第二十話 サムライ・キューティクルズVS剣道怪人キクチヨ! 二階服飾売り場での死闘! 斬撃戦のボレロ! 《前篇》
「ふっ! はっ! せいやっ!」
「甘いでござるっ! チェストぉっ!」
二階服飾売り場にて、イソロク・キューティクルと剣道怪人キクチヨが殺陣を繰り広ていた。軍刀と双刃竹刀がリズムよく切り結ばれ、踊るように弧を描く斬線が演武を成り立たせる。
ショッピングモールは戦争の喧騒に満ちていた。
吹き抜けを通して見た一階は、ブリザードが吹雪いたり津波のように生クリームが流れたり大量のホットケーキがUFOのように飛び交っていた。三階はオレンジファイターが本屋にすっ飛んでいく姿が見える。四階も銃弾が飛び交い、理科室の人体模型が奇声を上げながら走り回っているというなかなかにカオスな様相であった。
そんな中で二階でのこの剣劇は大分地味な部類であるといえた。決して侮れえない達人同士での切りあいであったが、それでも地味である。
二人の斬り合いは拮抗しているかのように素人目には見えるが、やや優位を保っているのは剣道怪人キクチヨだ。そしてその実力差は一階で派手な爆発が起こり、床が揺れたことで明白となった。
「うっ!」
「ここでござる!」
竹刀による大振りの打ち払いが軍刀を打ち上げた。そして瞬きをする間も置かず、反転したキクチヨが後ろ回し蹴りでイソロクの胸を蹴りあげる。
「ぐあっ!」
イソロクは一メートルほど後方に飛ばされ、よろめきながらもなんとか体勢を立て直し、膝をつきながらも刃の切っ先だけはキクチヨに向ける。
「っく! 見事! 剣術も体術も、某よりはるかに上! 怪人の御仁よ、失礼した! 私の名はイソロク・キューティクル! 旧日本軍元帥・山本五十六のスピリットを預かりしものである! 貴方を強敵と認め、どうか名前をうかがいたい!」
「拙者は怪人一の剣士、殺陣師キクチヨ! 貴方の剣も見事であったが、才能に努力の量が追いついていないでござる! すり足の幅がやや狭い! これは机仕事にかまけて剣の道がおろそかになっている者の動きでござる! 剣の道一本に絞ればその太刀筋は花開くであろうに、それだけに残念でござるよ!」
「……申し訳ない。本業は学生だ。勉学をおろそかにするわけにはいかないのだ」
イソロクは申し訳なさからか視線を下ろした。だがすぐにその隻眼をキクチヨに向け直す。
「それならば仕方ないでござる。拙者はここで待つので、他のサムライ・キューティクルズも呼んでくるといいでござるよ」
「なに……? それは、私を見下して言っているのか?」
「違うでござるよ。正義の味方は五人で一人前。サムライ・キューティクルズも五人であったでござるな? ともかく、これは見下しているのではなく、拙者はただ対等な関係で勝負をしたいのでござるよ」
「……私一人では釣り合わないというわけか。ありがたい申し出かもしれないが、断る」
「なぜでござるか?」
「いや、単純に、……こんなに真面目に戦えるのは久しぶりなのに、あんたを幻滅させたくない」
「幻滅?」
キクチヨは首を傾げた。
するとその時、長い廊下を慌ただしく駆けてくる、抹茶色の衣装を着た少女が叫んだ。
「イソロク~! なんだかあっちこっちで騒がしくしくなっているけど、なにやってんのー! これってもしかして、お祭り!?」
茶人帽(黒い頭巾)を頭にかぶり、肩出しのミニドレス風改造袈裟を着用した、中学生程度の少女がイソロクに駆け寄ってくる。
イソロクはその少女が近付いてくるほど表情を落ち込ませてゆき、最終的にバツが悪そうに片手で顔を覆った。
「下の階にいたらさ、お菓子で出来たコック服を着たピエロみたいな人がいてさ! おいしそうって言ったらお菓子の詰め合わせをもらっちゃってね! それでね、あっちに行ってお茶飲んでなさいって言われたんだ! すっごくおいしそうなお菓子だよ! イソロクもあっちで一緒にお茶点てようよ!」
「リ・キュ・ウ~~!」
イソロクはリキュウを隻眼で睨みつけた。
リキュウ・キューティクルはその視線にビクッと肩をすくませる。
「ええ、どうして怒っているのイソロク!?」
「お前はなにを聞いていたんだ! 今日やるべきことは説明しただろう!」
「……なんだっけ?」
リキュウは小指を自分の唇にあてて可愛らしく首をかしげる。
「この、痴れ者がぁぁぁ!」
「わあ! ごめんイソロク! 何かするんだよね! 分かってる! 大丈夫! 私、お茶点ててくるよ!」
「絶対なにもわかっていないだろう!」
「大丈夫大丈夫! みんなでお茶を点てれば大抵の事は解決するって! 何か問題があっても目はつぶってさ! とりあえず全部無視してお茶点てよう!」
イソロクに詰め寄られたリキュウは慌てた様子もなく弁明する。しかし、当然の如くイソロクの怒りは収まらない。
「くぉのぉぉぉぉ! ばか者がぁぁぁ!」
「わぁぁ! 怒らないで!? イソロク怖いよ! そうだ! お茶点てて落ち着こう! ね? ね?」
燃え上がるイソロクの怒りの炎に、リキュウは油ならぬお茶を注ぐ。
当然イソロクの怒りは怒髪天を突く勢いであった。
そこに新たに、手に30cm竹定規を握った鼠色の衣装の少女が駆け寄ってくる。
「イソロク~! 測量終わったよ~! ここの延床面積は、二十五万七千三百八へ~べ~だったよ~!」
それは魔法少女風に可愛らしく魔改造された裃(昔のサムライの男性正装。肩の部分がとんがっている着物)を着用した、シニヨンヘアーの少女であった。
「タダタカ! お前また不必要な測量してきたのか!」
「不必要ってなに! 寸法図ることは天にも昇る快感なんだよ~! イソロクも試してみなよ!」
「断る! わかりたくもない! お前ら、戦闘準備して来るって言ってたよな!?」
「そう! だからちょっと多めに測量してきたんだよ!」
「私も! お茶菓子探してきてた!」
「バカかおどれら!?」
イソロクが声を荒げる。しかし、その怒りもどこ吹く風かリキュウとタダタカの二名はまるで反省するそぶりを見せない。
そんな新たなキューティクルズの登場に、呆然と驚いていたのはキクチヨだった。
「ど、どういうことでござるかイソロク殿! リキュウに、タダタカとは!?」
「くっ! すまない!」
「そう! 私たちがサムライ・キューティクルズ! サムライ道とは、お茶の道にあると見つけたり! わが名はセンノ・リキュー・キューティクル!」
「サムライ道とは、測量にあると見つけたり! わが名はイノー・タダタカ・キューティクル!」
顔を真っ赤にしてうなだれているイソロクを尻目に、リキュウとタダタカは茶器と定規を構えてポージングを取った。
「おかしいでござるよ! お茶の道は茶道でござるよ! 歩道と高速道路くらい違う道でござるよ! どういうことでござるかイソロク殿!? 侍ならばもっとこう、宮本武蔵とか、上杉謙信とか、もっとたくさんあったはずでござらぬか!?」
「本当に申し訳ない! これには事情があるのだ! それにそこら辺の有名どころの武将は全部敵方のシャドウに持っていかれてしまったんだ! 戦国武将に至っては後藤又兵衛のスピリットしか残っていなかった!」
「いいではないでござらぬか! 後藤又兵衛となら拙者も戦いたかったでござるよ!」
「いくらなんでも、マタベエ・キューティクルは名前がイヤだ!」
「……そうでござるか!」
キクチヨは押し黙った。
後藤基次とか本名を使ってはダメなのだろうかと思わないでもなかったが、そこら辺は何かしら規則や規約でもあるのだろう。あまり追求するのもはばかられた。追及してはいけない気がした。
そんな時、さらに手に掃除機を抱えた少女がエスカレーターを駆け上がって来ていた。
「イソロクイソロク! あったあった! ほらあの、CMのやつ! この掃除機、買って帰ろう!」
深緑色の和風のドレスに、トリプルテールという奇抜な髪形(ツインテールにポニーテールを付け足したような髪型)。背中に背負った矢絣模様(矢羽を積み重ねたような和柄)の風呂敷。そんな見た目の中学生。そのどことなく残念そうな雰囲気はイソロク以外のサムライ・キューティクルズと酷似している。
そんな新たな仲間の参入に、イソロクは目をそむけた。
「ゲンナイ。三つ目の掃除機はいらないんだ!」
「でもでも! この掃除機すごいんだよ! なんでもザンギエフ20人分の吸引力があるんだって!」
「まるで凄さが分からない……!」
「これさえあれば画面端の埃も吸いこめるんだよ! ここに付いてるレバーを半回転させるだけでいいんだって! 今までは一回転必要だったらしいよ!」
「ものすごくいらない……!」
イソロクはとうとう頭を抱えてしゃがみこんだ。
「今度は平賀源内でござるか。サムライどころか学者と商人と坊主の集まりではござらぬか……」
「違うんだ! 最初の私たちは本当に大和撫子の集まりだったんだ! キューティクルズになって、過去の偉人のスピリットとやらを受け取ったら、こんな残念なことに……!」
「すまぬでござる。別にバカにするつもりはなかったのでござる。しかしこれで四人でござるな? では、最後の一人は?」
「む? そう言えば、ゲンパクはどこに行った」
「……最後は杉田玄白でござるか」
イソロクは周囲を見渡していた。しかし新たに駆け寄ってくるキューティクルズの姿はない。
「あれ? ゲンパクもう帰ったんじゃない?」
リキュウが言う。
「帰った!? なぜだ!」
「え、ほら。ゲンパクは家の地下室に、田中君監禁してるから」
「監禁!? いや、田中って誰だ!?」
「ほら、二組の田中君。先週告白して、その後本性をさらしたゲンパクに首輪付けられていたかわいそうな坊主頭の男子」
「ちょっと待て! 私はそんなこと知らん!? あのバカ何やってんだ!?」
その瞬間、イソロクの背後からすうっと人影が現れた。
「……うふふ。バカとはひどいですねぇ」
「うわっ!?」
現れたのは白い長髪で顔全体を隠した、ロングコートタイプの白衣の女子中学生であった。
「私は帰っていませんよ? ヒーロー戦隊や怪人を解体できる機会なんて、そうそうないですからねぇ。今日はきちんと戦いますとも。田中君をいじめるのは、そのあとのデザートです」
「おい! 監禁とかお前は一体何をやっているんだ!」
「うふふ……。なにもおかしなことはしていないですよ。ただ体をいじって、いじめて、楽しんでいるだけです。帰ったらイソロクさんにも見せてあげますよ。田中君はね、裸にひん剥いた後、内股の辺りを爪楊枝でツンツンすると、すっごくイイ声で鳴くんですよ」
「聞きたくないし、見たくもない! もうやだこのキューティクルズ!」
イソロクはとうとう男勝りだった作り声すら出せなくなり、女の子らしい涙声でその場にうずくまる。
「……心中お察しするでござるよイソロク殿。心を強く持つでござる」
「敵にまで同情されたぁ!」
イソロクはとうとう地面に丸まって動かなくなる。いじけてしまってもう立ち上がれそうにない状態だった。
キクチヨはそんなイソロクに対して憐憫の視線を向けることしか出来なかった。
そんな時だった。一階からこの二階の吹き抜け部分の手すりを乗り越えて、複数のヒーロー戦隊と怪人の増援があらわれた。
「お待たせした。フラワーレンジャー、参戦する!」
「OH! チェケラッ! こっちにサムライ・キューティクルズが集結したって聞いた! 大丈夫か!」
「煙幕が必要なら言ってくれ! この消火器怪人、スモーク・スモッグがフォローに入る!」
現れたのは植物戦隊フラワーレンジャーの三人、それとDJ神父怪人と消火器怪人だった。
おそらくは一階で指揮をとっているトミーの指示であろう。剣道怪人を含めて六人という数の優位を得るために、この場に増援としてよこしたのだ。
「イソロク! 敵襲だよ敵襲! やばいよやばいよ!」
「……もういい。ほっといてくれ。どうやら私はリーダーの器ではなかったようだ。……こんなの私の理想だったキューティクルズではない。恥ずかしい、死にたい」
「ああっ! こんな時にイソロクの鬱病が!」
イソロクは人格が変わったかのように気の滅入るような言葉をぶつぶつと呟きだした。素人目に見ても精神が不安定な状態であり、思わず心療内科の受診を勧めたくなるような惨状だった。
「……あのキューティクルズ、躁鬱ですかね? 正義の味方が鬱病にかかるとは、世知辛い時代です」
「鬱病のキューティクルズとか。……見たくなかったな」
フラワーブルーとフラワーイエローがつぶやいた。
「どうしよう! イソロクの指揮がないと私たちなにも出来ないよ! 私はどうすればいい! とりあえず、フラワーレンジャーの採寸を図ればいいのかな!?」
「……ふふふ。それじゃあ私は、このイソロクの鬱病を治すために脳外科手術と行きましょうか?」
「それはやめて! こうなったら仕方ない! そうだ、みんなでお茶を点てよう!」
「駄目駄目! 戦わなくちゃだめ! なにか役にたちそうな道具が、確か風呂敷の中に……」
ゲンナイ・キューティクルは背中の風呂敷を片手であさる。
「あった! これで勝てる!」
取り出したのは、ステンレス製の圧力鍋であった。
「鍋でござるか?」
「圧力鍋ですね。ああ、下の生活雑貨コーナーにあった市販品です。それも割と高い品物の」
フラワーブルーが解説する。
ゲンナイはその鍋を床に置くと、今度は風呂敷から二リットルの炭酸飲料を二本取り出した。
「そう! これはただの圧力鍋! でも、炭酸ジュースをここに入れて……」
炭酸飲料はボトルを握りつぶされるように一気に鍋の中に注ぎ込まれる。さらにゲンナイは風呂敷の中からこぶし大ほどの白い石のようなものを取り出した。
「そして、これを入れる!」
「あれは、……岩塩か!」
ゲンナイは炭酸飲料に満ちた圧力鍋の中に岩塩の塊を放り込み、そして即座に蓋を閉めた。
「喰らえぇぇぇ!」
圧力鍋を両手で掲げるように持ち上げたゲンナイは、キクチヨめがけて投げつけた。
空中で弧を描きながら飛来する圧力鍋をキクチヨは思わず受け取ってしまう。
「なんでござるか! この鍋でなにが起こるのでござるか!?」
「圧力鍋爆弾だ! 気化した炭酸が爆発する!」
「なんですと!?」
キクチヨに抱えられた鍋は目に見えて膨らみ始めていた。垂直だった鍋の側面が見る見るうちに楕円に変わっていき、中の岩塩がゴトゴトと暴れている音が聞こえる。
塩類には水和すると、水分子と結合している溶質を引きはがす脱水効果がある。この場合は水に溶解した二酸化炭素だ。つまり中では炭酸飲料の中の炭酸が一斉に気化している状態で、内部の空気圧は爆発的な速度で上昇しているのだ。強固な密閉力を持つ圧力鍋ゆえに、その内圧の臨界を超えた時の威力はひとしおだろう。岩塩だけに。
「爆弾なんて拙者にはどうしようもっ! フラワーレッド殿! パスでござる!」
「うわっ!」
フラワーレッドは思わず投げつけられた爆弾を受け取ってしまう。
「やめてくれキクチヨ! これはあっちに投げ返すものだ!」
フラワーレッドは圧力鍋を振りかぶり、キューティクルズに向けて投げ返した。
このとき、空中を飛来する圧力鍋は底も丸みを帯びているような状況だった。
「きゃあ!? なにこれどうすればいいの!? 外周が、体積がっ、みるみる増えていく!?」
受け取ったのはタダタカ・キューティクルだ。思わずボールのように圧力鍋を胸に抱えてキャッチしてしまう。
だがその危険性ゆえに体から離そうと手を伸ばして、指先だけで圧力鍋を持ち上げた。そんな持ち方をしたものだから投げ返すのは相当に難しくなっていた。
そうして余計な時間を掛けていると、手榴弾の安全レバーが外れるように、圧力鍋の安全弁がはじける音が響いた。
「ゲンナイ! パス!」
そんな状況に慌てたタダタカは、あろうことは元の持ち主であるゲンナイに向けて小さく投げてよこした。
「きゃぁぁぁ! こっちじゃないあっちあっち! パァッぷぎゃぁっつ!?」
ゲンナイが振りかぶった瞬間、圧力鍋が爆発した。
2.5気圧まで耐えられる鍋ゆえにその爆発は凶悪なまでの衝撃を生み出す。
風圧によって周囲五メートルの衣料品が綺麗な円形に吹き飛び、四散した鍋の部品は弾丸に近い速度で床と天井に突き刺さっていく。そして炭酸の抜けた清涼飲料が矢のように飛散し、その水滴だけでも眼球ならば潰せそうな勢いで弾けた。
当然爆心地にいたキューティクルズは全員が消し飛んだ。押し出されていく衣料品の中に紛れて、前転横転をしながら床を転がっていく。解放された炭酸ガスが霧のように視界を遮り、数秒の間空間が薄灰色に染まって見えた。
ヒーロー戦隊と怪人は身をかがめて爆風を受けきった。いずれも体の耐久力が高く、鍋の破片も明後日の方角に飛散したためほとんど被害はない。せいぜい全身から清涼飲料水を滴らせる程度の些細な被害だった。
「くっ……! なんて爆発だ!」
「……おいおい、キューティクルズ、自爆しちまったぜ、おい」
消火器怪人が辺りを見渡しながらつぶやいた。天井からは炭酸飲料が飴のように滴り、溢れた炭酸ガスと水滴が霧となって視界を悪くしている。
キューティクルズの姿を確認できるようになったのはたっぷり十秒ほど時間をかけてからだった。
一番ダメージのないはずのイソロクは吹き抜けの手すりの下に押し付けられるように横たわって動かない。ゲンナイは全身炭酸飲料まみれで二階通路の五メートル先にうつ伏せで転がっていた。リキュウとタダタカは押し込まれた女性用衣料品の山の中から足先だけを覗かせて気絶しているようだった。
「えーと、これは勝ったって事でいいのだろうか?」
フラワーレッドがつぶやいた。そんな瞬間だった。
「まだでござる! 小癪な真似を!」
キクチヨが突然横を振り向き、双刃竹刀を振り払う。すると、音もなく飛来してきた医療用メスが竹刀に弾かれた。
「なんだ!?」
消火器怪人が驚く。
医療用メスは、吹き抜けの手すりの向こう側から投擲されたものだった。
「うふふ……。よく見切りましたねぇ」
現れたのは白衣コートの襟を立て、白い長髪で顔を隠しているゲンパク・キューティクルであった。
いつの間にかに吹き抜けの向こう側の手すりの上にゲンパクは移動していた。人並み外れたバランス感覚で手すりの上を歩き、表情を見せずに不気味な笑い声をあげている。
「本場殺陣師の殺陣を舐めないでほしいでござる。拙者の第六感は簡単には潜り抜けられないでござるよ」
「それはそれは……」
ゲンパクはこちらを振り向こうともせず、向こう側の通路の手すりの上を歩き背中を見せ続けるなど余裕を見せていた。
「うふふ……。あなた方はキューティクルズを舐めている。数が多ければ勝てるだろうと。しかし、それは間違い。なぜならあなた達は、私に解体され、そして解体新書の中に永遠に封じ込められる運命にある。気付いた時には、もうあなたたちは私の手術台の上にいるのだからねぇ」
ゲンパクは背を向け、そして両手を大きく広げた。舞台劇の役者じみた大仰な動きを、手すりという最悪の足場の上で演じて見せる。その動きには確かな自信があり、背中を向けていても圧倒的多数であるヒーロー戦隊と怪人たちに負ける要素はないと思わせるほどだった。
「ゲンパク・キューティクル、一体何をするつもりだ?」
フラワーレッドが警戒する。
「何か隠し技を持っているのは確かだろうな! よし、ここは俺の飛び道具で様子を――」
「待つでござるスモーク殿。やつを見ていてはすでに術中に嵌っているでござる。やつは奇術師。あの大げさな動きは手品の種を隠しているだけでござるよ」
キクチヨは消火器怪人の肩を叩き、そして自身は通路の床を眺めていた。
「手品だと! どういうことだキクチヨ!」
「よく見るでござるよ。ゲンパクの白いコートで隠しているでござるが、ズボンのすその色とブーツの種類を」
「ブーツ?」
ゲンパクの足元を注視すると、ズボンの色は浅葱色。ブーツは厚い皮で黒塗りの軍用品であった。
「あのズボンの色、見覚えあるのではござらぬか? そしてあの大きなブーツ。あれは軍靴でござる」
「なっ!?」
「視線を向けさせて、本命は足元! このような奇術に頼るとは、残念でござるよサムライ・キューティクル!」
キクチヨは竹刀で地面を斬り払った。さらに竹刀を乱舞させるように回転させ、床を竹刀の先端でなぞっていく。
すると竹刀に絡まった白く光沢のある糸が床から浮かび上がった。竹刀は大量の糸で白く染まり、やがて巻き込まれた糸がピンと張ると、その糸の先端は倒れ伏していたイソロクの手元に続いていて袖が持ち上がった。
「うふふ……。ばれちゃいましたねぇ……」
倒れていたイソロクが、ゲンパクの声を出して起き上がる。軍服をそこらに脱ぎ捨てると中から畳まれた白衣のコートが現れ、カツラも取ると特徴的な顔を隠す白髪が垂れ下がってきた。そして片手に隠していたマイクを吹き抜けの下に投げ捨て、裾の中から伸びていた糸の束を邪魔とばかりに切り離す。
「これは手術用の縫合糸でござるな? それと縫う時用の鉤針も付いているでござる。こんな作戦を考えたのはおぬしでござるか? それともイソロク殿?」
「それは私だ」
吹き抜けの向こう側の手すりの上で、白髪のカツラを抜き捨てたイソロクが答えた。正面を向くと白衣のコートの下は浅葱色の軍服であるとわかり、目には確かに特徴的な眼帯が取り付けられていた。もはや意味の無くなった白衣コートを脱ぎ棄てると、いくつかの投擲用手術メスと、ゲンパクの声を放送していたスピーカーも軍服のホルダーから取り外して投げ捨てる。
「見損なったでござるよ! サムライならば、こんな小手先の技に頼らないで欲しかったでござる!」
「勝手なことを言うな! サムライなどと大層な名前だが、実力ならばキューティクルズでも中の下だ! 弱小には弱小なりの戦い方がある! サムライだからと虚栄を張ることこそ愚かなのだ!」
「あんな大層な演技までして見せるとは、大層な一枚目役者でござったな。鬱病も嘘でござるか?」
「鬱病は残念ながら本物だ。薬で抑えているがな。普段から頭がまともなのは私とゲンパクだけなのだ。先ほどの漫才も悲しいことにほとんど演技が入っていない。鬱病も演技ならどれほど良かったことか」
イソロクは手すりの上で仁王立ちの姿勢のまま、床にうつぶせになり、衣料品の中に頭から突っ込んだリキュウやタダタカの姿を見た。
「キューティクルズはいずれも基本的に人工で生み出される存在だ。そして人工物である以上、出来不出来がある。ほとんど欠片しか残っていない、しかも劣化していた偉人のスピリットを、模倣して、複製して、そして都合よく改ざんされたものを私たちは注入された。欲張って先走った日本のとある研究所の仕業だ。もちろん戦闘力が劣化することを見越してのこの偉人のラインナップだったわけだが。私たちは本来の魂が削り取られ、心や感情が劣化した偉人の物にすり替わっていくと、かつての性格も記憶も失い、残されたのは偉人たちの情熱だけになった。私の情熱は戦争に勝利すること。そのためならば、たとえ刀以外を頼ろうとも恥ではない」
イソロクは軍刀を引き抜いた。
そんなイソロクに、キクチヨは少し残念そうな怒りの声を上げた。
「おぬしはなにもわかっていないでござる! それは独りよがりの戦い方! サムライ・キューティクルズはヒーロー戦隊と同じ五人組! 五人組は一人一人の実力はたかが知れているが、協力して一斉に戦った時、最終的には怪人王すら超えるのでござる! こんな個人技能に頼った戦い方ではなく、互いの能力を重ねて戦えばきっと誇りのある戦いができた筈でござるよ!」
「そういう台詞を、怪人のお前が言うのか……!」
「拙者、剣の道では負けなしだったからこそ、いつも卑怯な小技や手品事ばかりに苦しめられてきたのでござる! いつか全力で戦って、負けたいのでござるよ! かつて生きていた時ですら鏡の反射だったり毒だったりと、碌なものがなかったでござるからな!」
キクチヨは双刃竹刀の切っ先をイソロクに向けた。
「別に全員で協力できないから個人技能で戦いたかったわけではない。切り札を切らずに個人技能と私の軍略だけで倒せる相手ならそれが一番だったのだ。……いや、ぶっちゃけ、私が鬱を発症している間に勝手に自爆するとは思っていなかった。おかげで私がゲンナイの風呂敷から衣装とカツラを抜きだす余裕が出来たわけだが、本来なら私たちは全員無事で、お前たちは縫合糸に拘束されている予定だった。彼女たちをじせいさせる術はあったがそれは最後の手段。何もしないうちに三人が勝手に戦闘不能になってしまったからには、私とゲンパクだけで相手をしてしんぜよう!」
イソロクは戦闘態勢に応じ、手すりの上に立ったまま軍刀を大上段に構えた。チラリと衣料品の中に突っ込んだままの二人のキューティクルズを確認するが、ピクリともしない臀部を見るに増援は期待できなさそうだと判断するとすぐに視線をキクチヨに戻す。
「たった二人で拙者の相手するつもりでござるか。……では、フラワーレンジャー殿。それと消火器怪人殿とDJ神父殿は他の加勢に行って欲しいでござる」
「まて、たった一人で相手をするつもりか?」
フラワーレッドが心配して尋ねた。
しかし、キクチヨはその疑問に余裕を持って答える。
「逆でござるよ。イソロク殿の実力の嵩は先ほど確認済み。それでいて五人そろっていない状態の相手などむしろ弱い者いじめ。拙者の楽勝でござる。しかしここは無情の戦場、たった二人でどれだけできるか、……いや、むしろその知略の刃で逆に拙者を打倒すか。対等な立場で試合を行いたいだけでござる」
「ふっ、対等な試合か。さっきも言ったが、私は卑怯な手段でも遠慮なく使うぞ?」
軍刀を上段に掲げたままのイソロクが、口角に笑みを見せてつぶやいた。
「それが戦場。好きに使えばいいでござる。ただ拙者が使わぬだけ。……まあ、愚痴ぐらいはつぶやくでござろうがな!」
キクチヨは頭上で双刃竹刀をくるりと回転させると、斬り合いに慣れた者特有の足さばきで構えを整え直した。
「なるほど、では私たちは場所を移動するとしよう」
フラワーレッドはそう言って歩き出すと、他のメンバーもつられて移動を開始する。
「さあ、行くでござるよイソロク殿!」
「ああ、いざ尋常に――っ!」
その瞬間だった。
背筋を駆け抜ける、ゾッとするような悪寒。戦闘慣れしているものほどその悪寒は強まった。
その寒気の正体はすぐにわかった。殺意である。それも希有なほど積み重なった黒い殺意。
「避けるでござるっ!」
もっとも早くその殺気を探知したキクチヨが、背後を素早く振り返って叫んだ。
「一体何――っ!」
風切り音。そして、大きな刃によって何かが断ち切られる音。
フラワーレッドたちが飛び退くなど回避行動をとろうとした瞬間には、すでにDJ神父怪人の首が跳ね飛ばされていた。
「まずは、一人目」
突然現れた黒衣の女性だった。手には螺鈿の輝きを放つ七支刀。ぼさぼさでボリュームのある長い黒髪に、ボロボロに破れ布面積の少なくなった旅人衣装。斬撃に合わせてマントのようにひるがえった外套は首元のファーがほとんど抜け落ちているような有り様だった。
そしてDJ神父の体が黒い靄となって爆散するよりも早く、七支刀は空中でひるがえり、着地と同時にフラワーレッドめがけて振り上げられる。
「二人目……」
「わっ!?」
「させぬでござる!」
フラワーレッドが短剣のような剪定ハサミを構える前に、駆けつけたキクチヨの双刃竹刀が七支刀を受け止めた。
「ほう……」
黒衣の女性が、顔半分を覆うマスクの下から感嘆の声を漏らした。
「せいっ! チェストォ!」
「ふっ!」
キクチヨが黒衣の女性と剣劇を紡いでいく。双方とも類稀なる刃さばきで殺陣の応酬を繰り返し、達人特有のリズムの良い打ち合いの音が響いた。
だが殺陣が本格的に至る前に、黒衣の女性は殺陣の隙を見て後転し、新体操選手のようなバク宙をみせて大きく距離を取った。
「なにやつ!」
キクチヨは深追いをせず、竹刀の剣先を向けて尋ねる。
その問いには、同じく驚愕の表情をさせていたイソロクが答えた。
「お前は、ブードゥー・キューティクルズ! ディアブロ!?」
「何を遊んでいる、サムライ。……狩るぞ」
捕食者が獲物を狙う鋭い目つきで、その黒いキューティクルズは怪人とヒーロー戦隊に狙いを定めた。