表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ダークヒーローが僕らを守ってくれている!  作者: 重源上人
VS.法律戦隊ジャスティスレンジャー編
27/76

《エピローグ後日譚2》 クロスさん、ショッピングモールにて死す 《日常ギャグ》

 ラブコメできると思った? 残念! 相手はあのユダっちだ!

 

 ショッピングモール二階。服飾系区画ストア北東部。婦人服売り場。


「ヴォッ!?」


 クロスは絶望的な悲鳴を上げて驚愕した。


「ここが目的地だよ! 前の戦いで私のブラ破れちゃったから、新しい下着買いに来たの!」


 ユダが案内してきたのは、女性用下着売り場だ。それも総売り場面積二万平方メートルを誇る、地域最大級の下着売り場である。


 色とりどりの宝石のようなランジェリー。フリルとリボンで装飾されたブラジャー。棚に整然と並べられた全十六色の虹色を描く無地キャミソール。実用的なベージュや白色のアンダーウェア。正面の目立つ高台に立ったマネキンが着ているのはシックな黒のスワロフスキー付きのベビードール。周辺に並ぶのはエロティックな紫のビスチェに、それに合わせた半透明なシルクのネグリジェ。

 従業員による優れた商品陳列術とマーケティングテクニックによってランジェリーの色彩は際立ち、女性に憧れを抱かせる高級感とエロリズムが付与されている。


 そして言うまでもなく、その区画は男性お断りの神域だ。


「オッ、オウッ!」


 クロスはその下着売り場の入り口手前でブレーキを掛けた。


「どうしたのクロスさん? 早く一緒に下着を探しに行こうよ!?」


 しかしユダはクロスをさらに力強く引っ張った。その力は存外に大きく、クロスはよろめいてさらに前に進んでいってしまっていた。


 クロスはそれでも拒んだが、なかなかうまくユダの歩みを止めることができないようだった。


「オゥフ……」


 クロスの眼前には三十メートル先の曲がり角まで続くブラジャーとパンティの長い陳列棚。白蝋の肌を持つマネキンが無表情な笑顔を見せ、クロスに向けて扇情的な赤のハイレッグパンツを見せつけている。


 その等間隔に並べられたパンティ達の様相は、クロスから見ればまるで妖精が軍勢を結集させているかのようにも見えた。

 その下三角形の軍旗の色は。ピンク、ナイトブラウン、スカーレット、ターコイズブルー、パールホワイト、アイボリーブラック。生地はポリエステル、ナイロン、サテン、シルク。


 そんな多種多様な女性用パンティ達はクロスを性別的に拒絶して、今にもその圧倒的女子力による重圧でクロスを粉みじんに消し飛ばそうとする。


 だが、そんなことなど知りもしないユダは、クロスをさらに強引に手前に引き寄せた。


「クロスさんも一緒に選ぼう! わたしいつもスポーツブラだったから、今日こそは本物のブラジャーにチャレンジしてみようと思ったんだ!」


 ユダはそう言うと、広大な下着売り場の奥にある、天井近くまで並べられたブラジャー売り場を指差した。


 クロスはその凶悪なまでの商品陳列点数に絶望する。そのようなブラジャーの奔流の中に放り込まれてはクロスなどひとたまりもないだろう。


 そしてその様子を遠くで見守っていたモリスとドーラも、ついたまらずに叫んでいた。


「(あかん! あかんであれ! なんでクロスさんを女性用下着売り場に連れ込むんや!)」

「(しまった! ユダっち男の人と付き合った経験が皆無だから、私と遊びに来るのと同じ感覚でクロスさんと買い物するつもりだったんだ! あれじゃあクロスさん通報されちゃうって!)」


 下着売り場から六十メートル離れた三階の空中回廊にて、モリスとドーラは戦慄する。


 しかしその声が届かないほどには二人の場所は遠く、その突っ込みがクロスの為に活かされることはなかった。


 当然、そんな突っ込みなど知りもしないユダは、クロスを引く手を緩めない。


 しかしそのモリスとドーラの突っ込みのかわりに、セラがユダに声をかけた。


「ユダさん、今日はブラジャーを買いに来たんですか?」

「うん、そう!」

「そうですか。ではクロスさん、駄々をこねていないでさっさと行きますよ? 今日は大切な親睦会なのですから」

「ヴォッ!?」


 セラはクロスの背後を回り込むと、ユダが掴んだ腕と反対側のクロスの腕を掴んで引っ張っていく。


 突っ込み不在の恐怖。クロスは二人がかりで両腕を拘束されて引きずられる。


 クロスはそれこそ駄々をこねるように首をイヤイヤと左右に振っていたが、しかし強引に振り払えるほど強気にもなれず、なすすべなく少女二人に牽引されるしかなかった。


「(あかん! セラ、真面目人間すぎて目的以外が目に入っとらん!)」

「(クロスさんすっごい引っ張られてる! いやダメだって! 男の人そこに引きずり込んじゃダメだって! お願いだから気付いて上げて! クロスさんめちゃくちゃ嫌がってるって! 他の買い物客もチラチラ見てるって!)」


 モリスとドーラがクロスを心配したが、ユダとセラはそんなことには気付きもしないで、クロスをさらに深い女の(その)にまで連れ去っていく。


「オォゥ……」


 クロスはついに女性用下着売り場の奥に放り込まれた。


 隣を通りすぎていくボディスーツにコルセット。丁寧にハンガーに掛けられたローライズのパンツにTバック。スポーツブラやナイトブラのコーナーを抜けていくと、クロスはブラジャーが十六方位に密集する最下層にたどり着く。


「いっぱいブラジャーあるね! どれがいいだろ? ……えっと、こういうのはどうかなクロスさん!?」


 ユダは雑多な下着の中から、比較的布面積の少ないブラジャーを手に取って見せる。


「それはトップレスブラと呼ばれる品ですね。しかしそれは胸がある程度あることが前提のブラです、ユダさんのサイズはないのでは?」

「あ、本当だ。……じゃあ、これは?」


 ユダはそう言うと、薄紫色でパンダの刺繍の入ったやわらかそうなブラジャーを手に取って見せた。


「それはナイトブラ。寝る時用です」

「へ~、そうなんだ。……う~ん、なかなか難しいね?」

「ユダさんは下着を選んだことがないのですか?」

「うん。一応数は買ってあるけど、ジュニア用のスポーツブラしかないんだ。だって胸大きくならないし、まるで必要なかったから」

「……それはあまり良くないことですね。今からでも下着はしっかり選んでおきましょう。ズボラな大人になってしまっては人生損しますから」

「うん! そうだね! ありがとうセラ!」


 二人はそうして二人並んでブラジャーを吟味し始める。その姿は周囲に溶け込むほどに自然で、むしろこの女性用下着売り場が求める理想的な買い物客の姿だった。


「……オォ。……オゥ」


 そしてその背後では、クロスが怯えるように背中を丸めて、脇を締めて、そして縮こまって隠れていた。


 周囲には他にも女性買い物客がいる。女性用下着売り場にあからさまに異質な黒いロングコートの男がいては、その姿は嫌でも目立ってしまうものだった。


 女性用下着の隙間からクロスの姿をチラチラと見る女性客もいれば、通りすがりに視界に入れて、ギョッと驚いてクロスから距離を取る女性客もいた。


 陳列棚の間隔をあけて品物を探しやすくするというマーケティングテクニックもあり、身長187センチのクロスがどれほど身を屈めようともその視線から逃れることはできない。


 時折現れるごく一般的な買い物客は、縮こまるハードレザー黒ロングコートの大男に驚愕すると慌てて逃げて行っていた。


「(クロスさんちっちゃくなっとる! なんかお化け屋敷で怯える子供みたいになっとるで!?)」

「(うっわ~。クロスさん下着売り場だと洒落にならないくらい目立つね。あんなの見かけたら私通報するわ。ユダとセラがすこし離れただけであんなに危険人物に見えるとは思わなかった)」


 モリスやドーラから見れば、クロスは(あで)やかな女性の世界に墨汁をポタリと垂らしたかのような不気味な存在だった。思わずとっさに布で拭ってしまいたくなるような異質な黒さだ。


 やっぱり警備員を呼ぶべきだろうか。早くもそんな思考になりつつあった周囲の女性客を無視して、ユダとセラはブラジャーの吟味を続けていた。


「ちょっと見栄張ってワンサイズ上にしようかな?」

「それはやめた方がいいですよ。まずは身の丈に合ったものが一番です。サイズはそのままにして、色とか装飾の気に入ったものを選びましょう」

「色……。それなら黒とか紫とか、大人びた色がいいな。それでね、なんか、可愛いレースの付いててキラキラしているようなやつ」

「……それは勝負下着でも探しているのですか?」

「勝負下着? そういうのもあるんだ? 勝負に使うのなら動きやすそうでいいかも。勝負下着ってどこにあるんだろ?」


「(ユダ先輩女子力低すぎるで!? 日本の性教育どうなっとるんや!?)」

「(ユダっち! あなたいまだに色つきリップクリームすら卒業していないお子ちゃまでしょ!? 勝負下着なんて百年早いよ! 余計な背伸びしないでよ!)」


 勝負下着を探して目をキョロキョロと動かしたユダは、ふと思いついたようにクロスに向かって振り返った。


「あ、そうだクロスさん! クロスさんはどんな下着がいいと思う?」

「ヴォッ!?」


 クロスは驚愕して半歩退いた。


「(男に自分の下着を選ばせるんかい!?)」

「(勝負下着なんてクロスさんが選べるわけないでしょうが!?)」


 モリスとドーラの突っ込みも加速する。


 しかしそんなモリスとドーラの心配などよそにして、セラもまた真面目な視点からクロスに選択を迫った。


「そうですね。勝負下着を選ぶなら男性の視点も大切ですよね。クロスさん、選んでください」

「オッ、オ!? オゥフ……!?」


「(セラぁ!? そこは突っ込みを入れる所やでぇ!?)」


 ドーラの突っ込みが空を切る。その突っ込みが空間を越えて届いたりなんてもちろんしない。


 この場にクロスを守ってくれる味方などいなかった。クロスは怯えるように後ずさりながら、クロスを全方位から威圧している下着たちを見た。


 ちなみにクロスのその頭脳をもってすれば、ユダの下着のサイズを合わせることくらいは可能だった。


 視覚情報から得られるユダの3サイズは、B/67、W/59、H/68、そこに±1㎝の誤差が加わる。店に入ってクロスの視界に入った17,239点4,228種の下着のうち、サイズが順当なものは512点、その中でユダのサイズにピッタリな品は112点もあった。さらに店内を巡回して視覚情報を増やせば、さらに2.3倍はその検索結果を増やせるだろう。


 だが、その112点の中からクロスの好みの女性用下着を選べといわれても、選べるわけがない。ましてや勝負下着など選ぼうものなら、クロスは人間性を疑われてしまう。


「(クロスさん絶対に選んじゃダメだよ! ユダっちはその勝負下着を普段使いにも着て、【「この下着はクロスさんが選んでくれたんだよ!」】って学校で自慢するまでがセットだからね! そうなった日にはクロスさんは社会的に死んじゃうんだからね!)」


 モリスが合理的な未来予測を立てる。


 しかしクロスが視界を彷徨わせてたじろいていると、ユダは追撃を掛けるようにブラジャーを手に持ってクロスに近づいてきていた。


「これなんかどうかな!? これをつけたら私も一気に大人になれる気がする!」


 ユダが手に持っているのは胡蝶蘭の刺繍入りの派手なフルカップブラジャーだった。

 ヴァイオレットパープルのシルク生地に、シャドウブラックのラインの入った熟練者向けの下着だ。しかも乳首が透けて見えるタイプ。


 そんなブラジャーに賛同なんてしたら、クロスはもちろん死ぬ。


「オゥフ……」


 クロスは後ずさった。しかし背後にはフリルが多めの三角ブラが肩を並べる陳列棚があり、それ以上の後退を許してくれない。


 クロスは窮地に立たされていた。

 正義の味方を相手にしても圧倒してみせるほどの実力の持ち主が、今は死の恐怖に怯えるしかない小人のようだった。暴走を始めた女子力の前には、クロスなど矮小な男に過ぎなかったのだ。


 そしてユダから放たれる精神攻撃に追従して、セラもまたクロスを追い詰めていく。


「なかなか大胆なものを選びましたねユダさん。私はそれをおすすめしませんが、大切なのは男性の意見ですよね? クロスさんはこういった大胆な下着の中からユダさんに合いそうなものを探してあげてください。見つけたら指で指し示してくれればそれで結構ですので」

「ウゥ……」


 クロスは肩を丸めて周囲を探った。もちろん下着を探すためではなく、逃げ道を探してである。


 しかし無情にも、それを逃すまいとユダがクロスの腕に飛びついて拘束してくる。


「えへへ、クロスさん! あっちにももっとたくさん下着があったよ! 一緒に探そっ!」


 それはもう幸せそうな笑顔をしたユダが、クロスをさらなる魔境の奥へと引っ張っていく。


 悲しいことに、その笑顔を振り払ってまで逃げる勇気がクロスには無かった。さらに奥から現れてくるオープンブラやGストリングスパンツといった、本格的に布面積の少ない勝負下着コーナーにてただ震えるしかなかった。


「(もうやめてあげて! 通報されちゃうよ!)」

「(あかんでセラ!? そこから先は危険な領域や!)」


 モリスとドーラが心配するが、ユダもセラもその危険性に気付かない。


 そしてついにたどり着いた色鮮やかな魔界の深淵にて、ユダはクロスに意見を求めた。


「わー、ここはすごい下着が多いねー! このパンツとかお尻に食い込んじゃうよね。大人の女性はみんなこういうのを毎日履いているんだからすごいよ。私も頑張って大人にならないと」


 ユダはジュエリーつきの真っ赤な紐ハイレグTバックを指でつまんでそう感嘆する。


「(ユダっち! どうしてそんなに知識が偏ってるのさ!? 学校にそんな紐パン履いてくる人いなかったよね!? そんなの毎日履いてたら大人の女性を飛び越えてサキュバスになっちゃうよ!?)」


 モリスは頭を抱えて困惑した。


「大人向けのエリアだけあって、ここのブラは大きな人用のサイズしかないですね……」


 セラがそこらにあったプリンセス風のホワイトシルクブラジャーを手にとって、おもむろに自分の胸に当ててみる。

 所詮中学生に過ぎないセラの胸では、Dカップ相当のブラジャーは【「出直してこい」】と言わんばかりに露骨に空間を広げて拒絶していた。


 セラはそんな胸囲的な格差社会に少しだけ呆然としてから、苦々しい表情をしてそのブラジャーを棚に戻す。


 そんなセラの様子を見ていたユダもまた、視界に入ったブラックシルクの悪役令嬢風のフルカップブラを手に取ってみた。

 しかしCカップ相当のそのブラジャーは試着するまでもなくユダの胸には分不相応だ。ためしに胸に当ててみるまでもないことは分かりきっていた。


 そこでなにをとち狂ったか、ユダはクロスの胸にその悪役令嬢風ブラジャーを押し当てる。


「わっ!わっ! クロスさんならこのサイズいけるよ! 大胸筋ってすごい!」

「ム、ムゥ……?」


 クロスの胸に悪役令嬢風のブラジャーがはめ込まれる。ぴったりはまるように見えたのは体格差から来る錯覚で、男の大胸筋ではさすがにトップの高さに空間が開いていた。


 だが、ユダは手早い動きで、さも当たり前のようにクロスの手をブラジャーの肩ひもの内側に放りこむと、抱きつくようにしてクロスの両脇に手をまわし背中のホックをつなぎ合わせる。


 その瞬間、フードとマフラーで顔を隠した黒いロングコートの男が、ラメ入りの黒色ブラジャーを装着しているという、なんとも形容しがたい謎の生物が誕生した。


「似合うかどうかは別として、クロスさんって女性用下着もいけるんだね! なんだか羨ましい!」


 ユダは両手を合わせてクロスに尊敬の意を見せた。


「(羨ましくないよ!? クロスさんがつけてもただの変態だよ!? クロスさんは着せ替え人形にしていい人種じゃないからやめてあげて!?)」

「(……あの見た目、まさにファッションモンスターやな)」

「(もはやクリーチャーだよ!?)」


「男の癖に、私よりもスタイルがいいとか……」


 色々な突っ込みを無視して、セラは自分の胸に手を当てて落ち込んでいた。


 そしてクロスは困惑した面持ちでユダとセラを交互に見ていた。無理やりブラジャーを取り付けられた状態で、どうしたものかとユダの反応を待っていた。


「うーん、でもどうしよう? このブラもこれより小さいサイズ売っていないみたい。クロスさんとお揃いでそろえたかったんだけどな」


「(あなた普段からクロスさんにブラ付けさせる気だったの!?)」


「ではユダさん、そちらなどはいかかでしょう? 勝負下着ではないですけど、同じく黒でラメ入りですよ?」


 セラが指差したのは、棚を一つ越えた先にある、マネキンの付けた展示用のチューブトップブラだった。


「あ、いいかも! あれかっこいい!」


 ユダはパタパタと速足でその商品の近くまで駆け寄る。そして棚に畳まれて置いていた黒いラメ入りチューブトップブラを手に取った。


「へー、肩に掛ける紐がないんだ」

「チューブトップブラという品ですね。胸にさらしのように巻きます。これにしますか?」

「うん! これに決める! これすごく私の好み!」

「そうですか。幸いAサイズもあるみたいですね。念のためサイズを合わせておきましょう。試着室はそこです」

「ありがとう! ……あ、セラも何か買うの?」

「ええ。……このチューブトップブラ、なかなかいいデサインしてますね。色違いですが、私もお揃いのものを買ってもいいですか?」

「うん、もちろん! あ、一緒に試着してみようよ! 他にもちょっと聞いてみたい事があったの!」

「ええ、いいですよ」


 ユダとセラは二人で一つの試着室に入っていく


 そして、クロスは忘れ去られていた。その二人の一瞬のうっかりが命取りだった。


「ムッ! ……クッ、クゥッ!? ……ヴォオオオ!?」


 クロスはブラのホックが外せずに悪戦苦闘していた。両手を腰の後ろに回してみるが、背中のホックに手が届かない。肩の上から手を回してみても、やはり背中のホックに手が届かない。ピョンピョンと小さく跳ねてみても、やっぱり背中のホックに手が届かない。


「(あ、あかん! クロスさんブラつけたまま放置されとる!)」

「(ちょっ、危ない! クロスさん隠れて! 背後から人が来てるよ!?)」


 クロスは関節が固く、まるで手が背後に回せないでいた。


 そうして体を前傾に倒してみて両手を背後に伸ばしていた時、背後から二十代前後の若い女性客が現れ、クロスとバッチリ目と目が合ってしまった。


「……っ!?」


 その女性客はクロスを見かけると、悲鳴こそ上げなかったものの小さく飛び跳ねるように驚き、両腕と脇を閉じて無意識に身を守っていた。


 黒く重々しいロングコート。不気味なほど丁寧に素顔を隠すフードとマフラー。その奥に煌めく赤く充血した目。その赤い目は猛禽類のように獰猛で圧倒されるほど強者的で、体格もその女性の三倍はある(ように感じる)。一度その豪腕がその女性を包めば、逃げられないよう拘束するどころか大蛇のように骨をへし折って圧殺してしまうことだろう。


 そんな男が、なぜかラメ入り銀糸織りの高級そうな女性用ブラジャーを身につけ、背中を丸めて女性用下着売り場の奥に身を潜めているのだ。


 良く見れば、近くに人を(さら)って身を隠すにはおあつらえ向きな全身をすっぽりと隠せる試着室もあった。


「…………あ、……ああ」


 その女性は声を潜めて恐怖した。両足が大きく震え出し、力無くすり足で数歩後退して停止する。寒さに震えるように歯をカチカチと噛み合わせ、噴き出した冷や汗が全身を濡らし、失禁しそうなほどに目を見開く。


 クロスにはわかった。その女性は生命の危機を感じ、ドーパミンやエンドルフィンといった脳内物質を過剰に分泌させているようだった。

 それはつまり、山奥で熊や狼に囲まれていると同じ反応だ。クロスは人のはらわたを貪り喰う野生の獣と同格の変質者に見えているようだ。


 今はまだ、その女性は恐怖ゆえに身動きが取れていないが、約5秒後には神経伝達物質を受容した運動神経が彼女を逃走に駆り立てるだろう。その際、クロスの起こすアクションのいかんによってはその女性は絶叫を上げながら全力疾走する。そうなっては警察沙汰だ。


 ゆえにクロスは、どうすることも出来ず、身じろぎ一つ出来ず、ただマネキン人形のように前傾姿勢で固まっていた。


「はぁっ……。はぁっ…………!」


 その女性はじりじりと後退していく。聞きかじりのサバイバル術の内容そのままに、視線はしっかりとクロスの目を見ながらも少しずつ後退して距離を取る。


 幸いなことに、クロスを刺激しないようにその女性は声を抑えて逃げようとしてくれていた。ゆっくりと後進するその女性は、静かに商品棚と柱の陰に消えて、やがて見えなくなっていった。


「(ドーラ! クロスさんと合流しよう! あれじゃすぐに通報される!)」

「(せやな! うちはあの逃げた女性を説得してくるで!)」


 モリスとドーラがクロスの元へ駆けだした。


 だが、その行動はもはや手遅れに近い。


「…………ハッ!?」


 クロスは気配を感じて振り返った。商品棚二つ分奥から、また別の女性客が歩いて近づいて来る足音が聞こえてきたのだ。


 その女性の歩調からすると、途中で足を止めなければ16.25秒後から17秒後にはクロスの存在が視界に入るだろう。


 それだけではない、さらにクロスの優れた視覚は、窓ガラスの反射から他の方角から来る女性客も察知した。


 西南西から歩いてくる女性二人組は最短24秒後にクロスの元に到達する。

 南南東から歩いてくる女性客は距離こそ遠いが、目的の品があるのか真っすぐにクロスの方角に歩いて来ており、最短で21秒後にクロスの元に到達する。


 つまり、もはや一刻の猶予もない。


「ねえねえ、胸を寄せて上げるとおっぱいおっきくなるって聞いたんだけど、それってどうやればいいの?」

「……ユダさん、それは次のステップの技術です。私たちにはまだ不可能な技ですね」


 背後の更衣室では、ユダとセラがそんなクロスの危機的状況に気付きもせずに会話していた。


 クロスはモリスとドーラが走って来ていることには気づいていた。だが、その二人が到着するのは約42秒・±1.5秒後だ。とてもじゃないが間に合わない。


「……ユ、……ダ。…………ユ、ダ……!」


 慌ててクロスは必死になって、焼けただれた声帯でもギリギリ発音可能な名前を呼んだ。


 だが、か細く、空気に沈んでしまいそうなその重低音は、なかなかカーテンを越えてユダの耳まで届かない。


「ユ、ダ……!」


 クロスはそれでも、可能な限り声量を上げて助けを呼ぶ。


「あれ? クロスさん? なに? 呼んだ?」

「!? 待って下さいユダさん! せめて上着を着てから顔を出して下さい!」


 更衣室のカーテンが僅かに揺れた。どうやらユダはセラに制止されたようだった。中ではまだユダは着替えているようで、早急な救援は期待できないみたいだ。


 時間切れだ、ユダは間に合わない。4秒後、クロスの斜め右後方から新たな女性客が顔を出す。


 クロスはとっさに、いたしかたなく、思いつきで回避行動を取った。


「……はい、上着来たよ! セラのもサイズぴったりだったね! 白のブラはお姫様みたいでかわいかったよ!」

「ありがとうございます。では、レジに行きましょうか」


 ユダとセラが二人仲良く試着室から出てくる。


 しかし、不思議なことに周囲にクロスの姿はない。


「あれ? クロスさんは?」


 ユダはクロスを探した。ふと左側に人影が現れたが、それはクロスではなく別の女性客が歩いて来ていただけだった。


「おかしいな? さっきまでそこにいたのに?」


 頭一つ突き出して見える大男が視界のどこにも見当たらないのは不自然な話だった。ユダは辺りをくまなく探すが、なぜだかクロスの体の一片も視界に入ることはない。


 だが、ユダの隣にいたセラは、あっさりとクロスを見つけたようだった。


「……なにをやっているんですか? クロスさん?」


 セラが左を向いてそう言った。


 ユダもまた、セラの視線の先を見た。


「オッ……オッ…………」


 クロスは隣の試着室のカーテンにくるまり、足と頭だけ出して、ミノムシのような状態で丸まっていた。


 身長187センチの大男が無理に隠れようとしたそのずいぶんとシュールな光景に、ユダは思わず噴き出してしまっていた。




 ……その後、ユダはモリスにこっぴどく怒られた。


 ぶっちゃけ最初に助けた相手がユダじゃなければ、クロスさんは女の子を膝に乗せてアイスクリームを食べるだけの簡単な仕事をしてました。

 現実は非情である。


 ずいぶんと残念な姿を見せてしまったクロスさん。しかし、こんな姿を見れるのはおそらく最初で最後でしょう。

 なにせアクションジャンル。これから加速して行く物語を考えれば、優しさゆえに臆病になるシーンなどなかなか書けなくなってしまうものですから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ