第三話 アカネちゃんピンチ! 暖かな女子会、恐怖の女子会! 消え去りし緊張感のアンダンテ!
「ごめんなさいね、アカネさん。もう、落ち着いた?」
ローズが言う。
そこは郊外にある屋敷の一室だった。
広々とした談話室だ。天井は高く吹き抜けで、二階の手すりのついた廊下が見える構造である。
見上げると天井の大型シーリングファンライトが四枚の羽根を回転させ、珪藻土の混ぜられた白い壁にはブラケットライトの光が反射していた。
その様相は近世西洋の高級ホテルを思わせる、穏やかで豪華な作りだ。
天井まで広がる大きなガラス窓の向こうには夜の海とプールが見えていた。芝生に埋め込みまれたガーデン照明が隙間なく庭を照らし、幻想的な夜景を演出してくれている。
そんな秋風の吹く寒そうな夜景に対比して、室内に設置されているのは暖かなガス式の暖炉だ。
暖炉の上には壁かけの鹿のはく製。丁寧に飾られた賞状とトロフィー。部屋の中央に高級そうな鹿革製のソファー。華美な作りの白大理石のテーブルに、テーブルの下には大きな熊の毛皮。
そんな豪邸の一室にて、アカネは鹿革のソファーに座り、ブランケットを背中に掛けてもらって、暖かなレモンティーをごちそうされていた。
「ありがとうございます」
アカネはローズに礼を言うと、レモンティーに口をつけた。
「完全に私の配慮が足りなかったわ。日中で、しかも街灯のある場所で襲われるとは思っていなかったの。相手は思った以上に危険な相手だった。これからはこんな油断はしないと誓うわ」
「あ、ありがとうございます」
アカネはローズに向けて頭を下げる。
その動作はまだ恐怖が残っているのか、どこかぎこちない。
するとアカネの隣に座っていたミドリも尋ねる。
「アカネさん、敵はいかがな相手でしたの?」
「……わからない。見た目は黒いロングコートを着た男の人だった」
「あの事務所で見たというゾンビですの?」
「うん。でもゾンビとは違うと思う。歩く死体があんな不気味な視線を向けたりはしない。確かに私の事を見ているのに、敵意もなにも感じない。まるで亡霊か……、死神みたいな」
「死神、ですか」
「うん、日常的に人を殺している存在がいたら、きっとあんな目になると思う。私とは戦うまでもないと思ってる」
「つまり相手は、幽霊ということですの?」
「ううん、あれは生きた人間の視線だった。あの視線は、そう、私を守ろうとしているような視線。これから切り刻む予定の肉に、虫が付かないよう見張っているような、そんな静かな時間を過ごしている殺人鬼の目。きっと人を殺すことに慣れてしまった人間のなれの果てなんだと思う」
「殺人鬼……。そんなの、あり得ないですわ」
アカネの恐怖がミドリにも伝染する。
その話を聞いたローズは、口元に手を当ててうなづいた。
「あり得ない話ではないわね。相手は悪の怪人王。クロスオーバーを避けるために怪人ではなく、一般の殺人鬼をけしかけてきたというのなら辻褄が合うわ」
「……やっぱり、そうだったんだ」
アカネは得心が行ったようにうなずく。
あの黒いロングコートの男は殺人鬼。それはもはや疑いようがない確定事項だった。
「でも相手が人間ならそれほど恐れることはないわ。この家は民間警備会社と一番高い契約を交わしているから、夜中に窓を叩いただけでも警備員が駆けつけてくるの。それに変身さえできればこちらが負ける要素なんて有り得ない。地下のブレーカーが切られるか発電所が爆破でもされない限り、この家の電気が消えることなんてないのだから」
「あの、ローズさん。それだとシャドウがブレーカーを落としたりはしないんですか?」
「あら? シャドウがブレーカーのパスコードロックを解除できるのかしら?」
「あ、それなら安心ですね」
「ええ安心して。こういうときの為の自慢の我が家なのですもの」
ローズは笑顔を見せてアカネを安心させる。
その時、ダイニングからトレイを抱えたアオバが階段を下りてきた。
「おまたせー! 簡単なものだけど晩御飯を作ってきたよー! これを食べればアカネも元気が出ると思うんだ!」
そうアオバは元気な声で言うと、見事な出来のスープパスタを白大理石のテーブルの上に置いた。
それはアオバ謹製のトマトスープパスタだった。
簡単なものと言っていたものの、はちみつ漬けのプルーンとオリーブオイルで炒めた玉ねぎが入った手の込んだパスタだ。添えられた光沢のあるバジルの葉は高級イタリアンシェフの飾りと同等のものであり、その料理技能の高さをうかがわせた。
「晩御飯って……。えっ! これ、アオバが作ったの!?」
「そうだよ! 不安な時はおいしいものを食べるのが一番! これを食べたら負けることはあり得ないって、僕が断言するよ!」
アオバはアカネを元気づけようと腰に手を当てて満面の笑顔を見せる。
「まあ、これを食べなくても僕たちは負けないんだけどね! なにせ僕たちは無敵のキューティクルズ! 敗北なんてあり得ないんだから気楽に行こうよ!」
「気楽にって……、そんなの無理だと思うけど……」
「これを食べてからでも、同じこと言える?」
「……ううん。これを食べたら、どうしてこんなおいしそうな料理をアオバが作れたのかって、そんな話題になっちゃうと思う」
「でしょ? おいしい料理はどんな問題でも解決するって料理マンガで言ってたんだ。おいしいもの食べて元気になって、明るい部屋でみんなでワイワイ過ごした後、どんな敵が来ても負ける気がしないって思うはずだよ。アカネが見たっていう赤眼の亡霊はきっとすごく強いと思う、でも、変身した僕たちより強いわけがない。そう思わない?」
「そうだね、アオバ。……ありがとう」
「うん! だから僕たちは気楽に行こうよ。もう一度言うけれど、僕たちは無敵のキューティクルズなんだからね!」
アオバは可愛らしくウインクして見せた。
そのウインクは一瞬にして場の緊張感を消し去ってしまえるほどの勇気に満ち溢れていた。
「おっしゃる通りですわアオバさん。わたくしも元気が出てきましたわ。……ところで早速なんですけれど、どうしてこのような料理をアオバさんが?」
「あ、それ早速聞いちゃう?」
アオバが自慢げに答えた。
「ええ、こう言っては失礼ですが、アオバさんはそういうキャラではないと思っていましたので」
「ああ、それを僕も気にしていたんだ。もともと男っぽいのにあこがれていたけれど、最近はそれだけじゃダメかなって思ってこっそり花嫁修業してたんだ」
「あら、気になる殿方でもできましたの?」
「それはまだだけど、いざそういう相手ができた時にこんな女の子っぽくない相手を好きになってくれる人は少ないと思ってね。下準備だけでもしておこうと思って」
その言葉を聞いたミドリは、やや表情を険しくした。
「それはいけないですわ、急な路線変更は失敗のもとですわよ」
「路線変更はしないよ。男らしいかっこいい生き方を諦めたわけじゃないからね。でもいざお嫁さんになりたいと思った時に後悔したくないから、出来ることを増やしておきたいんだ」
ミドリはその答えを聞くと、申し訳なさそうに視線を外す。
「……耳の痛い話ですわ。わたくし、家事も料理も全て執事に任せておりますもの」
「ミドリはそれでもいいんじゃない? 自分の得手不得手はわかっているんでしょ?」
「そうですわね……」
ミドリはふと何かを考え込むようにうつむき、すぐにアオバを見て言った。
「ではアオバさんに乗じてわたくしも暴露しちゃいましょうか。実はわたくし、最近、お金を増やすことに才能を感じておりますの」
「えっ!?」
アオバはその意外なミドリの暴露に驚いた。
「先祖の才能を受け継いだのですわ。時々お父様の会社に助言していただけのはずが、今ではお父様を財閥から追い出して、わたくしに取締役になってほしいといろんな人が頭を下げてきますの。もちろんアイドルの仕事がありますのでそんなことはしませんが」
「え、それヤバくない? 主にお父様とやらが」
「大丈夫ですわ。首根っこは掴んでおりますので、お父様は私のいいなりですのよ。その真実に気付いた重役の方々は余計な攻撃なんてしたりしませんわ」
「お父様傀儡なの!? ミドリがお父様操ってんの!?」
「悲しいことに、これが上流階級というものなのです。わたくしとお父様の派閥、二つあった方が運営もしやすいのですわ。一つにしたらまた別の派閥が生まれますので」
「怖っ!? 僕の思ってた上流階級より怖いっ!? と、いうかミドリ、裏でそんなことしてたんだ!?」
「片手間で助言してただけにすぎませんわ。二つの派閥を作ったのもわたくしの助言です。それにお父様もお父様ですわ。私の幼いころは血統だ品位だと口うるさかった割に、いざ血筋に優れたお嫁さんをあてがって差し上げると、わたくしのお母様が忘れられないと泣き言をおっしゃるのです。高貴なるものの務めを果たせなかったのですから、軟禁されるくらい大目に見ていただきたいものですわね」
「お父様軟禁してんの!? ちょっとミドリの家庭環境ドロドロすぎない!?」
「わたくしが自由にアイドル活動するためにはいたしかたの無いことですわ。財閥の株価を倍にして差し上げたのですから、わたくしに意見することなんて許しませんことよ」
「怖ぁっ!? ミドリ怖ぁっ!?」
「うふふ。お姫様として生まれたからには、これくらいしないと自由にはなれませんのよ。……では、アカネさん、次はあなたの番ですわ」
ミドリがアカネに目を向けると、アカネは意外そうに目を見開いた。
「えっ!? なにそれ!? そういう流れなの!?」
「ええ、もちろんですわ。わたくしもアオバさんも秘密を暴露したのですから、一人だけ沈黙を決め込むなんて許しませんことよ」
ミドリは小悪魔的に意地悪そうな笑みを浮かべた。
「では、アカネさんはどのような性癖をお持ちなのです?」
「性癖限定!? なんで私だけ!?」
謎の内容指定にアカネは戸惑う。
そんなアカネの戸惑いを見ていたローズがついクスリと笑った。
薄い笑みを浮かべたまま、ローズはソファーから立ちあがる。
「またアオバさんに緊張感を消されちゃったわね。……でもいいわ。アカネちゃん、カミングアウトは少し待ってね。いま、冷蔵庫からシュリンプ取ってくるから」
「ローズさん待って! わたしカミングアウトするような変な性癖なんて持ってないって!?」
アカネはあわてて弁明した。その様子を見るに、アカネが変な性癖など持っていないようにしか見えなかった。
だが、ミドリがそのアカネの弁明に疑問を持つ。
「それはおかしいですわアカネさん? では、アカネさんのベットのマットレスの下に隠されていたあのアブノーマルな本は、一体何だったのですの?」
「え、ええぇぇぇぇっ!? なんでミドリがそれ知ってんの!? そ、それちがうよ! それ私のじゃない! それ、お父さんの隠した本!」
「……娘のベットの下に《お尻の穴のいじり方》なんて本隠すとか、どれだけ変態のお父様ですか?」
「わー!? わー!? 違う! お、お父さんのでもないけど! 私のでもない! と、とにかく違うの!?」
アカネは大声を上げて慌てふためく。
そんな中、伏せ目がちに戸惑っていたアオバも、アカネに対して心を鬼にして言った。
「……ごめん、アカネ。実は僕も気付いていたんだ」
「う、うそ!? アオバも!?」
「この前アカネの家に遊びに行った時、ポスターの後ろから落ちてきたんだ。《気持ちのいい亀甲縛りの極意》」
「い、いやぁぁぁぁぁぁ!」
アカネは頭を抱えて膝を折り、ソファーからずり落ちた。もはや恥ずかしさで顔と耳が真っ赤である。
「アカネさん、お願いですからわたくしたちが偶然見つけてしまわない場所に隠して下さいね。わたくしが見つけただけでも、雑誌にはさまれた物が三冊、水槽の下の隙間に一冊、テーブルの天盤の下に二冊、ベットのマットレスの下に三冊。それとタンスの下の隙間にも二冊ありましたわ。探したわけでもないのに、これだけ」
「半分も見つけちゃったの!?」
「その倍も隠していたのですか……」
ミドリは額に手を当てると、大きなため息をついた。
「違うんだよ! ミドリはお嬢様だから知らないだけで、普通の女の子はみんなそういう本を持っているんだよ!」
「そうですか。緊縛ものが六割ほどとはいえ、ですが、屋外露出やペットプレイは少々、その……」
「わあぁぁぁぁっ!? あのこのそのこのそのあれはっ!? 全部違うからっ!? 全部違うからぁぁぁぁぁっ!?」
アカネはついに涙目になり、真っ赤な顔を振り回して半狂乱で否定した。
その時、アカネの体の震えは一切収まっていた。羞恥心で恐怖の一切が消し飛んだようだ。
もう赤目の男がトラウマになって後を引くことはもはやないだろう。それほど強烈な秘密の暴露だった。
もっとも、赤目以上のトラウマがアカネの中に芽生えることは避けようもない。
恐怖の大暴露女子会の始まりである。
▼ ▼
『クロスさん、警備は順調だろうか』
クロスは携帯端末の画面に映ったメールを見た。
最新式の携帯端末。
もともと連絡を取り合う相手のいなかったクロスは、ほんの二日前まで携帯端末を所持していなかった。つまりこれは急遽契約した新品だ。
しかしクロスは手早い動きで携帯端末の四桁ロックを解除し、メールの本文を開いた。
それはレッドからのメールだった。
『なにやらキューティクルズが不審者に襲われたという噂が届いている。なにか不審な人物は見なかっただろうか?』
「……ムゥ」
クロスは思い当たる節があり、困った声を鳴らした。
さらにメールをスクロールして続きを読む。
『キューティクルズも防衛を固めてくれたらしいが、一応クロスさんの方でも警戒を強めてほしい。トミーが言うには、キューティクルズの準備が万全ではない今日が一番危険な日だそうだ。どうか気をつけて』
メールはそこで終わりだった。ちなみにメールは契約時の確認メールを含めてまだ四通しか届いていない。
クロスは携帯端末をマナーモードに変えてポケットにしまうと、視線を上げた。
目の前には塀と扉がある。コンクリート打放しの灰色の塀に、鉄の扉だ。
ここは初代キューティクルズ・ローズの豪邸の裏口である。
塀の高さは二メートル五十センチ。デザインの観点からかコンクリートには市松模様の窪みが描かれている。塀の上には赤外線センサーが取り付けられており、侵入者を威圧するためかその装置は赤い光を明滅させていた。
だがクロスはそんな防犯設備を無視して、鉄扉の隣のキーパッドの蓋を開いた。
パスワード式のキーロックだ。9から0までの数字のキーがある。
クロスはキーパッドから視線を外すと、おもむろに地面の小石を拾ってコンクリート塀の表面を削った。こぼれおちてくるコンクリートの粉を添えた手の上に落としていく。
そしてコンクリートの粉が充分に手のひらに集まると、クロスはそれをキーパッドに振りかけた。
するとキーパッドの四つのキーに指紋が浮かび上がってくる。8、4、6、2の数字の上だけ粉で染められた白い指紋が残った。
旧式の、しかも家庭用のキーロックであったため試行回数に制限はない。クロスは三回目の入力で見事に正解を引き当て、ローズの家に侵入していった。
民間警備会社の警備システムなど見掛け倒しに過ぎず、高価な警報機は無情にも沈黙を守っていた。