もぐもぐ、ごっくん
ある晴れた日のことなのです。
もしかしたら曇ってたかもしれませんが、まあ細かいことはどうでもいいでしょう。
ぶらぶらと山を歩いていた私は、偶然一人のおばあさんと出会いました。
「ふむふむ、このキノコは食べちゃだめなのですね」
「ああ、ようく覚えておおき。その赤は毒の色さ」
おばあさんは私が手に持っていたキノコをものすごい勢いで叩きおとし、キノコに触った手をよく洗うようにと持っていた飲み水を、私に差し出してくれたのです。
山の中でまさかそんな親切なおばあさんに会えると思ってなかったので、とっても嬉しくなった私は、おばあさんと近くの切り株に並んで腰掛けて、しばらくお話することにしました。
「へええ、小さいのに一人で旅をねえ。こんな山の中、一人じゃ危ないだろう」
「大丈夫なのです、これでも私強いのです」
「でもねえ……そうだ、良かったらうちに泊まってかないかい? 夜の山は危ないからね」
「いいのですか? でも私、お金持ってないのです……」
「あははは、子供がそんな気を回すんじゃないよ! 遠慮しないでおいで」
おばあさんはとっても優しくって、私はついつい嬉しくっていろんなことを喋っちゃいました。まだまだ陽は高くって、ちょっぴり休憩してから山を降りることにしたので、時間はたっぷりあります。
人とお話するのは久しぶりで、話したいことがいっぱいあって、考える前に口を飛び出てしまう言葉はちゃんと意味を持ってくれないものもいっぱいあったのですが、おばあさんはにこにこして聞いてくれました。
おばあさんも結構おしゃべりな性質だったみたいで、私がうんうん考えている間にいろんなお話をしてくれます。旦那さんは何年か前に亡くなって、息子さんが結婚してお家を出てってしまったので、一人暮らし真っ最中なおばあさんも、こんなにじっくりと誰かとお話するのは久しぶりらしくって、とっても嬉しそうでした。えへへ、そんなに喜ばれると私も嬉しいのです。
そんな風にしばらくお喋りを楽しんでいたら、途中でいきなり、おばあさんが黙ってしまったのです。
私は自分のお喋りに夢中になって、しばらく気づかなかったのですが、途中でようやく静かになったことに気が付いて、あれれと首をひねりました。
おっかっしいなあ、お返事がない。むしゃむしゃ。
さっきまであんなにいっぱいお話してたのに。むしゃむしゃ。
むしゃむしゃむしゃむしゃ……むしゃ?
「ああああああああっ! またやってしまったのですうううぅぅぅぅっ!」
いきなり大きな声を出した私にも、お隣に座るおばあさんは驚いた様子もなく黙ったままです。
ええ、それもそのはずです。
だっておばあさんは、私の手の中にいるのです。まじまじと見つめると、びっくりしたように見開いたおばあさんの目とばちりと目が合いました。とっても表情豊かです。驚きが分かりやすく表現されてます。
けれどおばあさんが何かお喋りするのはちょっぴり難しそうです。
なぜなら。
おばあさんがお喋りするために必要な口の周り、下顎の部分は。
私の口の中にまるっと移動してしまったからです!
……もぐもぐむしゃむしゃごっくん。あ、訂正。今、お腹に移動しました。
「お、おばあさん?」
一応、隣も確認しました。
おばあさんはちゃんとそこに居ましたが、やっぱり。残念なことに首から上は無い状態です。まあそうでしょうね、私の手の中にありますもん! ちょっぴり欠けてますけど!
にょきっと新しい頭が生えてこないかな、と淡い期待を抱いてしばらく見つめてみましたが、生えてくる気配はありません。むむむ、残念。
食べるつもりは無かったのですよ? ほんとなのですよ?
ただ、その、お腹が空いてたんです。まだぺこぺこではなかったのですが、そろそろご飯の時期ではあったのです。一応、見境なくお食事するほどには切羽詰ってはなかったのですけれども、まったりのんびりお話してたらふへふへっと気が抜けて、油断してしまったのです。完全に無意識でやってしまってました。
ちなみに無意識だったものの切断面は結構綺麗で、きっちり魔力で焼いて血止めもしてました。血が溢れると勿体無いですからね。無意識下の私、なかなかやりおるのです。
「ごめんなさいおばあさん。仕方ないので残さず全部いただくのです」
せめてもぐもぐ、つまんだのが腕だったらどうにかなったかもしれませんが、ついついさくっと切り落としてしまったのは頭だったので、どうにもなりそうにないです。私は食べるのは得意ですが、治すのは得意じゃないのです。うげげげっと食べた分を吐き出しても、元通りにもなりませんし。
ならば全部食べるしかないのです。頭と腕と内臓は今食べて、残りは今日の夜のお楽しみにしておきましょう。骨は何本かとっておいて、小腹が空いた時に食べるのもいいかもしれませんね。そうすればうっかり再発も防止出来るのです。おお、私ってば賢い!
おばあさんともうお話出来ないのは残念ですが、やってしまったものは仕方ないのです。
残念だなあとは思いますが、後悔はしません。罪悪感も特にはありません。
だって私は、人食いだから。
そう、その名が示す通り、私のご飯は人間なのです! おいしいのです、人間!
なのでおばあさんも、残さず全部、美味しくいただきます。
肉は少なめですが、私、好き嫌い無いので問題はありません。
人食いといえば、人間とそっくりな姿形をしているものの、ほぼ本能に従って生きるものだというのが、世間一般の認識だと思います。そしてその認識はほぼ、正解でもあります。
せっかく見た目は人間とそっくりに擬態しているのに、人間を見つけたら本能と食欲剥き出しで襲い掛かるので、いまいちその外見を活用しきれていない残念な生き物です。
そんな習性のせいで、人食いと人間を見分けるのは案外簡単です。見かけた瞬間ぐわっと口を開けて襲ってきたらたぶん人食いなのです。人間のふりして近づいて油断させたところでいきなり豹変するなんて器用な芸当は出来ないので、安心してください。
けれど何事にも例外というものはあるものなのです。
私はその、例外に当てはまるのでしょう。だって私、理性がありますし。賢いですし、私。
人間を見つけてもいきなり襲い掛かったりしません。ちゃんとお話だって出来ます。お食事する時も、なるべく食べても困らないような相手を選びます。いつもは山賊さんを主食にしてます。
山賊さんたちって、群れるし人間のいっぱいいるところから離れて暮らしてるし、こそっと一人浚ってお食事してもそこまで気にされませんし、何より食べてもそんなにみんな困らないので後から怪しまれて嗅ぎまわられることもない、私みたいな人間に紛れたい人食いにとって、うってつけのお食事なのです!
一番強い人の頭を食べずに残して街に持ってくと、お金が貰えることもありますしね。お金って便利なのです。ふかふかのお布団に眠れるので、お金って大好きです。
しかしとっても賢い私ですが、最初から賢かった訳ではありません。途中までは、本能に従ってむっしゃむっしゃお食事して生きてました。
そんな私に知性が生まれたのは、私が生まれてからしばらくしてからのことです。
ある日突然、ちょうどお腹が空いてた私の体の中に、何か私でないものがぬるっと入ってくる感触があったのです。その時はまだ本能に従って生きてので、本能に従って内なる私はそれを、むっしゃむっしゃと食べてしまいました。なんとなく美味しそうな気がしたのは覚えているのです。
そしたら、かあああって頭が熱くなって、そのまま私は眠ってしまいました。
そうして次に目が覚めたとき。
私はとってもとっても、賢くなっていたのです!
どうやらけしからんことに、ぬるっと入ってきた何かは、私を乗っ取ろうとしていたらしいのです。全く乙女に何の断りもなく、フラチなやつめ、なのです。しかもそれに、カミサマとやらが協力してたので、困ったものですね。
私が賢くなったのは、そのぬるっとした何かが持っていた知識を奪った結果のようです。ついでにそれがカミサマから貰ったちーとも私が奪ったた模様です。理解力あっぷとか身体能力あっぷとか魔力あっぷとか、よくわかんないですけど、何か良さそうなものはあれこれまとめて私のものです、えっへん。
ただし内なる私がぬるっとしたのをよく噛んで食べたせいで、壊れて使えないものもありました。特に記憶や感情の辺りはぼろぼろです。分かったのは、ぬるぬるが私を乗っ取ろうとしてたことと、カミサマがいたらしいことくらいでした。あとは全く、使い物になりません。そこらへんはまとめて、ぺっ、しました。苦いとこぺっするのは得意なのです。人の真ん中あたりは苦いとこがいっぱいあるので、ぺっするのは大事なスキルですからね!
自分に起きたことを理解した私は次に、現状を把握することにしました。
私が居たのは、おっきな森の中。
けれど森なのに、ぐるっと回った結果、私たち人食い以外の生き物を見つけることは出来ませんでした。しかも森の周りは透明な壁で囲まれてて、いくら押してもそっから出られないんですよ。頑張って探しましたが、入り口はどこにもありません。
だけど、それはおかしいのです。今までの私なら全く不思議に思わなかったのでしょうが、賢くなった私は一味違います。森にはいろんな動物や虫がいるのが当たり前だし、不自然にぐるっと何かで囲まれて出られなくなってたら、私たちのお食事だって入ってはこれない筈ってちゃんと分かるのです。
なのに私たちを含め数人の仲間はこれまで、特に問題なくお食事が出来ていました。定期的に、森の中にお食事がふらっと現れるので、何の疑問もなくがぶがぶ噛み付いていましたが。
賢くなってみると、それがとってもおかしいことだって気づいたのです。
透明の壁は私だけじゃなくって、投げた小石もかつんと跳ね返しました。木の枝も草も全部、通してはくれないのです。虫も鳥も、入ってくることはないのです。
森に響くのは、唯一壁を通り抜けられるらしい風が、さわさわと木の葉を揺らす音だけ。それ以外はしんと不自然なくらいに静まり返った、そんな場所でした。
もしかして私たち、閉じ込められてるんじゃないかなって、すぐに気づきました。けれどお食事は定期的に出現する。とっても不思議なことです。
他の仲間に理由を聞こうと思いましたが、無理でした。人食いのみなさんは、基本的にお食事にしか興味がありません。お食事しない時は基本的に、土に穴を掘ってその中に埋まって眠っています。ねえねえって呼びかけてもお返事はありません。
そういえば本能に従っていた頃の記憶を思い出してみても、他の人食いたちと意志の疎通をした記憶がさっぱりありませんでした。人間おいしいってことしか、覚えてません。本当に食欲しかない生き物なんだなあって思いました。残念です。
ならばどこから人間がやって来るのか。
答えは割とあっさり、簡単に見つかりました。
森の一角に、なにやら地面に怪しげな模様が彫られている場所を発見したのです。それは知識の中にある、魔方陣と呼ばれるものによく似てました。
きっとこれだ、と思った私はそれからしばらく、そこを観察することにしました。観察し始めてから気づいたのですが、私たち人食いはそれほど睡眠を必要としている訳ではないようです。夜が二回来る間に一度眠る程度で、元気でいられます。普段寝ているのは、必要だからでなく他にすることが無いからみたいです。ほんと残念です、私たち。
そして四度眠ったあと、その時はやってきました。
魔方陣らしきものがぴかっと光ったと思うと、そこから十人くらいの人間たちが現れたのです。
人間たちはしばらくそこから動かないままきょろきょろしてましたが、じっと見ている私に気づくと悲鳴をあげて一目散に逃げ出しました。乙女の顔を見て逃げ出すなんて、失礼なのです。
すぐに森のあちこちから叫び声が聞えてきましたけどね。断末魔ってやつでしょうか。人食いはお食事に全力を注いでいるので、すぐに人間の気配に気づいたのでしょう。その察知能力だけはすごいのです。
どこから人間が現れるのか、な疑問は解消したことですし、私もお食事を始めようと思いました。理性は生まれましたが、お腹がすくのは変わりません。そこはちゃんと人食いのままでした。
ちょうどうってつけに、魔方陣の中に一人残っています。人間は私たちみんなのお腹をいっぱいにするのに十分な数がいましたし、痩せててちっちゃいその人間をわざわざ他の仲間にとられることもなさそうでしたので、私はがっつかずにいくことにしました。
その余裕こそが、転機だったのだと思います。なぜなら他の人間のように逃げようともせず、ゆっくりと近づく私を静かに見守っていた人間がふいに、口を開いたのです。
「お前が、私を食らうのか」
不思議と意味は分かりました。分かって私は、ぴきんと固まりました。
だって私に話しかけているのです。目の前の人間は、私に向けて言葉を発したのです。
会話、というものが世の中に存在していることは知識により知っていました。けれどそれは知っているだけ、人食いのみなさんとは意志の疎通すらなかなか難しいのです。せいぜい、他の人食いの取り分を取り過ぎないように牽制しあうくらい。意志の疎通と呼べるか怪しいものです。
だけど今、この人間となら。私は意志の疎通が出来るかもしれない。その可能性に気づいて私は、感動に打ち震えたのです。私の思っていることを、私でない誰かと共有できるかもしれない。何か反応してもらえるかもしれない。会話というものを、成立させることが出来るかもしれない。それってなんて、素敵で楽しそうなことなのでしょう。
「……まだ幼子なのか。人食いの幼体は人は食わぬのか……?」
「違う、私、あなた、食べる!」
本当ならもっと、ちゃんとご挨拶から始めるべきだったのでしょうが、その人間がぽつりと呟いた言葉は独り言のようだったので、私はとても焦りました。興味を失われてしまった、つまりお話する気がなくなったって言われているような気がしてしまったので。
だからとりあえず、思いつくままに叫んでみました。
効果はばつぐんでした。人間は驚いたように私をまじまじと見つめると、困惑したように口を開きます。
「……喋れるのか? 人食いが?」
「はっ、本当です! 私、喋れてます!」
そういえば人食いって、普通は言葉を話しません。せいぜい叫ぶくらいです。だから私だってもしかして、叫び声はあげれても人間のように喋れない可能性はあったのです。けれどさっぱり、そんなことには思い至っていませんでした。考える前に、やってみたのが良かったのかもしれません。
「喋れますよ私、喋れるのです! やってみるものなのです! こんにちは!」
「あ、ああ……こんにちは、お嬢さん。君は、人食いではないのかね?」
「人食いです! でも賢いのです!」
ああ、本当にあの時の感動は素晴らしかったのです。
思ったことが、言葉になる。私以外の誰かにそれが伝わる。内に抱えていたものが外に出る。
こんにちは、と知識の中から引っ張り出したご挨拶を口にすると、ちゃんとご挨拶が返ってきて、私はその事実にきゃあっと声をあげて喜びました。私、意志の疎通をしたのです!
人間はそんな私を、呆然としたように見つめていました。私があんまりに賢かったのでびっくりしちゃったのでしょうか?
とりあえず私は、もっともっとお話をしたかったので、気にせずぐいぐいと人間の手を引き、仲間の気配から一番遠い森の外れに連れてきました。
人間はそのまましばらく、固まったままでしたが、私が近くの水溜りから水をすくってぱしゃりとその顔にかけてやると、ようやく動き出しました。そうして戸惑った様子ながら、私とのお話を再開してくれたのです。
ハリルと名乗ったその人間は、私にいろんなことを教えてくれました。
ここに来る人間は罪人であること。私たちはその罪人を食べるために飼われていること。衝撃の事実でした。私、飼われたんですって。びっくりなのです。
その他はこの国のこと、世界のこと、人の習性のこと、人食いの認識。元々知識として私の中にあったものも多かったですが、ハリルの口から語られる外の世界のことは、とってもきらきら輝いて違うものに思えました。
そしてハリルは私の事もあれこれと聞きたがりました。
ハリルが罪人になった理由は、好奇心と探究心により何でも知りたがってついには知っちゃいけないことまで知ろうとしたかららしいです。なのでハリルにとっては、知性ある人食いという存在は、大変興味をそそられる存在だったみたいなのです。私が言うのはあれですが、人食いを目の前にして尚、懲りない人ですよねハリルって。
まあ私は別に隠すことは何にもありませんし、何より求めらたのが初めてで嬉しくって張り切っていたので、聞かれたことには全て答えました。ぬるっとしたやつについても、カミサマについても、ちゃあんと説明してあげました。人食いの性質も、ばっちり教えてあげました。人食いが本能に忠実すぎる残念な生き物だと言ったら、面白そうに笑ってくれました。
本当に、楽しかったのです。終わらせてしまうのが勿体無いくらい、楽しい時間でした。私はいっぱい笑って、いっぱい驚きました。ハリルはそんな私の反応を見るたび、人間みたいだと驚いて、そんなハリルの反応に得意になって胸を張ればハリルが笑って。
とっても、とってもとっても楽しかったのです。
けれど残念ながら、そんな時間は長くは続きません。
ハリルは私のお食事なのでいつかは食べなきゃいけませんでしたし、何より私のお腹がぺこぺこになってしまう前に、ハリルに限界が来そうでした。
私たちの住む森には、人間の食べられる物は何にもありません。木は実をつけないものばかりで、草もどうやらハリルによれば毒草ばっかりのようです。唯一水は水溜りから飲めますけれど、人間って数日食べないだけでとても弱ってしまうのです。人食いは一度お食事すれば当分は食べなくても平気なので、人間ってそういうとこは面倒ですよね。更にハリルはここにやってくる前から、随分と弱っていたみたいなので、楽しくお話できたのはとっても短い時間だけでした。
もし食べるなら、一瞬で息の根を止めてからゆっくりと味わってほしいというのがハリルからのお願いで、私はそれを了承しました。仲間の中には、腕や足から食べてってぎりぎりまで鮮度を保つのを好むのもいましたけれど、私はさほど鮮度に拘りはありません。何より初めてのお願いだったので、是非ともきいてあげたかったのです。
死に際のハリルは、とっても満足そうな顔をしていました。今まで私が食べてきた人間は概ね、恐怖に染まった顔をしていたので、何でそんな顔をしているのかなあと不思議に思って聞いてみたら、そりゃあ満足だからだとハリルは笑いました。
「最後の最後に、お前のような人食いに出会えるなんてな。だから世界は面白いのだ」
なんて呟いて、私の頭をがしがしと撫でてくれて。
刈り取ったハリルの頭は、穏やかな顔のまんまだったのできっと、私はハリルのお願いを叶えてあげられたのだと思います。良かったのです。私は達成感に満ち満ちたまんま、美味しくハリルをいただきました。なぜだか、いつもとは違う特別な味がした気がします。
沢山お話が出来て、そして美味しいお食事も出来て、その時の私は確かに、満足していたのだと思います。幸せいっぱいでした。
けれど、しばらくして気づいたのです。
一度話すことを知ってしまったら、話し相手のいないこの生活が、たまらなくつまらないものだってことに。
仲間とどうにかお話出来ないかなと土の下に向かってあれやこれやと話しかけてみたものの、反応があったことは一度もありません。途中で空しくなりました。
ならば人間とお話すればいいんだと思いましたが、こちらもうまくはいきません。
ハリルのように、私の言葉に耳を傾けてくれる人間はあれから、一人も現れてはくれませんでした。みんな悲鳴をあげて逃げてしまいます。仕方ないので追いかけて食べましたけど。
逃げられないようにすればいいのかな、って足を捥いで動けなくしてみましたが、痛みで気を失ったり錯乱したりしてしまうので、これも駄目でした。じゃあ痛くなきゃいいのかなって、なるべく痛くない捥ぎ方を開発しました。更には知識を頑張って引っ張り出して、魔力を活用して痛みを遮断する方法も見つけました。かなり気を遣ったと思うのですよ、私。それでもみんな、怯えるばっかりでお話はしてくれません。
どうやら人食いと理解して、お話してくれたハリルのような人間は、とても少数派だったみたいです。
なので私を見て悲鳴をあげる人間にがっかりしてもぐもぐ食べるうち、いつしか外に憧れるようになったのは、自然なことだったと思います。
だって外には途方もない数の人間がいるのです。その中には一人や二人、私を人食いと知ってお話してくれる珍しい人間がいたっておかしくはありません。
ここだとやってくる人間は私を人食いだと知ってしまっていますけれど、外では人間のふりをすれば私は人食いだとばれません、多分。なので人間のふりをすれば、いろんな人間といっぱいおしゃべりができるのです。なんて名案なんでしょう。
それに、ハリルだって言ってたじゃないですか。だから世界は面白いって。
そんな面白い世界を、自分の目で見てみたくて見てみたくて、日に日に外への憧れは膨らんでゆきました。
しかし憧れても、外に出る方法は見つからないままでした。
壁は私を通してくれなくて、思いついて魔力をぶつけてみましたが、ひびも入ってくれません。とっても頑丈なのです。
唯一外に繋がってる魔方陣から外に出れないかなと詳しく調べてはみましたが、こっちも難しそうでした。魔力を送ってみても動く気配も無いですし、人間が送られてきた瞬間を狙って突撃してみましたが、どこかに連れてってくれることはありません。おそらく、一方通行なんでしょうね。
なので私に残された手段は、ひとつ。
穴を掘ることでした。
幸い私たちは穴を掘るのは得意です。本能に支配されてた頃は、私も穴を掘ってその中で眠ってましたからね。だから壁の穴を掘って壁の下をくぐりぬけて、この森から出てゆく事にしたのです。
壁は土の中にまで食い込んでました。ちょっと掘っただけじゃ、一番下が見えないくらいに深く深く。人食いの習性を知ってて警戒してのものだったのかもしれません。
しかし私は諦めませんでした。毎日毎日せっせせっせと穴を掘り、着実に外へと近づいている、気がしていました。たまに穴の壁が崩れて埋まることもありましたが、そんなことでめげる私ではありません。
だから。
こつこつ掘り続けて、こつんと指先が何かに当たったとき。壁だと思ってたそれが、床までついてたことに気づいてた時。壁ではなく森ごとまるまる、透明な箱に閉じ込められているのだと気づいた時。
私は初めて、絶望しました。どうやってもここから出られないと理解して、目の前が真っ暗になってしまいました。気づけばほっぺが冷たくって、いつの間にか涙を流していることにも気づきました。私、涙流す機能もついてたんですね。そっちにびっくりして、涙はすぐに引っ込みましたけれど、それでもとってもとってもがっかりしてしまったのです。
カミサマを自称する光が現れたのは、その日の夜のことでした。
すっかり落ち込んでしまって、しゅんとしてふて腐れて森を散歩していたら、急に目の前にきらきら光る物体が出現したのです。なかなか美味しそうなにおいがしたので、噛み付こうとしたら弾かれてしまいました。びりびりしてちょっぴり痛かったので、食べるのは諦めました。多分私より、光の方が強いと察したからです。私は賢いので、無謀なことはしないのです。
「様子が変だと思って見に来てみれば、面白いことになってるね。君、人食いだろう? アレはどうしたの? 消えちゃった?」
「アレ? ああ、ぬるっとしたのですか。美味しかったのですよ」
「あっはははは、食べちゃったの?! せっかくあれのためにカスタマイズしたのに、器に負けちゃうなんて、あははははは、馬鹿だなあ! いや、君が強かったのかな? はははははははは!」
それはいきなり話を始めて、何のことかさっぱりだと首を捻ってると、ぐぐぐと直接内側に補足説明を捻じ込んできました。ふむふむ、それがあのカミサマとやらで、私はぬるっとしたののために用意した器なんですか。本能しかない私相手なら、ぬるっとしたのが簡単に私に取って代われる予定だったらしいです。その割にはぬるっとしたの、あっさり食べちゃえましたけど。本能しかない内なる私が、嬉々として食いついてましたけど。
それにしても、カミサマの笑い声はどうにも、気持ちが悪いものでした。
別に器だとか、ぬるっとしたのに乗っ取られる予定だったこととかが気に障った訳ではありません。今居るのは私なので、過ぎたことは全くどうでもいいのですが、それとは関係なく、気持ち悪いのです。
ハリルの笑い声はとっても私を楽しくしてくれたのに、カミサマの笑い声はざらざらと私の内側を撫でてゆきます。あれほど話し相手が欲しいと思ってたのに、このカミサマ相手にはいろんなお話をしたいという気持ちが湧いてきません。もしかしてこれが、嫌悪感というものでしょうか。どれだけ人間に怖がられても残念以上の気持ちは湧かなかったのに。相性が悪いのかもしれませんね、私たち。
あんまりお話したくないな、という気持ちをそのまま、率直に伝えてみましたがカミサマはますます不愉快な笑い声をあげるだけで、いなくなってくれません。無視しようとしたら、直接内側に言葉を捻じ込んできます。それも気持ちが悪いので、仕方なく相手をしてあげることにしました。
「本当ならね、矮小な魂に見合わない大きな力を得たあれは、世界の均衡を崩す存在になる筈だったんだ。それに人食いなんて人の形をした人ではないものに宿らせたらきっと、あれの精神は面白く歪んだものになるだろうと思ったしね。けれど残念ながら彼は消えて、君が自我を持ってしまった。ならつまり、君のすべきことは分かるね?」
「いいえ、さっぱり」
ちかりちかり、これまた見ていて嫌な感じになる光を明滅させながら、カミサマは当然のように言いましたけれど、私は首を傾げるしかありませんでした。決してカミサマが気持ち悪いので分からないふりをしたのではないのです。本当に全く、カミサマの言うことに見当がつきませんでした。
「おやおや、案外察しは悪いんだねえ。まあしょうがないか、元は人食いだったものだし。……つまり君はね、あれの代わりに世界の均衡を崩してほしいんだ。といっても、君の基準だと世界はあまりに広くなってしまいそうだから、もう少し分かりやすく言ってあげる。人間を混乱させて絶望させるのが君の使命だ。大丈夫、特別なことはしなくてもいいよ。人間と似すぎた人食いなんて、対峙するだけで皆恐怖に震えるだろうから、君はただ外で普通に生きるだけでいい。世界を見てみたいんでしょ?」
ふむふむ、なるほど。詳しく説明されたけれども、半分くらいしか分かりませんでした。
知識によれば神様は人間を特に大事にするものだった気がしますが、目の前のカミサマは違うようです。嫌悪感はあるのにも関わらず、変わらずおいしそうな匂いはしているので、おそらく私のお食事と根っこは同じ、つまり人間の一種なんじゃないかと思います。ふふん、賢い私にかかればこれくらいの推測は簡単なことなのです!
そして私、穴を掘りながら、外に出た時の行動についていろいろ対策も考えてるのです。
人間を片っ端からお食事すれば、あまりよろしくない結果になることはなんとなく分かります。ついでに恐怖に震える人間が増えて、ろくにお話出来なくなってしまいます。それはつまらないのです。
私は決めているのです。お食事は食べても困らない人にしようって。なるべく沢山の人間にはばれないように、こっそりとやろうって。食事用とお話用の人間は分けようって。
なので私、大勢の人間を混乱させるのには向いてないと思うのです。だって私、お食事は残さず全部食べますし。お食事用の人間以外には自分が人食いである事実をお知らせする予定はありませんし。
だからカミサマが言うように、世界の均衡を崩すほど手当たり次第にお食事するつもりはないんですけど。
まあいいか、と途中で思い直してカミサマには伝えないことにしました。そんなに好き嫌いはない方ですけれど、私、このカミサマはあんまり好きじゃないみたいです。だったらカミサマに協力しなくてもいいですよね。
「よく分からないけど、お食事すればいいんですよね。それは分かりました」
「そうそう、それが分かってればいいよ。じゃあ早速君を外に送るから。期待してるね」
うんうん、カミサマの言葉に納得したように頷くと、カミサマは激しくちかちか光りました。気持ち悪いのでやめてほしいのです。まあどうやらあと少しのお付き合いみたいなので、我慢しましょう。
カミサマは言葉の通り、本当にすぐに私を外に送ってくれました。
ぱちりと瞬き一つすると、見慣れた森が違う景色に変わります。開けた丘は見晴らしがよく、下には人間の街が見えました。あんまりに突然、何もかも変わってしまったので少し面食らいましたけれど、すぐに嬉しくてたまらなくなりました。あんまり好きになれそうじゃないカミサマを、初めてちょっとだけ、好きになれるかもしれないと思ったのです。あくまで思っただけで、総合的に見ればやっぱり好きじゃないままでしたけど。仕方ないのです。やっぱり合わないんですね、私たち。
カミサマはわくわく目を輝かせる私に満足したのか、ゆるやかにちかちか、三回点滅したあと、何事もなかったようにすうっと消えてしまいました。
最後に嫌な笑い声と共に、誰も頼んでないのに別れの言葉を残して。
「せいぜい世界に恐怖を振りまいて、神に縋りたがる人間を多く生み出しておくれ。特に死に際の強い祈りは大きな力になるからねえ」
あ、知ってますよ私、まっちぽんぷって言うんですよそれ!
せっかく教えてあげようとしたのに、ぐるぐる辺りを見回してもどこにもカミサマの姿を見つけることは出来ませんでした。来たときも帰るときも、挨拶なしなんて非常識なカミサマなのです。
私は違います。ちゃんとご挨拶できます。ご挨拶から始めて、いっぱいお話するのです。
目標を胸に、衝動に駆られて腕を突き上げた私は、これからの事を思ってくふふと笑いました。描いた未来がとっても楽しかったので、カミサマの事はあっさりと忘れてしまいました。嫌なことは忘れてしまうに限るのです。
そうして私は、カミサマによって檻の中から世界に解き放たれることとなったのです。
人間に混じっての生活は、最初は思ったように上手くはいきませんでした。
私の外見は、人間のまだ成人してない幼い子供のもの。ついでに、人食いが美しい人間の姿を模して生まれてくるのに倣い、なかなか可愛い外見をしていたようで、そのせいでいろいろと大変でした。
何の後ろ盾もないように見える、可愛い私は悪い人にとっては格好の獲物だったようです。お食事に獲物扱いされるなんて、屈辱なのです。
優しくお話してくれていい人だと思ったのに、ころっと態度を変えてひどいことされそうになった時はむっとしたので、お腹がすいてなくても全部食べてしまうことにしました。むっとしたまま私を狙った人間を片っ端から食べていった時は、やりすぎて街にいられなくなった事もあります。私からしたら悪い人間だったのに、みんなにとってはそうではなかった人間を食べた時もおんなじ。面倒なことになってしまったので、さっさと街から引き上げることにしました。
知っているので全部うまくやれると思ってたのですが、なかなか難しいものですね。実際体験してみないと分からないことって案外多いのです。
幸い、と言っていいのか、残念ながら、と言っていいのか、カミサマから無理やり押し付けられたちーとなんてもののせいで、私はとっても成長の遅い体になっていました。なので問題を起こしてしまった街へも、何年か経てば入れるようになれます。成長の遅い私を、何年も前に問題を起こした子供と同じだと思う人はほとんどいませんでした。ほとんど以外は、仕方ないのでお食事にしました。
それでも人というのは慣れる生き物なのです。私は人食いですけども。
お腹がすいているとうっかり、お食事用ではない人を食べちゃう失敗をすることはありますが、基本的にはうまくやれるようになったと思います。
人間のように魔法を扱う方法も覚えて、定期的に姿を変えることも学びました。姿を変えるといっても、毛の色を変えるだけです。髪の色に合わせて眉毛と睫毛まですっかり色を変えてしまば人間は案外、同じものだと気づかないのですよ。
お金を手に入れる方法も学びました。一度気まぐれにお金を使って宿に泊まってからは、私はあのふかふかのお布団のとりこなのです。土の中よりとっても快適だと知ってからは、宿に泊まれるお金はちゃんと稼ぐようになりました。それまでは人間用のお洋服もお食事から貰ってたので、お金の必要性を感じていなかったのですが、いざ使ってみると一気に生活が便利になったのです。そして一度便利なことを知ってしまうと、元には戻れないのです。お金って大事なのですよ。
お金を使ってちゃんと着飾ることも覚えてからは、お話してくれる人が増えました。ずっとぶかぶかのお洋服を着ていたので、話しかけても嫌な顔をされることもあったのですが、ちゃんと綺麗な服を買って身嗜みを整えるようにしてからは、みなさんお話に付き合ってくれることが多くなったのです。見た目って人間にとってものすごく大事なのですね。その分面倒ごとも増えましたけれど、たまに助けようとしてくれる人も出てきたのですよ。見た目効果、絶大なのです。
いろんな人と、お話したのですよ。大きな人とも小さな人とも、黒い人とも白い人とも赤い人とも、魔法使いの人とも協会の人とも、殺し屋の人とも盗賊の人とも。いっぱいいっぱいお話をしました。
怖い人も優しい人もいて、反応もそれぞれ違ってとても楽しかったのです。
ですがしばらくすると楽しい中に、残念な気持ちが混じってしまうことに気づきました。
私のように成長の遅い体は、人間の中では異質だったので、ずっと同じ場所にはいられません。定期的にあちこちを転々としなければなりませんでした。楽しい時間は確かにあっても、それをいつまでもいつまでも続けることが出来ません。
それに私は人食いです。人間を食べなければ生きていけません。私としてはそこは最初から割り切っていろんな人とお話していたのですが、せっかく仲良くなってもうっかり私が人食いだとばれてしまうと、それまでと同じように楽しくお話してくれる人はなかなかいませんでした。広い世界に出てもまだ、ハリルみたいな人は滅多にいなかったのです。つくづく惜しいものです。あそこでなくお外で会えたなら、ハリルとはもっともっといろんなお話が出来たでしょうに。
隠し事は面倒なのです。距離が近づくと隠しているのが面倒になって、正直に言ってしまいたくなるのです。お食事の時にいなくなる言い訳を考えるのが、億劫になるのです。お食事のために山賊さんや悪い人たちを探しにいこうとするときに、付いてこようとされるのを誤魔化すのは大変なのです。
だけど楽しくお話をして仲良くなった人たちに、正直に人食いであることを話せば、一瞬で変わってしまいます。二度とお話はしてくれなくなってしまいます。街の人に伝えて、私を追いかけようとするのです。なのでうっかり言ってしまう訳にもいきません。
そうして、どうすれば私が人食いであること知っても仲良くしてくれる人に出会えるかなあと、うんうん悩みつつあちこちを旅していろんなお話をしているうち、とある噂を耳にすることが多くなりました。
あちこちで突然発生するようになった、人ならざるものの噂です。
一見したら人間に友好的な彼らは、人には在らざる尋常ではない力を持って、時に国を滅ぼし街を焼き払うというのです。かといえば妙な武器を流通させて、人間同士の争いを加速させたり、気まぐれに国の守護者を気取ったりする、化け物たち。
それを聞いて私は、ぴんときました。
いろんな人間をこれほど困らせている存在です。だからきっとあのカミサマの仕業に違いないって。
ほら、私って旅するうちにますます賢くなりましたからね!
彼らのことを聞いてから私は、彼らに会いにゆくことにしました。カミサマが言うように歪んだ精神を持った人間は違う彼らなら、私が人食いと知っても変わらず楽しくお話してくれるんじゃないかと思ったのです。噂を聞く限り、結構ざくざく人間を殺してますし。お食事の分しか食べない私より、彼らの方がいっぱい殺してますしね。それに殺すだけで食べないで放置するんですよ。勿体無いのです。私が彼らが残した分を綺麗に食べてあげられれば、とっても喜ばれるんじゃないかと期待もしてたのですよ。
なのに一人目の、東の魔王と呼ばれてた彼は、私が人食いだと知るとやめるようにとしつこく説得を始めて、私が撥ね付けると悲しそうな顔をしてちゃっかり私を殺そうとしました。物騒なのです。人食いだって分かるまでは、私の可愛らしさに鼻の下を伸ばしてたっていうのに!
人を殺すのはいいのに食べてはいけない理由が分かりません。その点で私と魔王さんは分かり合えませんでした。仕方ないので食べました。美味しかったです。
それから二人、私のような化け物に会いましたが、彼らとも分かり合えなかったです。一人は直接的には人を殺したことがないので、仕方がないかなあと思いましたがもう一人は、最初のひととおなじ、殺すのは仕方ないけど食べるのは認めてくれませんでした。心が狭いのです。なので食べました。二人とも美味しかったです。
力を持ってはいても彼らは、基本的には人間と同じような考え方をするようで、人を食べることに強い忌避感があるみたいでした。同じようにお喋り出来る龍は食べるのに、不思議ですよね。
そこで私は一旦、彼らに会いにゆくことをやめることにしたのです。だって人間と変わらないなら、いろんな人間とお話した方が楽しいですしね。わざわざ会いにゆく手間に釣り合うほど、彼らとの楽しい時間は得られなかったのです。
彼らは着々と世界を混乱に陥れているようでした。誰とお話しても必ず、彼らのことが話題に出てきます。あんまりに彼らの事ばっかりなので、私は少々がっかりもしてました。いろんな人からはそれぞれ、違う話が出来るから楽しかったのに、彼らの事に偏ってしまっては楽しさが半減してしまうのです。
ちゃんと顔には出さず、にこにこ話は合わせてましたけどね。自分の好きな事だけ喋るのでは、お話が続かないってことは学習してますから。つまらない話も時には大事なのですよ。
そうしてどんなお話も遮らず、聞いていたのが功を奏したのでしょうか。
私はある時、新しく一人の化け物の話を聞いたのです。あまり目立ったことをしていない彼は、噂にはなりにくいみたいですが、明らかに分かりやすく人間とは違う特徴があったのです。
私、その特徴を聞いたとき、衝撃に固まってしまいました。初めてハリルとお話した時と同じくらいの衝撃でした。
だってだって、その化け物、人の形はしているのに、殺しても殺しても死なないっていうんですよ! しかも欠けた部分は、みるみるうちに修復されて元通りになるっていうのです!
何ですかその私のためにあるような化け物! いつまでもいつまでも無くならないお食事!
思わず涎が垂れてしまいそうになって、お話してくれた旅人風の男の人には不審な目で見られましたが、不安げに身体を震わせると怖がっているのだと納得してくれました。本当は期待に打ち震えていただけなんですけど、都合がよかったので誤解はそのままにしておきました。
それから私は、その人に会うために旅するようになりました。他の目立ちたがり屋さんたちと違って、なかなか噂が入ってこないので大変でしたよ。
けれど異質なものは、隠しても隠しても人の口には上るのです。私だって頑張って人間に紛れてはいますが、≪姿なき死神≫として人に恐れられてるみたいなのです。正体はばれてないですけれど、特に山賊さんの間では恐ろしい化け物として噂されてるようです。人の伝達能力ってすごいですよね。
すぐに見つけることは出来ませんでしたが、確実に近づいてはいました。
私はまだ見ぬお食事にどきどきわくわく胸をときめかせて、どんなお話をしようかな、私が人食いだって知っても嫌がらないかな、どんな味がするのかな、柔らかいかな固いかな甘いかなしょっぱいかな、と日々期待を募らせ、その人に会えるその日を、とっても楽しみに旅を続けていたのです。
そして私の外見が人間で言うところの少女、十代半ばに差し掛かった頃、ようやくそれは叶うこととなったのです!
「という訳で、私のものになってください」
「いやいやいやいやいやいや、ぜんっぜん説明になってないから! とりあえず俺が餌としてしか見られてないことは分かったけど!」
彼と出会えたのは、深い深い山の奥。
もう随分と長いことそこに暮らしているらしい彼に突撃した私は、手っ取り早く自分が人食いであると自己紹介してしまうことにしました。駄目だったらお話は諦めて、適当に閉じ込めて非常食にしてしまえばいいやと、割り切っての事でもあります。
彼の反応はさほど悪くないものでした。急な自己紹介にぽかんとしたものの、戸惑ったように頷いただけ。そこに嫌悪や忌避感は見られませんでした。
これは、いけるかもしれない。張り切った私は、勢いこんで一気にここに至るまでの経緯をお話してしまうことにしたのです。
なにせここに来るまで、久しく誰ともお話していませんでした。その反動で、お喋りしたくてたまらなかったのです。お弁当は持ってきましたが、携帯用に保存がきくように加工したものだったので、お喋り出来る状態ではありませんでしたし。
彼は戸惑った様子ではあったものの、ちゃんと私のお話に耳を傾けてくれました。途中で「えええ……」とか「うわあ……」なんて控えめな相槌は打ってくれましたけれど、遮ることはしません。いい人なのです。喋りながら私は、ハリルのことを思い出して嬉しくなりました。姿かたちは似ていないのに、彼はハリルに少しだけ似ている気がします。人食いと知って私の話を聞いてくれるところとか。
カミサマの事を話した時には、「そいつ確実にあいつだ……!」って言ってたので、多分彼もカミサマに送り込まれたのだと思います。前の三人もそうでしたし。「やっぱろくでもねえなあいつ……」ってぼそっと呟いてた彼の言葉は、他の三人と違ってカミサマに否定的だったので、そこも気に入りました。だって私、カミサマ好きじゃないですし。他の三人はカミサマに好意的だったので、話が合わなかったのですよ。
「違いますよ、ちゃんとお話聞いてましたか? ふう、仕方ないのです、要点を手短にまとめてあげますね、特別ですよ。やれやれ、なのです」
「う、うん、ありがとう……? なんだろう、納得いかないけど……」
「つまりですね、私はずっと探してたんです。私が人食いだと知っても変わらずにお話してくれる人を。お食事をよくないって口うるさく言わないで、楽しくお話してくれそうな人を」
私の話を最後までちゃんと聞いてから、大声で叫んだ彼が指摘した所も良かったのです。食べられることに抵抗はあるようですが、人食いそのものを否定はされません。
それにいい人そうなのです。これは押せば、長く付き合える話し相手かつお食事を確保できそうな気がします。
私は更に気分をよくして、彼に畳み掛けました。
「ついでにもっと本心と希望を付け加えるなら、無意識のうちにうっかりつまんでしまっても大丈夫な人が良かったのです。私、たまにうっかりしちゃうので。ぷちっと捥いでしまってもすぐに新しいのが生えてくるような人だったらいいなあって思ってました」
「ああ、うん、完全に俺だな……」
彼が殺しても殺しても死なず、欠けてもすぐに修復される体だという噂は本当だったようで、私の主張を聞いてげんなりとした様子を隠しもせずため息をついた彼は、しかし否定はしませんでした。なので彼は本当に、私の理想の相手みたいです。食べても食べても無くならないなんて、なんて素敵なのでしょう。あとは相性だけです。美味しそうなにおいがするので大丈夫だとは思いますが、念のため、味見させてもらえれば嬉しいのです。ちょっぴり味気なくても、文句は言いません。
なので私は張り切って、ぐいぐいと押すことにしました。
優しそうな相手には、遠慮せずに押しの一手が割ときくのです。長い旅の間で、私が学習したことの一つです。
「そうなのです! これは運命なのです! だから私のパートナーになってほしいのです。ずっと一緒にいたいのです」
「なんでだろう、熱烈な告白にも聞こえるのに、携帯食扱いされてる気しかしないんだけど……」
「違いますよう。一番の目的はいろんなお話をすることです。お食事はついでです」
「嫌だよ……どっちにしろ食うんじゃねえか……」
「痛くないですよ? ちゃんと痛くないように出来ますよ? 私上手ですよ?」
「痛くないなら……ううん、でもなあ……」
しかし彼はきっぱりと撥ね付けはしないものの、なかなか同意もしてくれません。悩んでるふりしてのらりくらり交わしてしまいます。意外と手ごわいのです。
続いた攻防に何の進展もないのに焦れた私は、一旦攻めるのをやめてむむむと考え込みます。
「需要と供給は一致してるのに……何がいけないのでしょう」
「一致してないし……俺が一方的に搾取される側でしかないし……」
言われてみれば、それも一理あるような気がします。私、いろんなお話をして楽しい時間を提供することと、お金はいっぱい持ってるので差し上げることは出来ますけど、それを提示しても彼は微妙な反応です。ということは、それ以外の何か。私が持っているもの……。
「あっ、分かりました! えっちなことをしたいんですね! 変態さんめ! いいですよ」
「断じて違うっ! ……って、え、い、いいの?」
「私たちと人間は体のつくりは似てるのでえっちなことはできるのし子供も作れるのです。私の種も人間ですし」
「へえ……って違うから、べ、別に興味がある訳じゃないしっ!」
それまで私が出会った化け物仲間のみなさんは、見目のいい人間を周りにはべらせて毎晩ずこずこしてたので、あまりこれは通用しないかなあと思ったのですが、予想外に効き目がありました。それまではやる気がなさそうにしてたくせに、一転してあわあわ視線を泳がせた彼は、明らかに私の提案に興味を持った様子です。これは色仕掛けでいくべきですね! 分かりました、私頑張りますよ!
「ただ子作りの最中はとってもお腹が空くみたいですけど」
「やっぱり食われんのかよ! ……ちなみに、その、お前の父親はどうなったの……?」
「母と私の栄養になりました、たぶん」
「……む、むごい……!」
後で騙されたと怒られても困るので念のため、人食いの特性をお伝えすれば、がっかりしたように肩を落としていましたが、私ちゃんと気づいてますよ。それでもさっきまでとは段違いで、どうしようか迷ってることに!
「男の人は初めてが好きなんですよね? 私、初めてですよ!」
「は、はじめて……」
「何回かそういうコトに持ち込まれそうになったことはありますけど、そういう時って本能がむき出しになるじゃないですか。始まる前にみんな、ばくっと齧っちゃったので結局何にもなかったのです。なので初めてです」
「ぐ、齧られて興奮するような特殊な性癖はないんだけど……痛くないんだっけ?」
「はい、大丈夫です! 痛みは魔法で綺麗さっぱり消せます! 得意です! 疑うなら試しに齧らせてください!」
「いやいやいやいやいやいや! その、ちょっぴり齧りつくだけなら……? 噛み千切るのはナシで!」
「往生際が悪いのです……まあいいですよ、試してみましょうか」
「あっ、待って、やっぱ今のナシ! 心の準備が出来てないから!」
それでもどこか迷いを吹っ切れない彼は、最後の最後で頷いてくれません。なるべくなら同意を得てからにしたいのですが、仕方ない、ここは実力行使なのです。
「えいっ!」
「え、何……って、ぎゃーっ! いきなり噛み付くなっ! ……あれ、ほんとだ全然痛くない……」
「でひょう」
「でもな! ちゃっかり食ってんじゃねえよ!」
もぐもぐ。不意打ちで噛み付いて手首から先をつまみ食いしてみました。勿論痛覚遮断はばっちりだったので、最初彼は気づいてなかったみたいなのです。無くなった手首から先をみて、びっくりしてました。すぐににょきにょき新しいのが生え始めたのには、私もびっくりしました。ちなみに味は美味しかったです。これなら毎回同じでも構わないのです。相性の問題も解決しました。良かった良かった。
「これからよろしくお願いしますなのです」
「勝手に決めるな! 了承してねえしっ!」
「ずっとここに引っ込んでるのですか? せっかくなので旅に出ましょう、そうしましょう」
「おい……頼むから話聞いてくれよ……!」
勝手につまみ食いしたものの、痛くなかったせいか彼はそんなに怒りませんでした。なので私の話し相手兼お食事になってくれることは問題ないと判断して、話を進めることにします。彼は抵抗してましたが、途中で諦めたようにがっくりと肩を落としてたので、たぶん大丈夫です。
ああ、何のお話をしましょうか。彼がここに引っ込んで暮らすようになるまでの経緯を聞くのも楽しそうです。何回殺されても死なないって噂になるってことは、何回か殺されたことがあるってことですもんね。殺されたことが無いので、殺された人の経験談はぜひとも聞いてみたいのです。あとはその興味深い体のことも聞いて、そしてカミサマによくない感情を持ったきっかけも聞かなければ。
話したいことはいっぱいです。けれど焦る必要はありません。
しばらくぶつぶつ文句は言ってましたが、結局彼は私を受け入れることにしたようです。やけっぱちかもしれませんが、腕から先なら食べてもいいって言ってくれました。遠慮なくもぐもぐした私は、えへへと笑います。
彼となら、ずっとずっと一緒に居られそうです。時間を気にすることなく、いろんなお話が出来そうです。にょきにょきと新しく生えた腕はさっきと寸分たがわないもので、この分なら私がうっかり捥いでしまっても平気そうです。なんて素敵なんでしょう。
嬉しいです、と本心を告げて満面の笑みを向ければ、彼は居心地悪そうに視線をそらして、ほんのりと頬を赤くしました。うん、ちょろいです。逆に心配になるくらいちょろいです。ちょろくて、いい人です。なので私たち、うまくやってけそうです。
「じゃあ早速、えっちなことしますか?」
「ば……っ! 簡単に言わないでくれ!」
「えええ? 興味あるんですよね? 確かにまだちょっと成熟してなくって小さいですけど、十分いけますよ?」
「そりゃ、興味は……いやでもな……」
「悩んだ時はやってみるに限るのです」
「まっ、まっ、まっ、待て! 心の準備が……っ!」
結局。
私のお食事にはなってくれたものの、最初に食いついたはずの条件に彼はなかなか乗ってこようとはせず。
強引に事を進めようとしても、断固として受け付けない彼に美味しくいただかれるのには、私がもう少し大人の体になるまで待たねばなりませんでした。ちょろいくせに頑固なのです。
まあその頃には私も、彼のことをただの話し相手兼お食事ではなく、とっても特別な話し相手兼お食事だと思うようになってたので、これはこれで良かったのかもしれませんね。特別になってからは一層、お食事が美味しくなりましたし!
さあ、ここでお話は終わりです。
これは後に《不死の王》と《人食い女王》なんて、そのまんまな名前で呼ばれることになって人間に大層恐れられるようになった私たちの、私たち以外誰も知らない、一番最初の出会いのお話なのでした。
ふふふ、そうです。お父さんとお母さんの、ね。
「おいいいいい! 子供相手に、そこまで語らんくていいっ! 主に夜のこととか!」
「おやおや、相変わらず過保護ですね。もうその辺りのことは大体知ってますよ、ねー」
「うん! ねー!」
「う、嘘だ……そんな事実知りたくなかった……!」
そして今日まで私たちは。
毎日楽しくお話してお食事をして、ずっとずっと一緒に居るのです。
めでたしめでたし、なのでした!