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ダークヒーローが僕らを守ってくれている!  作者: 重源上人
VS.アイドル魔法少女キューティクルズ編
42/76

第十話 三叉の夜と闇の声! 眠れぬ者たちのポリフォニー!


「……えっと」


 アオバは困惑していた。今一つ状況が呑み込めていない。


 ひとまず、着替え終わった。血まみれのパジャマ姿でいるわけにもいかなかったのでクロスの男物LLジャージの上下を借りたのだ。


さすがに袖も裾もダボダボで腰紐も限界まで絞っている。上着は太ももまで隠してしまいワンピースでも着ているかのようだった。ズボンも普通に履いては時代劇の大名が着る長袴のようになってしまうため、ドーナツのように裾をぐるぐるに巻き上げている。

 正直あまり見た目の良い姿ではなかったがいたしかたない。


 それよりも状況だ。アオバは今、クロスのマンションの廊下で、リビングの扉手前で立ち止まっている。

 ヒーロー戦隊たちは帰ってしまった。今このマンションの一室にはアオバとクロスしかいない。


 アオバにしてみれば、ほんの数時間前までクロスのことを殺人鬼だと思っていた。それがまさかのボディガードだった。

 殺人鬼だと思っていた相手と、今日は一泊しなければいけない。


 いや、おかしい。


 なにかがおかしいと思いながら、アオバは混乱している思考をまとめきれない。


 話の流れに押し出されるままに手渡されたジャージに着替えてしまったが、扉の手前で自我を取り戻していく。


 状況を整理してみた。

 まず、殺人鬼はいい人だった。そもそも殺人鬼ですらなかった。あの見た目でありながら。

 そしてヒーロー戦隊は一切手を貸してくれないことになった。つまり頼っていい相手は殺人鬼だと思っていたボディガードの人だけである。

 アカネとミドリは無事であるらしい。明日になったら集合してくるキューティクルズに事情を説明し、二人を探しに行くという寸法である。

 もし暗いうちにシャドウなどに襲われたとしても、この扉の向こうにいる殺人鬼クロスが守ってくれるので問題ないという。


 そしてやっと違和感に気が付けた。

 アオバは男の人とマンツーマンでお泊まりをすることが始めてだったのだ。それも相手は殺人鬼にしか見えない男性だ。


 違和感の正体は、不安だ。


「(……僕、ホイホイ着替えちゃったけど、大丈夫だったのかな? まさか襲われたりしないよね)」


 時刻はまだ夜。変身できるほどの明るさは無い。

 つまり力まかせに襲われたら成す術は無いということである。室内の照明も消されたら強姦され放題だ。


 一瞬、アオバの思考に、逃走の選択肢が浮かんだ。

 ほんの一歩だけ扉から離れる。


「(……ううん! あの人はボディガードで間違いなかった! パジャマの血は全部あの人の血だもの! ヒーロー戦隊のお墨付きもある! 悪い人ではないはず!)」


 アオバは再び扉に近付いた。


「(怖がっちゃだめだアオバ! 男気を見せろ! 女だけど!)」


 一念発起したアオバはジャージの袖をまくり、ドアノブを掴んだ。


「(深呼吸して……)」


 ドアノブをひねり、膝を曲げ、体を引く。


「(一撃で決める!)」


 アオバはタックルで扉を開けた。


「お待たせっ!」

「オオゥッ!?」


 扉が壁に当たって大きな音を鳴らす。


 チェアに座っていたクロスは驚きで肩を跳ね上げて振り返った。


 クロスは入り口近くのパソコンデスクでなにやら作業している。パソコンの画面には黒い背景のウインドウが複数あり、そこにはコンピューター言語の羅列が並んでいた。そしてウインドウの一つには翼を広げたイーグルのエンブレムが表示されており、インターネット回線に繋いで何やら外国のサイトにアクセスしているようだった。


 それが意味するところはアオバにはわからない。そしてその画面の内容は、今は関係ない。

 大切なのは、不意をつかれたクロスが驚いていることである。

 今後のアドバンテージを稼ぐためにはここで畳みかけるしかないだろう。


「あなたは、クロスさんだったよね! 僕のボディガードなんだよね!」

「ム、ウムゥ……」


 クロスは跳ねた肩が下がりきらないうちにうなずいた。クロスも状況が理解できていない。


「じゃあ僕は雇い主というわけだね! それで間違いないよね!」

「ム」


 再びクロスはうなずく。視線をアオバから外すことなく背後に手を回し、ノートパソコンを静かに畳むとチェアを回転させて正面を向いた。


「なら、僕の言うことは聞いてくれるよね!」

「ムゥ」


 クロスはうなずく。


 アオバは壁沿いに進んでクロスから距離を取りながら室内に入ってくる。まさに目に見えてクロスを警戒している様子だった。


「じゃ、じゃあ、とりあえず正座して!」

「オ、オゥ?」


 クロスは戸惑った。デスクチェアから腰を浮かせかけたような姿勢になるが、すぐに行動には移せない。


「正座! ほ、ほら、正座して!?」

「ウ、ムゥ」


 勢いに押されてクロスはそのままフローリングの床に正座した。

 アオバはそれを確認すると、壁に背中を張り付けた状態で室内の奥まで入ってくる。


「わかった!? 僕は雇い主だからね! その、これから僕は休むけど、変なこと考えちゃだめだよ! 僕は雇い主だから! お金は払えるだけ稼いでいるからちゃんと命令聞いてよ!? だから変なこと考えちゃだめだよ!」

「ム……」


 クロスは床に正座した状態でうなずいた。


 その素直にうなずく黒いロングコートの男の姿はどこかシュールなものがあった。アオバからすれば殺人鬼がまるで人が変わったかのように変貌したようにしか見えなかった。


「えっと、その……。きちんと命令、聞いてくれるよね?」

「ムゥ」


 クロスはうなずいた。

 

「……えっと、じゃあ、命令。……本当はいい人だったって、本当?」

「ム、ムゥ」


 クロスは言葉に詰まりながらもうなずいた。

 アオバはクロスから二メートル離れたソファーに座り、少しばかり警戒を解いて尋ねた。


「そう、それは、嘘じゃないよね? 実は殺人鬼でしたー、なんてオチは無いよね?」

「ム」


 クロスはうなずく。


「じゃあ、大丈夫なのかな? 命令聞いてくれるなら、大丈夫かな?」


 不安そうにアオバは言う。

 それに何か答えようとしたのか、クロスはテーブルに手を伸ばした。


「あ! 動かないで! 命令! 命令!」

「ム、ムゥ……」


 クロスは素直に体を戻した。

 すこし背中を丸めてクロスは縮こまり、控えめにお(うかが)いを立てるようにテーブルの上のメモ帳を指差した。


「あ、メモ帳か。それなら別にとってもいいよ」

「……」


 クロスは再びテーブルに手を伸ばす。


「あっ! 駄目だ!」

「オッ!?」

「メモ帳に名前を書いた相手を麻痺させることが出来るんだったよね! 僕を麻痺させて何かする気だった!?」

「オゥフッ!? オゥオゥオゥ!?」


 クロスはブンブンと首と手を振った。否定のジェスチャーである。


「うう、でも、メモ帳とかないとなにも会話できないよね?」

「ムゥ……」


 クロスは正座を整えてアオバを向くと、両手をせわしなく動かし出した。手慣れた手話の動作である。


「あ、ごめん。手話はさっぱりわかんない」

「ムゥ」


 クロスは手話をやめると落ち込むように頭を下げた。


「うーん、名前を書いた相手を本当に麻痺できるの?」


 クロスは首を横に振った。


「じゃああれは嘘?」

 

 クロスはうなずいた。


「本当? じゃああれは怪人王のでたらめ?」


 クロスはうなずいた。


「……じゃあ、メモ帳、どうぞ」

「ム……」


 アオバはテーブルに手を伸ばしてメモ帳を手に取ると、恐る恐るクロスに手渡した。


 クロスはポケットからボールペンを取り出すとメモを書いて見せた。


『まずは 落ち着いてほしい』

「う……、ごめんなさい」


 アオバは頭を下げて謝った。視線を何度かクロスからはずし、自信なさげな声色で答える。


「その、僕、なんだかまだ混乱しているみたいで、急に警戒しなくちゃ、って、なぜか思っちゃって……」

『それは当然のことだ』

「あ、あの、……ごめんなさい! 僕の事を守ってくれるのに、なんだかすごく偉そうに命令しちゃって! 本当は僕が頭を下げてでもお願いしなくちゃいけないことなのに、こんなバカな、命令なんて! 本当に、ごめんなさい!」


 アオバはソファーから立つと再び深々と頭を下げる。汗をかきそうなほどの焦りを見せて、本当に申し訳なさそうに謝罪していた。


 だがクロスは首を横に振ると、再び文字をつづった。


『いいや どんな命令でも聞き入れる。君は雇い主だ。そういう上下関係にしよう』

「え? 上下関係って?」

『私が護衛では不安のはずだ だから絶対服従する どうか安心してほしい』

「そんな、絶対服従だなんて。むしろ僕の方が下手(したて)に出るべきなのに……」


 クロスは首を横に振った。姿勢はいまだ正座のままだ。どうやらアオバの心の平穏の為に、クロスは完全に服従する姿勢を見せることを決めたようだった。


「その、クロスさんは、それでもいいんですか?」


 クロスはうなずいた。そのうなずく姿は素直そのもので、自然とアオバの警戒感は解かれていった。

 今でも正座しているその姿は、大柄な見た目とのギャップも相まって確かな信頼性を感じさせた。


 クロスは再び、今度は控えめに文字を書いた。


『足を崩してもいいですか?』

「ああっ! はいっ! どうぞどうぞ!」


 アオバが焦ったように言う。今度は怯えることなく駆け寄って立ち上がるクロスの背中を支えた。


 身長が二倍ほどある体格差だったが、不思議と今は恐ろしさが半減して見えた。先入観が消え去っただけでクロスの姿は等身大に見えてくる。

 

 クロスはややよろめきながらも歩き出すと、キッチンに向かい、冷蔵庫からスポーツドリンクを取り出してガラスのコップと一緒にアオバの前に差し出した。


 その様子には露骨に抵当平身するクロスの様子が感じられた。


 その怖がられないよう腰を低くして行動しているクロスを見るや否や、アオバは気まずさと申し訳なさから思いつく限りの敬語を連発した。


 それから就寝までの間、お互いがお互いに気を使い合う、ギクシャクした空気が流れることとなった。


 

       ▼       ▼



 そこは鋼鉄のコンテナの中だった。ひんやりと冷えた鉄の壁にベニヤ板の床。扉は硬く外側から閉じられており下手な牢獄よりも堅牢である。


 そんな中で、後ろ手に縛られたままのアカネは自分のパジャマズボンの濡れ水の冷たさに耐えながら寝転がっていた。

 密室でも臭いがほとんどしなかったことは不幸中の幸いでもあると言える。それなりに乾き始めていたこともありアカネは心の余裕を取り戻しつつあった。


 すでに怪人王イエローがここから離れてから2時間が経過している。脱出のための行動はすでにやり尽くしており、それどころか互いの縄すら解くことはできていない。


 ミドリも壁に背を掛けて横たわっていた。すでに1時間ほど二人は会話していない状態だった。


 一応互いに歯で縄をほどこうとしたものの、縄の中に結束バンドが混じっていて外すことが出来なかったのだ。

 結束バンドだけの拘束でないのは鬱血による手の壊死などを防ぐためであろう。手首を多少動かすことはできるが解くことはできない。

 しかも皮膚を傷付けないように荒縄ではなく滑りの良いポリエステルロープを使用している。一応女性ということで気を使ってくれているようだった。


 コンテナの中に役に立ちそうなものは無く、ある物といえばイエローが置いていった消えかけのミニライトだけである。


 時間の感覚もわからず、話し合える内容も少なくなり、ひとまずはもしもの場合に備えて体力を回復させておこうという方針になっていた。

 

 だがアカネは不安と沈黙に耐えられず眠ることが出来なかった。休もうと思えば思うほど不安が(つの)り意識を覚醒させてしまう。

 心細さが積もり積もっていくと、アカネはとうとうミドリに尋ねた。


「ねえミドリ、起きてる?」


 すぐにミドリから反応は返ってこなかった。

 だがゆっくりとミドリは頭を上げると、静かな口調で答えた。


「どうされましたか、アカネさん?」

「ごめん、なんだか不安になっちゃって」

「そうでしたの。……ではアカネさん、こちらにいらしてくださいまし。一緒に休みましょう」

「いいの?」

「ええ、膝枕をして差し上げますわ。どうぞ」


 ミドリは足を延ばしてアカネが近寄って来るのを待った。


「ありがとうミドリ」

「いいえアカネさん。しかし残念ながら子守唄は歌えませんわ。わたくし自身に歌ってもらった記憶がありませんので」

「ううん、ありがとう。大丈夫だよ」


 アカネは這ってミドリの足元まで近付いてくると、その太ももにそっと頭を乗せた。


「ごめんねミドリ。いつも助けてもらってばかりで」

「迷惑を掛けているのはお互い様ですわ。でもそれでいいのです。それがお友達というものですわ。互いに迷惑をかけないようとするうわべだけの大きなお友達より百倍マシですわ」

「でも私、いつも助けられてばっかりだよね。アオバは勇敢だし、ミドリは頭が良くて行動力がある。アイドルとして成功できたのもプロデュースの上手いブラックのおかげだし、私ってば本当に何なんだろうね。自分で自分が情けなくなってくる」


 アカネはミドリの膝の上で苦々しく顔をしかめた。後ろ手の拳を小さく握り、いつも誰かを頼る自分の矮小さを呪う。とてもキューティクルズのリーダー格であると自分自身で思えなくなり苦しんだ。


 そんなアカネの心の震えを太ももで感じ取ったミドリは、慈母のような落ち着いた声で答えた。


「……ではアカネさんはさしずめ、ドロシーという所ですわね」

「ドロシー?」

「オズの魔法使いですわ。アオバさんはライオン。わたくしはかかし。ブラックプロデューサーはブリキのきこり。それらと共に旅をするのが主人公のドロシー。そこでは誰が欠けても物語は成り立たない。みんながみんな互いを補い合っている。アオバさんは勇気が欲しくて勇敢になりました。わたくしも考える頭が欲しくて行動を起こした。ブラックプロデューサーもきっとそう。アカネさんはそんな三人に助けられながら、最後は悪い魔女を倒す主人公。格好の悪いことなんて一つもありませんわ」

「そうなのかな?」

「そうですわ。もし不安なら今度SNSで人気投票でも募ってみます? 数字で見ればすぐにわかるはずですわ。キューティクルズのセンターが、どれだけ主人公をしてるか」


 そう言うとミドリは目を閉じた。SNSの画面でも想像しているのか、その表情は穏やかだった。


「でも、時々思うことがあるんだ。本当はセンターにいるべきは私じゃなくて、ブラックなんじゃないかって」

「ブラックプロデューサーがですか?」

「うん。ブラックは誰よりもきれいな顔をしているし、あの長い髪からはいつもトリートメントの匂いがしてるもの。歌だって私たちよりうまいし、声も透き通ってる。芸能界の事なら完全に把握してるし仕事の取り方もうまい。学校の勉強も完璧。ピアノも弾ける。本当にアイドルになるために生まれてきたみたい。それにブラックが私たちみんなに声を掛けたから、スーパースター・キューティクルズを結成できたんでしょ? だからあのとき、最初にシャドウが現れた時、ブラックが私を守って顔に傷を負わなければ、きっとセンターに立っていたのはブラックだったんだと思う」

「ですがそんなブラックがプロデューサーで無ければ私たちは芸能界で大物になれませんでしたわ。ブラック自身も自分は愛嬌が無いからプロデューサーが天職だったとおっしゃっていましたし」

「そんなのウソに決まっているよ。一番のアイドルにあこがれているのはブラックだもの。きっと我慢していることもいっぱいあると思う。なんとかしてあげたいけれど、私じゃ力不足でなにも手伝うこともできなかったから……」

「そうですわね。ブラックプロデューサーはいつでも一人で解決する主義ですものね。いつだったか、わたくしたちが危機に陥った時もたった一人の力でダーク・キューティクルの力を手に入れて、全部解決を……」


 そこまで言った瞬間、ハッと何かに気付くようにミドリは顔を上げた。


「そうですわ! その手がありましたわ!」

「え、なにミドリ、どうしたの!」

「ここから脱出するいい方法を思いつきましたわ!」

「脱出っ!? ちょっと待ってミドリ! ストップ! ミドリのいいこと思いつきましたわ!は、いつだってろくなことにならなかったよね!?」

「そんなことありませんわ! 少しだけ集中させて下さいまし! 上手くすれば助けが呼べますわ!」

「待って待って! お願いだから説明くらいしてよ!」

「昔のわたくしを呼び出すのです! どうして気付かなかったのでしょう! いえ、きっと忘れていたのですわ! わたくしはそれを今から引っ張り出します! うまくいくよう、祈ってて下さいまし!」

「説明になってない! お願いやめて! お祈りが必要なギャンブル止めて! お願いだからぁぁぁ!」


 ミドリは目を閉じて瞑想する。不審なものを感じ取ったアカネは、ミドリの膝の上で頭を暴れさせた。


 床に置かれたミニライトの照明がチラつき始める。

 コンテナの闇が深まっていき、片栗粉でも混ぜたかのように部屋の隅の暗闇が深まっていく。隙間風など無いはずなのに淀んだ流れが渦巻き、アカネの叫びは吸収されて聞き取りにくくなった。


 静かにゆっくりと、空気は沈んだ。


 

        ▼       ▼



「さーて、どこに行ったかなー?」


 イエローはコンテナの上から足元を見下ろしていた。


 賽の目状にコンテナの置かれた迷宮。埠頭におけるコンテナターミナルであり広さは視界の端から端まで届くほど広大だ。頭上には赤と白の塗装のされたクレーンがあり、そこに設置されたライトが月の無い夜に明るい光を提供してくれている。


「私は鬼ごっこは好きだが、かくれんぼは嫌いだ。だからこうしよう。三次元・《空間》 ワーク!」


 イエローが両手を掲げると、視界に入る限りのコンテナが浮かび上がった。


「うぉぉ!?」


 どこからかミリオンアイズの驚く声が聞こえてくる。


 埃を落としながらコンテナは空中を滑るように動いていき、中心からドーナツ状に穴をあけて広がっていく。やがて半径百メートルほどの大きさまで広がっていくと、コンテナはゆっくりと降下していき逃げ道のない広大な円形コロッセウムへと姿を変えた。


「さーて、どこにいる?」


 灰色のコンクリートだけが広がる闘技場の中には誰もいなかった。クレーン三つ分のライトが円形ステージを照らすが動きまわる人の姿はない。


「六次元・《振動》 グレイシャル!」


 イエローが腕を振り払うと地面に霜が走った。地面のコンクリートが凍りついて白く染まっていき、冷却された空気が小さな雪粒を降らせる。


 辺り一面が白化していくと、円形舞台の中心付近に一カ所だけぽっかりと白化しない空間があった。

 その半径一メートルほどのなにもない空間をイエローは凝視した。


「なるほど、カメレオンの能力を使ったように見せかけてそのあと透明化の能力も使ったのか。上手く隠れたつもりだろうがバレバレだぜ?」

「ちくしょう!」


 ミリオンアイズはそのなにもない空間にトレンチコートをひるがえして再び現れた。脇にノートパソコンを挟み、片眼には何故か再び眼帯を掛けた状態で体に色を戻していく。そしてガラスの中でコロコロと転がる片目でイエローを睨んだ。


 イエローはコンテナの上から飛び降りると地面の冷気が取り払われ、見渡す限り灰色の広大な闘技場が再び姿を現す。


「さて、御覧の通り、私の能力では一般人判定のお前を傷つけることはできない。だからお前は、かわいそうなことにこの市販品の斧に切り刻まれて死ぬわけだ」


 イエローはホームセンターから拾ってきた薪割り斧を肩に担いで見せた。頭上からの光を浴びて斧の研ぎ澄まされた鋼銀の刃が白く(きら)めく。


「冗談よしてくれ! ターン・フォーム! 《エンチャンター・ルーデゥス》!」

「うおっと!」


 イエローの体がよろめいた。足元のコンクリートが泥沼に変わり、ふくらはぎまでを呑み込んだのだ。


「なんだこれは? 足止めのつもりか?」


 イエローは泥沼をかき分けて進んでくる。歩行速度は遅くなっているが、歩けないほどではなかった。


「ターン・フォーム! 《ジャーク・フロスト》!」


 ミリオンアイズの目が氷の塊に変化する。それに合わせて腕が真っ白に凍りつき、勢いよく振り下ろして地面を殴ると白い冷気が地走った。


 冷気は泥沼を通り過ぎると水分を氷結させ、イエローの足を固定する。


「おっと、ありがとうよ。歩きやすくなった」


 だがイエローが足を持ち上げると氷は軋む音を立てていともたやすく砕かれた。

 重そうな音を立てながらそこらに泥色の氷片が転がり落ち、イエローは段差を登るように氷上に足を戻す。


「ふっざけんな! それは簡単に壊せる氷じゃねえだろ!?」

「おいおい。私が非力な女性に見えたのなら眼科に行ってこい」

「くそっ! ターン・フォーム! 《シンガーズ・オブ・ドラゴンロード》!」


 ミリオンアイズの目がトカゲのような縦に割れた眼球に変わる。それと同時に大きくのけぞりながら息を吸い込むと、声を砲弾のように打ちだした。


「《消し飛べ(トシコシダー)》」

「ぐっ!」


 イエローの体がミリオンアイズの声に吹き飛ばされる。

 それはレンガブロックをも吹き飛ばせるドラゴンの怒声だったが、イエローは三メートル後方に飛んだだけで無傷だった。着地時に僅かによろめくも膝をつくことなく二本の足だけで体勢を整える。


「ゲホゲホゲホっ! ウェッホっ!?」


 逆にミリオンアイズはその自分の声の大きさにむせ込んだ。片手で喉を押さえて声帯をいたわっている。


「まったく、無駄な足掻きだ。そうやっているうちにどんどんと技のレパートリーがなくなっていくぜ?」

「ハ~ハ~、う、うるせえよ! こちとら小心者だから長生きできてるんだよ! あんたを倒せるような大技は持ち合わせていないんだよ!」

「したたかな野郎だぜ。そんなこと言いながらお前は一体何を狙っている? さっきから時間稼ぎばかりしやがって。いちいち攻撃されるのも面倒だからはっきり言うが、待っててやるからさっさと切り札見せたらどうだ?」

「なっ!? いいのか!?」

「もちろんだ。私を誰だと思っている。さっきから眼帯で隠しているその片方の目。なにかを準備しているなんてすぐに想像が付くぜ。なにか最後の手段を用意しているんだろ? だったらさっさとそれを見せてくれよ」

「待ってくれるっていうなら、俺としては本当にありがたいが……」

「ただし、しょぼっちい必殺技だった場合は遠慮なく死んでもらうぞ? あと、きちんと技名は叫ぶように。上手く決まった時は技の解説をすること」

「なんだそりゃ、いちいちそんな事必要か?」

「日本で戦う時の最低限のマナーだ。悪役なら覚えておくといい」

「ああ、まあ、チャンスをくれるならなんだっていいけどよ」


 ミリオンアイズはボリボリと頭を掻いた。緊張をひた隠しにしているかのような動作だった。


「なんで俺にチャンスをくれるんだ?」

「切り札っていう存在はいつだって厄介だ。場合によってはどんな戦力差でも覆る。私はどんな悪党よりもその恐ろしさが分かっているから、それを先に見つけて確実に潰すつもりなのさ。それにお前ごときに不意をつかれたなんて癪だ。だったら前もって見破って、そんな最後の希望を真正面から打ち砕いてやるのが私の流儀ってわけだ」

「……俺みたいな小物にずいぶんなことで」

「私から見れば全員小物だよ。だからこそ警戒しているんだ。大物の私の負け筋は不意を突かれる事だけだからな。これから何千人とお前のような小物を相手にするのに、こんなところで不意をつかれるわけにはいかないんだよ」


 イエローは薪割り斧を肩からおろして杖代わりにすると、ミリオンアイズの行動を待った。


「ところで、必殺技はまだか?」

「ああ、それはすこーし待ってくれ! 多分、もうそろそろ効いてくるはずだ!」

「効いてくる? ……ぐっ!?」


 イエローは強烈なめまいを感じてよろめいた。たまらずに一瞬意識が飛び、再び意識を戻した時には片膝をついていた。


「おっしゃあ! あんたが本物のバケモノじゃなくてよかったよ! それじゃあな!」


 そうミリオンアイズは叫ぶと足元にカモフラージュさせていた布地を取り払い、その下にあったマンホールのふたを持ち上げた。


「おい! 待ちやがれ!」

「うるせえ、なんだ!?」

「技名と解説!」

「あんた本当にこだわるな!? そんなものどうでもいいだろ!?」

「言わなきゃテメェはおしまいだ! 私は約束事を守らない悪党を長生きさせるつもりはない!」

「ああ、ったく! ほらよ! 《ブルーマンズの透視眼》だ!」


 ミリオンアイズが片目に掛けて置いた眼帯を取り外すと、中から青く発光する眼球が姿を現した。


「透視、わかるよな! ようする話がX線だよ! 俺が逃げているあいだ、ずっとあんたに放射線を浴びせていたんだ! 積もりに積もってあんたは一万ミリシーベルトの被曝をした! これは一般人なら100%死ぬ量だ!」

「そうか、じゃあこれは毒じゃなくて放射能か。いいアイディアだ、さすがにこれは防げないし気付けなかった」

「どうもありがとうよ! ターン・フォーム! 《スウォーム・ウォルト》!」


 ミリオンアイズは衣服ごと体を縮めていき、ドブネズミに変身するとマンホールの中に飛び込んだ。


 イエローはそれを追撃する様子も見せずに眺めていた。


「……ぐっ! ああ、吐き気がする。だがまあ、これで一つ安心だ。面倒なものだぜまったく」


 イエローは地面に腰かけ、携帯端末を取り出して電話を掛けた。電話は数秒でつながり、相手の返事を待たずにイエローは話しかける。


「ニーナ、しっかり見てたか」

「ええ、バッチリよ」

「悪くはなかっただろ?」

「微妙なところかしら。最後のあたりはちょっとやり過ぎだったわね。彼らを泳がせるつもりだとしても、すこし余裕振りが大げさすぎじゃない? お父様が生きていれば演技指導が入る所ね」

「即興だったんだから文句言うなよ。それに私から言わせれば、お父さんだってずいぶんな大根役者だったじゃねえか」

「……まあ、それもそうね」

「だがこれで問題は一つ減った。ミリオンアイズもろくな切り札は持っていない。多少泳がせておいても厄介なことにはならないだろう。あんな連中さっさと消してしまいたいんだが、裏切り者を見つけるまではッ……ガッ、フグッ!?」


 イエローは咳き込むと同時に吐血した。瞬く間に顔の血の気が引いていき、見る見るうちに顔色が青ざめて行く。


「大丈夫? イエロー」

「いや、駄目だな。敗血症をおこしている。すぐに治療しよう。全身の時間を戻すから記憶も消えるはずだ。だから、後で私にさっきの戦闘を動画で見せてやってくれ」

「ええ、いいわ。それならこの通話は繋げたままにしておいてね?」

「ああ、それと、一つ伝言を頼む」

「なに? 誰に?」

「私にだ。慢心しているぞ。光線系の必殺技だったら瞬間移動が間に合わなかったはずだ。負ける要素が無くても気を抜くんじゃないぞ。ってな」

「……わかったわ。未来のあなたにしっかりと言い聞かせておくわね」

「頼んだぜ。四次元・《時間》 バック・イン・タイム!」


 イエローは自分の胸倉を掴んで叫んだ。全身に紫電が走り、ほんの一瞬だけ体に白い光が灯る。糸の切れた人形のように前のめりに倒れ伏すと、ほんの十数秒の間だけイエローは仰向けで休息した。


 その瞬間から、この日の夜は静かになった。しかし、闇ばかりはいつまでも深くあり続けた。


 その闇の濃さは、朝日でも消せないのではないかと思わせるほどだった。

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