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ダークヒーローが僕らを守ってくれている!  作者: 重源上人
VS.法律戦隊ジャスティスレンジャー編
10/76

第八話 こんにちは、クロスです。殺しに来ました。

「え! ちょっ、何!?」

「停電!?」


 ホワイトとパープルが慌てる。店内の照明は一つ残らず消えてしまっていた。


 窓のブラインドから漏れる斜光だけが店内を僅かに照らし、バーカウンター付近の足元だけを何とか見せている。窓から離れた場所は完全な暗闇に染まり、窓から最も離れた場所にいたレッドに至ってはズボンのすそが何とか見えるくらいで全身像はもはやわからなくなっていた。


「停電じゃないな、外の電気は明るい。おそらくブレーカーが落ちたんだ」


 窓のそばにいたブルーがブラインドを上げると、電飾多過の看板が放つ光が店内に差し込んできた。


 外の光は満足な光量とは言えず、ブルーの胸元くらいしか照らすことはできない。だがその僅かばかり漏れる光のおかげで、暗闇に椅子やテーブルの輪郭くらいはなんとか見ることができるようになった。


「やだ、ブレーカーが落ちるなんて初めてよ。どうすればいいのかしら?」

「私がブレーカーを上げてきてやるよ。これでもイエローだけあって電気系統には強いからな」


 イエローが席を立って手さぐりにテーブル伝いで歩きだす。


 その瞬間、扉の向こうでエレベータの稼働音が鳴った。それにはブルーが疑問を持った。


「電気が来ていないのに、エレベーターは動くのか?」

「落ちたのはこのフロアのブレーカーだけみたいだな。ここは賃貸ビルだからブレーカーは別々だ。メインのブレーカーが生きてるなら故障しててもすぐに直してやるよ」


 エレベーターはチンと音を鳴らしてこの階に止まる。その意外な状況にはイエローも驚いた。


「おいおいまじかよ、エレベーターここの階で止まったぞ? こりゃ降りてきた相手はきっと幽霊だな。古いホラー映画にでてくる、むやみに電灯チカチカさせるヤツ」

「やめてくださいそういうの! 暗いところで怖い話なんてしないでください!」

「安心しなホワイト。お前はホラー映画でも最後まで生き残るタイプだよ」


 そういうとイエローは手さぐりに椅子や丸テーブルを掴んで進み、店の扉をあけると電灯の一つも灯っていない暗闇の通路に出た。


「廊下も真っ暗だな……。壁伝いに行くしかないか」


 イエローは店内から出ていく。


 レッドたちから見る廊下は完全な暗闇で、イエローはまるでブラックホールに飲まれたかのように消えて見えた。


 そしてイエローが廊下に出て、十秒ほどの時間が流れた。


「……? 誰だ、お前は」


 そう、イエローが暗闇の中で呟く声が聞こえた。


 その声が聞こえた瞬間。陶器を割ったかのような破砕音が廊下から響いた。硬質な多数の破片がバラバラと廊下に散らばる音も店内にも聞こえてくる。


 店内の五人は各々その音に驚いた。


「何の音!?」

「あらやだイエロー、廊下のつぼを割っちゃったのかしら?」

「いや、割ったのはさっきエレベーターで降りてきた客かもしれないぞ?」

「ああ、そうかもしれないわね。……でもおかしいわね? みんな集まる時は外の看板を下ろしていたはずなんだけれど?」


 そうニーナは疑問を口にすると、ちょうどその時、入り口の扉の鈴が揺れた。カランカランと聞き慣れた筈の鈴の音が、暗闇では不思議と重々しく響いて聞こえた。


 姿は見えないが、イエローではない誰かが店内に入ってきたのだ。


「…………」


 その来訪者は入室しても何も話さない。窓の明かりでバーカウンター周辺の五人の姿は見えているはずなのだが、なぜか停電に疑問を持たずに無言で歩いて来る。


「ごめんなさいね。今このお店は閉店中なのよ。明日はあさ九時からお店をあけているから、また明日来てもらってもいいかしら?」


 ニーナはその来訪者に断りを入れた。


 しかしその来訪者はその言葉を無視するように突き進み、暗闇の中で椅子をどかしながらバーカウンターに近付いてくる。


 やがて窓からのやわらかい関節光を受け、その男のシルエットが足元から見えるようになってきた。

 黒いロングコートの裾が光に触れ、歩調に合わせて僅かに揺れている。その男の背は高く、手には暗い色のレザーグローブ。フードの奥に隠された素顔は見えない。


「……おい、まずいぞ、これは」


 最初に気が付いたのはレッドだった。


 だがもう遅い。


 黒いロングコートの男は、椅子を一つ掴んで引き寄せ、バーカウンターに近づいてきていた。


「みんな、逃げっ――!」


 振り上げられた鉄パイプ製のアンティークカフェチェアが、一瞬の勢いでレッドの顔面に振り下ろされた。


 レッドは椅子ごと背後に倒れ込み、それと同時に折れた椅子の足が地面に転がった。


「レッドさん!?」

「全員! 六法全書を取れ!」


 ブルーが全員に号令をかける。


 一番黒いロングコートの男に近かったホワイトは、椅子から立ってその場から離れ、窓付近に三人で集まる。


 バーカウンターの下に袋に入れて置かれていた六法全書をパープルが屈んで抜きとり、ホワイトの分も抜き取ると、パープルはすぐさまホワイトに六法全書を投げ渡した。そして即座に三人で六法全書を眼前に構えた。


「「「変身っ!」」」


 三人は同時に叫んだ。だが、何も起こらない。


「あれっ!? なんで!?」


 パープルが叫ぶ。

 六法全書はいつものように輝く事なく、それぞれの手の中で沈黙していた。


「そんなっ! 変身が出来ないなんて! あっ、きゃっ!」


 再び振り下ろされたカフェチェアが、六法全書越しにホワイトの顔を殴る。

 とっさに六法全書でガードできたとはいえ、強すぎる衝撃はホワイトを殴り飛ばした。ホワイトは背中を円形のテーブルの端にぶつけて横転し、いくつかの椅子とテーブルごとまとめて倒れこむ。


「ホワイトっ! 大丈夫!?」

「う、う……」


 パープルがホワイトに駆け寄った。ホワイトはテーブルで強く背中を打ちつけており、すぐには立ち上がれなさそうな痛みを負っていたようだった。


「ホワイトっ! くそ!」


 ブルーが六法全書を投げ捨てて駆けだす。とっさに足元のカウンターチェアを握り、破れかぶれに黒いロングコートの男に殴りかかろうと振り上げた。


「ブルー、離れて!」


 だがバーカウンターの奥からニーナが叫んだ。


 ニーナはテーブルの上にあった紙袋の中に手を突っ込むと、中から鋼鉄製の拳銃を取り出した。


 ブルーはとっさに立ち止まり、ニーナの様子を見る。


 黒いロングコートの男もニーナを正面に向けるように振り向く。その男の赤い目が窓の光を反射して、血と同じ燐赤色の眼球がフードの中に二つ漂っていた。


 ニーナはその赤い目の中間に銃口を向けた。黒いロングコートの男が銃を奪い取ろうと手を伸ばしてきたので、警告をする間もなくニーナは引き金を引く。


「きゃっ!」


 火花の炸裂音。ニーナは想像以上の反動を受け、弾かれるように両腕が跳ね上がった。


 その耳をつんざくような火薬の爆発音とともに、銃口からは実弾が飛び出す。


 だが、……弾丸は天井に穴を穿っただけだった。


 黒いロングコートの男の頭部は左に避けられていた。赤い目が空中に赤いラインの残滓を残し、その空中に残った赤い残滓はゆっくりとフードの奥に吸い込まれていくように見えた。


「そんな! 銃弾を、避けた!?」


 ニーナは驚き、目を見開く。


 気付けば伸ばされた男の手が拳銃のシリンダーを掴んでいた。そして黒いロングコートの男は拳銃をねじり取ろうと銃身を回転させる。


「あっ!」


 材木を叩き折ったかのような破砕音が、店内に響いた。


「ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 ニーナは叫んだ。引き金を握っていたニーナの人差し指が、トリガーガードに絡まりテコの原理で折られたのだ。


 折れた指から銃を引き抜くと、黒いロングコートの男は拳銃をそこらの暗闇の中に投げ捨てた。


「ニーナさん! テメェ、よくも!」


 ブルーはとっさにテーブルの上の紙袋を手に取った。中から剥き身のスティレットナイフを取り出すと、やみくもな動きで振り回す。


「…………」

「くっ! このっ!」


 黒いロングコートの男は後ろに下がりながらナイフを避ける。ほんの一瞬体をそらしただけで、ブルーのナイフは面白いように男に当たらなかった。

 薙ぎ、振り上げ、刺突、振り下ろし。まるで反発する磁石のように男の体は動き、ほんのあと一センチほどの距離でナイフは相手を切り裂けない。


 だが、黒いロングコートの男はすべての攻撃をギリギリで避けていたがゆえ、ほんの僅かに浮かび上がっただけのマフラーが、スティレットナイフに突き刺さって絡まった。


「ッ!?」


 黒いロングコートの男はあわてた。ナイフにマフラーが絡まったのは偶然であったが、ブルーはそれを勝機と見て、とっさにそのナイフを引き寄せた。


「素顔を見せやがれ! この怪人野郎!」


 ブルーは思いっきりそのマフラーを引っ張った。男の後頭部からマジックテープがはがれる音が鳴る。そしてマフラーに付随して、茶色いフェイスガードが一緒に地面に落ちた。

 マフラーを抜き取られた勢いでフードもめくり上がり、ブルーの背後の窓の明かりに照らされて男の素顔が明らかになる。


 ブルーはその素顔に驚き、そして同時に恐怖した。


「……う、うぉお!?」


 ブルーは無意識に半歩身を引いていた。


 黒いロングコートの男の顔は、頭部、鼻梁、頬、すべての皮膚が腐っているかのように黒かった。くぼんだ潰瘍の下に見える表情筋は赤黒く、朽ちた老木の樹皮のような頬には格子状に穴が開いており、中には歯と顎骨がチラチラと見える。


 もし、昼間にその顔を見ていればブルーは吐き気を催していたかもしれない。だが今は原始的な恐怖だけがブルーを支配していた。まるで理解できない恐怖を前にして、ブルーは初めて死の存在を知覚する。


「く、くるな! バケモノ!」


 ナイフの切っ先を向けてブルーは後ずさった。

 後ろに下がったところで逃げ道があったわけではないが、無意識のうちにブルーはへっぴり腰で退いていた。今、手に持っているナイフなど蟷螂の斧のようなものだと感じられてしまうほどだった。


 黒いバケモノは赤い目をきらめかせながらゆっくりと近付く。自然と捕食する側とされる側のような、圧倒的な立場の違いを感じてしまうほど、その黒いバケモノの存在は現実離れしていた。


「ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」

「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 黒いバケモノは手に持っていた脚の折れたパイプチェアを振り下ろした。


 ブルーはジャスティスアックスで防御するのと同じ感覚で、手に持ったナイフを掲げた。だがあっさりとナイフははじかれ、パイプチェアの硬い座面がブルーの頭部にめり込んだ。


 ブルーは顔面をカウンターテーブルに叩き付けて、鼻筋の通った高い鼻を押し潰す。その瞬間に裂けた鼻から円形に血しぶきがテーブルに飛び散った。一度だけ顔面を低くバウンドさせた後、ブルー床に横たわり完全に動かなくなった。


「…………」


 バケモノは足先でブルーを小突いて意識がないかを確認した。蹴られたブルーの頭部が力無く横を向くのを見ると、バケモノの赤い目はゆっくりとパープルの方向に向きなおった。


「……ひっ!」


 恐怖でパープルが短く悲鳴を上げる。


「パープル! 逃げろ!」


 壁に寄りかかったレッドが叫んだ。


 パープルはレッドを見て、同時にバケモノもレッドを見た。


 レッドは壁沿いに手を伸ばし、暗闇に投げ捨てられた拳銃を拾おうとしていた。


「ヴォオオオオオオオオオオオオオオ!」


 バケモノは手に持った椅子を投げ捨て、近くの円形テーブルを両手に持った。


 レッドは暗闇でわずかに光を反射する鋼鉄製の拳銃を見つけると、壁によりかかった姿勢から飛び出すように倒れこんで渾身の速さで手を伸ばす。 


「がっ!」


 だがレッドが拳銃を拾う寸前に、バケモノは近くのカフェテーブルの底でレッドの頭を思い切りよく叩きつけていた。

 テーブルを支える鉄製の円形土台がレッドの頭蓋にめり込み、鈍い音を立ててレッドも地面に倒れ伏す。


 その衝撃でテーブルの足は根元から折れはじけ飛んでいった。折れたテーブルの一本足はそこら辺に落ち、キンッ、キンッと堅い金属音を鳴らす。


 バケモノはテーブルの天盤だけを持って立ったまま、動かなくなったレッドを見下ろした状態で息を整えていた。


「い、いやあああああああああああああああ!」


 パープルは恐怖し、六法全書を抱えて逃げ出した。


 その廊下に出ていくパープルを、黒いバケモノは目で追いかける。赤い目がそのままパープルの背中に焦点を合わせて揺らぎ、ねめつく残光を描きながらバケモノはゆっくりとパープルを追いかけた。


「きゃっ!」


 廊下に出てすぐにパープルは何かに足を引っ掛けて転んだ。


 身をひねって体を起こすと、暗闇に転がっていたその障害物を見る。そしてパープルはその障害物の名前を震える声で呟いた。


「イ、イエロー……」


 廊下に転がっていたのはイエローだった。イエローは壁にもたれかかり、頭部から血を流していた。

 周囲には花瓶の破片が転がっており、廊下に出たイエローはこの花瓶で殴られたのであろうと、すぐにパープルは推理した。


「っひ!」


 振り返ると、カフェの入り口に真っ赤な目のバケモノが立っていた。暗闇でありながらその赤い目は爛々と輝き、その瞳の中に怯えるパープルの姿を血で塗ったかのように赤く映していた。


「いやぁっ!」


 パープルは再び走り出した。お守りのように六法全書を胸元に抱え、突き辺りにあるエレベーターまでとにかく走った。


 時折足をもつれさせながらも転ぶことはなく、パープルはエレベーターの前までたどり着くと叩きつけるようにエレベーターの呼び出しボタンを押した。


 その背後では黒いバケモノはゆっくりとイエローの体を乗り越えて、歩いてパープルに近づいてくる。


「はやく! はやく来てよ、エレベータァ!」


 パープルは涙声で叫ぶ。エレベーターはやっと一階から動き出したみたいで、のんびりとしたペースで二階、三階へと上がって来ていた。


 そうこうしているうちに黒いバケモノはパープルとの距離を刻一刻と詰めてくる。パープルは意味もなくエレベーターのボタンを連打した。


 チンッ! とパープルの頭上で音が鳴った。エレベーターの扉がゆっくりと開くと、パープルは滑り込むようにして入り込み、一階のボタンを殴るように押して、閉のボタンをとにかく連打した。


 だが、それと同じタイミングで、バケモノがエレベーターの外で、下三角形のエレベーターのボタンを優しく押していた。


「……ム?」


 バケモノが外のボタンを何度も押すが、閉じゆくエレベーターの扉が再び開くことがない。エレベーターは型式の古い廉価品で、途中での命令の書き換えが出来ない代物だったのだ。


 エレベーターの扉が、プシュッ、と空気を押し出したような音を立てて閉じた。


 扉が完全に閉まったことをパープルは見ると、エレベーターの壁に身をよりかけて、ほっと一息を付いて肩をなで下ろすことができた。


「ヴォォォォォォォォォォォォ!」


 エレベーターの外でバケモノが叫ぶ。


 次の瞬間、黒いバケモノの拳がエレベーターの窓ガラスを突き破って侵入してくる。


「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 パープルの体にガラス片が振りかかる。黒いレザーの拳がパープルの眼前にまで届いた。


 エレベーター内のスピーカーから、大音量でブザー音が鳴り響く。


[振動を感知しました。緊急停止します。再度エレベーターを稼働させる場合は、行き先階ボタンを二回押してください]

 少し遅れて機械音声のガイダンスメッセージが再生された。


 だが、そんなことは今のパープルには関係なかった。今、パープルの眼前すれすれを、バケモノの手が空気をかき回すように暴れているのだ。黒いレザー手袋をまとった大きな手が、パープルの体を掴もうと何度も指を開閉させている。


「いやあああああああああああああ!」


 パープルはエレベーターの角に身を押し付けた。


 かき回すように凶暴な手がパープルの前髪を揺らし、暴れるような殺意ある手がパープルの服の裾を引っ掻いた。


 そのエレベーターは五人乗りくらいの代物だったので、本当にギリギリの距離でパープルは体を掴まれないでいた。


「…………ムゥ」


 黒いバケモノはパープルを掴むことが出来ないと分かると、その手の動きをゆっくりと止めていく。

 黒い手がうなだれるように静かになり、蛇のように音もなくエレベーターから抜け出していった。


[振動を感知しました。緊急停止します。再度エレベーターを稼働させる場合は、行き先階ボタンを二回押してください]


 エレベーターのブザー音は変わらずけたたましい音を鳴らしていた。だが不思議とエレベーターの中は静かだった。


 パープルはうつむけた目を上げて、割れたガラスの向こう側を見た。


 エレベーターの外は完全な暗闇だった。動きの一切ない暗闇はまるで沼のように硬く、空気が固形化したかのような暗黒。その闇の中に黒いバケモノの姿はどこにもない。


[振動を感知しました。緊急停止します。再度エレベーターを稼働させる場合は、行き先階ボタンを二回押してください]

 アナウンスが静かに流れる。


 パープルは硬縮した体をゆっくり伸ばしていった。バケモノが再び顔をのぞかせる気配はなく、助かったのだという安心感がエレベーターの中に充満した。


 やがて自然とパープルの体からは力が抜けていき、そしてへたり込むように尻もちをついた。


[振動を感知しました。緊急停止します。再度エレベーターを稼働させる場合は、行き先階ボタンを二回押してください]

 ブザー音がもはや聞こえないくらい静かに感じられた。

 パープルは顎を引いて大きく息を吐くと、次の瞬間に何かに気付いたかのようにはっと顔を上げた。


「みんな! ……ああ、どうしよう」


 パープルは胸に抱いた六法全書をギュッと抱いて、視線を割れたガラスの向こうに向けた。


 黒いバケモノがここからいなくなったということは、向かう先はカフェの中しかない。バケモノはパープルを見逃して、中で倒れているみんなの息の根を完全に止めに戻ったのかもしれなかった。


「……はぁ、…………はぁ、…………………………………………ううっ」


 パープルは迷った。


 果たして、仲間を見捨てて自分だけ逃げてもいいのだろうか。仲間が殺されるかもしれないのに、自分だけこのまま、下に降りてもいいのだろうか。


 やがてパープルは弱々しくも決心を決めると、床を這って扉に近づいていく。扉伝いに体を起こし、頭を上げて割れたガラスの穴から廊下を覗いた。


 カフェ入口の扉の手前に動かなくなったイエローの体がうっすらと見えた。

 奥には夜光を反射するバーカウンターがある。

 カウンターに足元にはうつ伏せに倒れたブルー。


 見えた情報はそこまだった。それ以上の店内の様子は扉が邪魔して分からない。そして、廊下にも店内にも、揺れ動く黒いコートのバケモノの姿は見えなかった。


 パープルはより視界を広げようと、割れたガラスに顔を近づけた。


 その時だった。


「ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」

「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 突然現れた黒い手に、パープルは襟首を掴まれた。


 扉の影から黒いバケモノが現れる。割れたガラス越しにそのただれた顔がパープルの目と鼻の先にまで近づき、パープルはその眼前まで引き寄せられた。


 パープルはあわてて両手両足を使って扉から離れる。パープルの襟首が限界まで引き伸び、黒いバケモノの腕も一緒にエレベーターの中まで引き寄せられた。


「いやっ、いやっ、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 パープルは強く引き寄せられるが、両手両足で扉を押してとにかく抵抗する。だが、襟が引きちぎれそうなほどまでに力を入れても、まるで扉から離れることはできなかった。


「ヴォォォォォォォォォ!」

「ひっ!」


 さらにパープルの体は扉に引き寄せられる。

 パープルの襟の繊維がブチブチと音を立てて切れ始め、結果的にパープルの体は少しだけ扉と距離を取った。


 パープルは扉に片肘をつっかえ棒代わりに押し当て、もう片手で手に持った六法全書を持ち上げると、黒いバケモノの手の甲を叩いた。パープルの細腕では重い六法全書をろくに振り上げることが出来なかったが、それでもひたすらに叩き下ろした。


「いやっ! 放してっ! 放してぇっ!」

「グゥゥゥ!」


 バケモノが扉の向こうでうなる。その赤い目は六法全書に向けられていた。


 ボスッ、ボスッ、と黒いレザーの手袋に六法全書が落とされる。パープルの比較的大きな振りかぶりをした四回目の振り下ろしに合わせて、黒いバケモノは手を襟首から離し、代わりに六法全書を掴んだ。


「きゃぁ!」


 パープルは急に手を離されてエレベーターの奥に尻もちを突いて転げ落ちる。


 六法全書はパープルの手には無く、代わりに黒いバケモノの手に握られていた。


 黒いバケモノはゆっくりと六法全書をエレベーターの外に引きだしていった。そしておもむろに六法全書のページをめくって中を調べ始める。


「…………」


 黒いバケモノは最後のページにある怪人のデータチップの保管ページを見つけると、中から三枚ほどあった怪人のチップを抜き取りポケットに入れた。


 そして手に持った六法全書をみて少し逡巡した後、六法全書を暗闇に投げ捨てて再びホワイトを見た。


「……いや。…………いや、……………………来ない、で」


 パープルはエレベーターの端にうずくまり、ガラスの向こうに立つ黒いバケモノを涙目で見上げていた。


 その黒いバケモノはパープルを一瞥すると、再び暗闇の奥へ姿を消していった。


「……………………っひ、…………ひぃっ」


 パープルはひゃっくりをするような嗚咽を吐く。


 肩にかけていた紫のショールマントを頭にかぶり、エレベーターの床にうずくまって、ただただ震えた。もはや何かを考えることも出来ず、ただひたすらに恐怖して、エレベーターの中で丸まって動かなくなった。


 マントにくるまったパープルは時間の観念も無くし、エレベーターの中でひたすらにバケモノが再び現れないことだけを祈った。


………………………………………………………………………………………………

…………………………………………………………………………

……………………………………………

…………………………………

……パープルが目を覚ましたのは、次の日の朝になってからだった。



       ▼       ▼



「……すごい、すごいよ! クロスさん!」

「…………」


 ユダが錆びたドラム缶の上に並べられた、12枚の怪人チップに目を輝かせていた。その12枚のチップの中には、お菓子怪人のチップやゴミ怪人のチップも当然含まれている。


 クロスはジャスティスレンジャーをすべて気絶させた後、すべての六法全書から怪人のチップを抜き取り、そして雑居ビル街から少し離れた裏通りでユダと合流していた。


 そこは錆びた金網とコンクリートブロックの壁に挟まれた狭い路地。陰鬱とした空間は埃っぽく、街灯も一つとしてないうす暗い世界。そしてクロスの背後から差す雑居ビル街の光だけが唯一の光源だ。

 その背後の色のついたネオン混じりの光が無邪気に喜ぶユダの笑顔を照らし、逆にクロスのフードの中に暗黒を落としていた。


 ユダは視線を下に落とすと、ドラム缶の上のチップをひとつひとつ手に取って、そこに描かれたピクトグラム化された紋章を確認した。


「モリスのチップも、トミー君のチップも全部あるよ! ずっと前に殺されちゃった怪人さんのチップもあるよ! こんな事、夢みたい! またみんなに会えるなんて! はやく秘密基地に帰って、みんなを生き返らせなくちゃ!」


 ユダはドラム缶の上のチップを両手でかき集めると、ジャージの大きなポケットの中に詰め込み、満面の笑顔でクロスの服の袖を掴んで引っ張った。


 クロスはユダに引かれるままに街中を走った。ユダが息を切らしながら街の郊外まで抜けても、クロスは一声も出さずに、完全な無言のままユダに付いていっていた。



        ▼      ▼



 ……クロスは、怯えていた。

 自分は、バケモノだ。バケモノだった。バケモノであった自分が、レッドやパープルの目に映っていた。


 今、たとえばここで素顔をさらせば、ユダもクロスの事を見てバケモノと恐怖するのであろうか? たとえ恐怖しなかったとしても、この腐臭の匂いそうな顔を見れば、嫌悪感を感じるのではないだろうか?


 クロスは生まれて、初めて自分の醜さを客観的に見た気がした。今でこそユダはクロスに懐いているが、いつか怖がらせてしまうのではないかと思うと寒気のような恐怖を感じてしまう。


 もし唯一慕ってくれたユダが今後クロスをみて怯えるようになるならば、それはクロスにとって永遠に孤独に生きなければならない証明となりえるだろう。先入観なしに他人と知り合える機会など、クロスとっては奇跡的な偶然でしか起こり得ない。ましてや他者と良好な関係を得られることなど、二度と起こり得ない真の奇跡なのだ。一人ぼっちの期間の長過ぎたクロスには、ユダの存在は何よりも大切だった。


 ゆえにクロスは、なされるがままに手を引くユダについていくしかなかった。


 怖がらせないようにと、自然とクロスの背中は丸くなり、本来の姿よりもはるかにちぢこまって見せていた。



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