第二十二話 心の真実、心の闇! 一階エントランスでの死闘! 妄執と性癖のカンタータ!
一階、エントランスホール。
端的に言えば、地獄絵図だった。
正面玄関の大型ガラスは一切が砕け散り、天井から下がっていたキューティクルズ公演の垂れ幕は真ん中から両断されてしまっている。長大な回廊には砕かれた小物類や衣類が散らばり、吹き抜けのからは炭酸飲料のしずくやドライアイスの煙などが雨漏りのように滴り落ちている。
生活雑貨コーナーではメタリック・キューティクルズが家電を分解再構築して創りだした疑似無機生命体の小鳥たちが竜巻状に飛翔していた。少し遠くに見える飲食店コーナーの入り口はガス爆発でもしたのか、派手に延焼して火の手を上げている。
一階玄関付近はそんな惨状を一望できる一等地だ。
噴水を中心として円形のそこそこ広い通路があり、噴水はひびの隙間から多少の漏水を起こして周囲を水浸しにしていた。噴水の折れた中央のモニュメントの代わりに、ゴールデンファイターの両足が直立した姿勢で水面に突き刺さっているカオスな状況だ。
そんな噴水を挟んで二組の戦闘が起こっている。
正面玄関側ではサファイア・キューティクルことアオバと、ブラック・キューティクルによる格闘戦。
店舗側ではジャスティスレッドと十円玉のチェーンソーブレードを構えたコイン怪人が、ファッショナブル・キューティクルズの二人組と対峙していた。
さらにそこから少し離れた場所では、ヒーロースーツの上に学生服やメンズカジュアルファッションを無理やり着用させられたジャスティスレンジャーの三人がマネキンのように立たされているといった状況だった。
「ブラック! このわからず屋! 君は僕なんかより頭がいいから分かるでしょ! ヒーロー戦隊も怪人も、悪事なんて働くつもりなんてない! 全部は黒幕が仕組んだ罠なんだ!」
ブラックの両手両足から立て続けに放たれる連撃を、アオバは両腕で受け流しながら叫んだ。
「証拠もない! 証明も出来ない! ならばそのような言葉は信じることはできない!」
「信じられないって、僕たちは仲間でしょ!?」
その言葉を放つと同時に、アオバはお返しとばかりに後ろ右回し蹴りからの旋風脚の連携をブラックめがけて放つ。
ブラックはそれを腕でいなして回避すると、着地の隙を狙った一脚反転してからの裏回し拳を放つが、互いの殺陣を分かっているアオバは当然のようにその裏拳を手のひらで受け止めた。
「スーパースター・キューティクルズは三人組のアイドルユニット! 私は契約社員のプロデューサーに過ぎません!」
「この、バカぁ!」
怒ったアオバはブラックの腕を掴んでひねり、合気道の技である四方投げでとんぼ返りを打たせた。
だがブラックは回転する勢いを自ら加速させることで見事に両足で着地する。さらにブラックはそれと同時に即座に後転、両手で地面を押し出してアオバの顔めがけて双脚打を放った。
「ぐっ!」
アオバは体に押し付けられるような足の攻撃を十字ガードで受け止める。しかしパワーの乗った攻撃を体重で抑えきれず、三メートルほど後方に吹き飛ばされた。
「この戦いは止められない。いえ、止めてはいけない」
ブラックは逆立ちの姿勢になるとゆっくりと反転して両足を再び地面につける。
「ヒーロー戦隊は悪と結託してしまった。アオバさんから見ればその仲はよかったように見えるかもしれない。ですが、その性質がいつ悪に傾くかわからない。私の予想が正しければ、この戦いを境にヒーロー戦隊は怪人と同じ悪の種を萌芽させることでしょう。大輪の悪の華を咲かせる前にその芽を見つけ、可能ならばここで摘み取る!」
「その芽は悪の華なんかじゃないよ! その芽はきっと平和へ続く種だよ! ずっと殺し合ってきたヒーロー戦隊と怪人がウソや洗脳なんかで簡単に仲良くなれるものじゃない! あの人たちは本当に仲良くなろうと必死だった! 悪の芽なんて探しても見つからないに決まっている!」
「いいえ、アオバさん。彼らはたやすく悪になる。……やっと時間のようです。どうやら、集まってきたみたいですね」
「集まった? ……えっ!?」
アオバは振り返った。
砕け散った正面玄関の向こう側では、数千台が収容可能な広大な駐車場に押し寄せるように一斉に一般車両が入り込んできたのだ。
「あれは!?」
「あれは観衆。イベントにはもちろん観客が必要ですからね」
駐車場は瞬く間に埋まっていく。ほとんど入場に時間差がないところを見ると、警備員が入り口のチェーンロックを一斉に解放したからだろう。
「なんで! どうやってこんなにたくさんの人を一気に呼び寄せることができたの!?」
「もちろん、簡単な広報をしたまでです」
「でも、ここに来る時は誰も来ていなかったのに!? いつの間に!?」
「ウソの情報を流すわけにはいきませんでしたから。ヒーロー戦隊がやって来てから広報しました。それも全て、ミドリさんのアカウントおかげです」
「えっ! ミドリ!?」
アオバは周囲を見回した。
すると正面玄関横の女子トイレから、片手に携帯端末を握って歩いてくる、エメラルド・キューティクルの姿のミドリが現れた。
「これでわたくしももう隠れる必要もありませんわね。ごきげんよう、アオバさん」
「ミドリっ!? 無事だったの!?」
ミドリはお上品そうに歩きながら、なだれ込んでくる一般客を満足そうに流し見ていた。
「こんな短時間で50万リツイートを達成したのは初めてですわ。100万リツイートもすぐですわね。クロスオーバーの効果、ここまですさまじいとは思っておりませんでしたわ?」
「えっ!? この戦いの事、拡散させたの!?」
「ええ、それも戦闘の画像付きですわ」
ミドリは当然のように言ってのける。そしてその行動の結果が想像通りのものであったことに満足げな笑みを浮かべていた。
「素晴らしいですわぁ。この戦いの後、キューティクルズは勝っても負けても知名度はウナギ登り。明日は全部の検索ランキングに乗りますわね。これでキューティクルズはスーパースターを超えて殿堂入りも目指せますわ」
「ミドリ! 寝ぼけたこと言っちゃだめだ! この戦いは誤解だけで成り立っている! こんな事件で輝こうなんて間違っている!」
「輝きに本物も偽物もありませんわ。アイドル業は数字がすべて。事務所で頭を下げてくる先輩方を見て、あなたはなにも思いませんでしたの?」
「それはっ……!」
アオバは強く言い返すことは出来なかった。アイドルとして業界を見ていたせいで、ミドリの言い分もわからなくもなかったからだ。
誰かに迷惑をかけてでも人気を得ることは間違っている。そう言うのは簡単だ。
だが芸能界は常識が違う。落ちぶれては生き残れない。一度の失言で人生が崩壊する。まわりを蹴落としてでものし上がる野心家が生き残る世界。人によっては自分の体を売ってでも名声を求めている。
アオバは物わかりが良かった。それゆえにアイドル業界の闇を知っておきながら、綺麗事ばかり言うことの愚かさを理解していた。いっそミドリは正しいことを言っているのではないか、とすらも不思議と感じてしまっていた。
そうこうしているうちに先陣切って駆けてきた一般人が正面玄関をくぐりぬけて侵入してきている。
アオバは業界の闇に呑まれかけた思考を振り払い、危険地帯の入り込んできた一般人に向けて叫んだ。
「駄目だみんな! 来ちゃだめだ! 僕たちの戦いは規模が大きすぎて巻き込まれる!」
「すげー! 本当にヒーロー戦隊と怪人とキューティクルズが戦っているぜ!」
「後ろ押すんじゃねえ! 写真撮れねえよ!」
「うわっ! あぶねぇ! こける!」
観衆は押し出されてくるようにしながらも、ある程度危険なことは分かっているのか、自然とショッピングモールの壁に沿って左右に広がっていく。
その時だった。アオバは全身に違和感を感じた。それは些細な締め付けのような感覚で、特別と体に異常はない。だがなぜか、遠くで飛翔するクッキーや疑似無機生命体の存在がやや薄くなって見えた。
「あれっ?」
「セーフティーが発動しましたね」
「セーフティー?」
アオバは不思議そうにブラックに尋ねた。
「そう、セーフティー。もともとは存在論やタイムパラドックスの関係上、事象外の私たちの能力が原因で一般人が死ぬことがないようにするためのもの。そのデメリットの対価として私たちの無敵の衣装とパワーがある」
「まさか、それがあるから大丈夫って言うつもり!?」
「最悪でも打撲で済みます」
「打撲でもさせちゃだめだよ!」
「すべて自己責任です。もちろん最低限怪我をさせるつもりもありません。周囲を見て下さい」
ブラックに言われるがままにアオバは辺りを見回すと、ショッピングモール一帯の戦闘は一時沈静化しつつあった。
「さて……。ローズさん! キューティクルズを全員集合させて下さい!」
「分かったわブラック! キューティクルズ! 全員集合!」
噴水を挟んだ向こう側にいたローズが一声かけると、各階に散らばっていたキューティクルズは一斉に駆け集まってくる。
「くっ! 全員集合だ!」
それに合わせてローズと対峙していたレッドも号令をかける。
ヒーロー戦隊と怪人も一斉に頭上から降り注いでくるように降下してくるが、その数はほんの数人分ほど少なくなっていた。
同様にキューティクルズもビースト・キューティクルズのみ不在であった。
だが、それでも双方とも充分な数の軍勢である。
ショッピングモールの壁沿いにみっちりと詰まって携帯端末のカメラを向ける観衆たちは、そのドリームマッチの様相に歓声を上げた。
「ヒーロー戦隊! あなたたちは悪の怪人と手を組み、一体何をたくらんでいるのです!」
観衆のテンションが徐々に高まりつつある最中、先手を打って叫んだのはブラックだった。
ジャスティスレッドは、今、自分が悪役にされつつある。そう気付いて叫び返した時にはすでに後手にまわっていた。
「違う! 確かに俺たちは怪人と仲良くなった! だがこれは何かを企んでのことじゃない! 俺たちはもう、互いに傷つけ合いたくないだけだ!」
「目を覚ましたらどうですか! 長年戦ってきた悪と、そんな突然仲良くなれるわけがない! あなた達はだまされています!」
「誰も騙そうとなんてしていない!」
「まったく! 騙される人は、自分が騙されていると気付いていないという典型! もしこのまま怪人に騙されて世界征服を始めようとしたら、だれもヒーロー戦隊を止めることはできない! この火種を取り除けるのは今しかない! 観客の皆さん! 私たちを応援してください! 私たちはヒーロー戦隊の目を覚まさせるために戦います!」
「なっ!?」
レッドは驚いた。
ブラックの動きはやや大仰な演技的な仕草だった。
とはいえもともとの演技力の高さもあり、不思議とその動きにしらじらしさは感じさせない。観客もこの戦いはそういう流れなのだとブラックの言葉を自然と信用した。
「今回はヒーロー戦隊が敵なのか!?」
「SNSの内容通りだ! 信じられない戦いだ!」
「キューティクルズ勝てるの!? 相手はヒーロー戦隊と怪人の連合軍だよ!?」
「キューティクルズがんばれー! 怪人たちをやっつけろー!」
周囲から一斉にキューティクルズに向けた声援が飛ぶ。ガラス張りの向こうの駐車場にもその声援は伝播し、すし詰め状態の観衆は瞬く間にキューティクルズの味方となった。
そのやや不自然ともとれるブラックの解説的喧伝に、アオバはハッと気付いた。
「まさか、ブラック! 最初からクロスオーバーが狙いだった!? 本当は誤解なんて何一つもっ――!」
「アオバさん、分かっていますか?」
ブラックの目が一瞬だけきらりと黄金色の光を反射させた。
その光はアオバの目にも映って一瞬だけ黄金色に染める。そうなるとアオバも気付いてしまう。クロスオーバーの有用性を。
キューティクルズの人気は転換期に来ている。最大最高の最終決戦のショーをすでに終えてしまった以上、アイドルとしてそれ以上のイベントは提供できない。だがこのクロスオーバーは成功させれば話は別だ。話題性もイベントとしての持続性も過去に類を見ない、まさに栄光の道となるだろう。
一瞬の黄金の輝きの中に、無数のアイドルたちの挫折を見せられた気がした。手段を選ばない人気取りはアイドルとしての義務なのだと、自然とそう思えてきてしまう。
アオバは口を紡んでしまった。ヒーロー戦隊たちを裏切りたくはなかったが、それでもブラックの本当の目的を観衆に向けて叫ぶことは出来なかった。
「さあ、本当の最終決戦と行きましょう! ヒーロー戦隊!」
ブラックは拳を構え、姿勢を前に倒した。周囲の他のキューティクルズたちも剣を構え、銃の照準を合わせる。
それを見たヒーロー戦隊側もとっさに戦闘態勢を取ってしまった。ブラックはその動きを確認すると策にハマったとばかりににやりと笑い、力強く足を踏み出して突撃した。
その瞬間だった。
「ブラックぅぅぅぅっ!」
突然、ヒーロー戦隊とブラックとの間の空間に闇の球体が現れ、そこから手が伸びてきた。
「えっ!?」
ブラックはあわてて急停止する。その闇から伸びてくる手には見覚えがあったのだ。
闇の球体は引き延ばされるように広がっていき、一瞬だけ直径一メートルほどまで広がると中から赤いアイドル衣装の少女を落とした。
小柄な体系。フリルの多いドレス。そしてルビー色に透明感のある長髪。
登場したのはルビー・キューティクルことアカネだった。
「アカネさん!? どうやって!?」
「ブラック! あなたの思い通りにはさせない!」
アカネはブラックに向けて拳を構えた。
そのまさかの展開に観衆たちは驚き、ざわめきはじめる。
「なんだ! ルビー・キューティクルが現れたぞ!?」
「仲間割れか?」
「ヒーロー戦隊はいいのか? どうゆう事だ?」
観衆のざわめきは徐々に大きくなる。
ブラックはアカネの登場に冷や汗を流した。すぐ対処したかったが、あまりにも突然のことで混乱してしまい、とっさの対応を思いつくことが出来なかった。
そんなブラックを畳みかけるように、アカネは言った。
「ブラック! 私はあなたを止めて見せる! スーパースター・キューティクルズの人気を高めるために、ヒーロー戦隊と戦争なんて絶対させない!」
「な、なにをバカなことを!?」
ブラックはたじろいだ。冷や汗が止まらない様子であった。
ブラックの動揺が拡散するように、観衆にも疑念が生じてくる。
「え? 一体どういうことだ?」
「これってあれか? 本当はブラックが黒幕だったのかな?」
「あぁー。たしかにブラックって裏切りそうなキャラだったしなー」
「あ、それ私も思ってた。ブラックってそういう腹黒そうな雰囲気あったもんねー!」
観衆の疑念は証明すらないというのに瞬く間に確信に変わりつつあった。
ブラックは言い訳でもいいからとにかく口を動かそうと努力した。
「アカネさん! 誤解を生むような発言はやめてください! そのような事実はありません!」
「もう全部遅いよ! みんなもよく聞いて! ブラックの狙いはヒーロー戦隊とのクロスオーバーだった! もっとたくさんの観客が欲しくてこんな企画を勝手に立てたんだ! ヒーロー戦隊も怪人も洗脳なんてされてない! 全部嘘だったんだ!」
「うっ……!」
ブラックは言葉を詰まらせて一人その場で佇んだ。
「ブラックは今日の為に深淵の暗闇を隠し持っていた! 私はブラックの力で闇の中に幽閉されていたんだ!」
「やめてくださいっ! どうしてっ! いえ、どうやって自力で脱出を!?」
「簡単だったよ! 私のシャドウにお願いしたんだ!」
「なっ!?」
ブラックが目を見開くと同時に、アカネの足元の影が色濃くなり、地面からやや浮き上がってくる。
「私があの暗闇に閉じ込められてしばらくはなにも出来なかった。でも、だれももう来ないのかな、って考えていたらね、……急に服を脱いでみたくなったんだ!」
「はぁっ!?」
「あの暗闇の中で全裸になったらね、……興奮した」
「ちょっ!? 観衆がいるんですよ!? なにを言っているんですかあなたは!?」
「興奮したらね、なんか出てきたんだ、私のシャドウ」
アカネの足元の影はみるみる大きくなってくると人の形となり、立ち上がった。
そのシャドウは、エロいSMラバーボンテージを着用したアカネだった。目には目隠し、口には猿ぐつわ。さらには手錠で後ろ手に拘束されている。
しかも最悪なことに……。
「うわあああ! 何やってんのアカネ!? こいつ乳首丸出しじゃん!?」
あわてて駆け寄ってきたアオバがシャドウ・アカネの乳首を手で覆い隠す。
観衆の男性陣から興奮した歓声が巻き起こる。女性陣は顔を真っ赤にして目を逸らしていた。親子連れは親が子供の目を手で覆い隠す大惨事となっていた。
「あ、ヤバい。見られていると思うと興奮してきた」
アカネはそんな観衆の反応を一身に受け、やや前傾になると頬を赤らめて自分のシャドウを見る。
それに合わせてアカネ・シャドウも頬を赤らめ興奮したように呼吸を粗くした。
「なにをやっているんですかアカネさん!? あなたはスーパースター・キューティクルズのリーダーですよ!」
「私はアイドルとしての人気なんていらない! 自分をさらけ出して生きる!」
「バカですかあなたは!?」
ブラックは喉がはちきれんばかりの怒声でアカネを叱りつけた。
しかしアカネは興奮して肩を上下させて呼吸をしはじめる始末である。
あまりの惨状にブラックの背後からローズが尋ねた。
「ブラック、これはどういうことなの!?」
「くっ! これは暗闇に長くいたせいで、アカネさんは発狂してしまったのかと……!」
ブラックはくやしそうに歯を噛み締める。計算通りにいかないストレスと、アイドルとしての節度の無い行動を取るアカネに対しての憤りがつのる。
あの暗闇の空間にはブラックの用意した承認欲求の心の闇を充満させていた。
だが、承認欲求がアカネのシャドウを形作る前に、アカネは性的興奮という生理的欲求を爆発させてブラックのシャドウ以上の原初的なシャドウを自ら形成してしまったのだ。
「私は正気! 正気だからこんなことが言えるんだよ! 人気取りの為に、戦争なんて絶対させない!」
「正気ならまずはそのシャドウを消して下さい!」
「やだ! この子を出しているとこれまでないほど興奮するんだもん! 今日の思い出だけで十日間はイけると思う!」
「アオバさん! そのシャドウを握りつぶして下さい!」
「分かった! 僕に任せて!」
アオバはシャドウ・アカネの胸に手を回すときつく締め付ける。シャドウ・アカネは肋骨をきつく締め付けられる痛みに「んんぅ~っ!」と嬌声をあげた。
その痛みはシャドウを通じて低減したものがアカネにも伝播していく。
「ああっ! アオバっ! 痛い痛い痛い気持ちいいっ!」
「消え去れっ! シャドウ!」
シャドウは腕に潰されると小さく爆発するように霧散し、地面に影となって吸い込まれていった。
「ひどい、アオバ!」
「次にあれを出そうとした、僕はアカネを殴るからね!」
「アオバだったら私……。えっとね、殴るなら、お腹の下の辺りをリクエストしていい?」
「ブラック! どうしてお前はこんなひどいことをしたんだ!」
アオバはブラックに全力の怒りをぶつける。
だがブラックは首を左右に振るうしかなかった。
「私はなにもしていない! アカネさんが勝手に覚醒したんです!」
「元には戻せないのこれ!?」
「それはっ……! 心理カウンセラーを雇いましょう! なんとかアイドル活動ができるまでは治療してもらいます!」
「精神病院に入れた方がいいって!」
「それはだめです! これから新規ファンの獲得キャンペーンがあります! クロスオーバーが成功すれば忙しくなりますから、キャンセルできないイベントが山ほど……!」
ブラックは口を滑らせた。慌てて口を結んだがもう遅い。
周囲の観客が口々につぶやく。
「いま、ブラック、クロスオーバーの後の予定のこと言ったよな?」
「いや、それよりアカネちゃんのドM宣言だろ? あのシャドウエロかったよな。アイドルからAV女優に転向かな?」
「だれか写真撮ってなかったかなー? ネットにアップされたら消される前に速攻でダウンロードするんだけどなー!?」
ブラックの悪事など大分印象が薄くなってしまったが、とはいえブラックの陰謀はこれで明るみに出た。
「ブラック! やっぱりお前の仕業だったのか!」
「アオバさん……! くっ! どうしてこうすべての作戦が裏目にっ! …………こうなったら、仕方ない!」
ブラックはうつむいた視線をあげ、覚悟を決めたように叫んだ。
「そうです! 私が全て仕組んだ! キューティクルズの人気をより高めるために! あなた達はアイドルとしての自覚が足りなさすぎるから!」
「勝手なことを言うな! 僕たちはそんな小細工をしなくても輝いて行ける! キューティクルズが未来を信じることができなくてどうするんだ!」
「キューティクルズは未来にも過去にも影しかない! お前たちの輝きはいつだって影が支えてきた!」
「そんな影なんていらない! 僕たちには心の輝きがある! いつだって僕たちは――っ!」
「だまれぇっ!」
突然のブラックの怒声。まるで風圧を伴うかのような大きな声だった。
「お前たちに何が分かる! 地面を這いずる者のなにが分かる!? 私はアイドルになるために生れて来たというのに、アイドルになれなかったこの苦しみ、どれほど理解できるっていうんだ!?」
「アイドルになるために生まれてきた?」
「そう! 私はアイドルになるために創られた! それが生きる意味だった!」
ブラックは溢れだす怒りの感情を抑えられず、ずっと心の底にため込んできたものを吐露した。
「私の母親はアイドルになることに固執していた。だが自分が才能がないからって、手を出したのがデザイナーズ・ベイビー! 私は遺伝子改良された俳優と女優の精子と卵子を受精して生みだされた存在だった!」
「待って!? デザイナーズ・ベイビーは国際法で違法だったはずだよ!?」
「だから母は裏の組織を頼った! お金だけはある人間だったから、私にアイドルとしての英才教育を施した! 語学、人間心理学、楽器の演奏技能に、歌も踊りも全て! だけど私は、デビューとなるはずだったCM登板で芳しくない結果を上げた。私は上手く笑うことが出来なかったから! それで母に見限られて、私はマンションに置いて行かれた。定期配達される食糧を食べながら、一人でずっとアイドルになるための訓練をし続けていた! 母親は帰ってくることなく、私の泣き声が通報されるまで一年間ずっと! たった一人で! 私はあの母親を見返すために、トップアイドルにならなければいけない! でもそれすらもはやできない、アカネっ、お前のせいで!」
ブラックはアカネを睨みつけた。その怒りは悲しみと憎しみに満ちており、発狂したからといってアカネが受け流せるような軽いものではなかった。
「私の、せい……?」
「私は自分の欠点を補うために、誰にでも笑顔を振りまいていたアカネに声をかけた。アイドルの才能のありそうなミドリとアオバにも声をかけた。それもすべては私がアイドルとなるための踏み台としてのグループ結成だった。そして私はキューティクルズになるための準備を整え、あの日、深淵の暗闇からシャドウを呼び出した」
「えっ!? あの日の体育館のシャドウは、ブラックの仕業だったの!?」
「私たちはシャドウに反応して輝き、四人組のキューティクルズになるはずだった。だけどっ! 私はどういうわけかあなたをかばってしまった! どうしてあなたを助けてしまったのか今でも理解できない! あの時助けなければ、この顔の傷を負っていたのはあなただったというのに!」
ブラックは自分の顔にのこる大きな傷跡を、爪でひっかくように強くなぞった。とても悔しそうに表情を歪め、今にも顔じゅうの皮膚を引きちぎりそうなほど苦しみに満ちている。
「こうなったらせめて、プロデューサーとして名声を手に入れなければいけなかったというのに! あと一歩のところであなた達は伸び悩む! これ以上の知名度は私の努力だけでは押し上げられない! このクロスオーバーは絶対に成功させなければいけない! たとえそれが、強引な手段だったとしても! 私が悪役になって死ぬとしても! キューティクルズは永遠に名を残すアイドルにならなければいけないんだ!」
ブラックはもはや隠すつもりもなく目を黄金色に輝かせた。湯気のように立ち上がる黒いオーラを身に纏い、憤怒の表情でアカネたちを睨みつけた。
「私は全てをさらけ出した! みんなも闇をさらけ出せ! シャドウ・マインドリリース!」
ブラックを中心に円形に闇のオーラは拡散する。オーラは瞬く間にショッピングモール全域に広がり、多くのものにめまいや立ちくらみを引き起こさせる。
効果があったのはキューティクルズの古株のメンツだ。ニューヨーカー、ギャングスター、メタリック、オーロラ。心に闇がブラックに共鳴し、めまいでよろめくと同時に目を黄金色に輝かせる。
「うっ……。それも、その通り、ね。ブラックの言うとおりだわ。いまさら綺麗事を言う年じゃない。ジャスミン&ローズ社の未来のためにも、クロスオーバーは必要だった……」
「私は銃が撃てればなんでもいい……、掃除も、洗濯も、子守も、まっぴらだ……」
「そうデス。機械の未来のための、クロスオーバー……」
何か真理でも見つけたかのように、うつむいて彼女たちはつぶやく。最初は虚ろだった目もはっきり見開いてくると、誰もが心の本音に身をゆだね、武器と拳をヒーロー戦隊に構えた。
そんな中、ヒーロー戦隊たちの中で水着怪人が何かに気付いたかのように叫んだ。
「アイドル? デザイナーベイビー? ……あっ! もしかしてあいつ、クロサワの娘か!? アイドル怪人のクロサワ! ネオ・アイドルシーカーだっけか!?」
「アイドル怪人!? 拙者の時代の怪人でござるな! 妄執のコアに導かれて怪人化し、最後はフューチャーレンジャーにやられた普通の怪人! あんまり普通すぎて印象に残っていないでござるよ!」
怪人たちはざわめくように会話を始める。
そんな中で一人、コイン怪人ことユダがヒーロー戦隊の間を縫って正面に出てきた。
ジャスティスレッドがそんなユダの行動に驚いていると、厳つい銀鎧のコイン怪人は少女の声で叫んだ。
「ブラック・キューティクル!」
ブラックはコイン怪人を睨む。
「怪人! もう用事はありません! 邪魔者は消えてください!」
「違うよ! 私にはわかるから、一言だけ言っておきたいんだ!」
コイン怪人であるユダはその憎しみに満ちた目にひるむことなく、当然のように言った。
「どんまい! そういう人生もあるよ!」
「はぁっ!?」
ブラックは怪訝そうに目を細めた。
「ユダさんやめてくれ! ここは空気呼んでくれ!」
「わっ! わっ! 押さないで赤井くん!」
コイン怪人はジャスティスレッドに押されてヒーロー戦隊の中に後退していく。
「そうだぜ! よくあることだぜ! ドンマイ、ブラック・キューティクル!」
「そうでござるよ! よくあることでござる! ドンマイ、ブラック・キューティクル!」
「おい! こいつら中に押し込んでくれ!」
ジャスティスレッドが号令をかけると怪人たちはヒーロー戦隊に次々と後方へ押しやられていく。
「私をバカにしているのですかっ!」
ブラックは憤りを露わにした。冷静さを売りにしていたはずが今ばかりは激情が隠し切れていない様子であった。
「すまない! こっちは俺たちで抑えておくから、そっちはそっちでやってくれないか!?」
ジャスティスレッドが慌てた様子で答える。
その言葉が余計にブラックを苛立たせた。
「このっ! ……でももはや関係ない! すでにクロスオーバーは成り立った! いまさら善悪なんてどうでもいい! この戦いで知名度は跳ね上がる! さあ、私たちと戦えヒーロー戦隊ー!」
「させないよ!」
突撃しようとしたブラックの前に、アカネが立ちはだかる。
「どいてください! アカネ!」
「絶対にどかない! あなたが影なら、私はキューティクルズとしてあなたの心の闇を撃ち払わなければいけない! 心の闇は、希望の光で打ち消せるんだ!」
「この後に及んで綺麗事を!」
「じゃあ綺麗事なんて言わない! 私は友達として、同じアイドルグループの一員としてあなたを助けたい!」
「助けなんていらない! 私に必要なのはあなた達がアイドルとして大成すること! それ以外になにもいらない! 私はプロデューサーだから! プロデューサーとしての実績が必要だから! たとえ闇の底に身を落としても、私は真のスーパースターのプロデューサーになる! アカネっ! あなたは私を倒してスーパースターへの道を駆け上がるんだ! さもなくば、ここで死んでしまえぇぇぇ!」
ブラックはアカネに殴りかかった。その怒りに満ちた拳を、アカネは受け止めた。
「私は、絶対に嫌だから! あなたが私の影ならば、私があなたを照らして見せるから!」
・クロスさんは次回登場予定