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深霧のザーイエッツ  作者: 山崎 樹
最終章・その手を一つに
94/121

最後の休日・一

リューネブルク市近郊・同市攻略一日前―――


「グスタフ様、本隊の準備は夕方頃には終わります」

「さすがだな、我が騎士セルゲイよ」


 グスタフ率いるグラオヴァルト法国正規軍は強行軍の末、ついにバルムンクの本拠地、リューネブルク市前面にまで進軍した。

 その数は二万五千……に達した所までは把握していた。

 と言うのも、グスタフが法王から奪い取った権限を駆使して施行した恩赦につられる形で各地のバルムンクから寝返ったファーヴニルや傭兵団が続々と従軍し、まるで雪だるまのように軍勢が膨れ上がったのだ。

 無論、統制は取れていない。ただグスタフにとって彼らは単なる露払い、矢避け程度の認識であり、使い潰す前提故に練度などは対して気にかけてはいなかった。


「リューリク公家の騎士、ヴァジーム殿に後方支援をお願いしました。おかげでこちらの兵士を休めさせることができます、ですが……やはり直接的な参戦は断られてしまいました。情けをかけられた者にその恩を返さずに剣を向けるわけには行かない、と」

「ヴァジームめ、はっきりと俺が気に食わないと言えばいいのに、俺はもうお前らの主君だぞ、だがまあ予想の範囲内だ、テレーゼも余計はことをしてくれた」


 ブライテンフェルト会戦の終盤、彼らの主君たるウラジミール公エドゥアルドがおわす本陣に奇襲をかけたバルムンクのテレーゼはあえてその首を狩らなかった。

 ウラジミール公の騎士、ヴァジームが言う情けとはそういう意味だ。

 その時、既に高齢の公は長引く戦闘に耐え兼ね、身罷なっていた、つまりは死んでいたからあえて首を取る必要はない、というのが言い訳であったが、それが今回は良い結果をもたらした。

 バルムンク連合程ではないが、大きな被害を受けたリューリク公家が矛を収める隙間が生じたのだ。


「これが全て計算ならば恐ろしいが恐らく、あの娘は深く考えずにそうしたのだろう。となれば、もっと恐ろしい」

「ならば、今度こそ、テレーゼを仕留めましょう。騎士の誇りにかけて……」

「頼もしいな、セルゲイ」


 裂帛の気合いを込めるセルゲイを頼みしげに見るグスタフ、彼は謀略を持って王の座を奪わんとする簒奪者である。

 その行いには大義なく、ただ我欲のみ。だからこそ、本来ならばいの一番に馳せ損じなければならない、自家であるリューリク公家の騎士に離反されたのだ。

 その点、正義でもって人を動かす仇敵リヒテルとは相反する、グスタフの限界でもある。だが正当性にこだわらない分、彼は現実主義者でもあった。

 その心内がなんであれ、自らの命令に従ってくれるのならばそれでよし。


「私は貴方に不満があります、ですが今のスヴァルト人には貴方の存在が必要です」

「そうか……」


 セルゲイは気づいてしまった。自分の部下が何のために戦っているかということを。主君への忠誠ではもう戦わない。

 彼らが戦うのはそう、自分達を支持してくれる者のために……ある意味ではもうスヴァルト人は侵略者としての立場を失いつつあるのだ。

 そうなれば数で劣るスヴァルトは負ける。ならばそう、再びまとめ上げる。絶対的な指導者の力で民衆を、将兵を縛り上げ、階級と言う名の秩序を復活させる。


「私はスヴァルト人だ」


 グスタフの配下は彼へ忠誠を誓っている。ブライテンフェルト会戦のような異なる三軍がまとまった連合軍ではない。

 そこに齟齬はなく、不仲もない。グラオヴァルト法国軍はただ一つの獣のように、倒れ伏したバルムンクと言う名の獲物に牙を剥く。


*****


リューネブルク市防衛戦・一日前・スラム街・銀の雀亭―――


 バルムンクが蜂起する前、本拠地として利用していたスラム街の銀の雀亭。そこに総統リヒテルの副官となったヴァンが静かにたたずんでいた。


(体に異常はない。腕も脚も無理をしなければ大丈夫、むしろ怪我の治りが良くなったぐらいだ……そして五感は)


 数万のグラオヴァルト法国軍を眼前に及んで、しかし、攻められるリューネブルク市内部は意外なほど秩序を保ったものだった。

 それはひとえにヴァンの采配により、一般市民の避難が滞りなく進められ、また間者の報告により、戦闘が明日であると明確に分かっている故でもあった。

 数日の間に五千もの住人はその半数が家財道具諸々を、持てる者は持ち、また自分の身すら移動できない老人や幼子はバルムンクが各組織に頼んで確実に移送する。

 十年前の、数万の住民が犠牲になったマグデブルクの虐殺の再来は既に防がれていた。

 そしてその立役者は今、総統リヒテルに暇をもらっていた。明日の戦闘に備えてと言われれば是非もない。ただ少しリヒテルの豹変が心配ではあった。

 彼からは狂信的なまでの正義が失われていた。それがどのような変化をもたらすか不分明であった。


(味覚がマヒしているのは元々、嗅覚は大丈夫、聴覚、触覚)


 まるで樹木のように硬質化した部位は未だ一部だ。その中でもひどいのは左腕、硬質化した部分からは一切の感覚が得られない。

 もし仮にその現象が内臓にまで達したらどうなるのか、そう考えつつ、最後に視覚の検査を行い……。


「……!!」


 そこには死体があった。泥の体躯に仮面のような青白い顔、それは辛うじて人型と認識できる……。


「なんだ、やっぱりここにいたのかい、まあ、皆、避難したから開いている店なんかないか」

「……マリーシア殿」


 瞑っていた右目を開くと、目の前には金髪の女性が立っていた。

 釣り上った灰色の目と癖のある髪が特徴的な彼女は傭兵隊長マリーシア、バルムンクの幹部であり、ヴァンの同僚だ。


「どうしたんだい、あたしを化け物でも見るような目つきで?」

「疲れて目がくらんだのです、すみません、所で仕事はどうしたんですか、確か、港の防備を固めるようリヒテル様に言われていたはずですが……」


 ヴァンはさりげなく話題の展開を試みる。彼女が化け物に見えて理由、それを考えないようにした。

 明日には消え得る命、ならば余計なことなど考えずとも……。


「ああ、それならば避難予定の奴が全部やってくれるってさ、あたしら戦闘班は今日一日、好きな奴の所で過ごせ……ってあのリヒテルが、おかしいよな、何か毒でも盛られたのか」

「さて、私には何のことだか……ただ、今になって変わっても仕方がないとも思います」

「確かに……」

「でも変ったから今、生きているのでしょう、以前のリヒテル様でしたら自害していた可能性もあった」

「……なるほど、確かにお前はリヒテルの副官だよ、客観的にあの総統を見ている」


 意味ありげにマリーシアがヴァンを見やる。彼女は相手を値踏みする癖があった。苛酷な傭兵の世界を生きてくれば当然、身に着ける能力である。


「まあ、今になって腹の探り合いをしても仕方がないか」

「そうしてくれると助かります」

「ただ、忠告するよ」

「何をです?」

「坊やは女性関係を清算した方がいい」

「何をわけの分からないことを」


 一転して、マリーシアが意地の悪い顔を見せる。まるでネズミをいたぶる猫のような笑みであった。


「ここに来る前に司教府に寄ったんだけど、なんか大浴場に向かうテレーゼ嬢とアマーリア嬢と、なんか小さい嬢ちゃんを見たぜ。しかも仕事が終わって二時間、まだ入っていたということは念入りに体を洗っているみたいだ。これは……勝負をかけにくると見て間違いないな」

「なんの勝負ですか……ったくイグナーツか、余計なことを昨日、吹き込んだな」


 礼儀正しいヴァンが珍しく、舌打ちして悪態を吐く。遡ること昨晩、イグナーツがヴァンら三人に色々と教えたのだ。

 ヴァンはまったく理解できない事柄だったのですぐに寝所に引っ込んでしまったのだが、残りの二人がどうなったは分からない。


「ふふふ、どちらを選ぶ、陽気で明るいが少し馬鹿なテレーゼ嬢か、陰気で執念深いが意外と尽くすタイプなアマーリア嬢か」

「私は死術士、それにどれだけその手を血に染めたか……そんな人並みの恋愛など興味がないし、その資格もない」

「だから、距離を置く」

「……」


 いつの間にか、マリーシアから笑みが消えていた。しかし怒っている訳ではない。彼女とて傭兵、その手を血に染めてきた。

 その血は強大なスヴァルトだけではない、それ以上に弱者の血をすすって生きてきたのだ。

 ヴァンとマリーシア、共にファーヴニルが侠客と呼ばれる前、ただの盗賊と呼ばれていた頃を知っていた二人であった。


「まあ、言い過ぎた。惚れた腫れたは個人の自由。だけどあちらはどうかな、向かってきたらお前は手を払いのけられない。それはテレーゼの嬢ちゃんと似ているな。勘違いさせたらこちらの罪さね、付き合うのは贖罪だ」

「とんでもない理屈で……ですがそこに愛情はないですよ」

「ぷっ、あははははは!!」


 ヴァンの何気ない言葉で今度は爆笑するマリーシア、コロコロと感情が変る女だ、良く見るとわずかに顔が赤い、酒が入っているようだ。


「何がおかしいのですか?」

「いや、冷徹非情な死術士様が何を言うかと思えば……そう思っている以上は大丈夫だ。なんなら数か月、一緒に過ごしてみればいい。付き合ってから好きかどうか決める。それでいいさ」

「何事も経験ですか……まあ、考えて置きましょう」


 ヴァンがテレーゼに向ける思慕、それは誰にも知らせない物だ。しかしそれ故にかその感情がどういう物か、定義するかは難しい。

 テレーゼをどうしたいのかヴァンには分からない。抱きしめたいのか、契りたいのか、あるいは閉じ込めてしまいたいのか。

 まったく分からない。


「……」

「重傷さね、おっと来たみたいだ」

「……!!」


 そうこうする内にテレーゼ、アマーリアそして恐らくはテレーゼの幼女従者、リーリエがやってきた。

 ゆっくりと足音がこの銀の雀亭にやってくる。


「……足音が二つ、いや三つか?」


 足音の奇妙さにヴァンが警戒を強める。もしかするとテレーゼらではなく別な人間、決戦前夜なのだ。

 指揮官たる幹部クラスを暗殺するよう法国軍が暗殺者を派遣することもあるだろう。思わず剣を握る。

 ただ、その心配は幸いにも杞憂に終わった。


「……」


 扉を開けて現れたのは蒼髪に同色の瞳を持つテレーゼ、風呂上りなのか、ほんのりと頬を上気させて色っぽい。

 普段がさつだ、乱暴だと言われていてもそこはやはりそこは年頃の娘、まとめた髪の隙間から覗くうなじを直視してしまい、ヴァンが目をそらす。

 思わず生唾を飲み込んだことは気づかれなかったと信じたい。


「ベッド、ベッドを貸して!!」


 ただ残念と言うか、やはりと言うか、色気が出てもそれはテレーゼ、子供のような落ち着きの無さは健在であった。

 ヴァンの中で何かは分からないが、何かの点数が引かれた。


「どうしたのですか、そんなに慌てて」


 はっきりと残念そうな顔を見せてヴァンが相対する。しかしテレーゼはそれには気付かずにドカドカと大きな足音を立てて上がり込んでくる。

 背中には幼女の姿があった。


「長風呂につきあわされて、のぼせちゃったんですよ、あの娘、あはは」


 テレーゼの後に続いたアマーリアがひきつった笑みでヴァンに補足説明する。


「馬鹿じゃないんですか?」


 ヴァンの回答は簡潔であった。いつのまにか、胸の内の苦悩は吹き飛んでいた。あるいはそれがテレーゼの魅力なのかもしれない。


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