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ダークヒーローが僕らを守ってくれている!  作者: 重源上人
VS.アイドル魔法少女キューティクルズ編
39/76

第七話 クロスさんはチェーンソーを置いて尋ねた『お友達になりましょう』と!

 キューティクルズの三人はショッピングモールの専門店街を駆け抜け、二階渡り廊下に入っていく。渡り廊下の先にあるのはホームセンターだ。

 

 背後からは両目を真っ赤に血走らせた火傷顔の殺人鬼が追って来ていた。


「アカネ! ミドリ! 先に行って! 僕は武器になりそうなものをかき集めてから追いかける!」

「アオバ!?」


 アオバはホームセンターに入ると即座に右折し、レジの間をすり抜けて商品棚の影に消えていった。


「お願いしますわアオバさん! 私たちは先に資材館に向かいますわ!」 

「ミドリ! ブレーカーの場所分かるの!」

「ブレーカーは知りませんが、事務室は材木加工場の奥にありますわ! まずはそこを目指しましょう!」

「工事用ライトはどうする。使わないの?」

「追い掛けられているのにエンジンを掛けられるわけがないですわ! アカネさん、もう一度おとりをお願いしてもよろしくて!?」

「ごめん! それは絶対やだ!」


 アカネは怯えた様子で首を左右に振った。


 このとき二人はホームセンターを抜け資材館へ入っていったところだった。

 資材館は体育館よりも高い天井に、室内からでもむき出しの鉄骨が見える武骨な建物だ。


 ショッピングモールの最奥に位置しているが、はっきり言ってショッピングモールから客の流れてくる事のない土建屋の為の専門店である。外に続く出入り口の隣には大型トラックがそのまま店内に入ってこられるよう、大きなシャッターが用意されている業者のための資材屋だ。


 店内に用意されているのは一本約三メートル(十フィート材)の木材に、スタイロフォームや大判発泡スチロールなどの断熱材。波状のトタン・アクリル板に、金属合板。

 棚に陳列されている商品もスレッジハンマーやチェーンソー。電動サンダーに電動丸ノコの替えの刃。接着剤に耐水やすり。一つ二十キロのセメントの袋。普段の生活に必要とされるものはほとんどない。

 

「あれっ!? 殺人鬼は!?」


 アカネが背後を振り返ると黒いロングコートの男の姿はなかった。

 二人は資材館の中央部にて立ち止まり、周囲を確認する。


「闇にまぎれて襲ってくるつもりですわ! 周囲を確認してくださいまし!」


 アカネとミドリは背中合わせになって周囲を探った。


 だが、積み上げられたべニヤ板の裏にも、農機具コーナーの影にも、黒いロングコートの男の姿はなかった。


「ど、どこに行ったのっ!?」

「分かりませんわ! アカネさん、わたくしたちもどこか隠れましょう!」


 ミドリがアカネの手を引き、近くの積み重ねられたべニヤ板の裏に逃げ込んでいく。


「どうする?」

「どうするもなにも、ひとまずは事務室に向かうしかありませんわ。電源を点けないことには、なんとも……」


 その時、離れた場所で何者かがエンジンのリコイルスターターを引く音が聞こえてきた。


「えっ! なに!」


 二人はその音のなった方角を見やる。しかし、うす暗くなにも見えない。


 リコイルスターターは二回目でクランクシャフトに勢いを与え、バイクに似たエンジン音を鳴らして起動した。

 それと同時に、屋外工事用のバルーン照明機(クラゲのイラスト付き)が点灯した。


「ライトが!」


 その500Wの光は白い太陽のように輝いて見えた。2.5メートルの高さで輝く提灯型の太陽だ。


 太陽の真下にあるのは新型工事用品の展示コーナーだろう。商品棚が邪魔でエンジンを掛けたであろう黒いロングコートの男の姿を確認することはできない。

 

「どうして工事用の照明をあいつが……?」

「罠ですわ! わたくしたちをあの光でおびき寄せるつもりですわ!」

「あ、そうか! ……でも待って、あそこに行けは、変身は出来なくてもバリアーくらいは……」

「バリアーを張って、そこでおしまいですわ! 光の中に閉じ込められて出られなくなりますわよ!」

「な、なるほど……」

「とはいえ、事務所はあの展示コーナーのすぐ近くですわ。材木加工場の中を通って、事務室に向かいましょう!」


 そういうとミドリは先導し、姿勢を低くして展示スペースすぐ隣の材木加工場への中へ入っていった。


 そこは高さ二メートルほどの合板の壁に区切られた作業場である。学校の図工室(工作室)のような木製の大きな机が一つだけある場所で、木材や鉄材などをその場で切断等してくれる加工場だ。

 広さはそこそこあり、天井には資材吊り上げ用の鉄フックが垂れ下がっている。


 木の粉がこびりついた鉄の棚には薄汚れたチェーンソーが置かれており、最近鉄材を切断したのか金属切断用のダイアモンド・ブレードには鉄粉がまぶされていた。


 壁には大判のホワイトボードと大量の工具が掛けられており、ハンマーやノコギリ、一列に並べられたドライバーにねじ切り、ニッパーにラジオペンチ、スパナにバールのようなもの。


 ハンマーだけでもゴムハンマーから玄翁、ハツリ、果ては石材加工用のビシャンまで多くの種類が用意されていた。そのうちいくつかは使われていないのか、埃をかぶっていたようではあった。


「ああ、最悪ですわ」


 そんな加工場の棚の隣を隠れて進んでいると、ミドリがなにも書かれていない壁のホワイトボードを見て言った。


「どうしたの、ミドリ?」

「ブレーカー、あんなところにありますわ」


 ミドリが指差したのはホワイトボードの真上だった。地面から四メートルほどの高さにある場所に、埃の積まれたブレーカーが取り付けられていた。


「……ウソでしょ。どうする、ミドリ」

「どうしようもないですわ。なにか長い棒のようなものか、もしくは梯子を探すしかありませんわ。気付かれるのは覚悟の上で、なんとかあそこまで――」


 その瞬間、アカネが目を見開く。


「ミドリっ! 後ろぉっ!」


 黒いロングコートの男が背後から現れ、ミドリの両足を掴んで持ち上げた。


「ヴォォォォォォ!」

「きゃぁぁぁぁぁ!」


 ミドリは体を倒し、胸で床を拭くように引きずられていく。

 

「光よ輝け! 破裂しろ!」


 アカネがとっさに壁越しで展示品コーナーに手のひらを向けた。


 すると工事用バルーン照明が一瞬にして膨れ上がり、光が集約して爆発を起こす。壁の向こう側で強烈な衝撃波が放たれた。


「ヴォッ!?」


 衝撃波は壁を大きく揺らし、掛けられていたチェーンカッターやチェーンソーの替えの刃をはじき落とした。

 

 吹き飛んできた工具が黒いロングコートの男の体を傷つけることはなかったが、棚の上の大型ダイアモンドチェーンソーがミドリの頭上に落下してくると、黒いロングコートの男はミドリの足を手放してチェーンソーを掴む。


「ミドリっ! 早く!」

「ええっ! 事務室の扉を開けて下さいまし!」


 ミドリは即座に立ち上がり、振り返ることなく事務室を目指して走った。


「……ムゥ」


 黒いロングコートの男は困ったような声を鳴らし、手に持ったチェーンソーを再び棚の上に戻した。


 そのすぐ目の前で、アカネとミドリは事務室の扉を開き、そして勢いよくその鉄扉を閉めていた。


「アカネさん! 鍵を!」

「うん! 掛けた! ……何か、バリケードになりそうなものは!」


 アカネは周囲を見渡した。そこは事務室かつ、職員の休憩所かつ、応接室となっている場所である。

 さらには更衣室も兼ねているのか、入口左側には十個のロッカーがずらりと並んでいた。


 他にはひびの入った革張りのソファーが二つに、大きなテーブルが一つ。テーブルの上にはたばこの吸い殻の詰まった灰皿。水垢だらけのシンク。

 広さはさほどではなく、はっきり言って狭い。窓も高窓が二つあるだけなのでタバコの臭いがこもっている。ロッカーからも男くさい匂いが際限なく漂ってきていた。


 そんなやや奥行きのあるだけの休憩所にはバリケードになりそうなものはない。

 二人掛けのソファーは重すぎる代物で動かせず、扉近くのロッカーも倒せそうにない。他には傘立てや資料棚もあったが、役に立ちそうなものはなかった。


 そんな時、背後でドアノブがガチャガチャと音を鳴らした。


「きゃあっ!」


 アカネが驚いて飛び上がる。


 事務室の扉を黒いロングコートの男が開けようとしているのだ。

 多少の衝撃にはびくともしない堅い鋼板の扉であったため体当たりはしてこない。あくまで施錠されたかの確認をしているだけだった。


 だがそれは、諦めるつもりはないぞという意思表示でもある。


「アカネさん! 出られそうなところはありますか!?」

「無いよ! あの高窓だけみたい!」

「では何か役に立ちそうなものを探しましょう! わたくしはロッカーを見ますわ!」

「お願い! 私は棚を見るよ!」


 二人は手分けして事務室を探索する。ミドリはロッカーを乱雑に開けて、アカネも棚から書類をかき分ける。


 それと同じタイミングでドアノブを鳴らす音は静まり返った。


「あっ! どっかいった! 諦めたのかな?」

「そんなわけないですわ! バールのようなもので扉をこじ開けられればおしまいですわよ!」


 ミドリは余計にあわててロッカーを探ってゆく。しかしロッカーの中から出てくるのは作業着ばかりで役に立ちそうな物はなにもなかった。


「ああもう! 懐中電灯すらない!? アカネさん、そっちは!?」

「こっちにもなにも……、あ、ライターがあったよ! 何か燃やす!?」

「こんな狭い部屋で火をつけては焼け死にますわ! こんなことなら、さっきの作業場でチェーンソーでも持ってくればよかった、です……わ」


 扉の外でリコイルスターターの紐を引く音が聞こえてきた。

 照明機の音とはまた微妙に違う軽い駆動音。三回目の牽引でエンジンが回転すると、バイクのエンジン音に似た力強い騒音を響かせた。


 その音に察しの付いたミドリは、背筋に悪寒を走らせ顔を青くする。


「ああ、最悪ですわ……」

「ミ、ミドリ! この音もしかして!」

「もしかしなくてもそうですわ!」


 工業用ダイヤのチェーンブレードが高速回転する音が聞こえてくる。

 チェーンソーのブレードが扉に触れると鋼板は音を鳴らし、数秒もしないうちに火花を散らしながら鋼板を貫通してきた。


「アカネさん、逃げ道を探しましょう!?」

「そんなのないよ! ここ完全に行き止まりだよ!」

「しかたありません、隠れましょう!」


 ミドリはそう言うとロッカーの扉を乱雑に閉めていく。

 いくつか閉まりきらず再び扉が開くが、そんな些細なことは気にしていられない。六個ほどロッカーの扉を閉めると奥のロッカーにミドリは急いで入った。


「待って! 私も入れて!」

「アカネさん、同じ場所に隠れては一網打尽に――」

「他に隠れられる場所ないよ! お願い!」


 この事務室は七畳ほどでさほど広くはない。テーブルの下はすぐに見つかるし、洗面台の下はせまくて入れない、棚には書類がみっちり詰まっている。


 選択肢などなかった。別々のロッカーに入ったところで結果はあまり変わらない。


「ああ、しかたありませんわ!」


 ミドリはロッカーのスペースをあけてアカネを受け入れる。縦に長いロッカーに二人で身を寄せ合ってなんとか入り込んだ。

 

 そうしていると、チェーンソーの刃はドアノブの横を切断していくところだった。散らした火花がロッカーの手前まで跳ねてくる。


 ちょうど入口の扉の鍵穴が切断された辺りで、アカネがロッカーの扉の鍵の部分をつまんで閉めた。

 二人は身を寄せ合い、ロッカーの中で息をひそめて、そして入口の扉の開けられる金属音を聞いた。


「(わたくしとしたことが、なんてバカなことを! こんな所に隠れて、これからどうすれば……)」


 ミドリがロッカーの中で声を潜めてつぶやいた。その声は、アカネにしか聞こえなかった。


「(まずいよミドリ、あいつが入ってきた)」


 ロッカーの外で、チェーンソーのエンジン音が早鐘で鳴る心臓の鼓動のように響いて聞こえてくる。


 ロッカーの背は高く、二人の身長では小窓から室内の様子を探ることはできなかった。だが、チェーンソーの音が室内の中央から響いていることだけはよくわかった。


「(お願いですから、おバカな殺人鬼であってくださいまし!)」


 ロッカーの中でミドリが祈る。

 だが、どう考えてもロッカーを探索しない理由がない。チェーンソーの音は、徐々にロッカーに近付いて来ていた。


 ミドリが両手を合わせて身を縮こませていると、ロッカーの内側から、パチン、と、背筋を凍らせるような小さな物音が響いた。


 アカネがロッカーの内側から、鍵を閉めたのだ。


「(ア、アカネさん!?)」

「(ご、ごめんっ! 音が鳴らないようにするつもりだったんだけどっ!?)」


 アカネは青ざめた表情で背中をロッカーの奥に押し付ける。


「ムゥゥ」


 ロッカーの外から、うなり声が聞こえてきた。

 チェーンソーの音色はロッカーの目の前から聞こえてくるようになる。


 そしてロッカー上部の小窓に、人影が揺らいだ。


「(……っ!)」

「(ひっ……!)」


 声にならない悲鳴を二人は上げる。


 黒いロングコートの男はロッカーの前に立っていた。そして、二人の隠れているロッカーを赤い目で見下ろしている。

 二人からは姿が見えないが、不思議とロッカーの内側からでもその巨躯の圧力を感じられた。


「(終わり、ですわ……)」

「(あ、あ……)」


 チェーンソーのグリップが握られ、刃が高速回転する音が響き渡った。


 キューティクルズの二人はロッカーの中で抱き合う。ミドリはそっとアカネの腰に手を回し、アカネはミドリの肩を強く引き寄せた。


 二人の命は今、黒いロングコートの男の手中にある。チェーンソーが扉に突き入れられればロッカーの中で肉塊に変わり、ロッカーのカギを破壊されれば、引きずり出され足なり手なりを切り落とされる。


 つまりは死は確実かと思われた。


「……ムゥ」


 だがその時、意外なことが起こった。


 チェーンソーの音が止まった。


「…………え?」


 アカネが呆けた声を鳴らす。


 チェーンソーの刃の回転が止まったのだ。エンジン音はいまだに響いていたが、それもなぜか足音と共に遠のいていく。


 数秒後、出入り口の扉を開く音が鳴った。エンジン音がみるみる小さくなり、扉が閉まるとほとんど聞き取れなくなってしまう。


「……なにが、起こったのです?」

「わからない。……行っちゃった、ね」


 アカネは足元の安全ヘルメットを踏み台にすると、小窓から室内を覗いた。


 視界には誰もいない。何か罠を仕掛けていったわけでもなく、人影もない。


「いなくなってる。どうして?」


 アカネがヘルメットから下りると、扉越しに聞こえてきていたチェーンソーのエンジン音が止まり、部屋にはうす暗さと静寂さが戻ってくる。


「もう出られると思うけど、ミドリ、どうする?」

「……ここに隠れていてもいいことは一つもありませんわ。安全を確保しながら、出ましょう」

「わかった。じゃあ、鍵、開けるね」


 アカネがロッカーのカギを内側から回すと、パチン、と小さな音が鳴った。

 二人はロッカーから出てくると、チェーンソーに切り裂かれた鉄扉を見やった。


「なんで行っちゃったんだろ? 私たち、気付かれてたよね」

「チェーンソーのエンジン音も聞こえませんわ。相当遠くに行ったか、エンジンを切りましたわね。……まるで意味がわかりませんわ」

「あっ! もしかしてアオバがなにかしたんじゃない!」

「アオバさん!? まさか、囮に!」

「それなら今度はアオバが危ない! 急がないと!」


 アカネは出入り口の鉄扉に駆け寄った。


「待って下さいアカネさん! 慎重に! 一緒に行きましょう!」

「ごめん! わかった!」

「扉を少しだけ開けて下さい、わたくしが外を確認しますわ」


 アカネは言われた通りに扉のノブを掴んで少しばかり押し開けると、扉の隙間から姿勢を低くしたミドリが奥を覗く。


 隙間から見える範囲には作業場があった。天井から吊るされた鉄フック。木製の大テーブル。穴あき合板の区切り壁(パーテーション)。床に散らばった工具。すこし視界を左に向けると工事用品の展示コーナーに破裂したバルーン式照明機がある。


 見えた範囲はそれぐらいで、アオバの姿はもちろんの事、黒いロングコートの男の姿も見つけられない。

 だがくまなく索敵してみると、作業場の棚の上にチェーンソーが置かれていた。


「チェーンソーが置かれていますわ。アオバさんを追って行ったわけではなさそうですわね」

「別の得物に持ち替えたんじゃないの?」

「わざわざエンジンを切って置いていきます? アオバさんが原因ではありませんわ。どういうわけかあの殺人鬼は、敵意を無くしたようですわね」

「なんで?」

「そんなことわかりませんわ。きっと何か意味があるのでしょう。罠かもしれません。慎重に出ましょう」


 そういうとミドリは扉の脇に背中を張り付けた。


「アカネさん、扉をあけて下さいまし。展示品コーナーの奥に脚立がありましたから、それを使ってブレーカーを上げましょう」

「分かった」


 アカネはゆっくりと鉄扉を押していく。視界が大きく広がっていくが目に入る範囲に動くものは映らない。安全であることは疑いようもなかったが、理解できぬ状況に不安ばかりが際限なく高まっていく。


「どこにもいないね」


 二人は同時に事務所を出た。鉄扉が板バネに押し戻されゆっくりと閉まっていく。

 その瞬間だった。


「ヴォォォォォォォ!」


 黒いロングコートの男が扉の影から現れ、二人の背中の襟首を掴んだ。


「「きゃぁぁぁぁぁぁ!?」」


 二人の足が地面から浮きあがる。黒いロングコートの男の肘が腰に押し当てられ、襟首を掴んで持ち上げられていった。


 つまりは罠だったのだ。チェーンソーを置くことによって両手を空け、二人を楽に捕えるための作戦だ。

 

 二人は叫びながら身をよじらせ足をバタつかせるが、がっちりと吊り上げる黒いロングコートの男から逃れることはできない。

 まるで布袋でも持ち運ばれるかのように二人は連れ去られていくと、作業場の中央にまで運搬された。


「イヤぁぁぁぁぁ!」

「きゃぁぁぁぁ!」


 二人は高く持ち上げられ、作業場の鉄フックにパジャマの襟首を突き刺して吊るされた。その布を貫く音はまるで背中の皮膚を貫く音であるかのように感じられた。


 足はなんとか木製テーブルに届くので、なんとか体勢を整えようと二人揃って足を延ばす。

 だがすぐに黒いロングコートの男は近くの昇降チェーンを引いて、より二人を高く吊り上げた。


「あぁぁぁぁ!」


 パジャマの第一ボタンが首をきつく絞め、その悲鳴はくぐもった。


 ミドリとアカネは一つのフックに背中合わせて吊り上げられ、地面から二メートルくらいの高さまで持ち上げられる。二人ともボタン式のパジャマであったため脱ぐこともできず、手でなんとか気道を確保しようと襟を掴んでいた。

 足はどう動かしても空気をかき混ぜるばかりで何の役にも立たず、二人が左右に揺れるたびに天井の滑車が軋む音を鳴らした。やがて足をバタつかせることが無意味だと分かると足の動きは鈍化していく。


 ミドリが片手を背中のフックに伸ばすが、しかし体を持ち上げて脱出できないことが分かると、すぐに両手を首元に戻した。


 そうこうしていると黒いロングコートの男は離れた場所にあったチェーンソーを手に持ってきてと棚の上に置いた。


「ひぃっ!」


 重いチェーンソーが棚に置かれる音が存外に大きく、その音にアカネが怯えた。


「あ、あぁぁぁぁぁ」


 アカネが恐怖に怯えながら視線を下に向けると、そこには人を切り刻むにはおえつらえ向きな道具が散らばっていた。


 穴をあけるための電動ドリル。床に落ちたドライバーは人の皮膚を貫通する。壁に掛けられたのこぎりは体の表面を無残に傷付けることが出来る。ペンチは爪をはがすのにちょうどいい。(なた)は一振りで足を四本くらい切り落とせるだろう。バーナーで体の表面を焼き上げることもできれば、電動やすりで細やかな血しぶきを上げることもできる。


 怪人王の言葉を思い出し、相手は拷問を楽しむ食人鬼であったことを実感した。


 しかし黒いロングコートの男はどの道具にも手を付けず、代わりにマーカーペンを手に取ると、ホワイトボードに文字をつづった。


『まずは落ち着いてほしい』


 場違いなほど丁寧な文字を書いて見せると、黒いロングコートの男は振り返った。


「……オゥフ」


 黒いロングコートの男はなんとも申し訳なさそうな声を鳴らす。


「い、あぁ」


 アカネは失禁していた。

 足の間を透明な液体で濡らし、ズボンの裾から水滴を滴らせている。顔は恐怖で青ざめ、涙を目じりからこぼしていた。


「ム、ムゥ」


 黒いロングコートの男は視線を左右にさまよわせる。拭き取ってあげるつもりかそこらのタオルを手に取るも、それも何か問題あるような気がして再びタオルを棚に戻した。

 目に見えて黒いロングコートの男は困惑していた。


 アカネは相当我慢していたのか、そのほぼ無臭の液体はずいぶんな量が流れてしまっており、水滴は早いペースで木くずで汚れた床に吸い取られていっていた。


 二人の動きが鎮静化していくと、フックが揺れ動き、ミドリがホワイトボードの文字を見た。


「落ち、着けって……、どういう、ことですの」


 ミドリの首はきつく締まっており、その声は途絶え途絶えだった。


 黒いロングコートの男はその声に気付くと、再びマーカーペンを手にとり文字をつづる。


『友達になりたいと思っている』

「む、無理ぃっ!?」

「アカネさん!?」


 アカネが涙声で叫んだ。

 その返答を聞いてクロスは落ち込んだように目を伏せた。


「ムゥ……」

「いいえ、わたくしたちはきっと、お友達になれますわ! えっと、クロス、さん! おトモダチに、なりましょう!」


 冷や汗をダラダラ流しながらミドリが答える。

 どう考えてもフレンドリーな声の色ではなく、恐怖と緊張でとにかく口に出しているといった様子だった。


「ウゥゥ」


 クロスは某友人の方法論を真似しただけだ。これ以外の友達の作り方をクロスは知らない。

 だが、友達になりましょうで友達になれるほど世の中は甘くない。それが可能なのは純粋な見た目の持ち主だけだ。


 対人経験の少ないクロスにはこれ以上フレンドリーな言葉が思いつかず、マーカーペンを握った手が新たに動くことはなかった。


 そんな時、アカネの視線が仕切り壁の向こうに向いた。


「……っあ」


 アカネは小さくつぶやいた。

 手に刃渡り三十センチの出刃包丁を握ったアオバが、ベニヤ板や木材などの商品の隙間を縫って駆けて来ていたのだ。


 アオバはパジャマの上に釣り人用のジャケットベストを装着し、懐中電灯を四つほどベストの帯にはさんでいる。腰には工事用の赤い誘導灯(ライトセーバー)を差し、頭にもヘッドライトを装備しているという完全武装だ。


 アオバもアカネの視線に気付くと、勇気付けるよう小さくうなずき、再び作業場に駆けてくる。


 アカネが視線をまた作業場に向けると、クロスがアカネの目を覗いていた。


 まるで瞳に映ったアオバを見やっているようだった。さすがにそんな芸当は出来ないと思いながらも、奇襲の成功を祈ってアカネはアオバから視線を外し、赤い目を睨み返した。


「……ムゥ」


 アカネの瞳からアオバの姿が消えると、クロスは吊られた二人に背を向けて棚の上のチェーンソーを掴む。


 安全装置のハンドガードを外し、リコイルスターターの紐を引いた。

 

 吊られた二人はそれを背筋を凍らせる想いで見ていた。

 チェーンソーのエンジンを掛ける理由なんて一つしかない。足を切り落とすためだ。殺人鬼のクロスは足を切り落とし、血抜きをする。そうして時間を掛けて解体していくつもりなのだ。


 アオバは区切り壁の反対側に身を潜めていた。クロスはリコイルスターターの紐を今一度引く。エンジンはまだかからない。


 それをチャンスと見たアオバは作業場に姿勢を低くして入っていく。出刃包丁を逆手に握り、足音を潜めてそろりそろりとクロスに近付いていった。


 その時、チェーンソーのエンジンが音を鳴らして起動した。

 それと同時にアオバは出刃包丁を振り上げ、クロスに振り返られる前に背中に飛びかかる。


「これでも喰ら――っ!」

「ヴォォォォォォォォ!」


 クロスは勢いよく振り返り、チェーンソーを横なぎに振り払った。

 刃の回転するチェーンソーが出刃包丁の刃を切り落とし、アオバの手には木製の柄だけが残った。


「えっ!?」

 

 柄だけになった包丁をアオバは呆然と眺める。


 機先を制したのはクロスだ。さらに間髪いれずにチェーンソーの先端がアオバの顔面を狙って突きのばされてきた。


「うわぁっ!」


 アオバは顔をのけぞらせて回避する。その回避の範囲を完全に予測していたのか、チェーンソーの刃は額のヘッドライトだけを切り裂いた。


 アオバはよろめくように後退すると、脇に差した懐中電灯を抜き取り構える。

 だがその懐中電灯が照準を合わせる前に、チェーンソーが懐中電灯を根元から両断した。


「うわぁぁぁぁ!」


 さらにジャケットベストに差したライトが袈裟懸けに切り落とされると、皮膚を裂くギリギリをかすって残りのライトも切り落とされていく。


 アオバは背後によろめいていき、右腕の脇下をすり抜けていく刃に驚かされて後退方向を誘導されると、作業場の角に追い詰められた。

 

 角の作業台に背中を押しつけると、チェーンソーの刃はアオバの喉元に突き込まれた。高速回転する刃が皮膚をかするギリギリに押し当てられ、アオバが頭部を後退させるとその動きに合わせて刃が近付いていく。

 その刃と皮膚の間の空間が一ミリ以上開くことはなく、アオバは後頭部が机に触れるまで仰け反った。


 アオバを完全に無力化できたことを確認すると、クロスはチェーンソーを机の上に置き、代わりに電動ドリルを手に取った。


「アオバぁぁぁぁ!」


 吊るされたアカネが叫ぶ。


 クロスは片手でアオバの口元を抑えて作業台に押し当てると、電動ドリルの刃を回転させ、アオバの頭部に向けてドリルの先ゆっくりと落としていく。


「むぐぅぅぅぅ!?」


 アオバはくぐもった声をクロスの手の中から漏らした。


 電動ドリルはアオバの肩に落ちていくと、ジャケットベストとパジャマだけを貫通して作業台に突き刺さった。ドリルの刃は木製の台に曲がった角度で突き刺さり固定される。


 クロスはその場から離れると同時に電動ドリルからバッテリーを抜き取り、アオバを作業台に縫い止めた。


「うああっ! やだっ! なにこれ!? 抜けない!?」


 アオバは電動ドリルを抜き取ろうと手を掛けるが、計算された角度で突き刺さったドリルは完全に固定され多少の力では揺らぎもしなかった。


 鋲で止められた標本のようにアオバは無力化されることとなった。


「いやぁぁぁぁ!」


 アオバは正面で見下ろしているクロスの火傷でただれた顔を見て怯えた。充血した眼は闇の中で赤く煌めき、凄惨に切り刻まれる自分の姿が映り込んだような気もする。


 だがクロスはアオバに手をつけることなく背を向けると、チェーンソーを再び持ち上げて歩きだす。

 さらに吊るした二人にも背を向けると、チェーンソーを持ったまま作業場の出口で仁王立ちで立ち構えた。


 その様子をキューティクルズの三人は不安そうに見ていた。

 もはやこの殺人鬼の行動が理解できないのだ。


 クロスはしばらく三人に背を向けて出口で待ち構えていた。


「……フー」


 クロスは重々しい溜め息を吐くと、チェーンソーの刃を作業場の外に向ける。


 その刃の先を吊るされた二人が見下ろすと、暗闇の中をコートを揺らしてゆっくりと歩いてくる、怪人王イエローの姿を見た。


 イエローは苦々しい表情でゆっくりと歩いてきている。申し訳なさそうに頭を掻き、クロスに近づいてきていた。


 クロスはそのイエローを威圧するように刃を向け、そしてキューティクルズを守るように作業場の入口で陣取ると、警戒するように立ち構えた。

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