第十五話 深淵より紡がれるキューティクルズの闇 発露する真実のノクターン
「あれ……。ここは……?」
アカネは暗闇の中で目を覚ました。
身を起して周囲を確認すると、なにもない黒いだけの空間が広がっている。床はあるが地平はなく、どれほど遠くを見やってみても何もない。腕を伸ばしてみるが地面以外に触れることのできるものはなにもなく、ここが閉ざされた狭い空間なのか地球より広い異空間なのかすら見分けがつかなかった。
だが一切の光源ないにもかかわらず、自分の腕や足はしっかりと色まで視認できた。いまだアカネはパジャマ姿のままだ。相当時間が経っていたのか、内股の湿り気はもうほとんど乾いている。
「暗い……、いや、明るいの? ……ミドリー! ミドリ、いるのー!?」
アカネは力強く叫んだ。しかしその声は反響しないで消え去っていく。言葉が一切エコーすることはなく、その音響はまるで現実のものと思えなかった。
まるで深海にでもいるかのような錯覚すら感じた。もしこの世界に一点だけでも灯があれば、その先にチョウチンアンコウの鋭い牙があったとしても駆け寄っていってしまうだろう。
時間の感覚もなく、一分が一時間に感じられるような肌寒い暗闇。こんな空間にいては餓死するよりも先に、発狂して自己確認のための自傷行為の繰り返し失血死することになるだろう。
そんな無明たる闇の中で、幸いなことに、アカネの背後から声が聞こえた。
「目覚めましたか。おはようございますアカネさん」
「ブラック!?」
アカネは周囲を見回し、背後に立っていたブラックキューティクルに気付いた。
ブラックはダーク・キューティクルの衣装のまま、四本の傷跡のある端正な顔にいつもと変わらぬ不機嫌そうな表情を浮かべてアカネを見ていた。
「これはどういうことなのブラック! ここはどこ!?」
「ここは深淵の暗闇……。その内部です」
「深淵!? そんな、あのシャドウを生み出す深淵の暗闇は、最終公演の時に浄化できたんじゃなかったの!?」
「いいえ。深淵は多くの闇を失いましたが、そのコアは私の中に残っていました。この闇の世界は、ダーク・キューティクルの力を取りこんで生まれた新たな深淵です。……素晴らしいでしょう。傷つける他者も、守るべき義務もない。本当にやさしい世界」
「こんな世界、私は怖いよ! こんな暗闇なんて……!」
「ここが怖いですか。本当にうらやましいですねあなたは。私は光のある場所だと傷つけられるばかりだったというのに。……だからこの世界を、あなたに見せたかった」
「一体何が目的なの! どうして私たちを裏切ったのブラック!?」
「私は裏切っていません。私はキューティクルズの為に戦っているのです。もちろんアカネさん、あなたの為でもあるんですよ」
「私の為?」
「ええ、アイドルはより輝くとファンが増えることは聞きましたよね。では、より輝くためにはどうしたらいいか……。すでに最後にして最強の敵である深淵は一度倒されてしまい、これから先、私たちはアイドルとして頭打ちを迎えて没落していくしかない」
「そんな……そんなことない! たとえシャドウがいなくても、一生懸命頑張って、もっといい歌を作ればいいんだよ! そうすれば、シャドウがいなくても私たちは輝ける」
「そんな努力は無駄です。私たちはキューティクルズだったからアイドルとして成功を約束されていた。その役目が終わったら、輝きが失われていくのは必然なのです」
「どうしてそんなことが言い切れるの!? 未来のことなんてわからないのに!」
「それが現実だからですよ。……そうですよね、ローズさん」
「えっ! ローズさん!?」
アカネは急に背後に人の気配を感じ取り、振りかえった。
「そうね、アカネさん。ブラックの言う通りよ」
「ロ、ローズさん……」
アカネは背後に立っていた赤いポニーテールの女性を見て驚いた。
そこに立っていたのは、変身していない私服姿のローズだった。
「え……、い、いえ違う! あなたはローズさんじゃない! その目は、シャドウ!?」
ローズの目を見て気が付いた。その両目が、静かな光を放つ黄金色に輝いていたのだ。よく見れば暗い空間なので分かりにくいが薄い影のオーラのようなものも放っている。
だがローズは黄金色の目で空中に黄色い残滓を残しながらも、首を横に振って否定した。
「いいえ、残念なことに私はローズよ。確かにシャドウでもあるけれど、本物の私も今ここにいる。そもそもシャドウとは表裏一体の存在、どちらが表でどちらが裏かなんて、考え方次第でいくらでも替えられるものなの」
「でも、その目は……」
「それは表の私とシャドウが重なってしまっただけ。気になるのなら、こうして分裂しましょうか?」
そう言うとローズの瞳から黄金色の輝きが抜け落ちていき、黒い影も体から離れていく。すると少し離れた場所で影は集約していき、ゆっくりと実体を形成して悪魔崇拝の偶像のような鹿頭のシャドウが現れた。
「そのシャドウ、見間違いじゃ、なかったんだ……。ローズさんのシャドウ。どうしてそのシャドウで、私たちを襲ったんですか?」
「ごめんなさいね。襲うつもりはなかったの。変身できなくなったあなた達をこの世界に導くつもりでいただけ。まあ、誘拐という形でね」
「な、なんで誘拐なんて……」
「怪人の仕業に見せかけるためよ。私のシャドウは怪人のデザインに近かったから」
「どうして、そんなことを!」
「私の為でもあり、あなた達の為でもあり、キューティクルズの為でもある」
「キューティクルズの為?」
「ええ、そうよ。ある程度古いキューティクルズのみんななら全員理解しているわ。アカネさん、後ろを振り返ってみて」
そう言われるとアカネは振りかえり、背後の闇の中に複数人の女性がいることに気付いた。
黒っぽいエプロンを付けた二十代後半くらいの女性。彼女は変身を解いたトリガーハッピー・キューティクルだった。
その隣には白いスーツを着用した同年代のスマイルキラー・キューティクルズもいる。
二人の変身を解いた姿にはギャングらしさはなく、ごく普通の一般人の姿をしていた。
その隣にいるのはメタリック・キューティクルズの赤いアンドロイドと青いサイボーグの二人組だった。
機械に改造されたという過去をもつ為、変身している今の姿がスタンダードの状態だ。一応生身の人間に光学迷彩で擬態できるらしいが、今は行っておらず、本来の姿のままでそこに立っている。
その隣にいるのはオーロラ・キューティクルズの三人組だ。
シアンは宇宙服を着た二十代女性。マゼンタはテレビでもよく見るタレントで服装のまま。イエローは病院のベッドに横たわっており、生命維持装置の無数の管に繋がれてガリガリにやせ細っていた。
三人とも中学生的な見た目だった変身後と比べると、だいぶ年を取った成人女性の姿だった。
なんでもオーロラ・キューティクルズは空にオーロラが輝くとシャドウの元に導かれるらしく、実は三人とも国境をまたいで遠く離れた場所にいるらしい。素顔の状態で三人が顔を合わせる機会が年に数回ほどしかないという、キューティクルズの中でも珍しい存在だった。
そしてそれらのキューティクルズのメンバーはもれなく目を黄金色に輝かせており、体からほのかに影色のオーラを漂わせていた。
「ど、どういうこと!? ギャングスター・キューティクルズのお姐さん達に、メタリック・キューティクルズと、オーロラ・キューティクルズまで!?」
「みんな私と同じよ。私たちはみんなキューティクルズの未来を憂えているの。そして真実を知っているから、こうしてシャドウを受け入れている」
ローズは少しばかり重々しい口調で言った。アカネがローズを再び振り返ってみるのを確認するとさらに続けて話し始めた。
「ねえアカネさん、どうしてキューティクルズは輝いてこれたのだと思う?」
「えっ? そ、それは、私たちが、輝く宝石だからだって……」
「それはね、建前なの。実は私たちが輝いてこれたのは、シャドウのおかげなのよ。影が濃くなるほど私たちは光を強めていく。だから実は、私たちは私たちだけで輝けない存在だった。影が濃くなれば濃くなるほど私たちは強くなる。光をあてると強くなるのは、その背後に強い影ができるから。暗ければ暗いほど逆説的に私たちが輝いて見えるのよ」
「そんな……」
「すべての正義の味方はそうかもしれないわね。そもそも悪が先立って存在しないと成り立たない。皮肉なことに、平和な世界では私たちは輝けないの。平和のために戦っていたはずなのにね?」
「で、でも、世界が平和になったのなら、それはいいことじゃないんですか?」
「言ったはずよ、私たちの輝きは人気と連動する。それが現実だった。私は十年以上前にそれを思い知ったの」
ローズはうつむいた。それに合わせて鹿頭のシャドウも同様にうつむいて手で顔を覆う。そして、重苦しそうな表情で過去を語った。
「私たちが唯一のキューティクルズだったころ、がむしゃらにファッションの先鋭化を目指して頑張っていたわ。まだキューティクルズという前例もなく、日に日に強くなるシャドウに私たちはとにかくファッションの力を高めることで強くなろうと努力していた。気がつけば私たちのファッションはブランドになり、立ちあげたジャスミン&ローズ社は日本最大のアパレルブランドになっていた。あの頃は黄金時代だったわ。いつまでも私たちはファッションリーダーで、永遠にスタイリッシュな服を作っていられると思っていた。でも、いざ私たちの時代の深淵の暗闇を倒し、シャドウが消え去ると、私たちは会社の経営に追われる事となったの。戦うことも無くなって人前に出なくなると、目に見えて会社の業績は落ちていった。しばらくはトップを走り続けていたけど、やがて才能ある後続企業が出てくると永遠のファッションリーダーは不可能だと悟った。それでも、変身するたびに会社の業績は上がったわ。それは新しいキューティクルズが生まれた時。シャドウが現れたときだけ。そんなとき数年ぶりに変身すると、変身している時の姿がどれほど素晴らしかったか気付かされたわ。若くて自信に満ちていた私は、自分で言うのもあれだけど、スタイリッシュだった。あの姿を見ていたら誰だって憧れるわよね。でも、もはやどうしようもない。変身を解いた私は、法令線の浮かぶおばさんだもの。会社の業績が伸び悩むのも当然だったのよ」
ローズは視線を落とすと、自分の手の甲にうっすらと浮かぶ青色の静脈を見た。そしてほほに浮かぶ法令線を指でなぞる。それはどれだけアンチエイジングを重ねても消す事の出来なかった加齢の証明だった。
もっともローズは三十代後半なので、原因は加齢よりも第一線で戦い続けてきたストレスの方がはるかに影響している。キューティクルズとして頑張れば頑張るほど老化はひどくなっていった。
そんなローズを支えたのは、変身した時の自分の姿と、会社の業績だったのだ。
「私たちには強い敵が必要なの。輝くために必要なことは磨くことじゃなかった。濃い影と、それを生み出す強い光。それがより輝くコツだった」
「でもそんなの、自分勝手すぎます! 私たちは、力の無い人たちをシャドウから守るために戦っていたはずです!」
「……それもね、すべて作られたものなのよ。ねえ、ブラック、アカネさんに教えてあげて」
「ええ、わかりました。アカネさん、キューティクルズの成り立ちについて教えましょう」
ブラックがローズの隣に立つと、静かに丁寧な口調で説明を始めた。
「そもそもキューティクルズもシャドウも、意図的に作られた存在だったのです」
「えっ!?」
「ヒーロー戦隊の必殺技が技術革新を起こしたことはご存知ですか? ヒーロー戦隊は進化するごとに意図せず核兵器や革新的医薬品のといった未来の技術を生み出していたのです。その技術革新に着目したアメリカが、独自に生み出した第二のヒーロー戦隊がキューティクルズです」
「そ、そんな話、聞いたこともない!」
「もちろん極秘ですから。かつてオーパーツレンジャーと戦っていた怪人王、グレゴーリルの悪のコアのかけらを回収、培養し自立させたものが、すべてのシャドウの始まりとなった初代の深淵の暗闇です。そこにアメリカの資本を受けキューティクルズは発足しました。ちなみにローズさんを含め初期のキューティクルズにアメリカの地名が入っていたのもそれが理由です。しかしキューティクルズは魔法系で、どれほど敵が強くなっても技術革新は起こりませんでした。いずれの肉体強化も銃器の製造も全て魔法系の能力で、ヨーロッパで発生した魔法技術を超えることもありません。テコ入れされて機械に改造された四代目のデトロイト・メタリック・キューティクルズでもそれは変わらず、アメリカからは見放されてキューティクルズは独立することになる事となりました。それからはあまり政府の介入もなく独自に進化していき、今に至ります」
「ちょっと待って! それじゃあ、ブロードウェイ・スーパースター・キューティクルズの私たちは?」
「気付きましたか? そうです、私たちは十年ぶりにアメリカ政府の介入があって生まれた存在」
「どうして今になって? 私たちの魔法は役に立たないんじゃなかったの?」
「それはヒーロー戦隊に怪人王ゾシマというイレギュラーな存在が生まれたからです。怪人王ゾシマはヒーロー戦隊の技術革新を止めるために動いていたので、もしヒーロー戦隊の進化が止まればそれは世界にとって大きな損失になる。それを防ぐための介入手段としてキューティクルズが選ばれた。日本はヒーロー戦隊関連に政治介入される事をとにかく嫌っていますから、アメリカがかつてつながりを持っていたキューティクルズだけが唯一ヒーロー戦隊にちょっかいをだせる存在だったわけです」
「まさか、そのために私たちはキューティクルズになったっていうの!?」
「ええそうです。もちろんそうでなければ、もともと中小規模だった私たちの事務所が最初からあんな莫大な広告宣伝なんてしてくれませんでしたよ? すべてアメリカの資本のおかげです。ですから音楽不況の中でも短期間のうちにあなた達はトップアイドルまで上り詰めることができました。その後の人気はキューティクルズとしての輝きが支えてくれるので維持も楽だった。才能も努力も関係ありません。顔がよかったから、ただ、それだけです」
「そんな……」
アカネは信じられないように視線を落とした。
すべての努力は無駄だった。すべて仕組まれた栄光だった。たしかになんで私なんかが、と、思う日も多かったが、いざ自分に才能なんてなかったと突きつけられると、信じられない思いだった。
そんなアカネの様子に感慨も持たず、ブラックは淡々と説明を続けた。
「今回の私に与えられた使命は、ヒーロー戦隊に必殺技を使わせることです。ヒーロー戦隊はついに怪人と仲良くなろうと方針を改めてしまい、このままでは技術革新が永遠に起こらなくなってしまう。怪人とヒ―ロー戦隊を仲違いさせることは難しくなっているので、そのため私たちは怪人に喧嘩を売って来ることになりました。とにかくどのような形でも現状を変更しなければならない。これからどうなるかはほぼほぼ未定ですが、キューティクルズが怪人と戦いヒーロー戦隊がシャドウと戦う流れにするか、もしくは怪人とヒーロー戦隊の合同チームとキューティクルズが戦う形に持っていく予定です。いずれにせよ、戦わずに済む未来は無くなるはずです」
「そんな、ヒーロー戦隊と戦うなんて、私はしたくないよ!」
「そう言うだろうと思って、怪人に扮したローズさんのシャドウで襲ったんです。この事実を知っているのはここにいるキューティクルズだけですから。怪人に襲われたと勘違いさせて、この街に呼び寄せた他のキューティクルズに怪人を襲わせ、そしてヒーロー戦隊を引っ張り出して戦争する。当初の予定していたシナリオと比べてずいぶんと雑な展開になってしまいましたが、それでも目的を果たすためならば充分でしょう」
「そんな仕組まれた戦いなんて、誰が喜ぶの! 誰も何も得をしない! そんな戦いは、キューティクルズのするべきことじゃないよ!」
「ではメリットの話をしましょう。ヒーロー戦隊という強敵と戦うことは、私たちキューティクルズの輝きを強める最も手軽な方法です。ヒーロー戦隊とキューティクルズが戦うとなれば、イベントには満員以上の観客が押し寄せることでしょう。そのために今回のイベントを企画したのですから」
「それって、次のショッピングモールでのライブイベントの事!? あれはヒーロー戦隊と戦うためのものだったの!?」
「ええ、そうです。怪人王イエローというイレギュラーのせいで企画を前倒しすることになりましたが、一度ヒーロー戦隊と戦争状態になればこちらのものです。ヒーロー戦隊はキューティクルズを相手に必殺技を使わざるを得ず、キューティクルズは強敵と戦うことで再び栄華を築き上げることができる。さらにはその成功報酬としてアメリカでの興行とそのための莫大な広告宣伝が約束されています」
「ア、アメリカ公演!?」
「ええ、魅力的な話でしょう? アイドルとして広告まで出してもらえるならこれに飛びつかない理由はありません」
「……でも、そんなの、やっぱり自分勝手すぎるよ! そのために無関係のヒーロー戦隊の人たちを巻き込むなんて!」
「だとしても、やらなければならない理由なんてたくさんあるんです。そうですよね、みなさん?」
ブラックは視線を動かし、アカネの背後にいた他のキューティクルズ達を見た。
「はーい、そうデス。どうしてもヒーロー戦隊とは戦わないと駄目なのデス!」
「あなたは、アンドロイド、さん」
「ゼロワン、って呼んでもらってもいいデスよ?」
赤いアーマードドレスのアンドロイドが、胸に描かれた[01]の印字をコンコンと指でつついた。
そしてアンドロイド・キューティクルは、唇の動かない構造ゆえに喉元のスピーカーから声を鳴らして答える。
「私たちは、ヒーロー戦隊の技術革新が無くなったら、困るのデス」
「え? 困るって」
「だって、私とゼロツーは機械デスよ? 技術が良くならなければ、アップグレードも出来ません。成長だって出来ないんデス。こうして人間の心をもつことが出来たのも、フューチャーレンジャーの技術革新のおかげデス。デスがまだ、食事を取ることも出来ません。睡眠をとることも出来ません。それどころか、唇が動かないから笑うことすら出来ないんデス。感情があるのに、デスよ? 私の夢は人間になることデス。ファイトレンジャーのおかげで関節の動きは良くなりましたし、スポーツレンジャーのおかげで泳ぐことも出来るようになりました。デスが、まだまだ人間には程遠いデス。私のように、ヒーロー戦隊の技術革新を心待ちにしている人もいるんデス! いつか私は、自分でお腹を痛めて赤ちゃんを作れる日が来ることを心待ちにしているんデス!」
アンドロイドは少々大仰な動きを交えながら、表情を作れない顔の代わりに体の動きで感情を表現しながら話した。
さらにはその隣のゼロツーと呼ばれた青いサイボーグも、ゼロワンに続いて話し始める。
「アカネさん。確かに自分勝手かもしれません。ですが、それでもヒーロー戦隊に戦ってもらうつもりです」
「ゼロツーさん……」
「私には彼氏がいます。交通事故で死ぬ前の頃の彼氏です。もう十年も昔の話になります。互いに中学生でありながらも、本気で恋しあっていました。そして私がサイボーグになって生き返った後、彼はこの事を知らなくても、毎年、約束の日の約束の場所で、ずっと待っているんです。モテるのに彼女も作らず、大学生になっても社会人になってもずっとずっと。ですが私は、こんな体では会いに行くこともできない。シリコンの唇に、マシンオイルの唾液、泣くこともできず、皮膚の感覚もない。何より問題なのは、私の体には放射性物質が詰まっている。唾液は発ガン性で、血液は高いアルカリ性。抱きしめたら相手を傷つけてしまう機械の体。私の唯一の希望は、技術革新だけなんです」
サイボーグの両目の義眼が強く黄金色に輝いた。その黄金色の輝きの強さは、覚悟の強さなのだと自然と感じられた。
アカネは視線をギャングスター・キューティクルズにも向けた。
「それじゃあ、トリガーハッピーさんも」
「私はそいつ等ほど高尚な理由はないぜ。ただ、キューティクルズとして戦いたかっただけだ」
黒いエプロンを付けた主婦の姿のトリガーハッピーが言う。
「気が付けば26歳になっちまった。キューティクルズになったのが中学生の頃で、その頃は私がまさか一児の母親になるとは思ってもみなかった。だけど私はいつだってトリガーハッピーだ。全部を忘れて、ただ引き金を引いていたい。幸せだが退屈な毎日なんかよりも、硝煙の匂いを嗅いでいたい。ただそれだけのキューティクルズだ」
「でも、家族と一緒にいた時は、あんなに幸せそうにしていたじゃないですか! どうして、戦いなんて!」
「さてな、私にもわからん。幸せだからこそ、余計に殺し合いに引かれるのかもしれないな。まるで二重人格にでもなってしまったかのようだ。主婦としての私と、トリガーハッピーとしての私。だが、はっきり言えるのは、私の名はトリガーハッピー・キューティクルである、ということだけだ」
トリガーハッピーは犬歯をチラつかせて笑い、黄金色の目を凶暴そうに細めた。
そして、隣にいたスマイルキラー・キューティクルに同意を求めるように尋ねた。
「お前だってそうだろ、スマイリー」
「ああ、そうだな」
白いスーツ姿のスマイルキラー・キューティクルズは無感動そうに答えた。
「毎日が退屈なんだろ? そうなんだろ? 26歳、彼氏募集中」
「……おい」
スマイルキラー・キューティクルはトリガーハッピーを睨みつける。その眼光には確かな殺意がにじみ出ていた。
「しかも処女だろ。誰かこいつ拾ってやれよ」
「殺すぞ」
「殺してみろ。そんなんだから彼氏もできないんだ」
「別にかまわない。どうせ私は殺しの世界でしか生きられないんだ」
「はいはい、そーですか」
トリガーハッピーは呆れたように肩をすくめてみせた。スマイルキラー・キューティクルはそれを苛立たしそうに睨む。
さらにアカネは、オーロラ・キューティクルズにも視線を向けた。
すると、オレンジ色の大きな宇宙服を着用したシアン・キューティクルが声を発した。
「私も、身勝手といえば身勝手かもしれません。私はアメリカ航空宇宙局に勤務しています。宇宙開発は冷戦時代をピークに徐々に縮小傾向にあり、あまりアメリカに逆らえる立場ではありません。宇宙の開拓こそ人類の発展には欠かせない技術のはずなのに、今年も予算が縮小される予定です。私は予算の据え置きを報酬に今回の作戦に参加することにしました」
さらにその隣の、テレビでよく見かけるタレントであるマゼンタ・キューティクルもその後に続けて話し始めた。
「わたしは特に報酬とかはないけれど、でも、イエローはそうもいかないから」
マゼンタは隣で病院のベットの生命維持装置に繋がれている、イエロー・キューティクルの姿を見た。
「この通り、イエローは植物状態なの。キューティクルズになる前は天才的な女性ボクサーだったらしいけど、今は変身した時だけしか体を動かすこともできない。そんなイエローに体を動かす機会を与えるためにも、私たちは戦いたいの。そもそもこれを治す可能性があるとすれば技術革新だけ。ヒーロー戦隊には絶対に戦ってもらわないと困るから」
「そんな……戦わなくてもいい道は、ないんですか?」
「きっと、ないわ。ヒーロー戦隊の技術革新はあまりにも大切なこと。それに希望を持っていた幾万の人たちが世界にはたくさんいるのだから。ヒーロー戦隊の背後で生まれた影がキューティクルズなのだから、それを正すことができるのもきっと私たちだけ。争うことが正しい世界なんていやな話だけれど、そんな汚れ仕事をするだけの価値が、この戦いにはあるの」
マゼンタは確かな覚悟をもってしてそう答えると、ブラックに視線を戻した。
全員の視線がブラックに集まり、アカネもブラックに向き直ると、ブラックは宣言するように言った。
「アカネさん、わかりましたか? これが真実です。私たちは今夜、十時半にショッピングモール内部に集結してヒーロー戦隊と怪人を相手に宣戦布告をします。あの場所は強力な自家発電機があり、さらにこの日の為に560個もの光源を屋上に搬入しています。アカネさん、どうか私たちと共に闘ってください。ヒーロー戦隊は歴史が長いので戦士も多く、そこに怪人も加わって勝負を挑んでくるとなれば単純に考えてキューティクルズに勝ち目はありません。そこで切り札になるのは私の深淵の暗闇とあなたの力です。光を力に替えるスーパースター・キューティクルズの能力は青天井。だから私の暗闇で世界を黒く染め、その中であなたは最大光量のスポットライトを浴びれば、理論上最大の、それこそ神にも匹敵する力を得られるはずです。私は逆転の可能性をここに見ています。だから後は、あなたの協力だけ」
「そんな……、私は……」
「もし、協力してもらえなければ、キューティクルズはみじめに敗北することでしょう。本当はこんな真実など知らずに、私のシナリオに騙されていたとしても、あなたには正義の味方として戦ってほしかった。ですがそれももはや不可能。だからこうして、素直にお願いするしかない。あとはあなたがどう感じ、どう決断するかです」
ブラックは背中を向け、何も見えない空間に手のひらを向けた。
するとその空間に1立方センチメートルの球体が現れ、夕暮れ時のショッピングモールの姿を映し出した。
「ここで状況を見れるようにしておきましょう。もし覚悟が決まったら、これを突き破って飛び出してきて下さい。戦いの状況を見て、私が許可を出したらこの窓を破壊可能にしますので」
「待って! ブラック、まだ聞きたいことはたくさんあるの!」
「いい返事を期待してます。では、また」
そう言うとブラックは地面にスッと沈み込むと、硬い床に小さな波紋を作って消え去った。
アカネの背後にいた他のキューティクルズ達も音をたてずにいなくなっており、世界は再び闇に覆われた静寂に包まれていた。
アカネは、しばらく何もない暗闇に向かって、ブラックの名前を叫び続けていた。
その叫びは反響することなくどこかへ消えていく。
暗く、狂気じみた静寂さを湛えたその闇の世界で、アカネは自らの正義を問われた。ブラックに心理的な誘導をされていたとも気付かず、考える時間を与えられる。
仲間という餌を目の前にちらつかされて、孤独に放り込まれるという状況。アカネは自然と、自分の信じた正義を傾け始めて行った。