第二話 集まりゆく怪人たち! ゴミと共に生きる少女 モリス登場!
気がつけば朝は早くにやって来ていた。
ユダはまだ目覚めていない。布団に頭まで包まって、細い素足を布団の逆側から出している。早朝の気温が寒いのか、足先をすり合わせて縮込ませていた。
クロスは自分が毛布代わりにしていた黒いレザーのロングコートをユダの足の上にかけると、とりあえず浴室に行って服を着替えた。皮膚から溢れる浸出液でラバー製のインナーもべたついていたので取り換える。ジーンズもはき替え、ダークグレーのパーカーをおもむろに着てフードをかぶった。首には昨日と同じ黒紫のマフラーを巻いてラバーマスクを隠し、黒革の手袋をはめて素肌の一切を隠し切る。
鏡で見る自分の姿は依然として不審者じみた姿であったが、昨日の全身黒ハードレザーロングコートのコーディネートよりはましであるとはいえるだろう。
部屋に戻ると、個人用執務デスクに貼られた数式の無数に書かれた張り紙に目がいった。
それは趣味で始めた難解数式の証明と解明だった。数学ナンプレパズルの延長として始めたものだが、貼り紙はフェルマーの最終定理に始まり、ポアンカレ予想、ヤン・ミルズ方程式に、十六番目のヒルベルト問題。いわゆる数学者の最終目標扱いされる難問ばかりがそろっている。
フェルマーの最終定理とポアンカレ予想はすでに世の数学者たちが解決させた問題であったが、残りの二つのヤン・ミルズ方程式に十六番目のヒルベルト問題はいまだ世界的に証明させることが出来た数学者はおらず、答え合わせが出来ない状態のまま放置されていた。
開かれっぱなしのノートパソコンの画面の端の貼紙には、同じく未解決数式のソファ問題が書きかけで残されていた。
ふと寝起きでクロスは新しい計算式を思いついたので、ボールペンを手に取り、余白に新しい数式を書き足していった。
「……ん、…………んんぅ」
やがてゆっくりとユダが身を起し、布団をめくってベッドの上に座り込む。
少しばかり寝癖の付いた黒の長髪を頭部を左右に振るって整え、いまだ眠たそうな開かない両目をこすって覚醒させていた。
クロスの鳴らすボールペンの音にユダは気付くと、まばたきを繰り返す目をクロスに向けた。
「あ、おはよう、クロスさん。……ごめんなさい、すぐに、ここを出ていくから」
ユダはベッドから足を下ろして立ち上がる。
ややふらつきながらも立ち上がるユダは、なぜか妙な色香を醸し出していた。
クロスの渡したジャージが大きすぎたせいでユダのスカートを完全に隠してしまい、まるで下になにも履いていないように見えたせいだ。
ジャージの上着の下から生えるユダの素足は色白く、内股をすり合わせる仕草は扇情的な可愛らしさがあった。高校生と言う割にはずいぶんと無防備すぎる姿であり、庇護欲をかきたてる小柄な体躯もあいまってクロス以外の男性ならば間違いなく劣情を煽られることだろう。
クロスにとってはすぐにでも良識的なジャージのズボンを下に履いてもらいたいくらいだったが、おそらくまたきっぱりと断られてしまうだろうと思ったのでクロスは説得をあきらめた。
だがそんな変な格好をさせてしまった後ろめたさもあり、クロスは少しばかり考えてからメモ帳を取り出し、言葉をつづった。
『駅までなら 送っていく』
「え……。いいの? ……迷惑じゃ、ない?」
『構わない』
クロスのメモにはそっけなくそう書かれていた。だがユダはそれでも嬉しかったのか、満面の笑みを浮かべてクロスに近づいて手を握った。
「ありがとう、クロスさん! ……あれ? 何か雰囲気が……? 今日は、あの黒いコートじゃないの?」
ユダはクロスの近くまで来ると、そのクロスの服装に違和感を覚えたようだった。
クロスの今の服装はダークグレーのパーカに黒のジーンズ、そして暗い紫のマフラーに黒革の手袋。決して見栄えのいいファッションとは言えなかったが、昨日の黒レザーのロングコート姿と比べると威圧感が8割ほど減ったくらいの落ち着いた服装だった。
だがユダは視界をさまよわせてベッドの上にあの黒いレザーのロングコートが置かれていたことに気付くと、わざわざそれを取りに走っていく。
ユダは迷いもなくそのロングコートを手に取り、やっぱりこれじゃなきゃだめだ!と、言わんばかりに力強くうなずくと、クロスの方に向き直った。
その闇のように黒く、重々しい重量感のあるレザーのロングコートは、たしかに見た目だけで言えばスタイリッシュな代物であるといえよう。
だが、そのロングコートはあくまで小柄な優男が格好をつけて着るためのものであって、クロスのようなそれなりに体格のある男が着ていい代物ではなかった。昨夜と同じコーディネートではまた怪人に間違われるか、さもなくば職務質問に引っかかるのがオチである。
よってクロスは、首を振って更衣することを拒否した。
「でも、こっちの方が絶対いいよ。かっこいいし」
クロスの意思を無視して、ユダはベッドからその重みのあるロングコートをわざわざ持って戻ってくる。
クロスはさも当たり前のようにロングコートを手渡された。黒いレザーの厚みのあるロングコートが、重くクロスの手にのしかかった。
いくら薦められてもあまり着たくなるものでもないのだが、どう断ろうかとクロスは考えていると。
「……着ないの?」
と、不思議そうにユダに言われた。
なぜだかユダの中では、このロングコートがクロスの一張羅として定着しているようだった。
「……ムゥ」
こんなところで言い争っても仕方ないので、クロスはそのロングコートに着替え始めた。
どうせ駅前までの送り迎え。それほど服装に気を使う必要はないだろうと、クロスはそう判断を下しパーカーを脱いでハンガーにかけ、代わりにその黒のロングコートを上に着た。
「まだ、少し早いから、ちょっとモリスの所に寄って行こうと思うの。モリスは私と同じ怪人仲間で、ゴミ捨て場に住んでる。ここからならちょうど、通り道だから」
そう言うとユダも身支度を始めた。ジャージのポケットに昨日散々生み出してしまった硬貨を詰め込み、マンションを出る。
クロスもロングコートの胸ポケットにメモ帳とボールペンを入れて、ユダの後についていった。
▼ ▼
ユダは携帯端末をいじり、当のモリスとやらに連絡を入れながら歩いている。
外はまだ時間的にも車通りが少なく、どことなく遠くから鳥の声も聞こえてくるほど静かだ。
秋の枯れた並木がガードレールの向こう側から伸びて、クロスの長身に対して嫌がらせの攻撃を繰り返している。ユダはその枝葉の真下を歩いて被害は少ない。仕方なくクロスは車道側に避けて歩いた。
意外と目的地までの距離は遠く、クロスは反対側のガードレールの向こう側に広がる広大な水平線と、波に揺れる生まれたての太陽を眺めながら歩いていた。
そうして少々歩いた道の先に、廃タイヤと不燃ごみの積まれた、大きな投棄所の入り口にたどり着いた。管理室らしきコンクリート製の小屋には人影はなく、広大な敷地面積を誇るその投棄所の荒野にも人影はない。
待ち合わせの場所には確かにここを指定していたはずだったので、ユダは僅かに慌てていた。
「あれ? モリスどこに行ったのかな?」
ユダは視線をさまよわせる。その投棄所は元々人の住む居住空間ではないため仕切りはなく、ごみも四方に追いやられているため視界は広い。
それゆえに誰もいないとなると探す場所もなかった。
「モリスー! モーリースー!」
ユダが大声で呼びかけるが、広大な投棄所のどこからも何の反応も帰ってこない。
「どこ? モリスー?」
ユダは管理室の扉をあけて名前を呼ぶ。だが、室内からも一切の反応は返ってこない。
「モリス~?」
ユダは何を思ったのか、近くで積み立てられていた廃タイヤの柱にも声をかけ始めた。当然の如く、そこからも反応は返ってこな……。
「ばぁー!!」
「わぁぁぁぁぁ!?」
積み立てられたタイヤを持ち上げて、中から女の子が飛び出してきた。
ユダはそのドッキリに盛大に驚き、尻もちをついて思い切りよく転げ落ちた。
「わっはっは! 驚いたぁ、ユダッち!」
「あいたたた。ひどい、モリス」
その女の子はウェーブのかかったボリュームのある髪を揺らしながらユダに近づく。
その少女、モリスは、一目に見て分かるほど快活な雰囲気を持った少女だった。
服装は肩出しのラフなミニシャツに、マフラーだけを巻いただけのシンプルなもの。着用すべき暖かそうなチェックのコートは腰に巻かれており、夏物のミニシャツゆえにへそを思いっきり出している。
正直、早朝の今の気温ではかなり寒そうに見える服装だったが、彼女は寒さを気にするそぶりはまるで見せず、ユダの手を取り起き上がりを手伝っていた。
ユダが完全に立ちあがると、モリスはそのまんまるな鳶色の目をクロスに向けて感嘆していた。
「この人が昨日言っていたすごく強い人? 本当にすごく強そうだね!」
少女はクロスの姿を見るなり、そう感想を言った。
その感想も至極当然と言えるのが悲しいところである。黒く重厚なレザーのロングコート、フードとマフラーで正体を隠し、その中できらめく充血した赤い目。まず間違いなく、表舞台に出てきてはいけない系の住人である。アクション映画のラスボス暗殺者とか、スプラッター映画の怪人役とか、そっち系統の見た目だ。
「……ムゥ」
だが、それはあくまで見た目だけの話。クロスはあくまで引きこもりニートの一般人にすぎない。モリスのその眼は間違いなく節穴だ、と、クロスは思った。
クロスがどう弁明するか困っていると、代わりにユダがモリスに答えた。
「そのことなんだけどモリス。実は手伝ってもらえないことになったの」
「ええ! なんで!?」
「だって一般人の人だもの。手伝ってもらうわけにはいかないよ」
「ええー。ちゃんと説得はしたの?」
「……特にはしてない」
「ダメじゃん! うまくすれば秘密基地に帰れるかもしれないんだよ? せめて私たちの状況くらいは教えなきゃだめだよ!」
そういうとモリスはクロスに近づき、有無を言わせずクロスの手を両手で掴み取ると、下から覗きこむように話しかけてくる。
「クロスさん、だったよね? 私はゴミ怪人ダストイーターっていって、本名は森須レンっていうんだ。それはともかくね、私たち怪人はこの街に何十人かいるんだけど、その全部の怪人が今、絶滅の危機に瀕しているの! 怪人王ゾシマっていうすごく強かった人が死んじゃって、今の私たちは勝ち目もなくヒーロー戦隊に殺されるだけの存在になっちゃっていてね。ヒーロー戦隊のレーダーも年々性能が上がって来ているから、もう長くは隠れられない。だから一度、絶対に安全な秘密基地に集まって、みんなで対策を練ろうってこの街のケータイ怪人さんから全員に通信があったんだ。だけど、この街にある秘密基地の存在にヒーロー戦隊も気付き始めているみたいでさ、秘密基地周辺に集まってきた怪人たちは片っ端から殺されてしまっているみたいなんだ。おかげですごく近くにあるのに私たち秘密基地に帰れなくなっちゃってて、だから私たちを秘密基地まで護衛してくれる人がほしかったんだよ。本当にそれだけ! 片道二時間とかからないしさ! 簡単な内容だからお願いだよ! 上手くいったらもちろんそれこそ何でもするよ! おもにユダッちが!」
「わたしがなのっ!?」
ユダがいきなりのモリスの振りに驚きを入れた。
内容はともかく、クロスとしては受け入れがたい仕事であった。ゆえに正直な感想をメモに書いてモリスに見せた。
『自分は強くない ユダのそれは勘違いだ』
「え? そうなの」
モリスはそのクロスのメモを見て僅かに驚き、どういうことなの?といった疑問の視線をユダに向けた
しかしユダはさも当たり前のように首を横に振る。
「そんなことないと思う。実際、ジャスティスレンジャーを相手に余裕で立ちまわっていたし」
「なんだ、じゃあただの謙遜か。ね、ね、本当に、お願いしますよ~! クロスさん! いや、クロス殿下! クロス閣下!」
モリスが調子よく頭を下げる。下げられても困る。
クロスはユダについていくことは失敗だったかもしれない。そう思い、手早く次の言葉を書いて見せた。
『自分はただの一般人だ 戦える能力はない』
「でも謙遜なんでしょ?」
クロスは首を左右に振る。話は平行線になりつつあった。
「ん~。じゃ! こうしよう! 今日はみんなで駅前をブラブラして遊ぶ予定だったから、その間だけでもいいから一緒について来てよ! 駅前なら人も多いから見つからないし、ほんの一、二時間くらいだけだからさ! あ、ジュース驕るよ! むしろお昼ごはんも驕るからさ! ほんの一、二時間だけ、私たちを護衛してほしいんだ! 本当に遊びに行くだけだからさ!?」
「…………ムゥ」
クロスはほんの少し考えた後。これで納得してくれるなら仕方がない、と、考え。
「……(こくん)」
と、小さく賛同のうなずきを見せた。
「やったー! じゃあユダッち、ちょっとこっちに来て! 作戦会議だよ!」
「え、なんで?」
そういうとモリスは、ユダの肩を引き寄せて少し離れた場所まで連れていった。
モリスとユダは少しだけ身をかがませて顔を寄せ合うと、ヒソヒソ声で話し始める。
「これがラストチャンスだよユダっち! 街中を探索しているうちに、とにかく接待して、クロスさんをその気にさせちゃおう!」
「そ、そんな、無理に誘わなくても……」
「だからこれが失敗したらもう誘わないって! ユダッちだって手伝ってもらえたら万々歳でしょ? クロスさんにだって迷惑かけないからさ! 最後くらい、猛烈にチャレンジしてもバチは当たらないって!」
「……いいかな? 迷惑じゃないかな?」
「ぜんぜん迷惑じゃないって! 嫌なら断ればいいんだもん! ユダッちはお色気担当お願いね! わたし盛り上げ担当するから!」
「ええっ! そんな! お色気なんて! で、できないよ!」
「お待たせクロスさん! 作戦会議終わったよー! それじゃあ一緒に行こっか!」
そういうとモリスはクロスの腕に絡みつき、そこそこふくらみのあるやわらかな胸を、クロスの腕に押し付けた。
「オッゥ……!」
クロスの口から困惑の声が漏れた。温かみのあるお茶碗くらいの大きさの胸がクロスの上腕を挟み、さらに力を込めて強く拘束する。
「ちょっ!? ちょっと、モリス!? それは、ダメだよ!」
「ほらほら、ユダッちも! せっかくなんだから頼りきっちゃおうよっ!」
「そんな、無理だって!」
「だーめ! するの! 全力でやるってさっき言ったでしょ!?」
「うう……! クロスさん、こっちの腕、失礼します!」
「……!?」
ユダも続いてクロスの腕に絡まりつく。胸の柔らかみと呼べるものはほとんどなかったが、ジャージの下があられもないノーブラ素肌という問題が、クロスの脳内に電撃を走らせた。
「さあー! 出発だ~! 目的地はいつもの駅だよ!」
「迷惑じゃない? クロスさん、迷惑じゃないですか? 嫌なら嫌って言って? すぐ離れるからね?」
「ン、ンムゥ……」
クロスは発声障害で声が出せないので、当然「イヤ」という一言も出すことはできない。そしてもちろん両手がふさがっているので、『イヤ』という二文字も書けない。
故にクロスは、なすすべもなく両手に花を抱えて、駅まで押し歩くこととなった。
イヤといえる事態でこそなかったが、ずっと一人で引きこもってきたクロスにとっては刺激が少々強かった。駅に着くまでの間ずっと、クロスのバイタルサインは高すぎる鼓動を計測し続けていた。