自由世代
ふと、考えたので書きました。とりあえずまったり書いていこうかと思っています。
始めての執筆なのでお手柔らかにどうぞ…
ゆとり世代・さとり世代等、昔の日本の若者は名前を付けられてきた----
いまでもまた、彼らは名前を付けられている。ただし同じ年に生まれた彼らの98%は"若者"だ。
残りの2%を「自由世代」と政府は呼んでいる。
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「キーンコーンカーンコーン」彼が小学生のときから変わらない音階で、耳障りのような安心感のある音でハッと我に返った。
我に返ったと言っても、妄想に耽っていたとか何かに見とれていた、というわけでもない。
小学校から中学校、中学校から高校へと進学し、クラスを決め"始めてのHR"…というが、
話し手は別だが何度も聞くような先生の挨拶に対して上の空だったのである。
「出席を取るぞ」…このセリフもいい加減聞き飽きた。
高校に入ってから初めてだというのに、聞き飽きたというのもおかしな話だが…
「おい蔵元。蔵元優!ユウであってるよな?」
先生から返事をしないことに対しての疑問が飛ぶ。
自分が呼ばれる順番も計算しないまま、上の空で過ごしていた結果だ。
「はい。」とだけ答える。なんとも無愛想な高校一年生、という印象だけ与え、点呼は続いた…
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彼の名は蔵元優。一人っ子であり、周囲の評価はいわゆる「できそこない」である。
とくに目立って悪さをしているわけでもなく、黒髪で切れ目である彼を一見すると好青年にもみえる。
なぜ「できそこない」などと不名誉な評価を付けられているのかというと、
彼の勉学の成績に対する評価である。
「勉強ができない」といわれているが、実際は「ある程度勉強はできないとおかしい」という周囲の評価である。
なぜ勉強ができないとおかしいのか。
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十数年前から政府公認で、全ての新生児に対しナノマシンの注入が行われた。
それにより脳の発達とともに、知識の吸収、思考の導き、さらに成人後の適正職への就職など全てにおいて管理されている。
これにより不況続きであった日本のGDPの回復、生産効率の強化、正規雇用の拡大等々…あげればきりがないほど目覚ましい結果を生んでいる。
知識の吸収、とあったがこれにより勉学に対しては多少の上下はあるもののほぼ均一化されているのである。
生まれながらに持った素質、"個体差"によって吸収される情報量は上下されると考えられているが、これも誤差の範囲内である。
先に述べたように知識の上下は"基本"誤差であるがゆえに、小学校から高校まで地域が違うだけでエスカレーター式に上がることができる。
だが、その誤差である範囲を逸脱し、彼は定期テストの点数が著しく低かったのだ-------。
ではなぜナノマシンを注入されている彼の能力が低いのかというと、彼の同世代に注入したナノマシンのおよそ2%に不完全な部分があったからだ。
これに対して政府は「思考の統制ができない、彼らは我々から自由だ。」という皮肉を込めて彼らを「自由世代」と呼んでいる。
ただし彼が自由世代ということを認識している人間は教員、さらには本人も含めこの高校ではまだ誰も知らない…なぜなら自由世代という認識をないものとする、そう思考を導かれているからだ。