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深霧のザーイエッツ  作者: 山崎 樹
最終章・その手を一つに
95/121

最後の休日・二

リューネブルク市防衛戦・一日前・スラム街・銀の雀亭―――


 法国軍侵攻を前に、市民ら非戦闘員はリューネブルク港に集まり、急ぎ、亡命を図っていた。

 いや、亡命と言うほど悲惨なものではない、ヴァンやリヒテルの根回しにより、彼らは一路、エルベ河の水運を利用して中立を表明した南部のヒルデスハイム司教区へと移住する。

 その運営は一応は信用できる商会や司教区などに一任され、手際よく行われていた。

 市民の避難を承る見返りはバルムンクと縁を切れること、バルムンク側が書類や血判状などを処分または、署名者に譲渡、これで例え後にスヴァルトや法国軍に追及されても言い逃れしやすい。

 ただ、それが大きな理由とは言え、何も打算ばかりではない。

 損得勘定で動く商人も、日和見主義者である神官も、等しく、十年前のスヴァルト侵略の経験者であり、立場が違えば自分がそうなっていたと考えれば、リューネブルク市の住民に非情な対応は取りにくかった。

 彼らも人間なのだ。


「お父さん、どうして街から出ていかなくちゃいけないの、何か、悪いことしたの?」

「スヴァルト、いや、軍隊が攻めて来るんだよ、捕まったらひどい目に合わされてしまうんだ」

「どうして、どうして、何も悪い事してないよ」

「……悪いことをしてなくてもこうなるんだよ」


 突如、街を追い出された幼い娘がむずがる。その父はどこかやるせない気持ちでそれを見やった。

 いかに当面の生活は保障されていたとしても、故郷の街を離れる寂寥感、今後の不安は抑えきれない。

 特に幼く、現状が認識できない者は、その理不尽に理由をつけることが出来ず、ただただその降ってわいた絶望を噛みしめるしかないのだ。

 そして怒りは、真の敵ではなく、身近な味方に向けられる。


「友達が言ってたよ、ばるむんく、なんて奴らが街にいるからこんな目に合うんだって、ばるむんくのせいなの、お父さん、あいつらがいるから私達がめいわく、するの?」

「そうだなぁ……父さんもそう思っていたよ、でも港に攻め込んできたスヴァルトの騎士を撃退したのは確かだし、そして父さん達を苛めていたスヴァルトを懲らしめたようだ。まあ、差し引きゼロってことだな」


 ゴルドゥノーフ騎士団の襲撃以降、住民のバルムンクを見る視線は変わってきた。一昔前の盗賊は今や街を守る守護者へと変化した。

 住民には先のブライテンフェルト会戦の詳しい状況は分からない。

 ただ漠然と、負けた、というのは理解していたのだが、その後のグスタフの早急な追撃、そして人口五千のリューネブルク市に対する万単位の軍勢と、戦場に身を置く者が言う見事な采配が、戦場を知らない市民にはある種の余裕の無さに見え、有体に言えば、スヴァルトもまた大きな打撃を受けたと認識していた。

 もはや死に体とも言えるバルムンクになぜ、これほどの仕打ちをするのか、答えは敵もまた負けないくらい、追いつめられているからだ。

 少なくとも、娘の父親はそう思った。


「わかんない」

「今はわからなくてもいいよ、まあ、バルムンクは悪いことも迷惑なこともしたが、同じくらいいいこともした。だから許してやろうじゃないか」

「……」

「それよりも彼らの姿を目に焼き付けなさい」


 父親が指し示す方向には警備のバルムンクの兵がいた。バルムンクには法国軍やスヴァルトのようなお仕着せの制服などない、だから彼が神官兵あがりか、ファーヴニルあがりか、はたまた、ただの傭兵かパッと見分けがつかない。

 だがそんなことは父娘には関係のない事、彼らが着にすることはただ一つ。


「あれが俺達の故郷を守るために戦い、そして死んでいく人間の姿だ」


*****


リューネブルク市防衛戦・一日前・スラム街・銀の雀亭―――


「結局、リーリエさんは大丈夫だったのですか……?」

「ああ、テレーゼお嬢様に付き合わされて、のぼせただけらしい……本当にバカなことをする」


 お昼時、ヴァン、テレーゼ、アマーリアとリーリエ、マリーシアの五人はバルムンク所有の酒場、銀の雀亭に集結していた。

 決戦を明日に控え、住民の避難が進む中、無論、出店など開いている訳もなく、食事は自分達で用意しなければならない。

 そしてこれが重要なことだが、ヴァンを除く四人の中でまともに料理ができる人間がアマーリアしかいなかった。

 のぼせたリーリエ、酔いつぶれているマリーシアは除外、テレーゼは味音痴。

 誰もできない中、一人だけできる。希少価値は権力を生む。

 元々は司教府の腐敗神官の奴隷、さらに遡れば、スヴァルトの侵略の折、スヴァルトとの混血を理由に親に捨てられた家泣き子。

 今は恋敵と言うべきテレーゼを料理に関して無能であることを理由に厨房から排除し、ヴァンだけを中に入れていたのだが、表向き、理に適っているので反対意見は出なかった。

 彼女は不幸な身の上な反動からか、自分が上に立つと増長するきらいがあった。

 ただその増長も、ヴァンが死術の影響で味覚がマヒしていることを知らされた後はやや鳴りを潜める。

 アマーリアは例えば、グスタフやグレゴール司祭長などのように、自分よりもひどい状況にある人間に対して強気に出られるほど図太く振舞えない。

 

「まあ、許してあげましょう、ヴァンさん。あの放火魔イグナーツにいろいろと吹き込まれて他のことを考えている余裕はないのですから、あ、そこの肉を細かく切ってください」

「いったい、何を吹き込まれたのですか……私には何のことかまったく分かりません」

「いいんですよ、分からなくて……本当にバカなお嬢様、戦いが終わるまで抜け駆けしないという口約束に騙されて、約束は破るためにあるんですよ、あはは」


 含み笑いを繰り返すアマーリア、はっきり言って不気味であったが、ヴァンは特に気にしない。

 彼は仕事に関係しないことでは限りなく無関心に近い寛容であった。

 だからこそ、ヴァンは不要に触れてはいけない場所に触れてしまう。


「変わりましたね、アマーリア。初めて会った時はもっと弱々しかったのに」

「……変わらなければ死んでしまいましたからね」


 アマーリアの顔に痙攣が走る。言ってはいけないことを言ったのをすぐに自覚したヴァンだが、しかし弁解はしない。

 まったくの本心であった以上、取り繕って仕方がないからだが、他に対処法を知らなかったからでもあった。

 アマーリアが静かに、淡々としゃべり始める。声にはまったく抑揚がなかった。


「グレゴール司祭長は私に言いました。殴られても、蹴られても、笑顔を絶やさず、神官らを愛していればいい、って。おかしいですよね、虐待しても、嫌われるのは嫌だそうです。運が悪い奴隷が、機嫌の悪い神官に殺されることはありますけど、それは忘れろ、自分じゃないって。でも、最低でも、そうやってヘラヘラしていれば食うに困ることはなかった。」

「……」

「なのに、あのリヒテルのゴミが余計なことをしたせいで、何がアールヴ人の解放だ……私だって半分はアールヴ人ですよ。半分だけスヴァルトの血を引くだけで、あいつらは私を殺しても、正しいことをしたと胸を張れる。そして私の事なんかきれいさっぱり忘れて日常を送る」


 目に静かな炎を宿すアマーリアはどこか幼い子供のようだった。

 正しくないことを無理やり言わせてられ、正しくないことを正しいと思わなくてはいけなくて。


「どうしようもない事です。個人の生など巨大な国家の前では芥子粒のように取るに足らないもの。私だってもう半ば以上を諦めている」

「では……私を助けてくれたのはどうしてですか」


 疲れたように呟くヴァンはアマーリアとは逆に老人のようだった。

 目の前に迫る破滅の前に無駄と知りつつ足がく。

 そっとヴァンはアマーリアの髪を撫でた。彼女は一瞬、まるで折檻を前にした子供のようにびくっと震えるが、払いのけようとはしない。


「同情したからです。同じ境遇の人間に私は同情して助けて、もしかすると私の代わりに幸せになってくれるかもしれない。そうすれば、私の心が楽になるかもと自己満足に浸ったのです。ですが……何の意味もなかった」

「そうですね、上にリヒテルがいる以上、どんなに助けてもあのゴミがひっくり返す……ゴミって言ってもいいですよね、あの総統」

「構いません、リヒテル様が万能でないのは知っています。私も随分、ひどい目に合いました。でも……それでも私は仕える」

「なぜです?」

「助けてもらった恩義からです」


 ヴァンがアマーリアの髪から手を放す。どこか名残惜しげに彼女は頭を自分で撫でた。


「そろそろ料理に集中しないと……焦がしてしまいます」

「ヴァンさん……」

「なんですか」


 アマーリアが体の向きを鍋の方に戻す。先ほど話しながらヴァンが切った肉を手際よく入れていく。

 

「私は……誰でも良かったわけではありません。助けてもらった人間、全てにこうまで好き勝手に振舞ったりはしません」

「知っています。後でブリギッテ竜司祭長に聞きましたが、私以外には従順な態度を崩さないそうですね」


 藪から棒にアマーリアはそんなことを話し始めた。ヴァンには無論、その意図が理解できない。


「他の人はまだ完全に信用できないですから……うまく仮面を被っているのです」

「さすがはあの司祭長に仕えてきただけはある、大した処世術です」

「褒めているのですか」

「一応は……自立できているのは評価できます」

「自立……でも一人は嫌なのですよ。例え同情であっても一緒の方がいいのです」

「それは少し、卑屈過ぎませんか」

「この期に及んでお説教ですか!!」


 瞬間、アマーリアは床にスプーンを叩きつけた。本当は鍋のひっくり返したかったのだが、寸での所で理性が働いたのだ。

 そして後ろを振り返り、一歩、そして二歩足を踏み出す。 

 早くはない、だがなぜかヴァンはその動きに反応出来なかった。

 ヴァンの正面、くっつきそうな程至近距離にアマーリアの顔があった。


「もう一度、キスしてもいいですか」

「……」

「あの時は拘束しましたので、言い訳できるでしょうけど、今回は逃げられますよね」

「……」

「あはは、沈黙は承諾と見なします」


 そして顔と顔がゆっくりと重なり……。


「危ない……」


 まるでばね仕掛けで飛ばしたように高速で正確な一撃がヴァンに振るわれる。投げられたのはスプーンだった。

 手で受け止めなければ、ヴァンの顔に穴が開いていたかもしれない。


「あと少しで……テレーゼめ」

「聞き耳を立てていたようです。呼ばれたようなので行ってきます」


 これ幸いにと、ヴァンは逃げようと、そして逃げるでは格好がつかないので何かしら自分を納得させる言い訳を考え、しかし考え付かず、結局は逃げるということにした。


「私は……ヴァンさんと心中するのを諦めてはいませんから」


 ぞっとするほどに、それでいて透き通った清水のような耳に残る心地よい声音。傾国の美女がいるとすればもしかするとこんな声をしているかもしれない。

 そしてその美女はどんなに贅沢をしても苦悩を抱え続けるだろう。

 ヴァンには彼女をどうこうする器量はなかった。だから誤魔化すことにした。マリーシアが言った。冷徹で非情な死術士らしからぬ臆病さであった。


「そう言えば、マリーシア殿は今日、ひどく酔っていますね。まるでブリギッテ竜司祭長のように……仲間に姐さんと呼ばれている彼女らしくない振る舞いです」

「ああ……意地を張るからですよ」

「意地……?」


 キスを中断させられたアマーリアが、面白くもないようにマリーシアの身に降りかかった不幸を話す。


「決戦前夜ですから、仲間にも自分の好きな人の所に行くように促したのです。そうしたら、誰も自分の所に残らなかった」

「……」

「いえ、本当はマリーシアさんと一緒に過ごしたかった人間がいたようですけど、弱みを見せたくなかったらしくて、あたしにも行く場所がある、とか匂わせたので皆が気を利かせていなくなって……」

「もういい……聞きたくないです」


 あまりにも憐れな内容に本気で耳を塞ぐヴァン、しかしそれに気を良くしたのか、アマーリアが先を強引に続ける。


「しかもその直後、友達かつ自分より下だと思っているブリギッテさんが十人くらいの部下と飲み会をしていたのを目撃したのです。ブリギッテさんは意外と下にモテるようで……でも空気は読めないようです。一人だったマリーシアさんに一緒に飲もうと誘ったのですが……」

「私ならば断わります。周りが顔見知りなのに、自分だけ部外者。内輪の思い出話とかされたら切な過ぎて耐えられません」

「まあ、断ったようですけど」


 ヴァンは頭をかきむしった。何というのんきな連中だ。市のすぐ近くに数万の軍勢が集結し、明日の朝、一斉に攻め込んでくると言うのに……。


「この話で学習したことはなんでしょうか」

「現状を理解してあまりはしゃがないようにですか?」


 まるで秘め事でも語るように、アマーリアは人差指を口元に添えた。

 ちなみに目はしっかりと煮立てている鍋を見ている。

 いつだったか、ヴァンさんの好みは真面目な娘でしょう、などとふざけて言っていたが、あるいはそれが彼女の行動を決める指針になっているのかもしれない。

 そしてヴァンはアマーリアが、近くに危険な物がない、あるいは安全な場所でのみ、真摯に職務を遂行する。

 つまり、混血である彼女を排除しようとするバルムンクという組織内では彼女はその力を発揮しえない。

 皮肉なことに、現在、アマーリアの精神が比較的、安定しているのは、バルムンクという組織が壊滅状態、滅亡間近にあり、アールヴ人の解放などと言った目標が既に達成不可能であると皆が悟っているからであった。

 等しく訪れる破滅の前に、純潔なアールヴ人も、そして混血もない、そこには差別はなく、弾圧もない、人は平等であった。

 少なくとも、バルムンクというファーヴニル組織は、十年前の首都の神官のように同士討ちをしないだけ健全であった。


「逃げるつもりはないのですね。今ならば避難していく人たちに混じれます」

「どこへ行くと言うのですか、私にはもう逃げる場所はないのですよ。私のいる場所はここだけです」


 アマーリアの質問に答えず、ヴァンが逆に質問し返す。彼女はそれに対し、咎めもせず、ただ思うままに答えた。

 単純明快、そして素朴でもあった。裏切られ続けた彼女はそれでも温もりも求めた。

 リヒテルやヴァンのようにその温もりを捨て去り、人道を外れるような真似を彼女はできない。

 あるいは、外れるようなヘマをしない。


「戦闘が始まったら、司教府で待機していてください。山程来る負傷兵の治療とその運営、全て任せましたからね、アマーリア・オルロフ侍祭」


 あくまで堅苦しく、真面目そのままにわざと職位をつけて言った。これがヴァンの最上の扱いであった。

 しかし、見方を変えれば情を排したその物言いは最期を前にしてはいささか冷徹に思えるかもしれない。言われた当人であるアマーリアが苦笑する。


「あはは、どうして素直に頼りにしていると言わないのですか、私でなければ期待されてないと、落胆するかもしれないですよ」

「……すまない」

「いいです、許します」


 そして料理に集中するアマーリア、話は一端、終わりであった。続きはいつか、それは未定である。


「さっきの質問の答えです」

「マリーシア殿の失敗で学ぶことですね、なんでしょう」

「意地を張るとロクなことがない、です」

「……」


 先とはまた違う含み笑いを漏らすアマーリアに、ヴァンはいささか不機嫌になった。ヴァンはからかわれるのがあまり好きではない。

 そして自分に未だそんな感情が残っているのに驚いた。

 なるほど、いつのまにか、港であった混血の少女はヴァンにとって手ごわい存在に成長していたのだ。


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