俺は幸運な男だぜ
ブライテンフェルト草原・?日前―――
そこには打ちひしがれていた人々がいた。
全ての力を結集し、乾坤一擲の思いでスヴァルトに支配されしグラオヴァルト法国正規軍との決戦を行ったのだ。
しかしその結果は惨敗、軍勢の大半はヴァルハラに旅立ち、残る者は散り散りになった。
そして、バルムンク連合の二番手であった、エルンスト老の総統弾劾と言う名の裏切り、リヒテルを主悪の根源とするその告発を理解できたものは少なかった。
たが、彼らはこう思った。エルンスト老ですらスヴァルトに屈したのか、と。
コンクラーヴェにて反スヴァルトの尖兵となり、民衆のために命を擲つと誓ったことはもう忘れてしまった。
「どうするよ……従えば恩赦がおりるって言っているが」
「馬鹿を言うな、国はスヴァルトの言いなりだ、ノコノコと言った所で殺されるのが落ちだぜ」
「じゃあ、まだ戦うのか、スヴァルトと……」
「……そうは言ってない、だがもうリヒテルはおしまいだ。側近のエルンスト老が裏切ったんだ。噂では薬か何かで洗脳されたと言うが」
エルンスト老の豹変は多くの、彼と面識があったファーヴニルや傭兵らの不信を招いた。そもそも、その豹変は死術によるもの。
エルンスト老は戦死した。グスタフの策でただ死体が動いているに過ぎない。
無論、そこに魂はない。疑われるのは当然と言えたが、しかしそれを企んだグスタフの狙いはそれではない、彼の狙いはファーヴニルらに考える時間を与えたこと。
なぜ、彼らはここで思い悩んでいるのか、なぜ、打ちひしがれているのか、なぜ……リューネブルク市に撤退した本隊と合流しようとしないのか。
「何人、死んだと思っているんだ、あのバカ総統は……」
「この敗北の責任はどう取るっていうんだ、俺には小さい子供が、女だっているんだ、俺が死んだら、誰が面倒見るっていうんだ、リヒテルにそれができるのか、ああ、無理だろう」
「少し様子を見ないか、少しでいいんだ、一週間、いや五日でいい、少し考えてから本隊に合流しよう」
人は思い悩めば思い悩むほど、慎重に、臆病になっていく。
惨敗と裏切り、進退窮まったファーヴニルらは口先だけはリヒテルに変らぬ忠誠を誓い、あげく、どっちつかずな中立を選択した。
そしてこれは組織体制の差が露骨に表れた結果でもあったのだ。
戦場で男手を失ったとしても、スヴァルトならばそれが属するイエが家族を保護する。イエがダメならばその上位に位置する本家、そして最終的には王家たるリューリク公家が面倒を見る。
神官兵の場合は遺族に見舞金が出る。戦死したり、負傷して働けなくなっても国のために戦った結果ならば優遇もされるし、少なくとも寒空に放り出され、路頭に迷うことはない。
誰からも支持されなかったと蔑まれる法王シュタイナーは曲がりなりにもそういった制度を維持してきた。
勿論、それでも救われない者は現れるし、理不尽な扱いを受ける者もいる。
だがそれらは少数派だ、少なくとも末端の兵士がそれを信じて戦えるくらいには正常に機能していたシステムだ。
翻ってバルムンク連合だが、その下で戦う兵士には何もない。
反スヴァルトで結成された新しきこの組織は未成熟であり、手当てや見舞金といった概念はなく、死んだらそれでお終いである。
バルムンクやロスヴァイセ、オルトリンデのような連合を組む、ファーヴニル組織は相互扶助を信条にしており、戦死した同胞の家族の面倒を見る考えもあるのだが、今回の会戦はあまりにも規模が大きすぎた。
それこそ組織自体が瓦解しかねない損害を受けては相互扶助も何もない。助ける余裕がないのだ。
特に中央戦線、リヒテル直属に選ばれた組織やその構成員の戦死率は十割、それが例えば傭兵団ならば消滅だ。
大きすぎる損害を受ければ国ならば傾く、だが傾くだけで済むのだ。バルムンク連合と言う名の雑多な組織の集まりは、散り散りのバラバラになった。
「リヒテルさんは……どうなった」
「お前は……?」
思い悩む二人、彼らに一人の男が近寄ってくる。思わず二人は顔をしかめた。
そこにいるのはボロ雑巾である。全身の、傷がない所などないほど痛めつけられた雑巾、腐ったような匂いを放ち、その目は虚ろ、狂人の類にしか見えない。
どうやら、あちこちで同じ質問をしたようだが、どうも取り合ってはくれなかったらしい。
それもそうだろう、男はもう死ぬ、それだけの傷を受けて長く生きられるはずがない。皆が気力をなくしていた。希望を失いかけていた。
死に逝く者に情けをかける余裕などありはしないのだ。
「リヒテルはもうお終いだぜ、あんた、悪いことは言わない、ゆっくり休みなよ」
「どこに……?」
「知るか、捕まったんじゃないのか、何でも厳重に警備された馬車が首都に向かうのを見た奴がいるらしい。もしかすると、それが……おい、くそ、ボケが」
聞くだけ聞いて、男は踵を返していた。その身勝手さに件のファーヴニルは悪態をつく。だがそれで終わりだ。
彼は今後の進退を決めなければならない、狂人のことなどすぐに気にかけなくなった。
「しっかし、お前も適当なことを言うな」
「半分は事実だぜ、なんでもバルムンクの幹部だとかなんとか、もしかするとリヒテルかもしれないぜ」
「その情報……バルムンクに教えるか?」
彼らは実の所、バルムンクの耳役でもあった。
窮地に陥った時の冷静な判断力、危険を恐れぬ胆力を買われて登用された間者。
彼らの仕事はバルムンクに情報を伝える事、それでもってバルムンクは事態を把握し、それに対する対策を練る。
彼らは重要なポジションであった。それを自覚し、それに対する誇りもあった。数日前までは……。
「馬鹿を言え、もし伝えたことが法国軍にばれたら恩赦が降りなくなるかもしれないぜ、責任、取れるのかよ」
「まあ、そうだな」
誇りなど生きるためには何の役にも立たない、他人が助かっても自分が死ねば意味がない。
十年前の敗戦、役に立たない正規軍の代わりに救世の徒として、侠客としてもてはやされた残虐なる盗賊、ファーヴニル。彼らは今、再び蔑まれる盗賊へと逆戻りした。
グスタフは言った、仲間が見殺しにした人間に何ができる。バルムンク連合は誰も知らない内に解体した。そして再び、元に戻ることはない。
*****
リューネブルク市・法王府―――
「傭兵団「ファルツの猟犬」が戦線離脱、今回の敗戦の責は重く、誠意ある態度を取らなければもはや協力できない……ってそんなぁ」
「ファーヴニル組織「グリムゲルデ」も日和見やがった。あそこは死んだ兄貴はなかなかだが、後を継いだ弟は腰抜けだからな、ったく、どいつもこいつも……」
法王府の中枢、司教の執務室では度重なる凶報を受けてブリギッテ竜司祭長と傭兵隊長マリーシアが右往左往していた。
バルムンク連合を構成するファーヴニル組織、傭兵団、盗賊団が次々と離脱し始めたのだ。
やはり、法王が下した恩赦の影響が大きい。何もしなくても利益が得られるならば何もしない。自由を信条とするアールヴ人の悪い所が表面化した。
次々と中立を宣言し、それどころか、法国軍に合流する者もいる。
共にブライテンフェルト会戦で戦い抜いた者達はまだ中立と言う名のどっちつかずな態度を取っているが、コンクラーヴェにすら参加していなかった無頼漢どもは恩赦につられて法国軍に合流、事実上、グスタフの傘下に入った。
ブライテンフェルト会戦で大打撃を受けたグラオヴァルト法国軍はその戦力を補填し始めたのだ。
しかし、対するバルムンク連合、否、もう連合などと言えない。ただの一組織に零落したバルムンクにはもう切れるカードはない。
「ヨーゼフの婆さんは……」
「また倒れちゃったよ、かなり無理して各地に声がけしたのに、その結果がこれじゃあ、無理もないけど」
「あたしまで倒れそうだよ、だがまあ、ヴァンの坊やが頑張っているのに大人のあたしが狼狽えても仕方がないがね、所で……あんたは逃げないのかい、竜司祭長殿、神官のあんたならば、降伏すれば許されるかもしれないよ」
マリーシアは過去のロクデナシ、そして今や肩を並べるようになった友人を意地悪な目で見る。
特に意味はない、ただ何かをしなければ平静を保てそうになかった。だから暇つぶしにからかう。
彼女はいつだってブリギッテを助けているつもりだが、あるいは、助けられているのはマリーシアの方かもしれなかった。
「ブライテンフェルト会戦であそこまでやったらもう、無理だよ。一時は許されるだろうけど、後で必ず処刑される。嫌だよそれは、だからまだ覚悟ができる分、今の方がマシ」
疲れ切った……と言うよりも、苦虫を百匹くらい噛み潰したような渋い顔でブリギッテが言う。
その手にはグラス、なみなみと注がれるは水で割らない、濃すぎるワイン。フラフラと揺れる手は酔いのためであった。
「……と思いたいんだけどね」
「何……?」
「あまり苛めないでくれる。降伏すれば自分達だけは助かるって思いたくなってくるからさ。死にたくないけど、仲間も見捨てたくない。でも他に選択がないからここに残っている……この矛盾をどう思う?」
今度はマリーシアが問われる番だった。だが答えは簡単だ、彼女の中でもう答えは決まっている。
「立派だと思う」
「そう……」
「ああ、立派だよ、あんたは」
マリーシアが澄み切った、晴れ渡った空のような微笑を浮かべる。子供の成長を見届けた母親のようなそれを見てブリギッテが何かを言おうとて……酔いが回ったのか、目が泳ぎだす。
マリーシアは笑った。本当に締まらない奴、だが嫌いではない。
「……で、盗み聞きかい、総統閣下」
呻き声を上げて机にへばりつくブリギッテは気づかなかったが、執務室に訪れる者がいた。
耳障りな金属音は義肢の音、急ごしらえのそれはひどく質が悪い。
それで歩行するとは、あるいはとんでもない才能を彼は秘めているのかもしれない。
酔いつぶれたブリギッテと代わるようにバルムンク連合総統リヒテルが現れた。
「すまんな、聞いてしまったよ」
「謝罪は必要ないよ、それよりもせっかくヴァンの坊やがあんたに負担をかけないよう頑張っているのに、その行為を無駄にした分の事はしてくれるのだろうな」
「そんなに私は心配をかけるようか?」
どこかとぼけたような総統リヒテルをマリーシアは笑い飛ばす。今度はブリギッテの時とは違う……嘲笑であった。
「両脚と左腕を失くしたダルマモドキが何を言ってやがる。しかも休む前は死相が出ていたぜ、ヴァンの坊やに感謝しな、坊やが総統業務を代行してなきゃ死んでたぜ、あんた」
「そうだな、粛清しようとしたこの馬鹿親に良く仕えてくれる、だから今度は私が何とかする番だ」
「あん、妄想の類ならば、聞きたくないよ」
あくまで取り合わないマリーシア、しかしだからといって会話を断ち切ったりしない。
リヒテルが隠し持つ何かを隠している、それをマリーシアは見抜いたのだ。
「私は幸福な人間だな、それに気づくのに多くの時間がかかった。無益に仲間を殺してきた。その罪、償うぞ」
「……」
「マリーシア、皆を集めてくれ。私は私ができることをする」
リヒテルの悲壮なる覚悟、それを感じ取ったマリーシアが素直に従う。何故かはわからない。
だが従いたくなる何かをリヒテルは持っていた。それは会戦前には感じ取ることが出来なかった。
「お前らを生き残らせる。どんな手段を用いてもな」
エルンスト・バーベンベルク。戦死し、その死体を操られ、生前の功績を無にされた憐れな老人。
しかし目に見えぬ所で彼の成したことは実を結びつつあった。そう、リヒテルは変わったのだ。
あまりにも遅すぎた。なぜ気付かなかったのかと、弾劾されるのは仕方がない。だが最後の最期で彼は気づいた。
自らの愚かしさに……。
「お前、変ったな」
「変わってなどいない、ただ、気付いただけだ」
リヒテルは踵を返す。彼の背後には何かを成し遂げたような微笑ましい顔で倒れる一人のファーヴニル。
彼はやり遂げた。その意志を繋いだ。
「今は眠れ、静かに、お前は義務を果たした。後は私に任せろ」
義足というハンデを物ともせず、リヒテルは歩き出す。ただ前へと、輝かしい未来へと。
*****
ブライテンフェルト草原・?日前―――
思い出すのは黄金の小麦畑、今は亡き、故郷の姿。
スヴァルトの侵略によって失われたそれの復讐のために彼は舎弟を率いてバルムンクの門を叩いた。
耐え忍ぶ時間は長かった、慕ってくれた弟達の多くを失った、そしてついには死術の力で彼は人であることを止めたのだ。
アンゼルム・グルムバッハの人生はただ、一つの目的を成すために浪費されていたようなものだ。
なぜならばブライテンフェルト会戦で彼と彼が属する組織は惨敗した、もはや復讐は永遠に敵わない。
だから彼が剣を振るうのはついてきた舎弟らのため、自分についてきた彼らが胸を張って生きていくために、ただそれだけの、意地のためだけに剣を振るう。
「兄貴、あの馬車に本当にリヒテル様が囚われているのですか」
「さぁ、それは分からねえ。だけどよ、スヴァルトの奴らが捕えている奴を逃がせば、リヒテルさんの助けになる。それだけだ」
アンゼルムはこの地上から消え去ろうとしていた。
死術を用い、不死兵と言う名の化け物となってが、限界はある。
生命が失われていた、戦い過ぎた、傷が深すぎた。そして何よりも彼を治癒できる死術士ツェツィーリエが裏切ったのだ。
もう終わりは見えている。
「そいつを助けたら本隊に合流しようぜ、まだ大丈夫だ、まだリヒテルさんは戦える」
「ですが、もう皆、リヒテルさんは終わりだと」
「雑魚の言うことなんて気にするな、お前らは俺についてこい。そうすれば、間違いじゃないからな」
終わりは見えている。ならば最期の意地をかけて舎弟らにかっこいい兄貴としての姿を見せて死ぬ。
ついてきたことは間違いじゃなかった。そう思わせたいのだ。
もはや腹は決まった。覚悟は固めた。そしてアンゼルムは剣を掴んだ。
*****
馬車が襲撃を受けたのをどこか他人事のように法王シュタイナーは聞いていた。
もはや自分の役目は終わった。これからはグスタフが王として君臨し、自分はただ科せられた役目を担えばいい。
ウラジミール公の下でも同じことを続けてきた。ただ上に君臨する者が代っただけのこと。しかし今度はよりその拘束は強くなることだろう。
ウラジミール公と比べて、グスタフはより悪質だ。
「また十年、雌伏を……いや、もはや私が表だって何かをすることはあるまい。グスタフは若い、私よりもな。私はグスタフよりも先に死ぬことになるだろう」
嘆くように溜息を一つ、その心は深淵に沈む。
だが思考停止の寸前、喧噪が鳴りやまぬことに疑問を抱いた。なぜ、襲撃者は駆逐されない。
法王シュタイナーを監禁する兵士はスヴァルトの精鋭、グスタフに付き従う数少ないリューリクの精鋭のはず。
しかし、そう少数でしかないのだ、法王シュタイナーを監禁してその権力を奪い去る。それがグスタフの策だが、実の所、末端の兵士にその対立は露見してはいけないのだ。
貴族の私兵は別として、兵士はグスタフに忠誠を誓っている訳ではない。
あくまで、国に忠誠を誓っているのだ。リヒテル個人に命を捧げているバルムンクとは違う。
見方を変えれば、グスタフは国家に寄生するただの虫に過ぎず、宿主たる国家、あるいは法王シュタイナーの権力を利用しているに過ぎない。
兵士は未だ、グスタフと法王シュタイナーが蜜月を続けていると信じていた。
シュタイナーを監禁を厳重に出来なかった理由だ。味方にばれてはいけない、騙し、利用することで頂点に駆け上がったグスタフの、それが限界だった。
「なぜだ、なぜ、死なない」
「化け物が……この、がぁぁぁぁぁ!!」
スヴァルトの兵士、その断末魔を最後に辺りは静寂に包まれる。
法王シュタイナーは身じろぎせずにそれを迎えた。ただ草木のように全てを迎え入れる思考の放棄である。
「お前は、誰だ……」
力づくで鉄ごしらえの重厚な扉が開かれる。そこから覗いたのは赤毛の青年、その顔は血にまみれ、そして死にかけているのが推測できる程、やつれ果てていた。
「バルムンクの兵士か」
「そうだ、お前は誰だ、悪いな、俺はもう人の顔の区別がつかない。名乗ってくれ、なぜスヴァルトに捕まっている?」
壮絶な姿の敗残兵を見てもシュタイナーはただ、眉をわずかに動かしてその男に向き直った。
今は法王という官僚の長にいるとはいえ、元々はヨーゼフやブリギッテと同じく戦場を渡り歩いた武人だ。
目の前の男が戦士であり、そしてその命を燃やし尽くしてここにいるのを感じ取っていた。
敬意を表す以外の行動が失礼になると知っていたのである。
「私はグラオヴァルト法国二十三代法王、シュタイナー三世だ。アールヴ人の王と言えば分かるかな」
「……」
アンゼルム、そして後ろに控える舎弟らが息を飲むのが分かった。
「お前は偉いんだろ、国の中で一番、偉いんだな」
「そうだ、ならば何を望む、何を叶えて欲しい」
あくまで威厳を保ちつつ、シュタイナーは答えた。彼は王なのだ、彼を慕う民の前では例え虜囚に身であっても自身の振る舞いで失望させてはいけない。
それが誰からも支持されなかったと揶揄される彼の王としての意地であった。
「戦争を、戦争を終わらせてくれ。出来るだろう」
「私が自由の身であれば必ず」
躊躇することなくシュタイナーは言いきった。彼は仮にも王、それだけの力がある。グスタフには及ばなくても、それだけの力があるのだ。
ならば何を躊躇う、目の前に助けを求める民のために躊躇することなどあるのか。
「兄貴、敵の増援だ、このままだと」
「じゃあ、俺が食い止める。お前らはこのことをリヒテルさんに伝えに行け!!」
「ですが、兄貴!!」
「大丈夫だ、俺は不死の怪物、この程度は何ともないぜ」
アンゼルムが最期を迎えるのを舎弟らは見抜いていた。今は数えるほどまで減った彼を慕う弟達。
彼らは無言で別れを告げる。
「名前を聞きたい」
「あん……?」
静かに、シュタイナーは自分を助けた戦士の名を問うた。
「俺は好きなことをやって、それでも周りは文句を言わずに従ってくれた幸福な男だ、名乗る必要はない。俺の舎弟らを救ってくれれば後はどうでもいい」
「そうか、忘れない」
敵の増援が迫っている。長くは話せなかった。そして瀕死のアンゼルムを置いて彼らは去る。
彼らが見えなくなった所でアンゼルムはどっと斃れた。
もはや立つ力も残されてはいなかったのだ。ただ気力だけで支えていた。だがもうそれはもう今、使い切った。
「あばよ、リヒテルさん、あばよ、みんな」
黒い霧が体から吹き出し、アンゼルムは目を閉じる。
そして遅れること数分、襲撃を察知して援軍として駆け付けたスヴァルトの騎兵が恐る恐る現場に駆け付けた時にはただ、地面に灰がぶちまけられているだけであった。
*****
リューネブルク市への道・グラオヴァルト法国軍本陣―――
「申し訳ありません」
「いやいい、俺も油断していた。まさかここまでやってもリヒテルのために命をかける奴がいるとは思わなかった」
「はっ、申し訳ありません」
土下座してグスタフに謝るのはスヴァルトの騎士、法王シュタイナーを護送の責任者たるスヴァルトの騎士であった。
法王シュタイナーに逃げられた。その意味を彼はあまり理解していない。しかし与えられた任務を達成できなかった。
それ故に謝罪しているのだ。
「取りあえず、法王シュタイナーが首都に戻らないよう、検問を張れ、いいな。奴が法王府にたどり着き、俺が下した恩赦やらを取り消せば軍が動揺する」
「はっ、必ずや任務を達成します」
失敗の償い、最低でもその騎士はそう思った、を受けて彼は急ぎ、天幕を出ていった。彼はいままで以上に職務に邁進するだろう。
だが、彼にはもう償いなど与えられない。償いなどできない程の失態を犯していることを恐らく理解していないだろう。
だからグスタフは全てを離さなかった。理解できない人間を叱責しても仕方がないからだ。
「来るな、ここに……あの男が悠長な手段を用いるとは思えない」
兵士はあくまでグスタフではなく、国に忠誠を誓っているのをグスタフは知っていた。法王は必ずやリューネブルク市へとやってくる。
彼の命令は国の命令だ、彼が言えば法王軍の兵は戦うのを止めるだろう。
リューリク公家が脱落した以上、法王軍が軍の中核、その離脱は戦争の終結を意味する。
リューネブルク市攻略は取りやめだ、そして総司令官たるグスタフはお払い箱、法王監禁、何よりも法王の名を使い、勝手に恩赦などを出した以上、重罰は免れられない。
だが取り繕うことはできる。全ての罪を誰かに被せ、逃げ切ることはできるだろう、だがその代り、グスタフの野望は遠のく、次の機会は何十年後か、それまで待てるのか。
待つのは慣れている。だがこの時、グスタフは待つことに耐えなれなかった。
「ようはシュタイナーが来るまでにリューネブルク市を攻略してしまえばいいんだな。そうすれば、停戦を命令されても意味がない。ははは、七十二時間以内にリューネブルク市を落とす、願掛けにつもりだったが、まさか本当にやらねばならないとはな……刃を首に突き付けられたのは俺も同じか」
グスタフは笑う、それは誰を、嘲笑ったものか、それは本人にも分からなかった。
リューネブルク市を攻略する功績、されさえあれば恩赦もその他の事も許される。
法王はウラジミール公と違い、絶対的な君主ではない、戦争を起こしたリヒテル、及びバルムンクを討伐した英雄を無下には出来ないのだ。
だがそれはリューネブルク市を攻略できればという条件が付いた。今の彼は単なる法国軍総司令官でしかない。
「リューネブルク市一帯に検問を張るか、それで一日はシュタイナーが来るのを遅らせることができるはず、だが俺の子飼い以外の兵士が法王に接触すれば全てが終わり。面白いじゃないか、ゾクゾクするぜ、なぁ、リヒテル!!」
哄笑する簒奪者。その歪な笑いは窮地に追いつめられれば追いつめられるほど、頼もしかった。




