堝が恐ろしいのかね? だからそんな暴力的な思考でごまかしている」
「ムカつくやつだな、いちいち煽ってくるんじゃねえよ。だがその通りだ。無意味な無限の思考なんて恐ろしい限りだ。私はむしろ知性なんて欲しくなかった。もっとバカな正義の味方でいたかったよ。悪人が出てきて、私が倒して、そして世界が平和になる。そんな世界だったら不幸なんて起こらなかったんだ。だが現実は最悪だ。政治と経済とお前のようなクソッタレを相手に私は頭を悩ませなければいけない。しかももっと最悪なことに、この世界の不幸の原因に悪党はいない。真因はヒーロー戦隊という存在にある。全く、何が悲しくて正義と正義同士で殺し合わなければいけない。お前のような純粋悪がいてくれて本当にうれしいと思うよ。私の理想が分かるか? 私はお前のような悪党にありったけの罪をかぶせて、なるべくむごたらしく処刑することだ。世界の全部の悪いことは全部お前のせいにしてハッピーエンド。そうなったら素敵じゃないか? どうせぽっと出の悪役なんだから多少雑に殺したって問題ないだろ? 平和のために犠牲が必要なら、それはお前だ極悪人」
「ああ、それはご遠慮願いたい」
「そう言うなよ。お前、必要悪とかそういう言葉好きそうなキャラじゃないか?」
「……嫌いではないが、なりたいとは思えない。頭のいい狂犬に噛まれるなど誰だって嫌に決まっている」
「そうか。いくじなしめ」
イエローはノートパソコンを見下ろし、笑いながら蔑むように吐き捨てた。
「まったく。好き勝手言ってくれる。君のような横暴な正義は見たことがない。そんな邪悪な思考をしておきながら、よく正義の味方を自称できるものだ」
「お互い様だ。裏切り者の代名詞のくせしてよ」
イエローは足先でノートパソコンの画面を小突いた。ノートパソコンが壊れるほどではないが、プロフェッサーに困り顔をさせる程度にはカメラが揺れた。
それと同時にイエローは階下の様子を眺める。シャドウ、キューティクルズ、ヒーロー戦隊と怪人の三つ巴の戦いは戦火を広げながらも、こう着状態に陥っていた。互いが互いに技を潰し合い、戦況を傾けるほどの変化が訪れていない。
「さて、そろそろ私も登場してやろうかな。どうやらあのバカレッドには道しるべが必要なようだ」
「おや? それはどういう風の噴きまわしだね? ヒーロー戦隊のいる場所で戦うことは、怪人王として自殺行為だったはず」
「私は自分の利益のために戦っているわけじゃない。すべては平和な世界の為だ。そのためならばなんだってする。せっかくだからお前にお手本を見せてやるよ。どうもこのショーには主役と悪役が足りていないようだから、私が演出家として一つ手を加えてやる。平和への道しるべをな」
「この混乱した状況で現れるのは余計な誤解をされるのでは? 自信家なのはいいが、君はリスクを取り過ぎている。いつか破滅する人種だろう」
「破滅したら生き返ればいい。私にはそれだけの覚悟と勇気がある。真の正義の味方に恐れるものはないぜ。力技でハッピーエンドを引き出す仕事だ。悪をブッ殺し続ける暴力稼業。世に盗人の種尽きまじ。しかし世に悪の栄えた試しなし。処刑こそが正義であり、一つの処刑の先に一つの平和がある。戦いの終結はいつだって一つの処刑だった。たとえそこに悪がなくてもな」
「その処刑の対象はブラックではないのか? いまさら出ていって君が処刑する必要はなかろう」
「おい、誤解しているぜプロフェッサー。あのブラックにそんな花形を任せられるわけがない。まあ見てな。面白いショーを見せてやるよ」
そうイエローは言うと笑みを浮かべ、天窓を踏み抜こうと足を持ち上げた。
だが、そんな瞬間、階下でざわめきが起こる。
「ん?」
イエローは足を戻して階下を確認した。
聞こえてきたのはブラックの悲鳴だった。両手を深淵の暗闇の球体に手を差し込んでいたブラックが、目の前の深淵から伸びてきた黒い手に首を掴まれたのだ。
ブラックが慌てて離れようとすると一緒にその黒い体躯も闇から抜け出てくる。全身が完全に闇から出てくると、即座に両手でブラックの首は閉められ、その小さな体は剛腕に高く吊るしあげられた。
「ヴォォォォォォォ!」
階下から重低音の怒号が響いてくる。ブラックを吊るし上げたクロスが天井を向くと、その目には変わらぬ真紅の充血した眼が輝いているのが見えた。
「嘘だろ! あの深淵から自力で脱出したのか!」
「ほう、さすがは天才。シャドウを操る術をこの短時間で習得するとは、これは――」
「よく見ろ間抜け! あの眼を見ろ! 黄金色じゃない! それがどういう意味か、お前分かっているのか!?」
イエローはさらなる驚きを浮かべて、階下のクロスを凝視した。
「ふむ、どういう意味だね?」
「あいつはシャドウを受け入れていない! つまり脱出できた理由はただ一つ! 心の闇を全否定してきたってことだ!」
「なるほど、彼は相当高潔な人物のようだ」
「お前何も分かっていないな! 欲望を全否定するってここは、目の前に食事があっても餓死できるような精神力があるってことだ! 睡眠を取らずに死ぬことも出来るし、脳死するまで活動することが出来る! そして何より、あの深淵の暗闇を完全に行使することが出来ることになる!」
「ほう……。それは素晴らしい。あの怪人王グレゴーリルの力を完全に活用できるわけか。マッケンジーが喜びそうだな。さらには君に次ぐ第二の怪人王とだってなれる」
「全くを持って最悪だ! だが最高だ! クロス! テメェにその力はくれてやれねえな! ははっ!」
イエローはまるで遊び相手を見つけたかのように無邪気に笑った。さっきまでの仕事人としての表情とはまるで違う、遊び事を楽しむ子供の表情だ。
「これは予定変更するしかねぇ! 私にも運が巡ってきた! 立役者は貴様だ! 私と遊ぼうぜぇっ! クロォォォォスッ!」
イエローは満面の笑みで薪割り斧を振り下ろした。ガラスに触れると落雷のような黒い稲妻が走り、一斉にガラスを打ち砕く。そんな割れたガラスと一緒にイエローは頭から降下した。
六階の高さから一直線に落下し、最大の加速をした斧を両手で振りかぶり、クロスの頭蓋に向けて振り下ろす。雷電をまとったその姿は落雷のようで、嵐のように降り注ぐガラス片とあいまって、登場の仕方としてはこれ以上派手なものはなかった。
最終決戦の火蓋が切り落とされた。
次回、若干時間が巻き戻り、クロスさんの深淵の暗闇内部でのお話になります。