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BAR eternity の日常  作者: 桜月 蒼
3/7

儚き記憶 3

十分ほどして、バックヤードから戻ってきた真樹は首を捻りながら眉間にしわを寄せていた。


「オーナー、何かありましたか?」


進士が不思議そうな表情で俯き加減の真樹の顔を覗き込む。


「いや…今確認してきたが居ないんだ」


自身の名前を「三鷹なつみ」と言った女性は、きょとんとして二人の会話を見守っている。


「居ないって、三鷹なつみという人がリストに入っていないということですか?」


普段はポーカーフェィスの進士が、多少の驚きを含ませながら訊く。真樹は「ああ」と気の無い返事をしながらカウンター席に再び腰掛け、顎に右手を添えながら思考を巡らせ始めた。


黙り込んでしまった二人に女性は「ど、どうしたんですか?」と疑問を投げかける。が、返事がない。


進士も手を止めて真樹の考えが纏まるのをじっと待っているようだった。


店内には柔らかな曲調のジャズが絶え間なく流れており、沈黙の空間をそのBGMのみが埋めようとしていた。


真樹がゆっくりと女性の方を向き、問いかけをする。


「貴方は先ほど記憶がないと言いましたが、どの時点からの記憶なら覚えてらっしゃいますか?」


女性はくりっとした瞳を潤ませて真樹をじっと見つめる。真樹は真っ直ぐな視線に、「キュン」とした胸の高鳴りを覚えたが必死で隠しながら返事を待った。そんな真樹の動揺をよそに、女性の瞼には少しずつ涙が滲んできていた。


「それが気付いたらこの店の前に居て。私は一体どうしたら良いんでしょうか?」


真樹は慌てて女性を宥め始める。


「ああ、ちょっと、な、泣かないでください。ああ、どうしようかなあ、こんなことは初めてだし。ああ、困ったなあ」


真木は右往左往するが、下手に女性に触れたりすれば進士から手厳しい攻撃が与えられるのは目に見えている。

どうしたものだろうか。目の前には泣いている女性。しかも、その正体が分からない。先ほどこの女性は「三鷹なつみ」と名乗ったが、それが本当かどうかすらも確認できないのだ。真樹と進士にはお手上げの状態だった。


パチン。


真樹は周囲を確認した。

聞こえた。確かに聞こえた。が、音の主は真樹ではない。慌てて進士の方を確認する。だが、進士も首を横に振って否定する。




このバーでは時折、奇跡が起こる。


亡くなった恋人に会えたり、自身の人生の分岐点に戻ったり、本来ならば起こりえないような事が、実際に人の想いによって実現される瞬間を真樹たちは見てきた。それこそ何万通りの奇跡だ。

その奇跡の起こる条件を満たした時、真樹は指を鳴らす。そして、それを合図にして、新しい物語が生み出されるのだ。


だが、先ほどの「パチン」という音は真樹が出したものではなかった。


もちろん進士でもない。三鷹なつみと名乗っている女性は手で顔を覆って、相変わらずか細い泣き声を漏らしている。


店内にはこの三人しか居ないはずだ。他に誰かがいたとしても先ほどの指を鳴らした音は出せない。真樹は混乱して、また頭を抱え出した。


すると、少し落ち着き始めたその女性が顔を上げた。


「あ、ひ、一つだけ、お、思い出しました」


まだ涙声のまま、そして目を赤く腫らしたまま、そう告げる。真樹は女性をなるだけ動揺させないように、優しく訊き返す。


「何を思い出しましたか?」


女性は小さな声で、呟く。


「桜とその前に誰かが立っている風景が、今、頭に浮かんできました。そして、それを思い出したら胸が、すごく苦しい感じになって」


桜と誰だか分からないが一人の人物。まったく何も分からなかった先ほどの状況から考えれば、これだけでも大きな収穫だった。


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