儚き記憶 4
桜とその前に誰かが立っている風景。その記憶が彼女の奥底に眠っている。それだけでも手掛かりになりそうだった。
先ほどの指を鳴らした音がその記憶を呼び覚ましたのかもしれない。
真樹は、今度は自分で指を鳴らした。
「パチン」
そして、女性に向かって一つの提案をする。
「あの、もしよろしければ、桜を見に行きませんか?」
女性は「えっ」と真樹からの質問を聞き返す。
「先ほど、あなたは桜の風景を思い出されましたよね?でしたら、実際に桜の咲いている場所に行けばもっと何かを思い出すかもしれません」
真樹は女性が返事をしないうちに、「こちらへどうぞ」と誘導した。女性もただ、その指示にすんなりと従い、着いていく。
先ほど、真樹が入っていったバックヤードへと繋がる扉の前。真樹がドアを二回ノックする。
「ここって店の事務所か何かに繋がってるんじゃないんですか?」
真樹は得意気にそれを否定する。
「いえいえ、それは先ほどの話ですよ。今は、そうですねえ、好きなところへと飛んでいける魔法の扉と言うところでしょうか。そうそう、そのような道具が出てくる漫画もありましたね。まあ、それと同じような物だと考えてください」
真樹はドアに近づき、ゆっくりとノブを捻る。そして、開け放つ。
時間は夜だ。真っ暗で静かな空間の中で、一本の桜の木が月光に照らされ、まるでスポットライトを浴びているように際立っていた。時折、風が吹き抜けると、ピンク色の花びらが散って風の流れに乗り、鮮やかに飛び交っていく。
女性は多少の驚きを覚えながらドアを通過する。ちょうど完全にその空間までくぐり抜けた時、それまであったドアはいつの間にか姿を消していた。
「さあ、もっと近づいてみましょう」
真樹は女性の手を取り、桜に向かって歩み寄ろうとした。
だが、それと同時に真樹の脳内にひびが入ったような痛みが走った。
「あっ、痛たたっ」
桜、三鷹なつみ、夜の風景。
慌てて真樹は女性の手を離し、自分の頭を抱え込んだ。
それでも痛みは治まる様子がない。
桜、三鷹なつみ、夜の風景。
この風景は真樹が唯一記憶に残っている、桜のある場所だ。
それを呼び起こして具現化したものだが、何故、ここで頭痛が起こったのか。真樹には最初分からなかったが、少しずつ、記憶の糸が一つに纏まり始めていた。
桜と三鷹なつみ、そして、この月明かりの下の夜の風景。
そうだ、これは実際の風景だ、
女性は「大丈夫ですか?」と心配そうに真樹を気遣っている。
真樹がその記憶の意味に辿り着くと、頭痛からもようやく解放された。
そうだ、この風景は虚栄ではない、現実だったものだ。
「あ、ああ、大丈夫です。なつみさん」
女性は真樹の口からようやく自分の名前が呼ばれたことに、溢れ出た嬉しさから一筋の涙をこぼした。
「やっと、思い出してくれたんですね」
なつみは真樹の右手を両手で包み込みながら、「ありがとう」と小さく呟いた。