《エピローグ後日談5》 闇色の獣 【バトル】
ショッピングモールのフード―コートは動揺に包まれていた。
突然現れた闇色の狼。それと対峙する黒いロングコートの男。近くのテーブルは横に倒れ、両者の間には殺陣をするには十分な空間が広がっていた。
だが、ただそれだけを見ていた食事中の客たちは、椅子に座ったまま呆然とその様子を眺めていた。
「なにをぼさっとしているんだ! お前ら! さっさと逃げろぉぉぉぉ!」
レッドが叫んだ。
「う、うわぁぁぁぁぁぁ!」
「怪人だぁぁぁぁぁ!」
レッドの怒声を皮切りに、買い物客たちは悲鳴を上げながら逃げ出していく。ヒーロー戦隊のヒーローショーとは様子が違い、その黒狼の唸り声は純粋な危険性をはらんでいた。
だが黒狼は逃げ惑う買い物客には目もくれず、正面に立ち構えたクロスだけを見ていた。
クロスと狼は互いに睨みを利かせ、野生動物同様の牽制を行っている。
そしてクロスの背後の離れた場所にはレッドが立ち、そして左右にセラとドーラが構えていた。
彼ら三人は逃げる一般客の背中を守ろうと、ヒーロー戦隊らしく立ち構えて備える。
その背後ではトミーが両手を広げて後退し、ユダとモリスを守りながらより離れた位置へと押し出そうとしていた。
ユダは最初に襲われたことの驚きで肩を丸めて引き下がり。モリスも状況が飲み込めず、トミーに押されるまま後退する。
「グルルル!」
黒狼は四肢を広げてクロスを威嚇していた。
銀の牙の隙間からは黒い炎のよだれを垂らし、熱い蒸気混じりの呼吸を吐きだす。
大きさは大型犬よりもやや大きく、野生の狼よりも肩幅が広い。体から生えた真っ黒で柔らかな毛は炎のように揺らいでおり、爪と牙は発光する銀色、眼球のない目からは紫色の光が溢れていた。
だがその動き、仕草は野生の獣と相違はない。人間の肉を噛みちぎろうとする欲望を隠すつもりなどなく、牙を見せつけるようにして唸っていた。
「ガァァァァァァァ!」
狼は予告もなしに、クロスに向けて牙を突きたてようと飛びかかった。
「ヴォォォォォォォ!」
だが、クロスはその動きをたやすく見切り、狼の通り抜けざまにフルスイングのラリアットをその喉に叩きつける。
「ギャヒンッ!?」
狼は勢いをそのままに空中で二回転し、フードコートのテーブルの角に背中を打ち付けて倒れた。
だが隙を見せまいと黒狼はすぐさま起き上がると、再びクロスを睨んで立ち構えた。
このとき、手早い動きでレッド、セラ、ドーラの三人が狼を囲い込んだ。
レッドは手提げ袋から六法全書を取り出し、セラ、ドーラは胸元から色つきのドックタグを取り出して両手に握り締める。
レッドは周囲から一般客が逃げ切ったことを確認すると、六法全書を眼前に構えて叫んだ。
「クロスさん、今加勢する! へんしっ――!」
「駄目だ! 変身するな!」
突然、トミーが制止した。
その叫びに驚き、三人の変身は中断してしまう。
「ガァァァァァァ!」
「ヴォォォォォォ!」
再び襲い掛かってくる黒狼を、クロスは右ストレートで正面から返り討ちにした。
黒狼は弾き飛ばされ、ハンバーガーショップのカウンターに後頭部を打ち付けて再び地面に身を転がす。
「なぜ止めるんだトミー!?」
「駄目だ! 絶対に駄目なんだ! クロスオーバーだけは、絶対にしてはいけない!」
トミーが緊迫感のある叫び声で言う。
その時クロスは、狼の首を両手で掴んで持ち上げて、その首を力の限り締めあげていた。
「ガフッ! ギャヒッガ!」
「グウゥゥゥゥゥゥ!」
クロスは焼けただれた喉を鳴らしながら両手の指を狼の首に押しこんだ。気道を強く押しつぶしている感触が指先から伝わってくる。
黒狼は可能な限り手足をばたつかせて、クロスを引っ掻こうと暴れた。
しかしクロスの耐摩耗性に優れたハードレザーのコートが引き裂かれることはなく、せいぜい銀の爪が引っかかる程度でその衣服の上を四肢で殴打するだけだった。
「あれはキューティクルズの悪役だ! それにヒーロー戦隊が手を出せば、二つのコアが合体して、かつてないほどのインフレが起こるかもしれないんだぞ!?」
「なんだと!? くそっ! 少し待っててくれクロスさん! 今手助けに行くぞ!」
レッドは近くにあった四脚の椅子を持ち上げ、その裏側を黒狼に向けた。
「やめろ! 変身してないなら怪我をするぞ! 今はクロスさんに任せるんだ!」
「ウオォォォォォォォ!」
クロスは黒狼に首絞めの効果が薄いことに気付くと、力まかせに狼を放り投げた。
黒狼はハンバーガーショップの中に投げ込まれ、ハンバーガーの乗ったままだった鉄板の上に背中を落とす。
「ギャヒッ! ギャヒンッ!?」
狼は油の敷かれた熱々の鉄板で背中を熱された。慌てて身をひねって体を起こし、とにかく熱さから逃げようと油で滑る足をばたつかせる。
「ガアァァァァァァァ!」
だがそこに、ハンバーガーショップに飛び込んできたクロスの横殴りが狼の頬を穿った。
狼は弾き飛ばされ、鉄板の上を滑ると再び背中を鉄板で焼きながら厨房の壁にぶつかった。
「ギャ、ギャヒッ!?」
クロスの追撃は止まらない。
ハンバーガーショップに入り込んだクロスは左腕をギロチンのように振り下ろして狼の喉を抑え込むと、鉄板に体重を乗せて押しつける。
「くっ! 俺たちは手を出せないってことか!? クロスさん、がんばれ!」
レッドの応援を背中に受けて、クロスはさらなる力を込めた。
クロスに押さえつけられた黒狼はどれだけ足をばたつかせても起き上がることはできない。闇色の毛並みは鉄板に張り付き、背骨が時間と共に焼けていく。
「ギャヒッ! ギャヒン!」
黒狼が苦痛に悲鳴を上げる。
さらにクロスは空いた右手を振り上げると、堅く握りこぶしを作って狼めがけて振り下ろした。
「ガヒャッ!」
黒狼は悲鳴すらもその拳に手遮られた。
さらにクロスの拳が狼の鼻頭に叩きこまれる。追加で放たれる二発目の拳で銀の牙が折れ、三発目の拳で鼻が折れると霧状の体液がはじけ飛んだ。
「ガッ! ガヒッ! ガヒッ!」
「ヴォォォォォォォォォ!」
クロスは殴打することをやめると狼の首を乱雑に掴んだ。さらに腹部の毛を握りつぶすように握り、力を込めて頭上高くに持ち上げる。
「ギャヒガァァァァァァ!?」
黒狼が絶叫する。もはや黒狼はなすすべなく空中で足をばたつかせるしかなかった。
クロスはそのまま勢いよく黒狼を振り落とし、煮えた油がなみなみと張ったフライドポテト・フライヤーの中に黒狼の頭を突っ込んだ。
「ガフボババッ!」
狼が灼熱の油の中で溺れた。
クロスは自分の腕ごと油の中に突っ込ませ、黒狼の頭がフライドポテト・フライヤーの底にぶつかるまでねじ込んでいく。
熱された油は爆発するように噴きこぼれ、辺りに熱した油をまき散らかすが、クロスは焼けた油が体に張り付くことを恐れもせずにただ力を込めた。
その油の熱量が生易しいものではないということはクロス自身の腕が計測していた。その温度は摂氏187℃、フライドポテトを揚げるなら最適な温度だ。狼を揚げるのにも悪くはない温度だろう。
狼の手足の暴れ方はどんどんと加速していた。目に見えてダメージがあるようだ。
クロスはさらに油の中に自分の腕を押し込んでいくと、狼の喉はさらに深く沈み込み、頭蓋骨は割れんばかりに底に押し付けられた。
やがて狼の呼吸から生み出される泡飛沫もたたなくなり、バタつかせる動きは鈍化して、四肢をピンと伸ばして硬直すると、黒狼はわずかな時間だけ全身を痙攣させた。
次の瞬間、黒狼は爆発するように黒い靄に姿を変え、跡形もなく消え去った。
「ガァッ!」
クロスは油から腕を引っ張りだす。
痛みに慣れているとはいえ、油の熱は皮膚を蝕んだ。慌てて手を振り払って油を落とすと、手袋を脱ぎ棄てて素肌を空気にさらした。
「クロスさん! 治療します!」
セラが腰のウエストポーチから応急処置の道具を取り出し、包帯にそこらのコップの氷水をぶちまけると、手早くハンバーガーショップのカウンター越しにクロスの手を包帯で巻いた。
「大丈夫か! クロスさん!」
レッドが椅子を投げ捨てて駆け寄ってくる。
さらにトミーもまた、何も残っていないフライドポテト・フライヤーを覗き込みながらハンバーガーショップに近づいてきた。
「恐ろしい敵だった……。しかし、なぜキューティクルズの敵が……? コアは破壊されたはずなのに、いったい……?」
茫然とした様子でトミーはフライドポテト・フライヤーを見る。そこにモリスやユダも駆け寄ってきていた。
だが、その背後で突然掛け声が響いた。
「いいえ、第一志望に落ちたからって落ち込んでちゃいけないわ! 明日からもっといい仕事が見つかるかもしれない! きっともっといい仕事があるに決まっているわ!」
それはシャドウを生み出した張本人である、机に突っ伏していた就活生の女子大学生だった。
落ち込みきったさっきまでとは様子が違い、一転して快活な笑顔で背伸びをしている。
そこにドーラが様子をうかがおうと声を掛けた。
「なあ、お姉さん。大丈夫か?」
「ええ、もうすっかり元気よ! なんだかサラダ油で顔を洗ったみたいにスッキリしてる!」
「そんなん顔中ベッタベタやんけ!?」
「あれ、ほかのお客さんは!? 私、もしかして閉店まで寝てたの!?」
その就活生の女性は周囲を見渡し、さっきまでいた他の買い物客が周囲からいなくなっていた状況に混乱していた。
天窓から流し込まれる光がまだ昼前であったことに気付くと、余計に状況の把握がわからず慌てふためく。
「きゃっ!?」
「ムゥ?」
そんな時、クロスと就活生の目と目が合い、その存在に驚いていた。
クロスは堂々とハンバーガーショップの向こう側に立っており、その赤い目に黒いロングコートの存在は突然店の中に湧いて出てきた怪人のようにも見えた。
さらには喧騒が納まったとわかると、大きく距離を離して逃げていた買い物客たちもフードコートに戻ってくる。
「なんだったんだ!? 何が現れたんだ!?」
「怪人よ! 怪人が現れたのよ!?」
「いや狼だ! 狼がいきなり現れたんだ!」
「どうなっているんだ! ヒーロー戦隊たちは来ていないのか!?」
「警備員さん! こっちだ! 早く来てくれ!」
「あっ!? いたぞ! 怪人だ! ハンバーガー屋の中にいるぞ!」
「ヴォッ!?」
クロスは遠くから指をさされて驚いた。
先ほどの戦闘では狼との体格の格差もあり、暴れまわっていた主犯格がクロスに見えてしまったのだろう。ほんの数秒の出来事で逃げたのでその真相に気付けた買い物客はほとんどいなかったようだ。
「や、やばいよ!? クロスさんが怪人だと思われてる!」
モリスが叫ぶ。
しかし周囲は人だかりの壁がゆっくりと距離を縮めてきているような状況であったため、クロスの姿が視認されると観衆はクロスが危機の中心人物であったと言わんばかりに距離をとっていた。
「まずい! これじゃあ他のヒーロー戦隊を呼ばれかねないぞ!? クロスさん! 奥の扉だ! そこから倉庫につながる職員用通路に行けるから、そこを通って搬入口から脱出するぞ!」
トミーが指示を出し、その指示に沿ってレッドやドーラも行動する。
カウンターの奥に直接行ける通路がなかったためカウンターを飛び越える必要があった。うまく飛び越えることができなかったユダやモリスをレッドとドーラが手を引いて引き込み、トミーは先頭を走って道案内した。
勝利したというのに称賛の得られない、ヒーロー戦隊としてはやや違和感の残る勝利であった。