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深霧のザーイエッツ  作者: 山崎 樹
第七章 強く儚きもの
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さらばだ、リヒテル

中央戦線より戦線離脱・ロスヴァイセ連合軍―――


「イグナーツの旦那、あのヴァンの傷はどうだ?」

「奇跡的にも急所は外れています、ですが、このままでは遠からず……」

「じゃあ、安全なところまで運んでくれよ、死なれては俺らの犠牲が無駄になる」

「犠牲……どういうことですか!!」

「皆まで言わすなよ、お前らが逃げるまで俺らが盾になる」


 騎士セルゲイがトドメの騎兵突撃を敢行する直前、ファーヴニルらはまさしく肉の壁となり、二人を逃すべく命を散らそうとしていた。

 だがその献身をイグナーツは素直に喜べない、先のセルゲイの挑発、人の尊厳を穢すそれは確かに彼らを激昂するには十分であっただろう。

 だがそれと命をかけるのはまったく違う。死は全ての終焉だ、死ねば何もかもが終わる。信仰心の薄いアールヴ人はスヴァルト人のように最期の審判で蘇るという妄言を信じたりはしない。

 ましてや命をかけて逃がす二人は彼らにとってはほとんど初対面、見ず知らずの人間のために本当に命を捨てて良いのか……イグナーツは甘かった。 彼らが理由は知らないが、自分達のために犠牲になってくれるというのだ、これは良しと素直に利用すれば良い、例えば、あのグスタフならばそうする。

 だがイグナーツは問いただしてしまった。それは弱さとも言える甘さ、だがあるいはその甘さが十年間も強大なスヴァルト相手に廃墟と化したライプツィヒ市を守り切れた力なのかもしれない。

 

「あんたは本当に……いいや、これで最期だ。全部ぶちまけてやるよ」

「……」


 名も無きファーヴニルは語りだす、その表情は恥ずかしく、どこか照れているようであった。


「所詮、俺らはファーヴニル、元々、ファーヴニルっていうのは極悪な盗賊という意味だったんだぜ、それがスヴァルトの侵略、そして役に立たない国軍と続いて堅気は俺らに勘違いして期待しちまった。盗賊ならばなんとかしてくれる。それで侠客なんて呼ばれて俺らは舞い上がっちまった、だけど、所詮は盗賊、人間のクズよ、俺は女を斬って故郷を追われた、最低の人間だ、どこまでいってもクズにしかなれねえよ」

「……」

「情けねえもんだ、スヴァルトが侵略しなければ俺は絞首刑がお似合いよ、だけど堅気が期待したように俺も期待しちまった……皆に慕われる優しい男になりたかったのよ、だけど無理みたいだ、今でも俺だけがなんでこんな目に合わなくきゃいけないんだと思っている。逃げた奴らがうらやましい、イグナーツの旦那、あんたは立派だ、街一つ守るために十年戦うなんて俺には絶対に無理だ。ヴァンとかいう死術士は年齢から言って物心つく前にスヴァルトが攻めてきて、つまりは初めから侠客と呼ばれたファーヴニルをやっているんだろ、お前らは綺麗だ、汚れきった俺らとは違う」


 そう言うと彼は砕かれた右足を庇うように槍を前方に構える、足を負傷した彼はもう逃げられない。


「あのクソ生意気な騎士にかすり傷だけでも負わせてくるぜ、それが俺の精一杯だ」


 イグナーツは迂闊にも彼の名前を聞くのを忘れていた。だがすぐにそんなことは無意味だと気付く。

 自分ができることはヴァンを連れて安全なところに逃げる事、ただそれだけ……ならばそれを成せばいい。

 イグナーツはただその使命は果たすだけ、吹雪はいつの間にか弱まっている。だがどういう訳か、目が霞む、拭っても拭っても、視界はかすれ、目は熱を帯び続けていた。


*****

 

中央戦線・リヒテル対グスタフ―――


 リヒテル、グスタフ、その神聖なる決闘は部外者によって穢された。敵陣を突破したリヒテルの側近エルンスト老の放った矢はグスタフの意識をそらし、その隙を突いたリヒテルはグスタフの右腕を切り落とす。

 太くたくましい腕は大剣を握ったまま吹き飛び、地面を転がって泥と雪にまみれた。

 だが助けが来たのはリヒテルだけではない、グスタフの側近、シャルロッテが放った死術の怪物がリヒテルに食らいつく。

 グスタフは片腕を失った、だがリヒテルは命を失おうとしていたのだ。


「わしが連れてきたのは千の軍勢、グスタフ、覚悟せい!!」

「老いぼれが……俺の決闘を邪魔するんじゃねえ!!」

「クロス・ボウ兵……リヒテル様を捕えている怪物を……」

「間違えるのではない、魔物の方ではなく、術者を狙うのじゃ」

「グラトコフ、エルンストの突破を許すとはあの口先だけの役立たずが……もういい、俺の軍はどこだ、さっさと邪魔者を叩きだせ!!」


 わずかな間に戦場は混戦へと移行していた。シャルロッテが連れてきた法王軍が負傷したグスタフを守るように布陣し、対してファーヴニルらはリヒテルを救出すべくしゃにむに突撃してくる、先頭は白髪の老人、エルンスト・バーベンベルクであった。


「一番槍とは年を考えればいい度胸だな」

「何を、わしはまだ若いつもりじゃよ……」


 気合一閃、両手でブロードソードを構えたエルンスト老が上段から渾身の一撃を放つ、グスタフは避けなかった。

 後退するよう促す部下は無視する、飛んでくる流れ矢は考慮しない。斬りおとされた右腕からとめどなく血があふれるが気にしている様子はない。

 ただ彼は獰猛な笑みを浮かべてリヒテルが手放した双剣の片割れをまだ無事な左手に持つ。エルンスト老の放つ剣戟を真っ向から受け止めた。


「おらぁぁぁ!!」

「ぐっ!!」


 激突する刃と刃、上段という有利な立場を確保した彼の老人はだが押し切れないことに歯噛みする。

 いや、五分ではない、わずかに押し負けたのだ。彼の得物に微細なヒビが生じる。


「年は取りたくないのう……片腕の重病人相手にこの様か」

「まだ若いんじゃなかったのか、調子のいい奴……だがいい一撃だっだぜ、褒美に少しリヒテルに休憩をくれてやろう。だがその間にお前が俺の相手をしろ、それで決闘の邪魔をしたのを許してやる」

「ふん、馬鹿の相手はしたくないわい」

「何……シャルロッテ!!」


 初めからエルンスト老の目的はグスタフと戦うことではなかった。彼はただリヒテルを救い出せばそれで良かったのだ。

 それを阻む者はグスタフだけ、彼の意識をそらせば、それ以外ならばなんとでもなる。


「しまった……リヒテルを取られ、ひゃう!!」


 リヒテルに食らいつく影の魔物グートルーネを力任せに引き離すファーヴニル達、怪物に触った手や腕から生命を奪われたのか、肉が腐る匂いがするが彼らは気にしない。慕う我らが指導者を助けるためならば腕など惜しくはないのだ。

 せっかくの獲物を取られた魔物はしかし無反応であった。術者であるシャルロッテがクロス・ボウで狙撃されていて的確な命令を与えられない。

 命令を発する者がいない以上、怪物は待機以上の事ができないのだ。


「まずい、行きなさい、グートル―ネ、リヒテルを取り返して……」

「もういい、下がれ!!」

「しかし……」

「シャルロッテ、お前は良くやった、誰もお前を責めたりはしない」

「はっ、はい!!」


 リヒテルを奪い返されて慌てて前に出るシャルロッテ、それをグスタフは制止した。気遣ったというだけではない。

 グスタフは事戦闘においてシャルロッテをそれ程評価してはいなかった。

 前に出ても返り討ちになるだけ、死術の使い手というのはウラジミール公がその使用を禁じたこともあり、得難い切り札なのだ、ここで無駄に消耗して良い物ではない。


(ちっ、いつも後一歩のところで、ハノーヴァーでも、リューネブルクでも……)


 リヒテルを確保して後退していくファーヴニル軍を底冷えするような視線でグスタフがにらみつける。

 彼の横をファーヴニル軍を追撃するべく法王軍の兵士が駆けて行き、グスタフは斬り落とされた右腕をふと見る。

 失われしその腕を、だがそれほど惜しいとは思わなかった。腕を失うことなど想定内、むしろそれほどの敵と相対しているということを再確認したことは収穫だ。


(なんともあきれ果てた性だな、敵は強大である方が……いや、未練だな、俺はまだ何も知らなかった十年前のヴォルテール家を懐かしんでいるかもしれない)


 右腕に重みを感じる、清潔な布で巻かれ、止血されていた。主の治療に励むシャルロッテの顔には法悦が見える。

 彼女には成さねばならない、誇りある責務がある。彼女は幸せだった、だからそれ故にその目は前だけを見ており、グスタフの冷えた視線にも、その葛藤には気付くことはなかった。


*****

 

「戦闘は続いているか……?」

「リヒテル、目を覚ましたのか」


 戦闘は続いている。救出されてリヒテルはすぐさま戦線後方、エルベ河のほとりに移送され、応急処置を受けていた。

 だがそこは戦場、あくまで応急処置が限度であり、それ以上は出来そうにない。

 それではダメなのだ、リヒテルの受けた傷は内臓にまで達し、事は一刻を争う、とりわけ影術のせいか、手足の負傷は深刻であった。

 末端から黒く壊死し、両足の指は既に欠け落ち、足、あるいは膝から切断しなければならないかもしれない。


「自分の身体は自分が分かっている、私もファーヴニル、覚悟の上だ」

「……」


 リヒテルは自身の負傷を一切頓着することはなかった。それは豪胆だと言えるかもしれない、だがむしろ相対するエルンスト老はそこに危うさを感じた。

 グスタフ、あの我欲だけで動くケダモノの宿敵は我欲を持たぬ聖者であったのだ。

 だが果たしてその聖者は幸せなのか、いつの世も己を顧みない聖者の末路は殉教という名の自害であった。


「ん……?」


 起き上がろうとしたリヒテルはしかし、そのまま背中から倒れた。不思議そうな顔する彼には何が起きたのか分かってはいない。

 全身を包む痛みが己の身体を把握する術を奪っていた。


「左腕はもう切断したわい、腐っておっての……熱をもったらそれで終わりじゃ」

「そうか……右腕は、まだ動かないか、すまないが手を貸してくれ、自力で起き上がれそうにない」

「……」


 無言で手を貸すエルンスト老、彼の顔をは伏せられていた。その表情は誰にも、相対するリヒテルにも見えない。


「戦況はどうだ……」

「もう、どうしようもない所まできておるよ、友軍と連絡が取れない、悲鳴すら聞こえなくなった。敗北じゃ、完膚なきまでの敗北じゃ、スヴァルトにわしらはもう勝てない」

「いや、まだだ……」


 意気消沈するエルンスト老、彼は神ではない、だから全体の戦況を俯瞰するような能力はないが、彼の長年の勘から言ってこれはもう挽回できないほどの悲惨な状況であることは推察できた。

 そしてそれは事実であった。


「動かせる兵力は……」

「今、法王軍と交戦しておる千名程、だが転戦するとなると二百も動かせればいいじゃろう……お主、何を考えておる。この後に及んで何をしようと言うのじゃ!!」


 リヒテルの様子に只ならぬものを感じ取ったエルンスト老が詰め寄る、それをリヒテルは制止し、静かに語りかけた。

 その顔は穏やかだった。あまりにも穏やか過ぎたのだ、それは彼が自らの技能を教え込んだヴァン、彼がセルゲイと相討ちを望んだ時と酷似していた。


「今、彼らは勝利に油断している。戦闘は終わったと油断しているのだ、そこに隙がある。二百の内、百五十でリューリク公家の軍を引き付け、残りの五十で本陣に潜入、総司令官たるウラジミール公の首を取るのだ。スヴァルト人は専制主義者、王の首を取られれば敗北と感じるだろう、さすれば上手くいけば引き分けとなる」

「万の軍勢を数百人でかき分けて進めと言うのか、お主、正気か」

「正気ではないかもしれないな、だがそれが奇跡を頼みにしたものでも他に方法はない、この戦いで一万の人間の命が犠牲になった、その犠牲を無為にはできない」

「……」

「分かってくれ、全ては虐げられし民衆のため、ここで何の功無く敗れれば、全ては無駄だ、民衆は、しょせんスヴァルトには勝てないと絶望し、圧制に反抗する気概を失ってしまう」

「お主は……お主はどうするというのだ」


 もはや説得は不可能だとエルンスト老は悟る。リヒテルは諌めても行くだろう、自らの最期の戦場に……だがそれでも彼は無言でいることが出来なかったのだ。


「馬を用意してくれ、足も、左腕も動かないが、頑張れば右腕は動く、剣は振るえないまでも手綱は操れる。何、矢避けぐらいにはなるさ」

「お主は指導者じゃ、生きる必要がある」

「それは許されることではないエルンスト老、私が逃げればやはり民衆は絶望する、しょせんは自分達の指導者は卑怯者でしかなかったとな、そしてその卑怯者を指導者に選んだ自分を卑下するのだ」


 リヒテルの言葉には皮肉が若干含まれていた。彼にはバルムンクと言う組織を導く責務がある。

 だがその心配は必要なくなっていた。これほどの惨敗、バルムンクはもう再び立ち上がることはないと確信していた。


「ならばわしが許そう……生きよ、リヒテル。名を変え、素性を隠し、どこか遠くに逃れて幸せになれ」

「何を言う、エルンスト……お前こそ正気か、そんなことは許されないと言ったはずだ」

「誰を犠牲にしてもいい、どんな卑劣な手段を使ってもいい、蔑まれても情けなくても許そう、幸せになれ……それが親のエゴと言うものじゃ」


 不意にリヒテルは腹部に激痛を感じる。呼吸を司る臓腑に対する打撃は彼をして耐えきれるものではない。

 腹部には剣の柄が突き刺さっていた。


「エルンスト、まさか……」

「達者で暮らせよ……さらばだ、リヒテル」


 暗くなる視界、手を伸ばそうとしてその手が動かないことにリヒテルは気付く。

 たくましく広い背中、小さく振られた手がなぜか印象深い、思えばリヒテルは家族に幸薄い男であった。母とは物心つく前に死別し、娘を売って利を得ようとした父は自ら裁いた。

 薄れゆく意識の中、確かに父の姿を見た、リヒテルが幻視したそれがエルンスト老の最期の姿であった。

 天空が夜の色に染まる。バルムンクにとって遅すぎる、あまりにも遅すぎた夜が訪れる。

 戦闘が終わる、ブライテンフェルト会戦、バルムンク連合の国の命運をかけた決戦は……バルムンク連合の壊滅的敗北で終わった。

 一万数千余りの軍勢は戦死と戦傷、逃走が重なって急速に解体し、本拠地リューネブルク市に帰還できたのはわずかに二割。

 その内訳はマリーシア率いる傭兵団、ブリギッテ竜司祭長率いる神官兵及び総統リヒテルを乗せた水軍、危篤状態のヨーゼフ大司教傘下の黒旗軍、そして……。

 ギャラルホルンが鳴り、神々の黄昏ラグナロクが始まった。ヴァルハラの戦士は死に絶え、巨人達は神々の住まう地へと進軍する。

 ユグドラシルに大火が投げられたその時、だがそれでもまだ人々は最期の希望を信じていた。


次でこの章は終わり、そして次が最終章となります。

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