第十八話 屋上での静かな死闘 正義と戦う者達のラプソディー
ショッピングモール屋上。そこは特別変哲のない駐車場である。
街路灯と壁埋め込み照明が最低限度の足元を照らし、月の無い星屑の天井が冷たい秋風を流れ落とす。三角ピラミッド型の天窓がショッピングモール内部の光を溢れださせ、900台もの収容台数を誇る広大な屋上を淡い光で照らしていた。
現在は社用車であるワンボックスカー三台だけを残して駐車場は閑散としている。
その代わりに15台分の駐車スペースを利用して、備品保管用のテントが建てられていた。テントの屋根にはダイアモンド・プロダクションと印刷さており、数日後のキューティクルズライブにて使用される予定の物品が保管されているのだと分かりやすく示していた。
そして近くには屋上駐車場から空中に飛び出す形で舞台が増設されている。ショッピングモール中心部から地階の屋外駐車場に向けて円形舞台が伸びるような造りになっており、いまだ建築用足場の鉄パイプでぐるりと覆われて隠されていたが、上に乗ってリハーサルできる程度には床が取り付けられていた。
さらにはその舞台の左右に複数の鉄塔が立てられており、すでにいくつものスポットライトが取り付けられている。本番が始まればこのライトがステージと客席である駐車場を照らし、備品テントにある大型スピーカーが最大音量の音響を響かせるのだろう。
そんなコンサートは本日開催ではないはずだった。
だが今、警備員の一人がスポットライトの電源コードを掴み、無数の延長コード相手に悪戦苦闘しながら接続していた。
その警備員は下の駐車場でチェーンを掛けた警備員と同一人物だ。
しかしチェーンを掛けた警備員は茂みに隠れて双眼鏡でキューティクルズとヒーロー戦隊の戦いを眺めており、同時に屋上で作業することなどありえない。
屋上で作業している警備員は姿かたちこそは同じだったものの、その表情はずいぶんと体調が悪そうであった。顔は灰色に青ざめており、今にも吐きそうなほどに呼吸が荒い。視線がブレているのかコンセントを延長コードに差すだけの簡単な作業でも手元がおぼつかない様子であった。
「ああ、ちくしょうちくしょう……! 副大統領の依頼なんて受けるんじゃなかった! なんでこんな仕事を俺が……! 前金で百万ドルポンッとくれるなんて反則だよなぁ。うう、気持ちわりぃ……」
警備員は大まかに電源を繋げ終えると、おもむろにコードの束をそこら辺に投げ捨てた。そして天窓の縁に置かれたノートパソコンの真っ黒な画面を睨みつける。
「おいっ! もう観測始めているんだろ! だったら顔を見せてくれよプロフェッサー! こんな雑用させやがって! こちとら自分の技で被曝しているんだよ! 値上げ交渉くらいさせやがれ!」
警備員は自分の顔を破り捨て中指を立てた。顔の皮膚は紙袋のように破れ、中から両目に眼帯を掛けた外国人が姿を現す。
「やあ、ミリオンアイズくん。元気そうで何よりだ」
低い老人の声がスピーカーから流れてきた。
画面に表示されたのは童話に出てくる悪い魔法使いのような大きめのローブを着用した老齢の男性だ。
ローブの裏地は薄い紫色に発光しており、不健康そうな毒々しい光を老人の皮膚に当てている。それでいながら深くかぶったフードは目元が暗闇に包まれていた。僅かに映る口元は頬が骸骨のように痩せこけており、机に肘を突いて組んだ指先はまるでターキーの食べ残しのような細さだった。
アンデットと言われれば納得してしまいそうな老人の風貌だったが、しかし指には血管が浮かんでおり、青白いとはいえ生気があるのが逆に無気味であった。
そんな陰気な見た目の老人に対して、ミリオンアイズは苛立たしく返した。
「元気そうとは皮肉だな! こちとらこの通り死にかけているんだよ! 銅で保護していたとはいえ1000ミリシーベルトくらいの被曝だ! さっきから体温が下がりっぱなしでやべぇんだよ! 吐き気もするし、眩暈もひどいしで最悪な気分だ!」
「ああ、それは間違いなく透視眼の影響だろう。進行の速さから見て被曝は1000ミリシーベルト以上あるね。もう少しすれば腹痛と嘔吐が襲ってくる。一週間後には頭髪も全て抜け。そして二週間から三週間くらいで全身の皮膚が崩れ落ちて血まみれになり、苦しんで血尿を巻き散らかしながら死ぬことになる」
「おい冗談だろっ! 早く回収部隊を送ってくれ! そんな死に方したくねェ! じゃないと俺は日本政府に投降してでも治療を受けるからな!」
「ああ、それはお勧めしない。怖がらせておいてから言うのもあれだが、君が生き残るにはこの作戦を成功させて本国に帰る以外にない。その理由は賢い君なら分かるはずだ」
「もちろんわかっているさクソッタレ! ああクソっ! 最悪だチクショウ! テメェみたいな悪党が副大統領になっちまうからアメリカは最悪の国なんだ! 俺は労働者だぞ! 最低限の福利厚生くらい用意しろよ!」
「それは自分で保険を準備しなかった君が悪い」
「知っているよチクショウ! 次の投票では絶対にお前に票を入れてやらねぇ!」
「いいや、きっと君は次回も私に票を入れるさ。私は悪党に優しい政治家だからね。悪党である君は私の政策を支持するしかない。そうだろう?」
「そうだとしても俺は投票しない! お前みたいなクソったれな政治家は大嫌いだ! ついでにアメリカも大嫌いだ!」
「ふふふ……、誰だってアメリカが嫌いさ。だからこそ愛おしい」
プロフェッサーは組んでいた手を崩して画面越しに笑顔を見せた。枯れた古木のような筋張った頬がねじ曲がり、深く愉快そうな笑みを浮かべる。
「さて、どうやら私の友人が来てしまったようだ。君には申し訳ないことをしたね。わざわざお願いしたその雑用は実は別に不要でね。一番の目的は君をエサにすることだった。そして目的の相手は釣れたようだよ?」
ミリオンアイズはその言葉を聞いて、深い怒りで眉根をひそめた。
だが悪びれないプロフェッサーに怒ることなど無意味であると気付き、観念して深いため息を吐いた。
「……ああ、なんとなく想像付いてたぜ? わざわざバレやすい警備員に変装を指定したんだから当然だよな。ほんと、最悪だぜあんた」
ミリオンアイズは落胆するようにうなだれた。
「謝罪と言ってはあれだが、もし帰れたら最高の病院の個室と、私の処方する薬を提供しよう。成功報酬も100万ドル上乗せだ。病室には毎晩ストリッパーを送って、麻薬取締局から好きなだけドラックを横流しが出来るよう口を添える。これで多少は生きる希望が湧いてきたんじゃないかな?」
「……その気前の良さ、俺が生き残る確率を相当低く見積もっているな?」
「いいや、英雄にはこれくらいの報酬は当然さ」
「ああそうかい。だが、生き残れたら必ずその報酬を払えよ?」
「当然さ。私は報酬の気前がいいことで信用を得ているからね」
「それで実際に報酬を受け取れた悪党がいったい何人いる事やら……」
ミリオンアイズはもう一度ため息をついた。
それと同時に背中に冷や汗が吹き出す。長年の経験が背後を振り返れと警鐘を鳴らしていた。
だがそれを意識的に無視して、ミリオンアイズはその場にたたずんだ。
「おや? ……応戦しなくてもいいのかい?」
「無茶言うな、降参だ。俺のような小物に出来ることはなにもない」
ミリオンアイズは両手を上げて降参の意思表示を見せる。
背後からのプレッシャーは1秒ごとに大きくなり、ミリオンアイズの青白い顔からさらに血の気が引けて行った。
「では私の情報収集に付き合ってくれたら、さらに50万ドル追加しよう」
「必要な情報収集でないくせによく言うぜ。あんたは人が殺し合う姿を見たいだけだろう? 俺はごめんだ」
ミリオンアイズは憎々しげにノートパソコンの画面を見下ろした。
そして処刑を待つ罪人のような面持で、月の無い夜空を仰ぎ見る。
「神よ、天罰を受けるだけの事は、まあ、色々してきましたが。あまり痛くない天罰でお願いします。お願いだからおねがいします」
そうつぶやいた瞬間だった。超高速で真横にスライド移動してくるワンボックスの社用車が、ミリオンアイズの体をその場からかっさらっていった。
「ぐえぇっ!」
ミリオンアイズは社用車とコンクリートの壁に挟まれて押し潰される。
衝撃でワンボックスカーの四方の窓ガラスが吹き飛んだ。さらに衝突の後も社用車は跳ね返ることなくミリオンアイズを強い力で押し込んでいく。その不可視の力は誰も触れていない車体のフレームを勝手にへこませていった。
「あぐぐぅぅ……! やっぱり神は、クソだ……!」
頬をコンクリートの押しつけたミリオンアイズがつぶやく。車のセンターポールが強く背中を押し付け、肺を潰されて満足に呼吸も出来ずに苦しそうに息を吐き出した。
「おい、誰がお前の友人だって?」
少し離れた場所からゆっくりと歩いてくるのは、怪人王ジャスティスイエローだった。
黄色いライダースーツに、丈の長いミリタリーロングコート。高級そうなスポーツサングラス越しに画面を睨みつけるその目は発光する黄色。
歩調は堂々としており、前を塞ぐことなど不可能だと思わせる剛毅な自信に満ち溢れていた。その姿は大ボスとしての風格をいかんなく巻き散らかし、触れたら感電するのではないかと思えるほど激情に満ちている。
そんな怪人王の登場に、プロフェッサーはねじ曲がった微笑みをより深くして歓迎した。
「ようこそ、すばらしい友人よ。遊ぶ相手は多いほど人生が華やかになる」
「そんな火遊びはほどほどにしておけ。私と遊ぶつもりなら感電じゃ済まないぜ?」
「それは実に楽しみだ」
プロフェッサーは静かに愉快そうな笑い声を上げた。
イエローはそんなプロフェッサーの様子に苛立ちを覚える。
そしておもむろに視線だけをワンボックスカーに向け、軽く手を振り払った。ワンボックスカーはその手の動きに合わせて吹き飛ぶように駐車場を横転していく。
するとコンクリートの壁には金属に変身したミリオンアイズが埋まっていた。重々しい金属音を鳴らしながら地面に転がり、金属の体を生身に戻して激しくせき込む。
「げほっ! げふぉっ! うぐぐぅ……!」
「よお、ミリオンアイズ。もうお前に用はないから家に帰ってもいいぞ」
「……俺だって帰れるなら帰りてぇんだよ!」
「ほらよ」
イエローはコートの中から二百万円分ほどの札束を取り出すと、ミリオンアイズの目の前に放り投げた。
「駅裏の地下街にキム・ヤンって闇医者がいる。私の名前で紹介してやるから、その金で除染してもらえ」
「なっ! なんだそれ! いいのか!?」
ミリオンアイズは驚愕しながらも札束を拾い上げた。そしてやや体をよろめかせながらも立ち上がり、期待に満ちた視線をイエローに向ける。
イエローはそんな喜びつつあるミリオンアイズを見て、見下すような笑みを見せた。
「もちろんだ。これから先の戦いに小物は不要だ。これくらいの勧誘は別にかまわないよな、プロフェッサー」
「ふむ、残念なことに、アメリカには職業選択の自由がある」
「ありがてぇ! ありがてぇ!」
ミリオンアイズは札束を懐に仕舞うと、片足を引きずりながらも駆け足で駐車場の端に向かい、空中舞台の建築用足場から約三十メートルの高さをためらいもなく飛び降りた。
そしてミリオンアイズの姿が屋上から消えると同時に、一羽の鷹が飛び去っていく。
見る見るうちに大空に消えていく鷹をイエローは眺めながら、右耳のインカムに人差し指と中指を当てて通話を始めた。
「おい、ニーナ、聞いているか?」
「(聞いてるわ? なに?)」
耳のインカムの向こうから、電波の雑音混じりにカフェバー店員のニーナの声が聞こえてきた。
イエローはその音声を確認すると即座に話し始める。
「ドクター・ヤンに連絡してくれ。ミリオンアイズを除染したら、麻酔で眠らせて、あの両目を取り外してからアメリカ大使館に捨ててくるように」
「(あら、かわいそう)」
「別にかまわないさ。仕事を途中で投げ出すようなやつにはお似合いの結末だ」
「(違うわよ。キム先生はゲイのサディストよ。きっと全裸でアメリカ大使館送りね)」
「……ああ、そっちは少しかわいそうだな」
イエローは憐れむような視線を大空に消えた鷹に向ける。
そして再びノートパソコンに向き直った。
「これぐらいは想定の範囲内か? プロフェッサー」
「ふむ、コピーマンズの両目は便利だったから痛手ではある。とはいえもともと私の部下ではなく、金で動くフリーランスに過ぎない。実はもう頼むような仕事もなかったから本国に返してもよかったのだが、どうやらビジネスパートナーとして信頼関係が築けていなかったようで残念だ。しかしアメリカ国民は個人の自由を重視する。彼が自分で決めたことならばそれを尊重しよう」
「このヤロウ。後始末を私にさせる気だな。だがコピーマンズの目は有用だから私が貰っておく。しかしわざわざ私をここに呼びだして何の用だ? 自分から私の情報網にミリオンアイズを引っ掛けたんだろ? その余裕を見る限りそのノートパソコンを破壊しても無意味だろうし、ただの暇つぶしのおしゃべりしたかったのか?」
「暇つぶしか。確かにそうだろうね。人生とは壮大な暇つぶしだ」
「気取った返答はよせ。用事はなんだ」
「退屈しのぎさ。今回は君とお話しをしたかっただけだ」
「死ねよ。年寄りの戯言に付き合うつもりはない。無駄話なら老人ホームの壁に向かってしてろ」
「つれないね」
「だったらさっさと本題を言え。なぜ呼びだした」
「その前に尋ねておきたい。私の目的の予測は付いたかな?」
「……もちろんだとも、このクソ野郎」
イエローはノートパソコンの隣に立ち、天窓からショッピングモールの中を覗いた。
そこでは今、ちょうどヒーロー戦隊とキューティクルズが接触を果たしたところだった。
「お前の本当の目的は、ヒーロー戦隊とキューティクルズで永遠の戦争状態を作ることだ。普通、正義の味方同士で戦うことなど不可能のはず。だが今は互いの陣営に悪の要素を含んだ戦士がいる。怪人とダーク・キューティクル。これらを対象にすればどちらも正義同士で戦うことなく必殺技を放てる。戦争が長期化すれば新たなヒーロー戦隊の誕生もあり得るかもしれない。私というイレギュラーもある程度無視できる。まさかこんなえげつない方法で必殺技を引き出そうとしてくるとは思わなかったぜ。悪の親玉である私を差し置いて、正義の味方だけで技術革新を引き出そうなんてな」
「アメリカではよくあることさ。正義の味方同士で殺し合いも出来ない日本がおかしいのだ」
「それはアメリカが特殊なだけだ。しかしまだ一つだけわからないことがある」
「何かね? 退屈しのぎの謝礼として答えよう」
「誰がお前に怪人の情報を売った?」
「ああ、その件か。……私が答えてもいいが、せっかくその当事者がここに様子見に来ているようだし。本人にご登場願おう」
「なに?」
イエローは背後を振り返った。
すると空から渦巻いてくるように黒い霧が屋上駐車場の一点に集約してくる。その霧は意志があるように吹きすさび、空気中に飛散することなく色を濃縮させて人型を創っていくと、腰をやや折り曲げた老人の姿で現れた。
「プロフェッサー。勝手に人の情報を漏らすな」
それは核シェルターでの決戦時以降、姿をくらませていた兵器開発の専門家にして最古参の怪人。悪魔参謀であった。
その意外な人物の登場にイエローは目を見開いた
「お前は、ジョージ・マッケンジー!」
「城島健二じゃ! わしの名前を変なところで区切るな!」
「知るか! だがどういうことだ? お前は確かにあの最終決戦で私が確かに首を……。いや、そういうことか!」
「そう、トリックじゃ。わしは体を霧にすることができる怪人。あの地下シェルターでおぬしに首を切り落とされた瞬間、消滅するのではなく霧に姿を変えていた」
「くそっ! 確かにあの時、お前の魂を封印したとジャスティスアックスはアナウンスしていなかった!」
「伊達に長生きをしておらんのでな。死んだふりはわしの十八番よ。さすがに魂を感電されながらは骨が折れたが、意識を分散させて離れた場所で時間をかけて復活することは可能だった」
「何気に不死身系だったか。だがわからねぇ、なぜ怪人を裏切った」
「理由など簡単なこと。深淵の暗闇がなにを元にして生まれたのか、おぬしは忘れたのか?」
「深淵? ……そうか、それが報酬か!」
「そうじゃ。かつてもっとも世界征服に近付いた怪人王、グレゴーリルの復活。あの男以上の怪人王はこれまでにおらず、これからも現れぬことじゃろう。目的はただ一つ、世界征服。最強の秘密結社・暗黒十字団の復活じゃ!」
「くだらねぇ! オーパーツレッドに封印された雑魚になにができる! もうお前らの時代はとっくに終わったんだよ!」
「いいや、野望に終わりはない! 暗黒十字団はいまだに太い根を残しておる! さすがに政治家はほとんどが代替わりしてしておったが、かつて世界を影で支配した経済界大物の会議、三百人委員会のメンバーがいまだ数多く生き残っておった! グレゴーリルが復活して再び旗を上げれば、世界を牛耳る権力の力が我ら暗黒十字団の元に再び舞い戻ってくることじゃろう! そこにいる副大統領もかつては三百人委員会の一人だと知れば、その強大さがたやすく分かるはず!」
「なんだと! じゃあ、こいつの目的も!?」
イエローは振り返り、ノートパソコンの画面に映るプロフェッサーを見た。
「おっと、待ちたまえ。誤解の無いように言っておくが、私は別にグレゴーリルの信者ではない。グレゴーリルとはただのビジネスパートナーだ。インサイダー取引のね。グレゴーリルの最終目標は怪人による世界の支配。怪人では無い私はその世界での支配者階級になれないのだよ」
「だったらなぜだ?」
「世界征服が達成されない限りは悪党にとって有益だからさ。だから復活の邪魔はしない。だからといって対価もなしに協力もしないがね」
「お前は怪人王復活の儀式の情報を報酬をエサに、こいつから怪人のスケジュールを聞きだしたのか?」
「いいや、彼と私は旧知の仲さ。ただの対等な情報交換を行ったに過ぎない。あの悪性概念フィルターをすり抜ける手伝いをジョージにしてもらい、その見返りに世界のシークレットデーターを提供した。かつての栄光ある怪人王はいまだに世界の悪党に人気でね」
「……っち! 老害どもめ」
イエローは忌々しげに舌打ちをした。
その瞬間だった。ノートパソコン背後の天窓が、衝撃力のある光と紙吹雪混じりの爆風に押し出されて一斉に吹き飛んだ。
「おっと、どうやらキューティクルズとヒーロー戦隊は見事に戦争状態に入ったようだ」
プロフェッサーがのんびりと答えた。爆風の衝撃でモニターが一瞬だけチラつきを見せる。
「こうなってはもはや手遅れ。ところでイエローはこれからどうするつもりかな?」
「嫌味ったらしい野郎だな。お前が観測している限り私はヒーロー戦隊の前に出られないことを知っているだろう?」
「だからこうして聞いているのだよ。何か作戦は用意しているのかね?」
「……ふん。なにもない。今回の件はかなりのリスクを負って初動妨害作戦をとったが、やはりそこが限界だ。シナリオの綻びにレッドが気付くことを祈りつつ、……そうだな、このノートパソコンにハッキングでも試していようかな?」
「ふむ? ハッキングは構わないが、このノートパソコンは国防総省仕様の侵入防止システムを搭載している。さすがに退屈するのではないか?」
「そうだとしても、ただおしゃべりするよりはましさ。本当はそこの悪魔参謀を処刑したいところだが、ここで変身するわけにもいかないし、再復活防止策を用意していないからな」
そうイエローは言うと、ノートパソコンの画面のタッチパネルを操作し始める。
それに合わせてプロフェッサーのテレビ電話の画面は縮小されて右上に追いやられた。
同時にイエローはマルチウィンドウを表示させ、そのノートパソコンのスペックとセキュリティーの内容を確認していく。
「……っち。やはり半自立分散型か。私ではクラッキングは無理だな。あわよくばお前のサーバーに嫌がらせぐらいしたかったんだが」
「本職ハッカーでも不可能さ。自慢になってしまうがそのノートパソコンは……。む? ……これは、意外な部外者も来てしまったようだね?」
「なに?」
イエローは背後を振り返った。
「ぬおっ!?」
ジョージ・マッケンジーも振り返ると、いつの間にか黒いハードレザーのロングコートの男が背後に立っていて驚愕した。
ジョージが飛び退くように道を空けると、ロングコートの男はジョージを一瞥してその隣を通り過ぎていく。
「クロス!? なんでお前がここに!」
イエローもまた驚く。
クロスは赤い双眸を僅かにイエローに向けるが、あまり関心も示さずノートパソコンに向かって歩いて行った。
「ふむ、君は、キューティクルズのボディーガードだね。出生記録を調べさせてもらったが、その見た目以外はごく一般的な市民だったようだね。悪いことは言わない、ここは特にスーパーパワーを持たない一般人が来てもいい集まりではないのだよ。活躍したい気持ちは分かるが、どうか観客席に戻っていて――」
クロスは無言のままイエローを押しのけてノートパソコンの前に立つと、おもむろにポケットからUSBメモリーを取り出してノートパソコンに接続した。
するとノートパソコンの画面がプロフェッサーの通話画面を残して真っ黒に染まる。数秒の読み込み時間の後、無数の白い文字列が高速で上から下に流れた。
「おや? これは、超軽量型のウイルスプログラムかな? 見たこともないマルウェアだ。君が作ったのかね? だがこの内容のプログラムだと、防衛システムの前で立ち往生を……」
そこまで言い掛けて、小画面の中のプロフェッサーは言葉を詰まらせた。
「む? これは、ペンタゴンのサーバーからか……。このタイミングで、DDoS攻撃を……。ふむ、連携を取らせるとは見事なプログラ――っ! ああ、これはまずい」
プロフェッサーは画面の向こうで机から立ち上がり、カメラのすぐ脇に手を伸ばして、何かコードを引き抜くような動作を見せた。
その瞬間、ノートパソコンの画面が完全に黒く染まった。そして一秒後、画面中央に“mission failed”(作戦失敗)の文字が浮かび上がる。
「おいクロス、いったいなにをした!?」
イエローがクロスの肩を掴む。
それと同時に、爆竹の破裂させたような小さな爆発が空中の至る所から起こった。
「うおっ!?」
「なんじゃ!?」
イエローとジョージ・マッケンジーはその爆発に反射的に回避行動をとった。
火花を散らすような小規模爆発の連鎖はノートパソコンを中心に広がっていき、周囲の足場や壁に輝く花が咲いて行くような幻想的な景色が広がった。
数秒もすれば爆発する音は遠退き、発生する火花はまばらになっていく。
「なにをしたのじゃ! クロス!」
ジョージ・マッケンジーも困惑した表情でクロスに駆け寄ってくる。
「ムッ……」
クロスは最後の仕上げにEscキーを押すとノートパソコンはあっさりと電源が落ちた。そしてクロスは何事もなかったかのようにジョージ・マッケンジーに振り返った。
「ふっ、ふふふっ……! あっはっはっはっは!」
そんなクロスを見ていたイエローが、突然、笑いだした。
「おい、いま爆発したのはあれか? Dr.バグズに変身したミリオンアイズが作った、汎用型の超小型メタルバグか! あれが爆発したのか! はっはっは! おいクロス! 何やってんだお前! いきなり全部解決しちまったじゃねえか! あははは! おいおい! これは笑うしかねえ!」
イエローは腹を抱えて笑いだした。どうにも笑いを止めることが出来ないようで、自分の膝を何回も叩いている。
「な、何じゃと!?」
ジョージ・マッケンジーは信じられないようなものを見る目でクロスを見上げた。
「こんなコメディありかよ! なんだお前、チートか! 真面目に情報戦してた私がバカみたいじゃないか! どうやって事情を知った? いきなりこっち側に参戦して来たあげくに、たったの五秒で大悪党の計画全部崩壊させやがって!」
イエローが尋ねると、クロスはすでに用意していたメモを取り出してイエローに手渡した。
『インテリジェンス・コミュニティーのサーバーをハッキングした』
「インテリジェンス・コミュニティー!? CIA(中央情報局)の管理するサーバーじゃねえか! アメリカのすべての情報が集まる最強のサーバーにどうやって侵入したんだ?」
するとクロスはその質問も予期していたかのように、もう一枚メモを手渡す。
『まずはアメリカ国防総省をハッキングした。そのサーバーはオンラインからのジャンクデータの削除の際に ほんの数キロバイトだけデータの逆流が起こっていた。それを利用して向こうのサーバー内でワーム・プログラムを組み立てて起動。バックドアを作らせた。あとのハッキングは簡単だった』
「……なんだそりゃ? こんなことが可能なのか? ゴミ捨て場に爆弾を放り投げて、その爆風で精密機械を組み立てるような神業じゃねえか」
イエローが半笑いになって尋ねると、クロスは新たに一枚のメモを書き足した。
『コンピューターの世界に ランダムなんてものは存在しない』
「……ふはは。そう言われたらもう本当に笑うしかねえな! なんだよ、そんな芸当が出来るなら最初から言ってくれよ! それなら私もいろんなことに頭を悩ませなくて済んだのによ!」
『お前を含めて 人の話を聞かない人間が世の中に多すぎる』
クロスはため息を吐くような視線を向けながらそうメモを書き足した。
「なんなのじゃ! どうしてこのようなハッキングが出来た! わしにもそのメモを見せろ!」
「おっと、やだね!」
ジョージ・マッケンジーがイエローに向けて手を伸ばし、イエローはその手を振り払った。
「これでお前の計画もご破算かな? いや、まだ破算はしていないか。だが、だいぶ計画に支障は出るだろうな。これでプロフェッサーの日本での足掛かりは無くなった。これから目を付けられるだろうから再侵入も難しいだろう。一瞬で後ろ盾を失ったみたいだな。どうするんだよお前、明日から私に追われる身だぞ?」
「うぐぐ……。いたしかたない。今回の件からは手を引こう。だがわしの協力者はプロフェッサーだけではない。組織力ではまだおぬしより上じゃ」
「負け惜しみを。どうせ膨らませた深淵の暗闇を回収する予定だったんだろ? 次回のチャンスがいつ訪れるか分からないぜ?」
「この絶好の機会を見過ごすのは手痛いが、日本に散らばるグレゴーリルの因子はなにもシャドウだけではない。第二第三の作戦はすでに用意しておる」
「それは私に対する宣戦布告か?」
「世界に対する宣戦布告じゃ」
ジョージは腕を組んで背筋を伸ばした。その姿勢は変身した後の悪魔参謀の姿に近く、若返ったのかと見間違えるほど堂々とした立ち姿だった。
「わしから言わせれば、おぬしなぞ正義の味方ではない。子供のごっこ遊びに過ぎん。わしは霧の怪人じゃ、心ある限り何度でも地面から立ち上がってくる。お前ごときの正義にわしの心は折れない」
「そうかい。だったら何度でも立ち上がってこい。お前が悪の怪人である限り、何度でも無様に敗北させてやる」
「ふん! 何が悪じゃ。おぬしも同じ穴のムジナよ」
「いいや、私はまだ正義の味方さ」
「それこそ昔のわしと同じじゃよ。かつて大日本帝国軍の若手将校だったわしと同じ。後の時代に悪と呼ばれることに気付かない、バカな正義の味方じゃ」
「……それは、……どうだろうな」
イエローは珍しくも口ごもらせて答えた。
「すべては時代が結論付ける。わしはグレゴーリルが支配する世界に真の正義を見た。無敵の怪人たちが全てを管理する、平和と安全が約束されたグレゴーリルの千年王国。戦争を知らぬおぬしにこの理想は理解できまい。今日はここで撤収するが、いずれまた逢おう、怪人王ジャスティスイエロー。次はこのようなバカげた事件の解決など起こらぬと思え。悪魔参謀の策略は無限に続くのじゃからな!」
ジョージは一瞬にして霧散した。黒い霧が瞬く間に拡散していき、すぐに可視が不可能なほどの濃度にまで薄まっていく。
「……っち」
イエローはそんな消えてゆくジョージの姿をなんとも言えないような表情で見ていた。眉をひそめているが苛立っているわけでも敵意を向けているわけでもない、何かを深く考え込んでいるような表情だった。
そんな時だった。ノートパソコンが再起動し始めた。
「なんだ、なぜ電源が付けた」
イエローは再びディスプレイに光が灯ったのみて、クロスに尋ねるように言った。
だがクロスはなにも答えない。
電源が入ると画面は真っ黒なままだ。だがその中央部に中画面程度のウィンドウが開き、再び映像が映し出された。
「ふむ、このテレビ電話の機能だけを復旧可能にしたのは、君なりの温情かな?」
映ったのはプロフェッサーだった。今は画面に映っていない手元のタッチパネルらしき場所をタップしたりスクロールしたりと、せわしなく指先を動かして復旧作業をしているようだった。
「驚いたな。君の最初に放ったウィルスが呼び水になって、CIA(中央情報局)にNSA(国家安全保障局)。さらにはDIA(国防情報局)にNRO(国家偵察局)、FBI(連邦捜査局)までもが一斉に私に対してDDoS攻撃を仕掛けてきた。君はマイケル大統領のエージェントだったのか。完全にだまされたよ。しかしこの仲の悪い連中をよく統一させることが出来たね。マイケルはどうやったのだ?」
プロフェッサーは手を休めることなく笑顔を見せてクロスに尋ねた。
クロスはノートパソコンにコマンドを打ち込み、画面左上に小さなウィンドウを開くと、そこに日本語で手早く文字をつづった。
『余計な勘違いはしないでほしい 私は無関係の一般人だ』
「無関係……?」
プロフェッサーの手が痙攣するようにぴたりと止まった。
「ああ、こいつは確かに無関係だよ。ほら、こいつの手順書を見てみろ。笑える内容が書かれているぞ」
イエローは先ほどクロスに渡されたハッキングの内容のメモをカメラに向けた。
そのメモをプロフェッサーは数秒かけて精読すると、手元の復旧作業を中断させて机の上で手を組んだ。
「……にわかには信じがたい内容だ」
プロフェッサーは笑顔を固めたまま絶句した。
「今回のサイバー攻撃は全て君が仕組んだものなのか? どうやって私の存在に気付いた?」
クロスは再びキーを打ち込んで答える。
『CIAのサーバーに記載されていた』
「……なるほど、マイケルめ。私に関する情報をぎりぎりオンラインでも閲覧可能なレベル2に設定したな。ひどい嫌がらせだ」
プロフェッサーは片手で机を操作して何かしらの情報を確認していた。
そしてすぐに視線をクロスに戻すと、親しげな笑みを見せて尋ねた。
「ちなみに、今回のサイバー攻撃は君個人がハッキングして行った独自のものなのかな?」
『そうだ』
クロスの返答は短い。
それを確認したプロフェッサーは、再び指を組んで笑顔を作ると、クロスを真っすぐに見て言った。
「そうか……。では、どうかね? 君をアメリカに招待したいのだが? 国家予算の一割を報酬として出そう。私が大統領を説得する。もちろん一級市民権も用意しておく。望むならすべてのシークレットデーターへのアクセス権、あと無課税特権、ニューヨークに広大な土地と豪邸もだ。ああ、思いつく限りの報酬を言ってくれ。なんだって用意する。アメリカンドリームに興味はないかな? 君はアメリカに必要な人材だったようだね」
『協力するつもりはない』
クロスは断固と拒否した。
「君にだって欲はあるはずだ。もしや地位や名誉ではなく、お金では用意できない友好関係や信頼が欲しいのかな? それならば日本では駄目だ。君のような見た目の人間を誤解して評価してくれないだろう。アメリカは君の実力を適切に評価する。グロテスクな顔だからって差別なんてしたりしない。誰もが君を賞賛し、共に仕事をしようとすることだろう。ああ、全身整形もしたい時は私が手配しよう。むしろ私が責任を負って君の手術をアシストしてもいい。最高の医療を提供するよ?」
「……」
クロスは無言で、Escキーに手を伸ばした。
「ああ、待ってくれ、強制終了はやめてくれ。申し訳ない。気を悪くしたのなら謝る」
プロフェッサーは机に頭を付けるように謝罪した。
「ははは、いい気味だな。さっきまで余裕を持っておしゃべりしてた悪役とは思えないじゃないか」
「なんとでも言えばいい。プライドの為にこのような逸材を見逃すわけにはいかないのだ」
イエローのあざけりにプロフェッサーは不機嫌そうに返した。
そんな二人の様子を感慨も見せずにクロスは見ていた。そして無感動そうにメモに新たに文字をつづり、それをイエローに見せた。
『すべての問題がこんなふうに コンピューターを操作するだけで解決すれば楽だった』
クロスはそのメモをイエローが読むのを確認すると、すぐにノートパソコンに背を向けて歩き出した。
「おいクロス! どこに行く気だ?」
イエローが呼びとめる。
するとクロスは振り返り、メモに再び書いて見せた。
『下の問題も解決させてくる』
クロスは屋上駐車場の出口に向かっていった。
振り返ることなく歩き、ポケットから事務所の鍵を出して確認すると再びポケットに戻し、穏やかな歩調で移動して行く。
1882年制作の戯曲【民衆の敵】にはこのような名言がある。『この世で一番強い人間とは、孤独でただ一人立つものなのだ』、と。クロスの後ろ姿はまさにその彼の者であった。